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Kanon&AIR SS部屋

KanonとAIRのSSを掲載しています。
大半が旧作になりますが、気が向いたら新作を載せるかも。

6   『Last Words』(Kanon香里アナザーストーリー)
更新日時:
H19年9月12日(水) 
<前書き>
この小説は、栞シナリオの途中で分岐するような話として書いています。
 ボリュームが真琴後日談の倍以上あるので注意してください。
 
--------------------------
『Last Words』
 
――いないわよ、妹なんて――
 数日前まではそう言っていたはずなのに。
 どうしてこんなことしているのだろう。
――受話器を手にとり――何度もかけているうちに、記憶してしまった番号をプッシュして――でも、目的の相手は別の人――しかも、まだ出会ってから何日も経ってはいないのに――どうして。どうして一番「心の引出しに隠していたこと」を打ち明けようとしているのだろう――
 
 「不思議な人」だ。彼はどうしてだか、不思議なにおいがする。親友の、あの名雪が好きになるわけがわかる。あの子にぴったりかもしれない。彼女も不思議な人間だ。似たもの同士、気が合うのかもしれない。でも、彼は名雪のことを、あまり気にかけている様子は無い。それどころか、あたしの家にいる、あたしを「お姉ちゃん」と呼ぶあの娘と一緒にいる事が多い。しかも、あの娘は楽しそうにしている。彼がこの街に来る前とは、全く違うような、とても明るい表情をしている。
 あたし独りでは、この「つらい」現実を直視する事なんてできない。できなかった。でも、他の人に打ち明けようとするなんて、考えもしなかった。ずっと、自分の心の中にしまっておくつもりだった。――でも、あの人になら・・・。あの娘が好意を寄せている、あの人になら…。
――でもどうして?――
 もう一人の自分が問いかける。いつだって、あたしはあたしだけで、何でも解決してきたのに。何だって、自分だけで出来たじゃない。勉強のこと、スポーツのこと、進路のこと、日々の生活のこと、人間関係のこと。それなのに、何故他人に頼ろうとしてるの?
 あたしは、引出しの隅にある感情に首を振った。そんなはずはないのに…。そんなはず、なかったのに……。
       ◆
 突然香里に呼び出された。用件も言わず、ただ校門に来てくれ、と。
 何のことかは察しがついていた。と言うより、あの件しかないだろう。彼女が避けつづけている、本来なら同じ血が通っているはずの…あの娘のこと。
 
 
 「あたしどうしたらいいの?! どんな顔してあの娘を迎えればいいの?!」
 その表情は、もはや俺の知っている彼女のものではなかった。堰を切ったようにあふれ出る涙。その雫を拭おうともせず、俺の胸で泣いている…。
 
