『幼心〜おさなごころ〜』
わたしは今日も待っていた。
雪のふる昼下がり。ひどく冷たい、プラスチックのベンチに腰かけて。
時おり、かじかんだ手を吐息であたためる。
「はぁ〜。はぁ〜」
そう。もう「来ない」ことはわかっていた。
わかっていたのに、どうして、わたしは待ちつづけていたのだろう。
『失うことが怖かった』
そう。いちばん好きなひと。彼はなにも言わずにこの街を去った。
『もう、誰も失いたくない』
子どもごころにそう思った。
わたしにはおかあさんがいる。やさしいおかあさん。
だけど、おとうさんがいない。
おとうさん―――かたぐるまや、おんぶ、だっこしてもらえる、そんな存在…。
そんなおとうさんはわたしにはいなかった。いつの頃からか、それはわからない。
でも、わたしには、おとうさんの記憶が無い。
もう、何も失いたくは無かった。例えば、初めて好きになった人。
かっこ良くなくても、そばにいたい人。
すごく自分勝手で、わたしの気持ちなんか考えてくれなくても好きな人。
そんな人がいたのに…。
そんな人でさえ、わたしから離れてしまった。
わかっていたはずなのに。わたしには、決してうちとけてはくれなかったのに。
それでも、諦めきれなかった。幼心に。
雪の降りしきる中、わたしは彼を待った。来るはずの無い彼を。
彼の瞳には、わたしは映ってはいない事を知りながら…。
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「よう」
また来てくれた。
ちょっといじわるだけど、いつも遊んでくれる男の子。
名前は…そう、ゆういちくん。
ボクが泣き出してしまったところを、いろいろとなぐさめてくれた、やさしい人。
ずっとずっと一人ぼっちだと思っていたから、
こうやって待っている人が来てくれると言うだけで、なんだかうれしかった。
駅前のベンチで、冷たい風がふきつける中でも。
お互いのことはなにも知らない。でも、これから知っていけばいい。
おかあさんのかわりにはならないけど、途方に暮れていたボクの心のすきまをうめてくれる、どこかあたたかさがあった。
そんなあたたかさに、心をゆるしてしまったのかもしれない。
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「祐一! 今日も用事なの?」
今日も彼は、わたしの知らない誰かと会いに行く。…なんでそう思ったのだろう?
よくわからないけど、どうしてかそう思った。今まで、そんなことはなかった。
いつも『寒いから外には出たくない』とか言って、いつも家で、わたしと何気ない話や、かるたやトランプなんかをしていた。
この街にいるときだけは、わたしを見てくれていると思ってたのに…この年だけは違ってた。
「出掛けてくる」
それだけ言うと、行き先も言わずに家を出て行く。
彼の行動範囲なんて、商店街か丘か、原っぱくらいだけど、どこに行くかと言う事よりも、「何をしに行くのか?」と言う事が重要だった。
わたしの知らないところで何をしているんだろう?
興味が無いはずが無い。
でも彼は、ついて行くとか言うと怒ると思う。そんな人だから…。
今日もひとりで、白紙のままの宿題の絵日記帳を眺めていた。
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ゆういちくんが来てくれる。そして遊んでくれる。ツラいことが多かったボクには、すごく楽しい時間だった。
たいやきを買って、食べながら2人で歩く。おもしろいことを言ってくれるから、いつまでたっても飽きることはなかった。
ボクをねたにして笑われることもあったけど、それはそれでよかった。
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おかあさんに買い物に行くように言われた。
正直、気が進まない。
だって去年までは、文句をぶーぶー言いながらも、一緒についてきてくれたのに。
彼は、今日もわたしの知らない場所へ、ひとり出掛けて行ってしまっていた。
ひとりで行くと、慣れているはずの寒風がひどく冷たく感じてしまうから。
帰ってきたら、どこかへ行く約束でもしようかな?
そうしたら、また一緒に遊びに行けるかな?
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学校。2人だけの学校。勉強も制服も何もない、自由な学校。
そんな場所を、ゆういちくんは作ってくれた。
木登りしたら、ゆういちくんはこわがっていたけど、あそこから見る夕日は、ボクにとっての宝物になった。
この街の景色も、みんなゆういちくんがボクにくれたプレゼントなのかな?
だったら、すごくうれしい。
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「用事がある」
その一言で、わたしの願いは砕かれた。
わたしより大事なものがあるんだ。
幼心にそう感じた。
残り少ない冬休みだったのに。
もう2人で遊べないのかな?
もう、わたしには振り向いてくれないのかな?
