『さくら咲く季節に』 
  
―――「ほら、あとちょっとだ! 頑張れ、あゆ!!」 
励ましてくれる人。 
―――「ここまで来たら、ごほうびに抱きしめてやるぞ!」 
恥ずかしいこと言ってる。でも…抱きしめてもらいたいな。 
  
 本当は、そんな人いなかったはずなのに…。 
  
  
 「あーゆ、今日も来たぜ」 
 「ありがと、祐一君」 
 僕が目覚めてから毎日来てくれる、いちばん好きな人。 
 「今日のおみやげは…」 
 「なに?なに?」 
 「スポーツ新聞だ」 
 「うぐぅ。ボク興味無いよー」 
 「この時期は色々注目なんだぞ? 例えば、野球のオープン戦とかなあ」 
 見た目はマイペースなんだけど、でもちゃんとボクが退屈しないように、毎日楽しませてくれる。こんな何気ない日常のやりとりが、永い間眠っていたボクにとっては嬉しかった。こんな日々を、幼かった頃から待ちつづけていたのかもしれない。 
 「ところで、身体の調子はどうだ?」 
 「うん。元気だよ!」 
 「じゃあ、今日のお勤めも大丈夫だな」 
 「そうだね」 
  
 『お勤め』とは、眠っていた間に弱ってしまった、ボクの脚のリハビリのこと。 
  正直言ってつらい。でも、ボクには約束していたことがある。―――「また映画見に行こうな」―――別に映画じゃなくっていい。 
  でも、今度は『恋人同士』としてデートをしてみたい。祐一君はどう思ってるのかは知らないけど。 
  
 「う、うぐぅ・・」 
 「ほら、頑張れ、あゆ!!」 
 思うように動かないし、言うことを聞いてくれない自分の脚。でも、あの人のところまで辿り着きたい。でないと、また一人ぼっちになるような、そんな気がした。甘えてばかりじゃダメだ。 
 「ほら。あと一歩だ!」 
 手を差し伸べてくれる。その手に…触れた。 
 「やった、やったよ!祐一君!!」 
 「よーし。よくやったぞ、あゆ」 
 「わっ!?」 
 ぱふっ。 
 安心して、ふっと力が抜けたのか、ボクはそのまま祐一君の胸の中に飛び込んでしまった。 
 「おいおい、大丈夫か?!」 
 その手が、背中へと回る。 
 「うん……」 
 幸せな気分だった。 
  
  
…外はまだ、梅の花が咲いているような、そんな季節だった。 
  
  
 お医者さんが言うには、ボクは結構回復のスピードが早いらしい。こんな短期間で、脚の筋力が戻るなんて事は、普通はないみたい。思い通りに動かない脚はもどかしかったけど、祐一君とまた商店街を歩ける日を目指して、精一杯頑張っていた。…でも、もう木登りはやらないかな?  
  
  
…少女が目覚めてから、もう2ヶ月が過ぎようとしていた…。 
  
  
 「今日はりんごを持ってきたぞ」 
 今日も祐一君がいる。もう『日常』と呼べるくらいに。 
 「剥いてくれるの?」 
 ちょっとおねだりなんかしてみる。 
 「まあ、立てないのなら仕方ないだろ」 
 とか何とか言って、結局はボクのワガママを聞いてくれる。 
 あれ? 昔はこんな性格だったかな? もっと、自己中心的な性格だと思ってたけど…。なんでだろ? 
 こんなに、やさしかったっけ? 
―しゃりしゃりしゃり……しゃりしゃりしゃり― 
 「ぐわぁっっ!!!!」 
 「どうしたの? 祐一君?!」 
 手には真っ赤なりんごがあった。でも、むいた中身まで真っ赤だった。 
 「わあっ!! 看護婦さーん!!」 
  
 数十分後。祐一君の指には包帯が巻かれていた。 
 「ツツツ…。まさか、包丁に不覚を取るとは…」 
 「祐一君、無理しなくていいよ」 
 どうやら、それほどは深い傷じゃなかったらしい。よかったよかった。 
 「すまん。せっかくのりんごが鉄の味になっちまったな」 
 「いいよ。気持ちだけでもうれしいから」 
  