 
 そんな香里を見て、俺は彼女の肢体に腕を回していた。
 「え?」
 俺は香里を抱きしめていた。自然に、そうしていた。
 「俺は…香里の立場じゃないから、本当のツラさはわからないかもしれない。でも、自分ひとりで背負い込むのはどうかと思うな」
 すると、嗚咽をこらえながら言った。
 「…どういうこと?」
 「俺、そんなに付き合い長くないからわかんないけどさ、香里ってたぶん、問題をみんな自分ひとりで解決しようとするだろ?」
 「……」
 「でさ。思うんだよ。たまには他人を頼っても良いんじゃないかって」
 「言うわね」
 いつもの彼女の口調に戻りつつある。
 「俺じゃ頼りないかもしれないけどさ。でも、俺だって部外者じゃない。香里のそんな表情見るのも嫌だしな。だから、俺で良かったらいくらでも相談に乗るぜ」
 そう切り出してみた。やはり、彼女にはそうした相手が必要だと思ったからだ。
 「……優しいのね。変なヒトだとばかり思ってたけど」
 「姉妹で他人のフリするっていうのはどうかと思うしな」
 「そうね…」
 そう言うと、余韻を楽しむかのようにそっと頬を俺の胸に預けた後、離れて―――
 「今日はありがとね。聞いてもらってすっきりしたわ」
 どうやら、少しは役立ったらしい。香里のぬくもりは名残惜しかったが。
 「そっか。そりゃ来た甲斐があったってもんだな」
 「ごめんね。また相談に乗ってもらうときがあるかもしれないけど…」
 「いつでもいいぜ。どうせヒマ人だしな」
 「ありがと。風邪、引かないようにね」
 そう言うと、彼女は水瀬家とは逆の方向に去っていった。送ろうかと言ったが「そこまでは悪いわ」と言われて、見送りだけに留めておく事にした。
       ◆
―――どうしてあんなに話してしまったんだろう?―――
 聞いてくれると言う安心感?
―――どうしてあんなに優しかったんだろう?―――
 抱かれたときも、全然嫌だと思わなかった。むしろ、心地よいと思った自分がいた事も事実だった。
 このまま彼も、あたしたちの問題に引きずり込んでしまうのだろうか。でも、彼はそんな現実も直視できるような『強さ』を持っている。名雪も知らないような事実を目の当たりにしても、全く動じる事は無かった。
―――このまま頼ってもいいの?―――
 もう1人の自分が問いかける。ただ、独りでこの現実を直視できるほど、あたしは強くは無かった。
 「…お姉ちゃん?」
 この数ヶ月間、かたくなにその存在を否定し続けてきた…妹。このままじゃ、あの娘も、彼も、そしてあたしも、これほど不幸な事は無い。でも、あと一月で尽きてしまう炎に、向ける表情をまだ、あたしは持ってはいなかった。
 「……おねえ…ちゃん…」
 今日もまた、このか細い声を聞かないよう、耳をふさぎ、照明を消しあの娘との間に大きな壁を作っている。そんな自分が正直、嫌だと思う。
―――だから、支えになってくれる人が欲しい―――
 甘えたいのかもしれない。でも、そう思える自分がまだいることが、少しだけ嬉しかった。世界を閉ざす事は、進歩にはつながらない。ただ、後退していくだけだから。
 
 数日後、あたしは彼を屋上に呼び出した。
 色々考えた。以前と同じように、一人で考えた。でも、答えなんて出るはずが無かった。今までもそうだったから…。
ただ、彼が見せてくれたもの。問いかけてくれたもの。それが心の中で大きくなっていった。
あれから会う機会、話す機会なんていくらでもあった。学校に来れば、同じ教室にいるわけだし、嫌でも顔を合わせることになってしまう。でも、やっぱり名雪や北川君に対する態度と同じように、仮面をかぶったまま接していた。もちろん相沢君の態度や様子が明らかにおかしかったけれど。ただ、あたしに気遣ってか、みんなの前ではあの夜のことを話しはしなかった。
 
 でも、どうしてももう一度二人きりで会って、確かめたいことがあった。妹の…あの娘のことをどう思っているのか。病気のこと…。余命がどのくらいだとか、そんなことを聞いてどうして落ち着いていられるのか。そして、お互いのことを何も知らないのに、何であんな優しさを見せられたのか。わからないことだらけ。ならもう一度会えばわかるかもしれない。彼がどういう人なのかとかが。そう思ったから、あたしは彼を呼び出した。
       ◆
香里に呼び出されるのはこれで二回目だ。
前の時は強烈だった。というよりも驚かされた。香里があんなに弱かったことに、だ。名雪にそれとなく聞いたときも、
「香里の泣き顔って見たことあるか?」
「えっ? どーしてそんなこと聞くの?」
「…いや。昔は泣き虫だったとか、そんな過去があったらネタにできるだろう」
「何のネタ? でも香里が泣いたなんて覚えが無いよ」
「…だよなあ。今の香里見てても、お前が泣いてるのを慰めてる絵なら想像できるけどな」
「ヒドイよ、祐一。…でもそうかも」
とまあこんな感じで、家族以外では、おそらく一番時間を共有しているはずの、名雪でも知らないのだから、俺のイメージも間違ってはいないと思う。しかし、どうして香里は俺のこと「優しい」なんて言葉を使ったんだろう。名雪にも真琴にも、あゆにもそうは優しくした覚えがないが。
今回もまた栞のことなのだろうか。俺は階段を急いだ。
       ◆
重い鉄の扉を開いたそこには、夕陽を背にした香里がいた。
奇麗なウェーブのかかった長髪が、冬の寒風になびいていた。
「何もこんなところで話すことはないだろう」
強烈に寒い。やはり、冬に屋上に来る酔狂な連中もいないだろう。
「ごめんね。どうしても聞いておきたいことがあったのよ」
一歩、二歩とこちらに足を進めてきた。
「寒くないのか?」
はっきり言ってこの言葉は禁句だが、この屋上で、ある程度の時間を待つということは、俺には耐えられそうにもないから聞いてみた。
「慣れてるのよ」
「この屋上の風にもか?」
「…ええ」
やはり無理はしているような気がする。第一、ここの学校の制服は、男のはいいとしても女子のは、防寒という意味ではあまり役に立ちそうにもない。特に足のほうは冷え性の身にはつらいだろう。
「よっ」
「あっ」
俺は、下の売店で買ってきた缶コーヒーを香里に渡した。
「タダで待たせるのも悪いしな」
「…色々と気が付くのね」
名雪のを真似しただけなんだが。
 
