『追悼・岡崎家』 
  
  
  
  
  
  
「杏さん。お水汲んできました」 
「あ。うん。重かったでしょ? ありがと」 
「いえ…」 
  
 あたしは、水を汲んできてくれた女の子から手渡された、桶と柄杓を受け取った。 
  
  
「もう1年かぁ」 
「もう1年も経ってしまいましたか」 
  
 あたしは、ちょっと立派な墓石の前にいた。 
 柄杓で水をかけ、拭いてキレイにした。 
 そこには、こう書かれていた。 
  
  
『岡崎家の墓』 
  
  
 アイツの事を思い出すと、自然に込み上げるものがあった。 
 けれど、それを溢れる寸前で食い止めた。 
  
「結局、な〜んにも言えずに離れ離れになったのよね…」 
  
 あたしが好きだったアイツ。 
 アイツの子どもも大好きで、そこから再燃していった気持ち。 
 でも、結局伝えることは出来なかった。 
  
「あんたが死んじゃってからさ、結構大変だったんだから…」 
  
 荒れた日々を思い出した。 
 思い出したくないくらいに、酷かった日々。 
 そして、立ち直るキッカケになったこと。 
 今となっては良い想い出だった。 
  
 あたしは、そんな日々を思い出していた。 
  
  
  
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 あいつと、汐ちゃんが幼稚園に来なくなってしばらく経った。 
 汐ちゃんが熱を出したから、と言うことは聞いていた。 
 ちょうど運動会の日だったし早く帰れたから、訪ねていってやろうかと思っていた。 
実際に、運動会が終わった後、2人の家の近くまで行った。 
 けれど、しばらく経てばまた来るんだろう、 
そのくらいにしか思っていなかったから、アパートを眺めただけで立ち去った。 
  
  
  
 けれど、2日、3日と休みは続いて、自分の中が不安の色で染まってきていた。 
 同僚たちのする悪いウワサもどうしても耳に入ってしまっていたけど、 
それらを振り払うかのように、仕事に没頭するようにしていた。 
 そして、あの日なぜ、2人に会いに行かなかったのか? 
 そんな自分にも後悔し始めていた。 
だから余計に、仕事に集中して気を紛らわせようとしていた。 
 けれど、その日が来てしまった。 
  
  
  
  
 その日は、珍しく雪が激しく降る凍えるように寒い日だった。 
 いつもなら、日が差す頃になると弱まるものだったけれど、 
この日はそんな時間になっても降り止まなかった。 
  
「岡崎さん…。汐ちゃんの父子が見つかったらしいです」 
  
 蒼ざめた表情をした同僚の先生が、そうあたしたちに告げた。 
 あたしは、その言葉を瞬時に理解できず、固まってしまった。 
  
「どこで?! で、2人は無事なのっ?!」 
  
 別の先生から、あたしも聞きたい質問が飛んだ。 
 その先生は、アイツのファンだった人だ。あたしのライバル…かもしれなかった。 
 そんな人だから、当然の質問だった。 
  
 でも、蒼ざめたままの、第一報をくれた先生の表情は変わらなかった。 
 あたしの心の中は、不安のどす黒い気持ちで支配されていった。 
  
 そして、その予感は的中してしまっていた。 
  
 最初に報告をくれた先生は、首を振った。 
 横に。力なく。 
  
「…ねぇ。ねえっ、どういうことなのっ?!」 
  
 ライバルかもしれなかった先生が、血相を変えて飛びついた。 
 しかし、報告をくれた先生は首を振るばかりだった。 
 しまいには、目尻から光るものが溢れ出していた。 
  
「…ねぇ……っ。なかないで…よっ…」 
  
 2人で泣き出した。 
 わんわん言って。 
  
 …最悪だった。 
  
  
  
 でもあたしは、まだ実感できずにいた。 
 自分の眼で見たわけでは無いのだ。 
 だから、どこかで希望を持っていた。 
 …すると、報告をくれた先生がこう呟いた。 
  
「うし…お…ちゃんは……亡くなって…。 
 お父さんも、衰弱しきっている…って…」 
  
 あたしはばっ、と立ち上がった。 
 そして、猛吹雪になりつつあった外へと駆け出した。 
 わき目も振らずに。 
 ただ、自分の心の中のどす黒い予感を振り払うかのように。 
  
  
  
