『てのひら』 
  
  
「パパっ。似合う?」 
「ああ。めちゃくちゃ似合ってるからなっ」 
  
 懐かしい制服を着て、目の前でくるりと一回転する娘。 
 その制服は、20年前にあいつが着ていたものと一緒だった。 
 制服だけじゃなく、姿かたちまでもがそっくりで、思い出さずにはいられなかった。 
  
「えへへ〜」 
  
 ぎゅっ。 
  
 そう笑って俺に抱きつく娘。 
 俺も、そんな娘を抱きしめてやる。 
 そして思い出す。 
 こうやって抱きしめた女の子の存在を。 
 …まあ、こんな無邪気に抱き合った記憶は無かったが。 
  
 その姿は、あまりにもあの頃を思い出させて、俺の目に眩しく映った。 
  
  
  
 娘は、俺たちが通っていたのと同じ高校に進学することになった。 
 俺と違い、学校での成績は優秀だったし、教師たちへのウケも良かったらしく、推薦で難なく合格していた。 
 そして今、俺たちが着ていたのと同じ、懐かしい制服を身に纏っているのだ。 
  
 その姿を観て、何故か涙が溢れそうになるのを、寸前でグッと堪えた。 
 歳のせいか、どんどん自分が涙もろくなってきている気がした。 
  
「あのさ、パパ」 
「ん? 何だ、汐」 
「お風呂はいろ」 
「…ああ、だな」 
  
 制服を受け取って持って帰ってから、まだ風呂にも入っていなかったことを思い出した。 
 もうとっくに日は暮れているし、夕飯も外食で済んでいた。 
 あとすることと言えば…風呂だけだった。 
  
 俺はいつものように、家の狭い風呂場へ。 
より窮屈にはなっていたが、2人で入ることにした。 
  
  
  
「パパ〜っ」 
  
 ぎゅっ。 
  
 ここでも娘による抱きつき攻撃がある。 
 もう1ヶ月もすれば高校生になる。そんな娘の身体は、より女らしく変貌しつつあった。 
俺は毎日直接見て、触れ合うことで成長を確認することが出来た。 
 小学校くらいの時には、まだ骨の感触も感じることが出来たのだが、 
今では、柔らかな感触を感じるだけになっていた。 
  
「ホント、大きくなったよな」 
  
 そう言うと、俺も片手で抱きしめつつ、頭を撫でてやる。 
  
「えへへ…。どの辺?」 
「ん? 全部だよ、全部」 
  
 背も母親くらいまでにはなっていたが、身体つきなんかはまるで違ってきていた。 
 男としては…やはり胸の変化が一番感じられた。 
 それと…ヒザの上に座るたびに感じられるお尻と。 
  
 その2つのパーツは、女の子と言うよりは「女性」を強く意識させるものになっていた。 
  
  
「きょうね…、クラスの男の子から告白された」 
「またか?」 
「うん…」 
  
 この話は、中学に入った頃くらいからよく聞かされていた。 
 父親としては、こうやって包み隠さず話してくれるのが嬉しかった。 
それに、娘が魅力的だと言うことがわかるのは誇らしかった。 
  
「断ったけどね」 
「そっか…。今度はどこが気に入らなかったんだ?」 
  
 娘はよくモテた。 
 俺と違って、男女分け隔てなく話せることが大きかったと思うが、 
スポーツは万能で、憧れる女の子も多いらしかった。 
 現に、学校に迎えに行くと、娘が取り巻きの女の子に囲まれていたりする場面を何度も目撃していた。 
 ま、そんなときでも、娘は俺に抱きついてくるのだが。 
 もちろん、男からの告白も多いらしく、そのたびに断り方のアドバイスも伝授してやったりしていた。 
 つまり、男にとってショックの小さい方法を。 
  
「えっと…。パパほどカッコよくないから」 
「気ぃつかってるか?」 
「遣ってないってば。パパの方が全然カッコいいんだもん」 
  
 娘はいつも、こんなことを言ってくれる。…でも、本心はわからない。 
 ただ、お世辞でも何でも、そんなことを言ってくれるのは心底嬉しかった。 
  
 そう言えば、俺は娘が、何時まで一緒にお風呂に入ってくれるのかを心配していた時期があった。 
 周りに聞けば、小学校の途中くらいからは避けられた、という話をよく聞いたが、ウチでは今でも一緒だ。 
 片親だし特別なのかもしれない。 
 ふたりしかいないのだから。 
  