       ◆
 
「で、話ってまた栞のことか?」
「…それもあるけど」
聞きたいことは山ほどある。でもいざ二人きりになると、言葉が出てこない。
「でも栞って、見た目はそんな病気には見えないよな」
彼のほうから切り出してくれた。
「…そうね」
「…で? 会う気にはなったのか?」
「…」
「そっか。まあすぐには無理かなあ」
 話せなかった。気遣われてるのが痛いほどわかったから。でも、それじゃあ進まないから…
「どう? あの娘。元気してる? そんなこと聞くのはおかしいか」
 不自然な言葉が出てしまった。でも、何か声を出さないとあまりに失礼だと思ったから。
「そうだな…。ちょっとガッカリしてたかな?」
 
 
「話したんだ」
「え? あ、ゴメン」
「いや、別にいいのよ」
 言うわよね。第一、彼にばっかり押し付けるのもおかしいし、妹の様子を家族でもない人から聞くのもおかしい。でもまだ心が決められないから。
「変よね。実の妹のなのにね。で、どう? 仲良くやってるの?」
「まあな。でも栞は、かなりお姉ちゃんのことを心配してるぜ」
 あの娘にも相当に心配されているみたいで、ちょっと情けなくなった。
「でも、前にも言っただろ? できることなら何でも言ってくれたら良いぜ。美坂姉妹の両方に好かれてるってのも何かの縁だしな」
「好かれてる…なんて、自分で言う?」
 でも、彼はそういうことを平気な顔をして言えるところが変わっている。頼りになるかどうかは別にしても、何時の間にか、あたしの「壁」を越えようとしている。そして、壁を越えるのを許そうとしている自分がいる。
「でも、嫌いじゃないわよ、相沢君のこと。だから、今度は暖かいところでゆっくり聞いてくれない?」
 いくら慣れているとはいえ、屋上の寒さはあたしにもツラくなってきた。そろそろお互い限界だろう。
「…そろそろヤバかったんだ。でも、何も香里のことは聞いてないけど、良いのか?」
 それはそうだ。だって、あたしは何も話していない。
「いいのよ。相沢君のことが少しでも知りたかっただけだから」
 その気持ちも間違っていない。
「相沢君って不思議な人だから、あたしの知的好奇心が湧くのよ」
「何か宇宙人か何かみたいな言い方だな」
「言葉のとおりよ」
「あ、ヒデえな」
 そんなことを言いながら、二人で校門まで出てきていた。空を見上げると、灰色の冬独特の雲が広がり始めていた。
「また降るわね…」
 誰に言うでもなくいた。そうすると、突然彼の手があたしの手を握って、
「やっぱり手が冷え切ってるな。だと思って。プレゼントだ」
 と、使い捨てカイロを握らせた。
「じゃあな、香里。あんまり無理すんなよ」
 とだけ言って帰路についた。
 あたしは、彼の手の温もりを感じながら、ただその背中を見送っていた。
       ◆
 香里のやつ、何か言いたそうだったけどよかったのかな? それにしても、手、やわらかかったな…。違う! そうじゃなくて…。
 でも、この前よりは若干元気は出ていたみたいだし、その辺はよかった。でも、あいつは俺のことはどう思っているんだろう? 俺は? 栞とは? 考えるだけ複雑でワケがわからなくなる。それに、俺は香里の役には立てるのだろうか。栞と。
 