 「なにぃッッ!! 食べないと言うのか?!!」 
  いつものようなやりとりをしていると… 
 こんこん。 
 「どちらさまですか?」 
 この部屋に来客はめずらしい。一時はテレビ局の人が来てたりもしたけど、ボクはめんどうだったし、祐一君や病院の人達が断ってくれている内に、だんだん来なくなっていった。最近の来客はめずらしい。だって、知り合いと呼べる人が、ボクには少なかったから…。 
 「あゆちゃん、元気?」 
 「あ」 
 もう一人の大好きな人。そこには、いつも微笑んでいる秋子さんがいた。 
 「秋子さん!」 
 秋子さんは、本当はとても忙しい人らしい。でも、こうやってひまを見つけては、ボクに会いに来てくれる。 
 「調子はどう?」 
 「はいっ! 元気です!!」 
 「そう。それは良かった。いずれは私の娘になるんですからね」 
 「え? そうなんですか? 秋子さん」 
 そう。身寄りの無いボクは、目覚めてから秋子さんが「私が引き取ります」と言っていた。ボクも秋子さんが大好きだし、それを言ってくれたときはすごくうれしかった。 
 「あ、でも名雪さんは?」 
 そう言えば、あまり名雪さんの姿を見たことがない。初めてボクのお見舞いに来てくれたとき以来かな?  
 「いずれは家族になるのにな」 
 そう祐一君が言った。ボクは名雪さんも大好きだし、あこがれてもいる。どうして来てはくれないんだろう? 
 「もしかしたら、やきもち焼いてるのかもな」 
 笑いながら祐一君が言った。本当はどうしてなんだろう? 来てくれないのはさみしいな。 
 「今日はいちごを持ってきたのよ」 
 「わぁ〜っ、ほんとう?」 
 「おれの分は?」 
 「あるわよ、ちゃんと。名雪へのお土産の分もね」 
 こうやって、秋子さんはいつもおみやげを持ってきてくれる。でも、いつもボクの好きなものばかり。なんで知ってるんだろう? 
 そして、しばらく3人でいちごを食べた。 
  
…数日後。外のももの花がほころびはじめていた。 
  
 今日は祐一君との約束に、また一歩近づける日。そう。今日は久しぶりに外に出られる。外で自分の脚で歩ける。そんな当たり前のことができるといううれしさで、昨日の夜はなかなか寝つけなかった。 
 今日は外でのリハビリの日。 
  
 「最近あゆがんばってるもんな」 
 「うんっ! だって、もう少しなんだよ!」 
 そう。ボクはもう、まだまだ危なっかしいけど、他人の手を借りなくても1人で歩けるくらいになっていた。担当の先生は、これは驚異的な回復力だ、とか言って驚いていたけど、これも『奇跡』なのかな? 
 そんなわけで外に出られる。土のにおい。お日さまの視線。風の音。すべてボクが感じることができる。 
 少し、うかれ過ぎていたのかもしれない・・・。 
  
 うぃーん。自動ドアが開く。ボクはまだ車いすの上にいる。そして、風に触れた。 
 「うわぁ、祐一君っ! 外だよ、外だよ!!」 
 「そうだな。ここまで来たんだな」 
 「うんっ!」 
 祐一君は、どこか感慨深げな表情でボクを見つめてくれた。 
 「さあ、ここからが本番だぞ!」 
 歩くこと。それが今のボクにできないこと。できること。 
 車いすから立ち上がる。看護婦さんに借りた靴で、雪解けの大地を踏みしめる。 
 まだ、陰には這いつくばるように雪が残っているような季節なのに、額には汗がにじんだ。 
 「はぁ・・・はぁ・・・・・・」 
 靴が慣れないせいか、上手く踏ん張れない。息もあがってきた。どうしてだろう? 病院の中だったらできたことなのに、とても苦しい。 
 「あゆ?」 
 ボクの異変に気づいたのか、祐一君が近づいてくる。 
 その顔も、なぜかにじんで見えた。 
―――そして、記憶がとぎれる前には、また祐一君の胸に抱かれるように倒れこんでいた。 
  
 気がつくと、また見慣れた白いかべが見えた。あ、かべじゃない、天井だ。 
 そして、ドアの向うからは話し声が聞こえてきた。 
 「どうしたんだよ! あゆは一体どうなっちまったんだ!!」 
 祐一君の声だ。どうしてこんなに怒っているんだろう? それに、声には不安さが混じっているみたい。 
 「・・・拒絶反応です。極度の緊張と興奮状態。そして、外気自体に触れるのが久しぶり。・・・もっと、徐々に慣れさせてから出るべきでした」 
 先生の声。低い、どこか申し訳ないような、そんな声。 
 「拒絶反応・・・?」 
 「そうです。この病室は無菌室というわけではないですが、ずっとあゆちゃんの状態が安定するようにと、窓は開けないようにはしていたのです。だから、直接には外気には触れてはなかったのです」 
 「でも・・・それにしても、俺や秋子さんも普通に出入りしていたぜ」 
 「・・・外的なものばかりではなく、内的なものにとっても、7年という年月はあまりにも長かったのです。今日まで無理してリハビリを続けていたために、外的な筋肉などの回復に比べて、内的なものの回復・順応がついてきてなくなった、ということは考えられるのです」 
 「そんな・・・」 
 難しいことはよくわからなかったけど、ボクも同じような気持ちだった。歩けるようになったのは、別に『奇跡』でもなんでもないなんて――――。 
  