 …でも、もう娘は大人に限りなく近い。 
 こうやって父親と裸の付き合いをしていて、何も思わないんだろうか? 
 少なくとも俺は、娘を1人の女性として見ないように必死なときもあったのだが。 
 お互いが裸で湯船に浸かっているわけだから、常に色んなところに触れているわけで。 
  
「どうしたの? パパ」 
  
 娘はわかっているのだろうか? 
 自分の身体の変化に。それが父親の色んな感覚を刺激していることに。 
  
 俺は娘が何時しか離れていくもの、として覚悟していた。…はずだった。 
 でも、今もこうやって裸の付き合いが出来ていることに喜びを感じてもいた。 
  
 そして、こんな時間が永遠に続けば良いのに…とさえ願うようになっていた。 
  
  
  
  
  
  
  
 娘は中学を卒業して、あっという間に、高校に入学する日がやって来た。 
  
 この日ばかりは俺も、いつもの作業着じゃなく、一張羅のスーツを着ていった。 
 娘は作業着を着てくることを主張したけど、この日ばかりはこの格好でいたかった。 
…似合わないかもしれなかったけれど。 
  
 散々、作業着で行こうと言っていた娘だったが、いざ俺がこの格好で出てくると、 
  
「…パパって、こういう格好も似合うんだね」 
  
 と、満更でも無さそうだった。 
 そう言われると、俺自身も嬉しくなった。 
  
「じゃ、行こっか」 
「おう」 
  
 そう言うと娘は、俺の手のひらに自分の手のひらを重ねた。 
 大きくなったそれは、あいつのことを思い出させるには十分な感触だった。 
 俺は、思わず強くそれを握った。 
  
「痛っ」 
「あっ…ゴメン。大丈夫か?」 
「うん、大丈夫」 
  
 とっさに入ってしまった力を緩めると、今度は娘が強く握り返してきた。 
 そんな娘に、適度に力を込めてお返しをした。 
  
「えへへ」 
  
 娘の、まだまだ柔らかな素肌の感触が伝わってきた。 
  
  
 坂道へと差し掛かった。 
  
 そこは…、あいつと俺が初めて出会った場所だ。 
 暖冬のせいで開花が早まった桜が、今日のように散りゆく光景すら懐かしく感じていた。 
  
「どうしたの? パパ」 
「…ん? ああ、何でもないぞ」 
  
 俺は努めて冷静に振る舞ったが、普段と様子が違うことを、娘は感じ取っているようだ。 
 あまり心配を掛けても仕方が無いし、何よりも娘の晴れの舞台だ。 
  
 でも、鮮明に思い出していた。 
 あの日の事を。 
 忘れるわけが無かった。 
 あの日から…あの出会いから俺は変わったのだから。変われたのだから。 
  
 娘が手を離して、散り行く桜の下へと歩いていった。 
 俺は、そんな娘を追いかけるでもなく、ゆっくりと桜を眺めながら歩いた。 
  
  
  
 たぶん、あの日から始まったんだ。 
 あの日、俺があいつに声をかけたときから。 
 それがこの場所なんだ、と。 
  
 もし、あの日俺が声をかけなかったから? 
 あいつに気づかなかったら? 
  
 もう、あの日あの時、俺はあいつに声をかけたんだから、 
こんなタラレバを考えていてもしようが無いのはわかってる。 
 けれど、あいつに気づけて、声をかけられたことに対しては、感謝の気持ちで一杯だった。 
色々あったけれど、今、こうして満ち足りた気持ちで生きていられるんだから。 
  
  
  
 たくさんの新入生やその親が通り過ぎていく中、舞う薄桃色のベールの向こうに、1人佇む姿を見つけた。 
 その姿は、物思いにふけっているようで、声をかけづらい雰囲気を醸し出していた。 
 それでも、もう10年も連れ添ってきた娘に、声をかけないという選択肢は存在していなかった。 
  
「汐、どうした?」 
  
 そんな雰囲気なのに、こんな言葉しかかけられない俺は、あまり成長していないんだろうな、 
と、心の中で苦笑した。 
  
 しかし、娘の口から発せられた言葉は意外なものだった。 
  
  
  
「何もかも…変わらずにはいられないのかな?」 
「う…しお?」 
  
 その言葉の響き。 
 言っていることの意味。 
  
 ----わからないわけが無かった。 
  
 でも俺自身は、別のことを思い出していた。 
 あの日のことを。 
  
 …あいつが、一人佇んでいた日のことを。 
  
  
 そして今日。 
 あいつと同じ服に身を包んでいる…娘。 
 姿かたちは、あの日あの時のあいつと間違いなく似ていた。 
  
---変わらずにはいられない--- 
  
 何が? どういう風に? 
  