 
 
「私は…って、そんなこと聞くの、ずるいですよ」
 次の日さっそく聞いてみたら、案の定こんな答えが返ってきた。
「そんなこと言う人、嫌いです」
 おきまりの台詞まで出てしまった。
「…でも、お姉ちゃんと勝負したら、負けちゃいますね」
「…えっ?!」
 唐突にそんなことを言い始めた。
「たぶん、お姉ちゃんは祐一さんのこと、嫌いじゃないと思います。…もしかしたら、好きになっちゃってるかもしれません」
「ど、どうして…?」
 栞がどうして、いきなり香里のことを言い始めたのか、全く意味がわからなかった。だが栞は、
「最近、手紙が置いてあるんです。本と一緒に。『読みなさい』とか、『勉強がただでさえ遅れてるから』とか、短い文なんですけど、それでも、今まではそんなこと無かったから…」
 香里は彼女なりに努力していた。でもそれが、どうして俺と関係があるというのか。しかしそんな俺の思いを他所に、栞は語りつづけた。
「夜中にお姉ちゃんが外出した日から、ちょっとずつですけどそんなことが増えたんです。相変わらず会ってはくれないんですけど、昔のような関係に戻りつつあるような…そんな気がするんです」
 その「夜中」というのは、もちろん香里が、初めて俺に胸の内を吐露した夜のことだろう。あれがきっかけで何か変わったのだろうか。
「あの夜、お姉ちゃんが会っていたのは、祐一さんですよね」
「ああ」
 なぜそのことを知っているかは、敢えて聞かないことにした。姉妹で何か感じるものでもあるのだろう。
「私が思うだけかもしれないんですけど、お姉ちゃんは何でも一人で考えてしまうと思うんです。だから、私とのことも独りで考えているんじゃないかって。それで重荷になっているんでしょうね」
 いつもの笑みを浮かべていたが、その表情からは真剣さがうかがえた。
「でも、おそらくお姉ちゃんと祐一さんが会って話すようになってからは、気持ちが楽になったのかな。少し明るくなったような気がしました」
 だが、俺はここで一つの疑問があった。それは、
「…いつから、どうして俺と香里がそういう話をしているってわかったんだ?」
 あまりにも知りすぎている。でも、
「いつから…って、ふふっ。ヘンなこと聞くんですね」
 笑顔だったが、どこか違和感のある笑顔を見せた。
「だって祐一さん、あの日からお姉ちゃんのこと、お姉ちゃんとのことしか話さないんですから」
 そういえば…。あれ以来、香里のこと、香里と栞の関係のことばかりが気になっていた。姉妹がそういう関係から自然な関係に戻れば、二人ともの幸せにつながる。そう思ってはいたが…。
「ゴメン」
 だが栞は、
「いえ、良いんですよ。ただ、その祐一さんの話から、何となく想像がついちゃったんです。お姉ちゃんが手紙とか置いてくれたりし始めたのが、祐一さんのおかげなんだって」
 栞はさらに続けた
「それに、私以外の女の子と仲良くするのは許せないんですけど、お姉ちゃんが相手なら仕方ないですよね」
「…香里とはまだ何もないぞ」
 間抜けな言葉だが本当のことを言ってみた。
「そうなんですか? おかしいですね…」
「数日でそうなるか? ふつー」
「そういうもの、ですか?」
「そういうもの、だ。でないと、俺はヘンなやつになるじゃないか」
 栞はきょとんとした顔でこちらを見ている。
「だって、栞とまだ何もないのに、香里には3日くらいで手を出してたら」
「そのくらい本気度が違うってことです」
 何食わぬ顔でそんなことを言いやがる。
「でもな。何でそんなに俺に香里を勧めるんだ?」
 それなりに、栞は俺のことを気に入ってはいると思っていた。だから、どうしてそう姉をおしているのかがイマイチ納得できなかった。だが、
「…だって、お姉ちゃんが心配ですから」
 栞はそう言い放った。
「言ったかもしれないんですけど、お姉ちゃんは独りなんです。自己中心的っていうより、単に人に頼るのが苦手なだけなんです。今までもずっとそうやって切り抜けてきたからなのかな」
 人に頼るのが苦手な人間。それは、色々な意味で「頭の良い」人間に多い。「頭が良い=何でもできる」と他人は思い、結果そのまま人に頼ろうにも、自分の周りにはそういった人がいなくなる。で、どうしても自分だけでは乗り越えられないような、深刻な問題に直面した時にはどうすることも出来ず、絶望に追いこまれてしまう。優等生ほど、少年犯罪で重大な事件に発展しやすいのはそうした部分もあると思う。そうでなくても香里のように、その問題を「無かったこと」にして直視しないようにする、という精神的な方向での異常をきたすことは多々ある。もしかすると、俺の7年前の記憶が曖昧なのも、何か直視できないような出来事があったからかもしれない。
「だから、祐一さんみたいな頼れる人が、お姉ちゃんには必要なんですよ」
 ただそれでは栞は独りになる。第一、香里自身の気持ちもはっきりとはわからない。
「…栞はそれで良いのか?」
 そんな俺の当然な質問にも、目の前の薄幸の少女はこう言い放った。
「私はそう長くは生きられません。でも、お姉ちゃんはこのままだと、ずっと私のことを引きずってしまう…。だから、お姉ちゃんを助けてあげてください」
 やはり、もう自分の身体のことはわかっていた。もしかすると、校庭で独り名前も知らないヤツを待っていた、あの時にはもう気付いていたのかもしれない。どうすることも出来ないことが。だから、せめて行きたかった学校に、と言うことだろうか。それなら悲し過ぎる。
「栞…。本当にそれで良いのか?」
 もう一度、同じ質問を繰り返すしかなかった。それが本当の望みなのか…。
「はい。でも、そんなに悲しまないでください」
 その言葉を聞いて、俺は頬に涙の筋が出来ていたことを初めて知った。
「だって、それは私にとっても大切なことなんですよ。もう一度、優しいお姉ちゃんに戻って、また、しょうがないわね…って怒られて…そ…それで…」
 今までの気丈すぎる少女の姿はもう、どこにも無かった。ただ、肩を震わせて、ただ、何かに耐えていて…。そんな栞を、俺はそっと抱きしめた。
「ゆ…祐一さん…ううっ…」
「一番ツラいのはお前だろ? …ッこんなに冷えて…」
「う…うぐ……祐一さんっ、祐一さんっ!!」
 堰をきったように涙が溢れだし、その後はただ、俺の胸にしがみついて泣くだけだった。
 孤独、死への恐怖、姉とのこと、そして…俺。様々な短い人生の暗いところを、すべて思い出しているような、そんな激しい悲しみがそこにはあった。そんな中、俺はただ震える肩を抱いて、布地に吸いこまれた涙の分だけ、栞が楽になるように思うだけだった。そして、冷たい身体がずっと暖かいままであるようにと祈るしかなかった。
 
