※このSSは、『てのひら』(汐高校生編)の汐視点バージョンです。もちろん単体でも楽しめる作りになってますが、両方を読み比べてもらえれば、なお楽しめる作りになっています。 
  
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『約束』 
  
  
「パパっ。似合う?」 
「ああ。めちゃくちゃ似合ってるからなっ」 
  
 真新しい制服を纏ったわたしは、パパの前でくるりと一回転した。 
 そんなわたしを見つめるパパの視線はとても嬉しそうで…。 
  
「えへへ〜」 
  
 ぎゅっ。 
  
 思わず、子どものように抱きついてしまうわたし。 
 そうすると、パパも抱きしめてくれた。 
  
 …あったかい。 
 パパの逞しい胸板に顔を押し付けて、パパの匂いをいっぱいに吸い込んだ。 
 でも、わたしは気付いていた。 
 パパはわたしを見てはいないことを。 
 わたしのこの姿は、あまりにもママに似ていたから。 
 ちょっとだけ、天国のママに嫉妬した。 
  
  
  
 わたしは、パパとママ、それに杏先生やゆきねえ先生が通っていた高校に進学することになっていた。 
 推薦入学できるとかで、受験勉強も真剣にやることもなく、気がついたら合格してたみたい。 
 ただ、パパとママが通ってた高校に通えることは、何物にも代えられないくらいに嬉しかった。 
 そこは、特別な場所だったから。 
  
 そして今は、ママが着てた制服を身に纏っている。 
 …なぜか、この制服を着ている自分が、とても懐かしく感じた。 
  
  
 パパも同じ気持ちなのかな? 
 ふるふると震えていて、いかにも泣きそうな顔をしてた。 
ここは、娘として助け舟を出さないわけにはいかなかった。 
  
「あのさ、パパ」 
「ん? 何だ、汐」 
「お風呂はいろ」 
「…ああ、だな」 
  
 パパが泣きそうなときは、日常を思い出させてあげるのが一番だ。 
 これは、わたしの常套手段だ。 
  
 昔は、早苗さんの言うとおり、わたしが泣きたいときも、パパが泣きそうなときもトイレに行ってたけど、 
今は何となく、パパの気持ちを少しだけコントロールできるようになってたから、 
パパがひとりで泣くことも減ったんじゃないかなって思う。 
  
 でも、それは単なる口実で、わたしがパパと一緒に入るお風呂が楽しみなだけだったりするけれど。 
  
  
  
「パパ〜っ」 
  
 ぎゅっ。 
  
 娘であると言う身分を利用して、わたしはいっつもパパに抱きついていた。 
 それは、お風呂場でも同じだった。 
 むしろお風呂場だったからこそ、抱きつきたくなるのかもしれなかった。 
 自分の身体の変化を、パパにも知ってもらいたかったから。 
毎日、それを報告しているようなものだ。 
  
  
「ホント、大きくなったよな」 
  
 そう言うと、パパは片手で抱きしめながら、頭を撫でてくれた。 
  
「えへへ…。どの辺?」 
「ん? 全部だよ、全部」 
  
 本当は、胸とかお尻とか言って欲しかった。 
 ここ数ヶ月でも変化がわかるくらいに成長してた部分だから。 
 さりげなく押しつけてみて反応を見たんだけれど…引っかかってくれなかった。 
 気づいてたら、よりたくさん触って確かめてくれそうなものなんだけど…。 
  
  
「きょうね…、クラスの男の子から告白された」 
「またか?」 
「うん…」 
  
 パパに、他の男の子たちは興味を持つような存在だ、ってことを言いたかっただけなんだと思う。 
 もちろん、嘘は言ってないし、男の子からコクられることは少ないことじゃあなかった。 
 でも、敢えてパパに報告するのは、パパに隠し事をしたくなかったってこともあったけれど、 
そう言って、わたしが異性から意識される存在なんだってことを知ってもらいたかっただけで。 
  
「断ったけどね」 
「そっか…。今度はどこが気に入らなかったんだ?」 
  
 パパは、いつもそう言って普通に受け止める。 
 取り乱したのは、最初にコクられたときだけだった。 
 あの時は…、いつものパパからは信じられないくらいに慌ててたっけ。 
 わたしは、今日も慌てるかもしれないようなことを言ってみることにした。 
  
  
「えっと…。パパほどカッコよくないから」 
「気ぃつかってるか?」 
「遣ってないってば。パパの方が全然カッコいいんだもん」 
  
 うーん。やはり交わされてしまった。 
 パパが格好いいのは本当のことなんだけれど、謙遜しすぎるパパには、もっと自覚を持って欲しかった。 
 自分がかなりモテる存在だと言うことを。 
  