 「・・・あゆ」 
 憔悴しきったような表情で、祐一君が入ってきた。 
 「約束、守れそうになくなっちゃったね・・・」 
 と、残念そうに、すまなさそうに言った。でも祐一君は、 
 「ごめん。俺が急ぎすぎたからだ。・・・・あゆのことより、花見でもしながら商店街を二人で歩きたいって・・・ただ俺の願望を背負わせてただけだったんだ」 
 こんな祐一君は初めてだった。こんなに、今にも崩れていってしまいそうな彼を見るのは。 
 「祐一君があやまる事なんてないよ! だって・・・いつも側にいてくれて、ボクすごく安心できた。祐一君がいなかったら、祐一君がはげましてくれなかったら・・・ボクここまで頑張れ無かったよ。だから・・・」 
 ぎゅっ。 
 「あっ・・・」 
 言葉をさえぎるように、祐一君がボクのからだを包み込むように抱きしめた。 
 「・・・ごめん。そうだな。俺が弱気になってるようじゃ、何のためにいるのかわからないよな」 
 温かいものが一筋、流れてきた。祐一君、泣いてる? 
 「約束なんていつでもよかったんだな。別に夏でも、秋でも・・・冬でも。あゆさえ元気になれば、それでよかったんだ」 
 「祐一君・・・。うん。ボク、頑張るから・・・」 
 ボクも少し、もらい泣きした。 
  
 それからしばらく経ったある日。ようやくボクは退院することができた。 
 あれから、ゆっくりとしたリハビリに変えてやったけど、あの時みたいな「拒絶反応」というものは出なかった。きわめて順調で、先生は、もうどこにも心配は無くなった。あゆちゃんは昔みたいに健康優良児だよ、とか言って、太鼓判を押してくれた。 
 「やったな!! あゆ!」 
 「おめでとう、あゆちゃん」 
 祐一君や秋子さん。それにボクの担当だった看護婦さんたち。それに名雪さんも祝福してくれていた。 
 「うんっ!! ありがとう!」 
 その時のボクの表情は、最高の笑顔だったと思う。 
  
 さくらの花はだいぶん散って、もう葉っぱが見えてきていた。間に合ったのかな? 
 今日は祐一君と『あの頃の』いつもの場所で待ち合わせ。やっぱり切りすぎた頭を見て笑われた。 
 「うぐぅ。そんなに笑わなくてもいいのに・・・」 
 「だってさあ。お前、俺と同じ年だろ? 昔から思ってたけどさあ。どう考えてもお前○学生じゃん」 
 「うぐぅ・・・もういいよ」 
 男の子に見えるとか、ただのガキだ、とかそんなことばっかり言ってる。でも、そんなやり取りが楽しかった。 
 ・・・映画はどうでも良かった。やっぱりボクの苦手なジャンルの映画を見せられて、ずっと震えていただけだったし。あ、たいやきは美味しかったな。 
 「ねえ、祐一君。ボクたちって・・・その・・・」 
 「ん? なんだ?」 
 「こ・・・こ・・恋人同士に見えるかな?」 
 耳まで熱くなって言ってみた。また『兄弟』とかって言われるのかな? 
 「とーぜんそうだろ? 俺はそう思って手もつないでるけどな」 
 左手には祐一君の温もりがあった。大きい手。そして右手には、あの時の人形。 
 「なんなら、ここで一般客のみなさんによ〜くわかるようにしてやろうか?」 
 「え? え?」 
 こういうときの彼は、何か良からぬ事をたくらんでいる。すると・・・突然ボクを抱き寄せたかと思うと、ボクの唇に唇を押し当ててきた。 
 「う・・・うぐ・・・・・・」 
 な・・・ななんでこんなとこで・・・・・何もキスしなくても・・・・・・。恥ずかしいよう。 
  
 映画のスタッフロールが流れる中、これから訪れる幸せを感じながら、身を任せていた。 
  
 ・・・でもやっぱり恥ずかしいよぅ…。 
  
  
 おわり。 
  
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 いかがでしたか? これは、僕が同人活動していた時期に書いたものを、ほぼそのまんま掲載していますが、一番評判が良かった物です。 
 結局、奇跡とかで片付けられているあゆ復活劇ですが、7年も眠っていた人間が、そう簡単に歩けるようになるものかっ!っていう着眼点から書きました。結構すんなり書けた憶えがあります。現実問題として起こり得る問題なのかどうかは知りませんけど。 
 ちなみにタイトルですが、原題は「あゆ後日談」でした。考えようとしていて、結局そのまんま本にしちゃったような記憶が…。「タイトル未定」とかにしなくて良かったなあとw 
  
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