  
「あ、お姉ちゃんっ」 
  
 病院の玄関で見知った顔を見かけた。 
 でもあたしには、余裕が無かった。 
  
「朋也…。朋也はいるんでしょっ?」 
  
 そう言って、あたしは辺りを見回した。 
 でも、どこにもアイツの姿は無かった。 
  
 改めて妹を見た。 
 すると…俯いていて、あたしの問いかけに答えようとはしなかった。 
  
「ねえ…。ねぇっ。どうなったの?!」 
  
 妹に両手で掴みかかり、身体を揺さぶるようにして聞いた。 
 もう形振り構っていられなかった。 
 しかし、そうやってまで聞き出した答えは、あたしが一番聞きたくない答えだった。 
  
「お…岡崎くんは……もう…」 
  
 その、妹の言葉を聞いて、理解するまでに少しの時間を要した。 
  
 けれど、言葉の意味を理解すると、あたしはその場に、腰が抜けたようにへたり込んだ。 
  
「…ともや、いなくなっちゃったの? そうなんだ…」 
  
 喪失感から、あたしは放心状態に陥った。 
 そうするしか、現状を認識する術が無かった。 
 …あるいは、現実を認識することを放棄していたのかもしれなかった。 
  
  
  
 ある病室に連れて行かれ、白い布が被せられたアイツを見せられた。 
 もう、あたしの問いかけに反応などしないアイツが。 
  
「朋也」 
「…」 
「ねえ、朋也」 
「……」 
「朋也ったら」 
「………」 
「あたしよ? 杏よ? せっかく来たのに、何で返事しないの?!」 
「…………」 
「ねえ…何か言ってよ…。ともやぁ…」 
  
 あたしは涙を流していた。 
 もう、そこで眠っている人が目覚めないことに気付いて。 
 自分でも気付いていた。 
 でも止められなかった。 
  
「とも…や…」 
  
 色んな自責の念もあった。 
 けれどもう、自分の気持ちを伝えたくても出来ないんだ、と、 
そっちの気持ちの方が大きかった。 
 今までチャンスはたくさんあったはずなのに、結局伝えられないままなんて… 
 そんな自分が、悔しくて情けなくて、泣いた。 
  
  
  
  
  
 夜。お通夜があった。 
 そこには、汐ちゃんの親代わりだった、古河夫妻の姿があった。 
早苗さんは、見るも耐えられないくらいに憔悴しきっていた。 
 それを支えているのが秋生さんだったけど、疲れの色は隠せなかった。 
  
 あたしも、参列者たちに頭を下げていたけれど、 
どんな人が来ていたかなんてわからなかった。 
 ずっと顔を伏せていたから。 
 涙を流すことは無かったけれど、ただ、絶望感と喪失感が支配していた。 
  
 時折聞こえる、すすり泣く声が、あたしに追い討ちをかけた。 
  
  
  
 お通夜が終わって家へ帰った。 
 いつものベッドへと転がった。 
  
  
  
 もう、アイツに会えない。 
 アイツの声が聞けない。 
 アイツに、想いを打ち明けることだって出来ない。 
  
 そう思うと同時に、色んな想い出が頭の中を巡っていた。 
  
 出会った頃。 
 バカやってた頃。 
 クラスが離れ離れになった頃。 
 アイツに彼女が出来た頃。 
 卒業で会えなくなった頃。 
 あの子の卒業式で、幸せそうに見えた頃。 
 …人づてに、あの子に先立たれたというウワサを聞いた頃。 
 あの子のお葬式で憔悴しきった顔を見た時。 
 汐ちゃんが入園した頃。 
 …アイツと再開した頃……。 
  
 すべてが懐かしい思い出だった。 
 でも、もうこの先、アイツとの思い出は増えることは無いんだ。 
  
 もう、どうでも良くなっていた。 
 アイツのいない日常に、何の価値も見出せなくなっていた。 
  
  
 …なら、アイツのいる世界に自分が行けば良い。 
 そうすれば、後悔だって取り戻せるはず。やれなかったことをやり直せるはず。 
 そんな結論に至るまでには、そう時間は掛からなかった。 
  
  
  