この冬を逃したら、なぜか彼は、わたしの手の届かない遠くに行ってしまいそうな…。
そんな予感めいたものが、そのとき「ふっ」と心を過ぎった。
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商店街で、やけにきらびやかな場所を通ったとき、1つの機械の中にある人形が目に入った。
羽の生えた、ちょっとかわいらしいお人形。
そのことをゆういちくんに話したら、取ってくれると言ってくれた。
でも、いくら挑戦しても、その人形が機械の中から出てくることはなかった。
さすがに悪いと思ったから「もういいよ」って言ってみたけど、なんか意地になっているみたいだった。
そんなゆういちくんが、おかしくもあったけど、うれしくもあった。
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「名雪、軍資金をくれ」
突然帰ってくるなり、祐一がそう言ってきた。
「…いや、おこづかいを貸してくれ。ゲーマーとしてのメンツに関わる」
そう言い直した。
意図はわからなかった。そんなにゲームなんかに熱くなっていただろうか?
ただ、何かに夢中になると周りが見えなくなるのは、彼のいい所でもあり、悪い所でもあった。
ただ、頼られていること自体は悪くは思わなかった。
だから、快く、
「いいよ」
と言えたのかもしれない。
どんな形であれ、わたしの方に気が向いてくれているのなら、それでいいと思った。
それだけで安心できた。
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どうやって取ったのかは知らないけど、とにかくゆういちくんは、あの人形をボクにくれた。
たぶん、たくさんお金を使ったんじゃないかって思う。
やっぱり、悪いな、とは思ったけど、その気持ちはすごくうれしかった。
ボクなんかのために努力もしてくれて…。
あとゆういちくんは、この人形を通して、お願いを3つかなえてくれると言ってた。
せっかくだけど、3つあるなら1つくらいは残しておこうかな。
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―数日が経ったある日―
彼に気持ちを伝えようと思った。
そうしたかったからじゃない。
そうしなきゃいけないような気がしたから。
彼は出て行ったまま、まだ家には戻ってはいない。
それに、今日はまだ1度も言葉すら交わしてはいない。
もう次の日には、この街を出るというのに。
おそらく、何かあったんじゃないかって感じた。
最初の頃は、冬休みの宿題とかを一緒にしていたのに、休みが進むうちに、言葉すら交わす回数が減っていた。
側にいなくなる前に、伝えたかった。
彼は、駅前のベンチに座っていた。
――泣いている。ひたすらに泣きじゃくっていた。
何かツラいことでもあったのかもしれない。
そのツラいことが何かなんて、わたしにはわからなかった。
わたしの気持ちなんて、言うべき状態じゃあないのかもしれない。
でもわたしは、
「やっと見つけた」
声をかけた。
彼を捜している時間中、ずっと手に持っていた彼へのプレゼントのせいで、わたしの手の感覚はほとんどなくなっていた。
そのプレゼントと言うのは…雪うさぎ。もともと不器用だから、上手く作れなかったかもしれない。
それでも、わたしを、そしてこの雪が似合うこの街を憶えていてもらいたくて…。
精一杯の笑顔を作って、いっしょうけんめい話しかけて、
「わたし…言えなかったけど、ずっと、祐一のこと…」
わたしの体温で融けかかった雪うさぎを差し出して、思いを伝えようとしたその刹那――
手の中にあったはずのプレゼントは地面に叩きつけられ、その姿は無残にも、ただの雪の破片へと変わっていた。
一瞬、頭の中が真っ白になった。
何が起きたのかがわからなかった。
だが、目の前の少年が、わたしの手の中にあったものを叩き落とした。それだけは事実だった。
この後、自分で何を言ったのかはよく憶えていない。なぜか、謝っていたように思う。
わたしを、この街を嫌いにならないでいて欲しかった。雪の色に染まる、この景色も。
だから、最後にこう言ったのかもしれない。
「明日、もう一度ここで会ってくれる? それで、ちゃんとお別れをさせてくれる?」
彼からの返事は無かった。けれど、
「わたし、ここでずっと祐一のことを待っているから…」
と、笑顔のまま、最後に伝えた。
頬に伝う涙は拭わないままに。
7年が過ぎた。
約束した次の日はもちろん、それから何度も駅前のベンチに座って彼を待ってみたけど、
彼が来ることはなかった。
ただ、幼心に、
「フラれたのかな」
って思った。
いまだに、あの時の彼の気持ちはわからなかった。
でも、もしかしたら彼の心の中には、別の女の子がいたのかもしれない。
そう思うと、少しだけ悔しかった。
その彼がこの街に帰ってくる。
7年間、全く手紙の返事すらくれなかったと言うのに…。
わたしは、どんな顔で彼を迎えればいいんだろう?
笑っていられるんだろうか?
そんなことを考えているうちに、約束の時間を2時間も過ぎていた。
ただ、わたしは散々待ったんだから、2時間くらい遅れたうちに入らないよね?
「わたしの名前、覚えてる?」
―おわり―
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旧作の改訂版、第5弾です。
当時の本を見てみると、香里SSで煮詰まったときに急遽予定を変更して書いたもの、と書いていました。
名雪の、ゲームスタート時の気持ちを紐解くために振り返った話です。
途中であゆが出てこなくなってますが、仕様です(^-^;
あまりオリジナルな要素が入っていませんが、プロローグもの=シナリオの補完ものなんで致し方ないところです。はい。
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