 今までだって、杏先生なんて、パパに好き好き光線か何かを送ってたみたいに思ったけど…、 
当のパパは全く気づかずじまい。 
 思わず、わたしが知らせてあげようかと思ったくらいに、先生が不憫だったっけ。 
 もちろん、ライバルは増えないほうが良かったんだけれど、杏先生なら…って思ったのにな。 
  
 抱きしめてくれているパパの腕を、胸のあたりで抱いた。 
 …パパはそれ以上何も言わなかったから、たまらず訊いていた。 
  
「どうしたの? パパ」 
  
 パパはその問いには答えずに、ただわたしを、もう一度抱きしめてくれた。 
  
  
  
  
  
  
 あっという間に中学の卒業式を終え、憧れの高校に通う日がやってきた。 
 その高校は、パパとママと同じところ。 
 わたしが存在するキッカケになったところ。 
 そんな特別な世界の、一員になる日なんだ。 
 そう思うと、身の引き締まる思いがした。 
  
 パパは、押入れの奥底で眠っていたような服を取り出してきていた。 
 …それは、見慣れないスーツだった。サラリーマンがよく着るようなやつ。 
 わたしは、そんな余所行きの服じゃなく、いつもの作業着を着て欲しいって言った。けれど…、 
  
 見慣れない格好をしたパパは、思っていた以上にビシッと決まっていて格好よく見えた。 
ちょっと、ほーって感じになって見とれてしまった。 
  
「…パパって、こういう格好も似合うんだね」 
  
 パパも嬉しそうに笑ってくれた。 
  
「じゃ、行こっか」 
「おう」 
  
 そう言うと、パパはわたしの手のひらに自分の手のひらを重ねた。 
 ゴツゴツして大きなパパの手。 
 この感触はわたしにとって宝物みたいなものだ。 
  
 だけど、突然パパは握る手を強めた。 
  
「痛っ」 
「あっ…ゴメン。大丈夫か?」 
「うん、大丈夫」 
  
 パパも、もしかしたらママを思い出していたのかもしれない。 
 でも、ママがパパと出会った歳までまだ3年もあったっけ? 
強く握ったのも仕方なかったかもしれなかった。 
 わたしは、合図のようにパパの手を握り返した。強めに。 
そうしたら、パパもお返しとばかりに握り返してくれた。 
 今度は、少し優しく。 
  
「えへへ」 
  
 パパの、ゴツゴツした逞しい感触が伝わってきた。 
  
  
 坂道へと差し掛かった。 
 そこは、たくさんの桜の木が取り囲んでいた。 
 それらは、雪が降るようにしんしんと地面に降り積もっていった。 
  
 パパはぼーっとそれを眺めていた。 
  
 …。 
 パパはこうやって、ぼーっとしていることが多いような気がする。 
 昔を懐かしんでいるのかもしれなかったけれど、わたしの存在をすっかり忘れてしまっているときもあるから、 
結構困りものだ。 
  
「どうしたの? パパ」 
「…ん? ああ、何でもないぞ」 
  
 こんなわたしの問いかけは、定番になりつつあった。 
 でもこうやってパパが答えてくれたってことは、パパ自身も自覚があるってことなのかもしれない。 
  
 だけれども、パパはまた考え事をし始めてしまった。 
 それも真剣に。 
  
 わたしは、面白くなかったこともあったから、手を離して坂の上の方へと早足で向かった。 
  
  
  
 パパから離れて、坂道の上のほうまで歩いてきていた。 
 そこは…、見覚えのある場所だった。 
  
 …ううん。そこに見覚えなんかあるはずは無かった。初めての場所なんだから。 
 でも、そこには…懐かしい感覚が残っていた。 
  
 わたしが、始まった感覚が。その記憶が。 
  
  
  
  
 わたしの中にいるわたしが、初めてパパと出会った場所なんだ。 
 ここから、わたしとパパが始まったんだ、って。 
 あの日。あの時。 
 パパが声を掛けてくれて始まったこの関係。 
 はっきりとは覚えるわけじゃあないけれど、あの時の衝撃は未だに忘れてはいない。 
 感覚として覚えているんだ。 
 あの時、出会わなければ、今のわたしも当然いなかった。 
  
  
 不思議な気持ちがした。 
 わたしが今、ここで生きていて、隣にはパパがいる。 
 そんな当たり前のことは、たくさんの奇跡の上に成り立っているんだと。 
 おかげで、今はこんなにも幸せなんだから。 
  
 でもわたしは、もっとパパに求めてしまっている。 
 欲張りすぎだとやっぱり思う。 
  
  
「汐、どうした?」 
  
 聞き慣れた声と、聞き慣れたフレーズが耳に届いた。 
  
 パパは、どうもわたしの様子をずっと気に掛けているみたいだ。 
 ずっと…ずっとそうなんだ。 
  
 そんなパパとの幸せな毎日。 
 それと、わたしの気持ち。 
  
 その気持ちをパパに告げたら? 
  