 あたしは、買ってきたばかりのカッターナイフを手に取った。 
 チキチキチキ…。 
 その刃を伸ばした。 
  
「こんな薄っぺらいものでも死ねるのよね…」 
  
 薄ら笑いと涙を浮かべ、うわごとのようにそう呟いて、刃を手首に当てた。 
 不思議と、冷たさは感じなかった。 
 あとは、この刃を引けば、あいつや汐ちゃんの元へ行ける…。 
 冷静に考えている自分がいた。 
  
  
 少し力を込めた。 
 ぴっ、と言う音がして、紅いものが飛び散った。 
 あたしは安心して、その刃を引こうとした。 
  
  
 ドタドタドタ。 
 がちゃっ。 
  
 誰かが2階に上がってくる音がしたかと思えば、この部屋を開ける音までした。 
  
「お姉ちゃんっ?!」 
  
 その声は…、その姿は、長年見知った妹だった。 
  
「お姉ちゃんっっ。何してるの?!」 
  
 早々とまくし立てる妹。 
 その視線の先には、あたしの顔と、手元が。 
  
「お姉ちゃんっっ!!!!」 
  
 妹は、あたしの元へ走り寄った。 
  
「止めないでよっ!! 朋也たちのとこに行くんだからっ!!!」 
  
 あたしは必死だった。 
 ここで止められては、2人には追いつけないと思ったから。 
 …でも、妹は激しくも冷静だった。 
  
「お姉ちゃんっ、死んでどうするのっ?!」 
「朋也のとこへ行くのっ!!」 
  
 あたしは重ねて反論した。 
 一刻の猶予も無いのだ。 
  
「ダメよっ!! ダメだって!!!」 
  
 でも、妹は飛びかかって、あたしの決意を止めようとした。 
  
「離して、離してっ!!」 
  
 腕の力とかはあたしのほうが強いと思っていた。 
 けれど、妹に掴まれた腕は容易に振りほどくことは出来なかった。 
そして、こう言い放った。 
  
「お姉ちゃんが生きてなきゃ、岡崎くん消えちゃうよ?」 
「どういう意味よっ!! もう朋也はいないじゃないっ!!」 
  
 訳のわからないことを言われて、あたしは更に冷静さを失った。 
 もういないんだから、あたしが生きていようといまいと、関係無いはずだった。 
 でも妹はこう言った。 
  
「お姉ちゃんが思いつづけていられたら、岡崎くんはずっと生きてられるんじゃない? 
 お姉ちゃんの心の中で」 
  
  
  
 意味を理解するのに、しばらくの時間が必要だった。 
  
「岡崎くんのことを想ってる人が死んじゃったら、みんな忘れちゃうんじゃない?」 
「あっ…」 
  
 ようやく理解した。 
  
 …あたしは、たぶん2人のことを忘れないだろう。 
 でも、他の人たちはどうだろう? 
 あたしほど想いの強い人がいるだろうか? 
  
 だとしたら、確実にあの2人のことは忘れられていくだろう。時とともに。 
 あいつが築こうとした家庭そのものも。 
 生きていた証を残せないのは…悲しすぎる。 
  
「…ゴメン」 
「ううん。わかってくれたら…それで…うぐっ」 
  
  
  
…最後は2人で泣いた。 
 あたしは、あいつが死んでから初めて泣いた。 
  
「椋。…ありがと」 
「ううん。おねえちゃんこそ、思いとどまってくれてありがと。 
 お姉ちゃんが死んじゃったら、今度は私が生きていけなくなりそうだったから…」 
  
 後で妹に聞いたのだけど、お通夜でのあたしの表情や雰囲気で、何かを感じたらしかった。 
あとは、双子ならでは直感で、慌てて会場から戻ってきてくれたようだった。 
  
 妹は宝物だと思った。 
 あたしは生きていくことを決意できたのだから。 
 朋也や汐ちゃんが生き続けることが出来るのだから。 
 それに、衝動的にとはいえ、自らの命を捨てようとしたことに激しく後悔した。 
この命は、あたしだけのものじゃないってことにも。 
  
  
  
  
  
  
 お葬式の当日。 
 あたしは、放心状態の早苗さん、疲れ果てた様子の秋生さんをサポートすべく、準備に受付に奔走した。 
多少は力になれたと思う。 
  
 焼香の時間。 
 色々な人が最後の別れを告げていった。 
 お通夜の時と違い、参列する人の顔を見る余裕が出来ていた。 
それも、あの2人が生きていた証を残すことになると思ったから。 
  
  
  