  
「汐とパパ…。もう、何もかも変わらずにはいられないよね? 
 …ううん、もう…」 
  
  
 いずれ、俺は娘と離れなければならないだろう。 
 今みたいな「一緒にいて当たり前」な関係は、将来的には終わるのだろう。 
  
 娘はどんどん成長してきた。 
 いずれは大人になって、かつての俺がそうだったように、親元を離れていくのだろう。 
 その道の途中なんだろう。 
  
 でも俺は…変わらないことを願ってしまっていた。 
 望んでしまっていた。 
  
 傍に来た娘が、俺の手のひらをぎゅっと握った。 
 俺はそれを握り返した。 
  
 お互いがこうやって、温もりを確かめ合える関係。 
 お互いの存在を確かめ合える関係。 
 そんな関係…。 
 ずっと続けば良いのに、とまた思った。 
  
  
「無理に…変わろうとしなくていいからな」 
「えっ?」 
  
 思わず本音を口走っていた。 
  
「汐は…パパに甘えてくれるだけ甘えてくれたら良いからな」 
「あ…。うんっ」 
  
 俺の真意が伝わったのかはわからなかったが、 
娘は手を繋いだまま、身体を預けるようにして身を寄せてきた。 
 思い込みは、時に期待を外れ失望させてしまうが、 
身体の触れ合う感触は確かなもので、期待を裏切らなかった。 
  
  
  
--小さな手でも離れても僕らはこの道行くんだ-- 
  
 何処かで聴いたフレーズが頭を過ぎった。 
  
 もう、小さいとは言えなくなった娘の手。 
 でもまだ、離れても同じ道を歩けるとは思えなかった。 
 俺は。 
  
  
 ぎゅっ。 
  
 握り返す感触があった。 
 同じ気持ちなんだろう、娘も。 
  
---変わらずにはいられない--- 
  
 それは分かっていた。 
 分かっていたんだ。 
 現に、俺は歳を重ねておっさんへと近づいていたし、 
娘はどんどん女らしく、キレイになっていった。 
  
 でも、心のどこかでは、娘と一緒にいられる日々だけは変わらずにいたい。 
 そんな風に願ってもいたんだ。 
 10年も一緒に歩いてきた。 
 だけど、まだ一緒に歩いていかないと、同じ道は歩けないと思った。 
 離れても同じ道を行けるとは思えなかった。 
  
 俺は、娘を拘束しているのかもしれない。 
 自分がそうなりたい、と思っていることを娘に押し付けているだけなのかもしれない。 
  
 けれど…。 
  
「パパ」 
「なんだ? 汐」 
「ずっと…、ずーっと一緒にいてね?」 
「…ああ。汐がいて欲しいって思ってくれてるならな」 
「うんっ。約束だよっ」 
  
 こんなことを言われると、娘も同じ気持ちなんだな、と勘違いしてしまいそうだった。 
  
  
 いつかのことを思い出した。 
 それは…夢だったのかも、空想だったのかもしれなかったけれど。 
  
 桜舞い散る坂道の上で、微笑んでいたあいつの姿を。 
  
 でも、そのときには聴こえた声は、今は聴こえなかった。 
  
「パ〜パっ」 
  
 あるのは、あいつと似た声をした娘だけだ。 
  
  
 俺たちはまた上りはじめるんだろう。 
 この長い、長い坂道を。 
 ふたりで、これからもずっと。 
  
  
<終わり> 
  
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 まず…「入学シーズンに間に合わなかった」orz 
  
 時間が掛かった割には…ちょっと納得のいかない部分もあります。 
 まあ、何が書きたかったのかがわかれば幸いです。ちょっとずつ、朋也が汐への依存を深めたり、渚との共通点を見つけたりしているんで、今後は…まあ想像にお任せしたいと思います。 
  
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