「…ここまでで良いです」
 すっかり辺りが暗くなり、白いものまでチラつきはじめた頃、ようやくそれぞれの帰るべき場所へ向かっていた。
「今日は色々とすみませんでした」
「ここで謝る必要はないぞ」
「…でも、一応勝手なお願いもしましたし」
 健気、という言葉が一番似合いそうな感じだった。
「じゃあ、お姉ちゃんのこと、よろしくお願いします。あっ、これじゃあ私が保護者みたいですね」
 微笑みながらそんな冗談を言った。
「…強いな、栞は」
「そうでもないですよ」
 そうかもしれない。だが、俺がもし同じ立場だったら、こんな笑顔を見せられただろうか?
「誕生日なんです。あさってが」
 誕生日…。そういえば香里がこんなことを言っていた気がする。
―――あの娘、次の誕生日までは生きられないって、そう医者に言われてたわ―――
 もうそこまで押し迫っている、そんな時にでも、
「その時には、祐一さんと…・お姉ちゃんの二人で祝ってくれると、私すごく嬉しいです」
 こんなことを言う少女のためにも、俺は決意を固めた。
       ◆
「と言うわけだ」
 あれから数日。この日は相沢君のほうから、あたしの家にやってきた。
 今日はあの娘の誕生日の前日。あたしは彼から色々なことを聞いた。そして、聞く度に自分の弱さ、情けなさがこみ上げてきた。
「…そんなことまで……、そんなことまで、あの娘は考えていたと言うの? その間、あたしは何か考えてあげてた?! あの娘の幸せのためにっ!」
「そんなに自分を責めるな。責めても良い方向には向かないぞ」
 そう言われてようやく落ち着いた。そう、もう…
「…時間が無かったのね」
 とうとうあの娘は倒れて、今は家のベッドから動けないでいた。誕生日は明日。医者は「今晩が峠でしょう」とかいうお決まりの台詞だけ残して、さっさと帰っていってしまった。そのくらいどうしようも無い、と言うことだろう。
 ただ、この期に及んでまだ、あたしの心は決まってはいなかった。もし、あの娘と目を再び合わせることになったら、さらに悲しみは増幅するだろう。でもこのままだと、あの娘は置き去りになってしまう。本当の恐怖を感じているのはあの娘だと言うのに…。
「怖いのか? まだ」
「……」
 