 パパはわたしを拒絶できないだろう。 
 かと言って、素直に受け入れてくれるとも思えない。 
 パパにとってわたしは、"娘"に過ぎないのだから。 
  
 でも…知りたかった。 
 パパはわたしを…父娘の関係でも受け入れてくれるかどうかを。 
  
  
「何もかも…変わらずにはいられないのかな?」 
「う…しお?」 
  
 パパが動揺していた。困ったような顔をして、わたしを見ていた。 
 その視線は、真っすぐにわたしを捉えているようで、でもわたしとは違う何かを見ているようにも見えた。 
  
  
「汐とパパ…。もう、何もかも変わらずにはいられないよね? 
 …ううん、もう…」 
  
 もう、普通の親子としてだけじゃあ、わたしの中のもう1人のわたしが納得してくれない。 
 パパに甘えてばかりの状態を、わたしがキッカケを作って変わらなければならない。 
 その結果、大切な何かが壊れてしまっても…。 
  
 でも、変わらないことだってある。 
 わたしが、パパと親子であること。 
 わたしが、"岡崎汐"である限り。そこが変わらない限りは、ずっと親子に変わりは無いんだ。 
  
  
 パパの傍に行き、手をぎゅっと握った。 
 その手はいつもと同じで、ごつくて大きい、大好きなてのひらだった。 
 すぐに私の手を握り返してくれた。 
  
 わたしは告げようとした。けれど…、 
  
「無理に…変わろうとしなくていいからな」 
「えっ?」 
  
 突然のパパの言葉に、のどの奥まで出かかっていた言葉を呑みこんだ。 
  
「汐は…パパに甘えてくれるだけ甘えてくれたら良いからな」 
「あ…。うんっ」 
  
 まるで、わたしの心の中が見えているかのような錯覚さえ覚えた。 
 変わろうと急いでいるわたしの心の中が。 
  
 パパの本心はわからない。 
 どうしてわたしに思いとどまらせたのか?とか、パパの気持ちとかも。 
 でも、高校生活はたった今、始まったばかり。 
 確かに今、ここで言うのは急ぎすぎなのかもしれない。 
  
 ならもう少しだけ、このままでいよう。 
 パパに甘えさせてもらおう。 
 そう思ったら、パパに密着するように寄り添った。 
 この温もりは、パパとわたしがこの世に存在している証しみたいにも思えた。 
  
  
  
---変わらずにはいられない--- 
  
  
 それは、わたしが一番よく知っていた。 
 この世界では、変わらないものなんて何一つ無いんだから。 
 このまま、わたしがパパとの今のような関係を永遠に望んでも、それは叶わない。 
  
 ならば、いつか変わらなければならないんだ。 
 でも、叶うならずっと一緒にいたい…。 
 だから、やがて来る日は、自分の手で新しい季節を開きたい。 
  
「パパ」 
「なんだ? 汐」 
「ずっと…、ずーっと一緒にいてね?」 
「…ああ。汐がいて欲しいって思ってくれてるならな」 
「うんっ。約束だよっ」 
  
 約束。 
 そう。これは、わたしとパパの、約束。 
 わたしの、パパへの約束。 
 ずーっと一緒にいるための。 
 変わろうとするための。 
  
  
「パ〜パっ」 
  
 わたしたちは上りはじめた。 
 この長い、長い坂道を。 
 ふたりで、これからもずっと。 
  
  
  
<終わり> 
  
  
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 1ヶ月以上もかかってしまった…。 
  
 このSSは、『てのひら』(汐高校生編)の汐視点Ver.なんですが、意外に時間が掛かってしまいました。でも、朋也視点のと比較すると、結構色んな要素を散りばめられましたし、相変わらずバラバラな思いの2人ながら、同じ方向に向きつつあることがわかってくれたら…幸いです。 
 ちなみにウチの汐は、幻想世界の少女の記憶…を感覚として引き継いでいたりします。これは、CLANNAD本編をやっていての、僕なりの解釈から来たことなんですが、どうでしょうか? そんな細かいところは関係なく、単に「朋也×汐」のシチュを楽しんでいるだけなんだ! と言う方にはどうでも良いかも知れませんけどねw 
 今後は、汐タイムスリップ編と高校生編を中心に書いていきたいと思っています。 
  
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