 まずは、アイツの親友だったんだろう、あの男。 
  
「岡崎…。岡崎さあ。…俺も結婚するんだよ」 
「でもな、お前がいないと自慢できないだろ」 
「な、岡崎。何か言ってくれよっ。僕もそろそろヘタレを卒業しつつあるんだよっ」 
「な…お…かざ…き…。岡崎ぃっ!!」 
  
 あのヘタレも、随分と顔つきが変わっていて、軽蔑していたあの頃が嘘のようないい顔をしてた。 
 結婚するって決めて変わったのは、アイツも一緒だったことを思い出していた。 
 いい顔をしてても、結局泣いてボロボロになってしまってたけど。 
  
  
  
「岡崎さん、汐ちゃん。どうして…いなくなってしまったんですか?」 
  
 見覚えの無い女の子が立っていた。 
 中学生か高校生か…。 
 こんな子と知り合いだったことに驚きを覚えつつも、彼女の言葉を待った。 
  
「風子、また来ます、って言ったはずです。 
 本当は、今日行くはずでした」 
  
 女の子は風子、と言うらしかった。 
 それに、最近あいつと会ったらしかった。また来る、と約束したあたり、ただならぬ間柄だったことを示していた。 
  
「また汐ちゃんと、今度こそブラックジャックを嗜みたかったです。 
 今度は、ちゃんとルールブックなんかも持って来ました」 
  
 トランプをしたのだろうか? 何だか拍子抜けしてしまった。けれど、 
あいつだけじゃなく、汐ちゃんとも知り合いだと言うことに、驚きと妙な安堵を覚えていた。 
  
「また、岡崎さんのやばいチャーハンが食べたかったです…。 
  
 …本当に、もうお2人には会えないのですか? 
 もっともっと、お話したり、遊んだりしたかったです…。 
  
 風子は…ふう……こ…は……っ」 
  
 ぽろぽろっ。 
 そう言うと、さっきまでとは一変し、女の子の瞳からは、堰を切ったように涙が溢れ出した。 
  
「お…かざき…さん…っ。うしおちゃん…っっ」 
  
 もう、言葉にはなっていなかった。 
 おそらく、この子にとって、あの2人の存在はとてつもなく大きかったんだろうと推測できた。 
少女の嗚咽交じりの声が、余計に胸を締め付けた。 
  
「うっ…。うえっ、うわあぁぁぁ〜〜〜〜ん」 
  
 最後は泣き出してしまっていた。 
 あたしも、もらい泣きせずにはいられなかった。 
 溢れるものを、何度も何度も、手にもっていたハンカチで拭った。 
  
  
  
 他にも、泣いてくれる人はたくさんいた。 
  
 おそらくアイツの職場の人たちや、あたしたちより年下と思われる女の子たちが、 
涙ながらに別れを告げていった。 
  
 アイツって、意外にたくさんの人から思われていたんだな、って、今さらながら感じさせられた。 
それは、こんな日なのに何故か嬉しくて、誇らしかった。 
 あたしは、こんな人を好きになってたんだなって、そう思えて。 
  
  
  
 お葬式の片づけが終わった後、あたしは古河パンへ向かった。 
 あるお願いをしに。 
  
 それは、突拍子も無い、ある意味で酔狂なお願いだったかもしれない。 
 けれど主人の秋生さんは、 
  
「ああ、いいぜ。先生の好きなように使いな」 
  
と、二つ返事で了承をしてくれたのだった。 
 あたしは、秋生さんの懐の深さに感謝しつつ、早速行動に移した。 
  
  
  
  
  
  
  
「やっぱり、ボロっちいアパートねえ」 
  
 あたしはアイツの家の前に来ていた。 
 と言うか、ここに住む事にしたのだ。 
  
 そこは、前に来たときよりもさらにボロっちくなっていたように思ったが、 
それも何故か懐かしく感じた。 
 ああ、こんな感じだったな、って。 
  
 あたしは、アイツの残したものを、1つでも残したくてここへ来た。 
 努力しなければ消える、そんな想い出を残したかった。 
 そんなことを感じて、思いついたのがこの案だった。 
 …この前、古河家で思いついたことを提案し、了承されたのだ。 
  