 
「仕方ないけどな。俺と違って、昔のあいつから知ってるわけだからな」
 そんなこと、甘えでしかない。なのに、どうしてその甘えの中に身を投じようとしているのだろう。
「死ぬ…って、どういうことかわかるか?」
「…し・・…ぬ…?」
「まあ、この歳でなかなか経験も無いだろうけどな」
 いきなりそんなことを言い出した。死ぬ、とか経験とか、そんな軽いものじゃない。そう思って少し腹が立った。
「…実はな、俺、思い出したんだ」
「…思い出した?」
「そう。7年前のこと。俺がどうして記憶をなくしたのかを」
 …そう言えば、前に、名雪とそんなことを話していた。彼は昔はよく、この街に来ていたこと。そして「7年前」を境に、全く来なくなったこと。それ以前の記憶が抜け落ちたこと。その7年前がどうしたというのだろう。
「目の前で、死んだヤツがいたんだ」
「!!!! どういう…」
「あんまり詳しく話しても意味無いから手短に話すけど、俺が好きだったヤツが、登っていた樹から落ちて…それで…」
 そんな、そんなことがあったなんて…
「血まみれで倒れてて、助けを求めていたんだけど、その当時の俺には何も出来なくて…。何も応えなくなるまで、ただ手を握るしかなかったんだ」
「……」
「だからさ。死ぬってほんと、どうしようもないんだよな。でもやっと思い出したけど、そいつとの想い出は、そのまま残っているんだ」
 さらにこう続けた。
「想い出って、生きているときじゃないと作れないだろ? で死んだときに、もし想い出を持って行けたら、少しは向こうで寂しくなくなるんじゃないかって…。かなり勝手な意見だけど、生きてるヤツも死ぬヤツも、その直前までが少しでも幸せなら、苦しくても悲しくても、思い出しやすいんじゃないかって思うんだ」
「相沢君…」
 想い出…。そう、想い出は美化されるもの。でも、その人との別れが嫌なものだったら? 一生思い出せない、思い出したくない「心の傷」になってしまう。でも相沢君の言うようになら…?
「…笑顔で別れられるかな?」
 彼の言葉は、おそらくそういうことじゃないかって思った。
「笑顔…だけっていうわけには行かないだろうけど、でも、アイツも多分、笑顔で往くんじゃないか?」
 笑顔での別れ…。そんなことは考えもしなかった。でも、そう別れられたなら…。ただ、独りで会うのはまだためらいがあった。
「…相沢君も来てくれるんでしょ?」
 その問いには笑顔でこう答えた。
「そう栞には言われてるからな」
 
 しばらくの間踏み入れなかった、近くて遠かった領域へ踏み込んで行った。
「よっ。意外と元気そうだな」
「祐一さん…。そんなこと言う人嫌いです」
 おそらく、何度と交わされたであろうやりとりがあった。
 そして、ついにあたしが避け続けていた、消えるのをただ待つだけの、儚くも可憐な視線と交錯した。
「お姉ちゃん…」
「…久しぶりね、栞」
 どのくらい振りに発したのか、わからないくらいにしまい続けていた「栞」という名前。あの時以来、他人のフリを貫くために使わなかった言葉。でもそれは、驚くほど自然に、あたしの口から発せられていた。
「家の中でそんなこと言うの、ヘンだよ…」
 一歩ずつ、本当は可愛くてしょうがなかった、妹のほうへと近づく。その距離はすごく遠いようにも思えたけど、歩みを止めることなく、ベッドの側に辿り着いた。そして、傍らにある、小さな手を握った。
「おねえ…ちゃん…」
「…しお…り…」
 泣くまいと思ってたけど、自然と溢れ出てくるものがあった。それは、栞も同じだったらしく、あたしの胸に顔をうずめて…
「うぐ…お…ねえちゃ…」
 
 
 と嗚咽交じりにあたしを呼んだ。あたしは、それに応えるように胸に抱いた。
 
 そうしたまましばらくの時間が経った。窓の外は、既に夜の帳がおりていた。
「…俺はやはりお邪魔虫だったか?」
 一人蚊帳の外だった相沢君が、居心地が悪かったのか口を開いた。
「いいえ…。約束、守ってくれたんですね」
 ようやく、うずめていたままの、あたしの胸から顔を離した栞がそう言った。
「ああ。どうだ。お姉ちゃんはイイか?」
「…はいっ!!」
 そう言った妹の笑顔は、何よりも輝いて見えた。
 でも、時の神様はそんなささやかな幸せの時間を、無常にも奪おうとしていた。
 
「ちょっとしんどくなってきました。こんなに楽しいのに…」
 さっきから、見た目にも苦しそうに映っている。もう、長くは無いのかもしれない。でもその表情は、苦しさの中にも「幸せ」という感情が見えていた。
「誕生日まであとちょっとなんだから、あんまり無理はすんなよ」
 相沢君のその言葉を聞いて、ふと時計に目を遣った。残り僅か。まるで、残り時間がそのまま、妹の命のともし火みたいに思えた。そう悲嘆にくれようとした時、栞が口を開いた。
「前に、祐一さんに『奇跡って、起きないから奇跡って言うんですよ』って言いましたよね」
「ああ」
 あたしの知らない、相沢君だけが知ってる栞。拒絶してきた時間のすべてが恨めしかった。
「でも、あるんですね。現実に…体験してわかりました」
 あたしは、その言葉を理解しかねた。奇跡なんてものがあるのなら、丈夫な身体を妹にあげて欲しい。が、
「こうやって、祐一さんと、元のお姉ちゃんと3人で祝ってくれるなんて…ある意味奇跡です」
「…そんなものがどうして奇跡なの?」
 そう聞くしかなかった。しかし、
「だって、生涯で一番好きな人2人ともが、こうやって私だけのために集まってくれて、おしゃべりして…。だって、祐一さんがもしいなかったら、お姉ちゃんもここにいなかったと思うし…。それに、祐一さんと再会したのも偶然だったし、何より、祐一さんとあの時ぶつからなければ…」
 確かに、もしかしたら、すごい奇跡の上に立っているのかもしれなかった。
「そうだな。元はと言えば、あゆを追っかけてた時に偶然、だったもんな」
「…これを見てください」
 そう言うと、栞は左の手首を見せた。そこには、白い肌に明かに傷つけた痕があった。
「! …栞?! まさか…」
「そうです。その、祐一さんとあゆさんにぶつかった、あの日につけたものです。でも、それを思い留まらせてくれたのも、実は祐一さんなんです」
「…俺が?」
「はい。祐一さんと、あゆさんに」
「…皮肉なもんだな…」
「? でもお陰でこんな、幸せな瞬間に巡り会えました。感謝です。だから、いくつもの偶然の上にあるもの。それも『奇跡』って呼ぶんじゃないかって思うんです」
 そういう妹を見て、ずっと思っていたことを口にしていた。
「…強いわね。2人とも」
「俺はどうかと思うけど、確かにな」
 でも…
「私が強いのなら、2人も強いですよ。こんな状態の私に逢いに来てくれたって時点で」
 こんな芯の強い子なのに…。
「そこで、私の誕生日前にっていうのも変だけど、2人にプレゼントがあります」
 見るからに苦しそうにしているが、満面の笑顔で妹はそう言った。
「あはは…私じゃ取れない…。お姉ちゃんの足元にある…それです」
 布に包まれた長方形で堅いものだった。私には大体想像がついた。
「絵…でしょ? 少しは上達したの?」
 