 非常階段のような、鉄製の階段を上がり、目的の部屋を目指した。 
  
『岡崎 朋也 
    渚 
    汐』 
  
 そんな表札が見えた。 
  
 溢れるものをぐっと堪えて、扉を開けた。 
 暫くの間、留まっていた澱んだ空気があたしを包んだ。 
 ヘンな緊張をしながらも、あたしは部屋の中へと入っていった。 
  
「…意外にキレイじゃない」 
  
 2人がいなくなってから、ここは全く手をつけていないと聞いていたから、 
相当荒れ果てた状態だと思っていたんだけど…。 
 ゴミは1日か2日分しか無かったし、部屋も散らかっているとは言い難かった。 
 相当気合を入れて片付けようと思っていたから、少し拍子抜けしてしまった。 
  
 その辺に丸めてあった布団に寝転んだ。 
  
 ぽふっ。 
  
 効果音のような、柔らかさはまるで無かった。 
 万年床のような、少しかび臭い匂いがした。 
  
「そっか…。仕方ないわよね」 
  
 2人の最後を思い出した。 
 汐ちゃんは、おそらくずっと寝たまんまだったんだろう。 
 あいつはそんな汐ちゃんに付きっきりだったんだろう。 
 布団なんて、干す暇は無かったんだと、そう考えた。 
  
 でもそんな布団には、2人の匂いが沁みこんでいた。 
 その匂いの中に、あたしはしばらく浸っていた。 
  
  
  
  
 こんこん。 
  
 半分寝かけていたあたしの耳に、ドアをノックする音が聞こえた。 
 …こんな部屋に来る人っているんだろうか? 
 そうあたしは、少し警戒しつつも扉を開けた。 
  
 そこには…見覚えのある小さな女の子が立っていた。 
  
「あ…。あのっ、風子です。よろしくお願いしますっ」 
  
 突然自己紹介されたみたいだったけれど、あたしはほぼ初対面の子にそう言われても、すぐに対応できなかった。 
  
「あの…、その、迷惑だったでしょうか?」 
「あ、えっと…。ううん。とりあえず上がって」 
  
 あたしは、その子にとりあえず上がってもらった。 
  
 訪問者は、お葬式で号泣していた女の子だった。 
 その姿は、数日が経った今でも忘れることが出来なかった。 
  
  
  
「どうぞ」 
「ありがとうございます」 
  
 座布団を敷いて、お湯を沸かして紅茶を淹れた。 
 女の子は丁寧にお辞儀をして、あたしのもてなしを受け入れた。 
でもその様子を見て、少し緊張しているようにも見えた。 
  
  
  
 数分が経った。 
 女の子はあれから何も喋らなかったけれど、緊張が幾分和らいできた気がしたから、 
あたしは色々と聴いてみることにした。 
  
「名前は…風子ちゃん?」 
「はい。伊吹風子と言います」 
「あたしは、藤林杏」 
「杏さんですか」 
「そうよ」 
  
 とりあえず自己紹介を済ませた。 
 何だか奇妙な感じがしたけど。 
  
「あのさ…。風子ちゃんは、朋也や汐ちゃんとどういう関係だったの?」 
  
 あたしは、思わず一番聞きたかった疑問をストレートにぶつけてしまっていた。 
  
 初対面で訊くような質問ではないことは重々わかっていた。 
けれど、それ以外に話す言葉をあたしは持ってはいなかった。 
  
「お友達です」 
  
 しかし、意に反して女の子は、簡潔な答えをしてくれた。 
  
「でもちょっと、家族みたいな感じのしたお友達です」 
  
 女の子はそう答えると、懐かしそうに目を細めた。 
 その表情を見て、あたしは少し安心できた。 
 少なくとも、あたしが危惧していたような関係では無かったことを確信できたから。 
そして、2人と違和感無く溶け込めている様子を想像できたからだ。 
  
「じゃあさ。風子ちゃんの知ってる朋也と汐ちゃんのこと、話して? あたしも話すからっ」 
「はいっ」 
  
  
「汐ちゃんは、とても可愛かったです。初めて見たときから、ぎゅ〜って抱きしめて、誘拐したいくらいでした。 
 岡崎さんは、少し失礼なところがありましたけれど、それなりに優しいところもありました」 
「どんなところ?」 
「はい。軽々しく、人の頭に手を置いてきたりするところなんかは、凄く失礼でした。 
 でも、やばいくらいに美味しいチャーハンを作ってくれたりしたところなんかは、ちょっと優しい感じもしました」 
「チャーハン作ってくれたの?」 
「はい。パンチの効いた味で、汐ちゃんと2人であっという間に食べてしまいましたっ」 
  