 
 その頃にはもう、瞼にたまった涙が、すぐにでも決壊しそうな状態だった。それでもあたしも、3人ともが笑顔を絶やしてはいなかった。
「その通り…って、何でわかったの? お姉ちゃん」
「…あんたの考えることなんて、お見通しよ」
 そう言いつつも、栞から視線を外して、相沢君が取ってくれた絵を見ると…そこには、辛うじてここにいる3人だと思われる絵が描かれてあった。
「…相変わらず…ヘタね……」
 それは本心でもあったけど、でもその言葉を発した途端、瞼の内側から溢れ出してしまった。
「…俺…た・・…ち?」
「はい。こうやって、3人でいれたらいいなって…。実現しちゃいましたけどね」
 その頃にはもう、誰も涙を隠してはいなかった。
「最後に…一つお願いがあります」
「最後に…なんて…」
 だが、その言葉を遮るように、
「もし、2人の子どもが女の子だったら……その時は『栞』って付けてくださいね…」
 って言うから、
「ば…ばかっ、気が…気が早いわよ……第一そんな…マンガみたいな…こ……と…」
 最後は言葉にはならなかった。
「…あと祐一さん…」
「ん?」
「お姉ちゃんにも…下の名前で呼んでもらえるように…頑張ってください…」
「…ああ。応援して…くれるよな?」
「もちろんです」
―――そして、ゆっくりとその瞼が閉じられた―――
 最後に、あたしたちに抱きしめられながら、
「さようなら。祐一さん、そしてお姉ちゃん」
 とだけ残して…。
 
       ◆
 
「よ、香里。商店街寄って行こうぜ」
 季節は流れ、ようやく道の傍らにある雪も消えた頃。
「いいわよ。で、何おごってくれるの?」
 俺たちの距離は少しだけ縮まった…ような気がする。と言うのも、2人だけで下校途中に遊びに行ったりすることが多くなっていた。
「無難に、百花屋のイチゴサンデーだろ」
 ただし、栞の言うような関係には程遠いとは思うが、こればっかりはお互いの気持ちがどうか、によるし仕方ない。ただ、2人の胸の中には、しっかり息づいていた。
「それよりも、新しい店できたらしいわよ。そっち行ってみましょうよ」
 と言うと、香里は俺の手を握り(と言うか掴んで)、目的の方向に引っ張るように歩いて行った。
「どこまで行くんだよ?」
「どこまで行ってもいいじゃない、祐一君」
 ……今、呼び方が違ったような…。
 「お、おい、香里っ。今なんて…」
 「何でもいいじゃない」
 
 公園のベンチに座り、露天にあるごく普通のソフトクリームを食べながら、栞と初めて逢った公園の風景を眺めていた。
「あの絵のモデルはここだったのかしら…」
「そうかもしれないな」
 側に香里の温もりを感じながら、正面に妙に真剣に絵筆をとっている栞が、ほんの一瞬だけ見えた気がした。
 
―――終わり―――
 
---------------------
 
 いかがでしたか? もう少し加筆修正して出したかったんですが、書き直し始めるとかなり修正箇所が出そうだったんで、あえて修正しないまま掲載しています。
 
 内容ですが…2人も殺してしまってますねm(_ _)m まあでも、Kanonのヒロインたちって、選ばれなかったら…なんで、こうなってしまいました。
 ちなみに、本当なら北川を交えた三角関係になるはずが、香里を落とすには栞が必要だろう、とか考えたら、北川なんかより栞をもっとクローズアップしなければ!とか色々考えた結果がこの内容です。約10ヶ月、浮かんでは消えた話です…。
 展開が性急ですが、ボリュームを考えると限界に近いですね。卒論と同じくらいでしたし…。あと、僕は強く見せているキャラが、とことん弱さを見せるシチュエーションが大好きみたいです(^-^;
 
 また、感想などをいただけると嬉しいですね。


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