 そう嬉しそうに2人の想い出を語る女の子。 
 その姿は、あたしが知らない2人だった。 
  
「汐ちゃんって、イノシシのボタンを完全に手なずけていて、見かけによらず豪快だったわよ。 
 朋也は、他のお母さんたちに対しては、意外に丁寧に挨拶してたっけ」 
  
 あたしも負けじと想い出を披露した。 
  
 そうやって2人の想い出話に華を咲かせていると、何故か悲しい気持ちが薄らいでいくのがわかった。 
 それは女の子も同じなようで、硬かった最初の頃とは、表情1つから違っていた。 
  
 そして、女の子の想いも理解することが出来た。 
 あたしと同じように、あの2人がかけがえの無い特別な存在だと言うことが。 
  
 汐ちゃんへは、愛おしさがにじみ出てくるようで、 
 でも朋也へは、同性として共通の感情を感じてしまった。 
  
 好きだってことが。 
 異性として。 
  
 子どもっぽい感情だったけれど、手に取るようにわかってしまった。 
 あたしのことも、たぶんわかったと思うけれど。 
  
  
  
  
 そんな話をした後、女の子にこう言われた。 
  
「あのっ…。風子もここにいたいです。よろしいでしょうか?」 
  
 …あたしに断る理由なんて無かった。 
 痛いほどその理由がわかったから。 
 同じ感情を共有しているのだし、1人よりも2人が良いと思った。 
  
「ええ。あたしが決められることじゃないけど…一緒に住むなら大歓迎よ」 
「ありがとうございますっ」 
  
 にこっ。 
  
 女の子は笑ってくれた。 
  
「よろしくねっ」 
「こちらこそ、よろしくですっ」 
  
 ここから、あたしたち2人の生活が始まった。 
  
  
  
  
  
 表札は変えなかった。 
  
「変える必要は無いわよね?」 
「はい。ここはやっぱり、岡崎さんたちの家ですから」 
  
 元からあった表札はそのままに、あたしたち2人の名前を書いたものを付け足した。 
  
「本当は、その表札に風子たちの名前を書けると良かったのですが…」 
「よね…」 
  
 元からあった表札は、元々3人分しか書く気が無かったらしく、スペースは一杯だった。 
  
  
  
 あたしと彼女との生活が始まった。 
 彼女は、驚くほど家事が出来なくてびっくりした。 
 料理はもちろん、洗濯や掃除まで、ほとんどあたしが一から教えないといけないほどだった。 
  
 けれど、覚えようという気持ちはあったから、どれも少しずつ覚えていってくれて、 
あたしの仕事が遅いときにはご飯を作ってくれていて、助かることも多くなっていた。 
 それは、1年が経過した頃には、家事全般を任せられるまでになっていた。 
  
 風子ちゃんが幼い感じだったせいか、同い年だったけれど姉妹みたいにはしゃぎ合ったりした。 
 お風呂とか寝るときとか、お互いにじゃれ合ったり抱きついたりしていた。 
  
 でもたまに、 
  
「…岡崎さんに抱きしめられたら、どんなだったんでしょうか?」 
「そうねえ…。きっと暖かかったんじゃない?」 
「じゃあ汐ちゃんは、暖かかったんですか?」 
「…うん。たぶん、ね」 
  
と、2人のことを懐かしんでいた。 
  
  
  
 そうして、瞬く間に時は過ぎていった。 
  
  
  
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 あれからの想い出を振り返った。 
 良い想い出ばかりじゃなかったけれど、かけがえの無いものばかりだとは胸を張って言うことが出来た。 
  
「風子ちゃんも懐かしい? アイツとの思い出」 
「はい。凄くくされ縁だと思っていますので」 
  
 彼女は、素直には答えなかった。 
 けれどその表情はどこか和やかで、心から懐かしんでいることが手に取るようにわかった。 
  
  
  
 アイツへの想いに耽っていると、不意に背後から物音がした。 
 その物音を立てた張本人は、花を1本手向けると、嫌味ったらしく言った。 
  
「あーあっ。いつまでも女の子泣かしてるんだねっ」 
  
 そいつの言った「女の子」が、自分のことだと気付くまでかなりの時間があった。 
 そして、涙が溢れていることに嫌でも気付かされた。 
  
 溢れるものを拭って隣を見ると、そこには可愛らしい女の子がいた。 
  
「あ、えっと、紹介するよ。こいつが、僕の…」 
  
 ぎこちない紹介を聞いて、時は止まっていないことを実感してしまっていた。 
 でもあたしは、何となく懐かしいあの頃のノリで、女の子にこう言った。 
  
「後悔するわよ?!」 
「えーっ?! そういうこと言う場面じゃないっすよねえ?!」 
  
 あたしは、その女の子と笑い合った。 
 このツッコミ、このやり取り。何もかも懐かしい、いい思い出だった。 
それが今も再現できることも嬉しかった。 
  
  
「…ったく、しょうがねえヤツだな」 
「うふふ…。いつまでも手のかかる子たちですねっ」 
  
 古河夫妻の姿もあった。 
 お通夜やお葬式のときには疲れきった様子だったけれど、今は前を向いているようだった。 
 たまにパンを買いに行った時には会っていたけど、この場所でこういう柔らかな表情を見れたことに安心できた。 
  
「ですよねっ。いつまでも子どもですよね〜」 
「ああ。全くだ」 
  
 他にも、たくさんのお葬式で見かけた人たちから言葉を貰っていた。 
  
  
 あれから1年が経った。 
 でも、アイツたちのことを、1年が経ってもこれだけの人が思ってくれているのだ。 
 何だか嬉しかった。 
  
  
  
「朋也っ。汐ちゃん。アンタたちは2人きりじゃないんだからね!」 
  
  
  
 そうなんだ。 
 最後は、2人きりで孤独に旅立ったアイツたち。 
 でも、こんなにたくさんの人間が偲んで来ているんだから。 
全然孤独なんかじゃない、って、そう言ってあげたかった。 
  
  
  
「ともや〜〜〜っ、うしおちゃ〜ん」 
  
 あたしは思わず叫んでいた。 
  
「絶対、絶対に忘れないからね〜〜〜っ!!」 
  
 これは、あたしの決意表明だった。 
  
「風子も、岡崎さん、汐ちゃんのこと、絶対忘れませ〜んっ!!」 
  
 風子ちゃんも続いた。 
  
「バカヤローっ!!」 
「ずっと、そばにいますからね〜っ!!」 
  
 古河夫妻も、 
  
「絶対に、岡崎より幸せになってみせるからな〜っ!!」 
  
 あの元ヘタレも。 
 そして、たくさんの知り合いたちからも、暖かな別れの言葉を貰っていた。 
  
  
  
 あたしは幸せ者だ。こんな2人を好きになれたんだから。 
 だから進もう。 
 あたしたちの中には、ずっと2人は生き続けているんだから。 
  
 何も恐れることは無い。 
 自ら命を絶つことも無い。 
  
  
  
 前を向いた。 
 そこには、どこまでも続く青空が広がっていた。 
 終わりなんて無いんだと思った。 
  
 あたしは一歩を踏み出した。 
  
「あっ。杏さん、待ってくださいっ」 
  
 隣には新しいパートナーがいた。 
  
 その、小さな手を握った。 
 肌から直接温もりが伝わった。 
  
 これからあの家には、あたしたち2人の想い出を積み重ねよう。 
 背負いきれないくらいの、たくさんの想い出を。 
  
  
<終わり> 
  
  
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【後書き】 
  
 いかがでしたか? 
 「Purple〜パープル〜」を買っていただいた方には申し訳ない感じですが、発行から1年経ったので掲載させてもらいました。前半部分は一部加筆修正させてもらいましたが。 
  
 これは、C70(06年夏コミ)で、コミケデビューとなった際に書いたSSなんですが、ボリュームが大きくなりすぎた上、タイトな締め切りと戦ってかなり難産でした。が、内容はかなり満足の行く+結構オリジナリティのあるものになったんじゃないかって思ってます。 
  
 要は、汐編の「あの後」。 
 「岡崎家」では幸せな方向へと進みましたが、ゲームと同じ道を辿った場合の「残された者たち」のお話です。たぶんこんな感じになるんじゃないかなあ?と思いながら書きました。 
 本当なら、古河夫妻のエピソードを入れるつもりだったんですが、ボリュームの関係で無理になってしまいました。 
 でも、僕にとって思い入れのある作品には仕上がっていると思います。 
  
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