『風化風葬』
「なあ…。アンタこれからどないするん?
また、旅に出るんか?」
夏も過ぎ去りつつある頃、俺はまだこの町にいた。
話し掛けてきているのは、厄介になっている家の主人だ。
「…行くアテは全く無い……」
「今までかて、アテなんかなかったんやないの?
…ま、気の済むまでいてもええけどな」
「すまない…」
俺の旅は、終わりを迎えるはずだった。
この場所で。
少女を救って。
だが俺は、目的を失ってもなお、のうのうと生き続けていた。
俺に受け継がれてきた能力(ちから)を使うことも無く。
いや、使うことが無かったわけでは無かった。
使いようが無かったのだ。
あまりに俺が未熟だったから。
俺は、少女がいなくなった大気の下、その残り香を集めるかのように生きていた。
何の目的も無く、ただ惰性に。
「気にすることあらへん…。ほんなら、行ってくるさかい」
1人で回想に浸っていると、この家の主人がフルフェイスのヘルメットを被ろうとしていた。
出勤の時間らしい。
「朝は、テーブルの上の目玉焼きを食べてな。
昼は…今日はカップラーメンで堪忍な」
「ああ。いつもすまない。
気をつけてな」
「…珍しいやないの。そんなこと言うやなんて」
本当に珍しいことだった。
俺がそんなことを言うのが。
これまで旅をしてきたときには、食費はおろか交通費までも、自分の力で稼いできたのだ。
しかしこの町に来てからは、食費すらまともに稼ぐことは出来なかった。
しかも、生きている意味すら失ったのだ。
こんな俺を追い出さずに、留まらせてくれている人に対して、
多少の感謝の気持ちが出ても、もはや不思議ではなかった。
その人が、バイクを納屋から出し、エンジンをふかしながら道路へと向かう。
それを見送る俺。
軽く手で合図した後、爆音とともに走り去っていった。
俺も軽く手を振って応えた。
さて…と、随分と心地よくなった海風を浴びながら、大きなあくびをした。
家に戻り、食卓に置いてあった目玉焼きをほおばる事にした。
俺が出会った少女は、間違いなく母親が言っていた少女に間違いなかった。
羽根を広げて空を飛んだわけじゃなかったが、あいつの言動や存在感から、確信していた。
だが、その少女は今、同じ大気の下にはいなかった。
そいつを救うことだけが、俺の生きる目的だったと言うのに。
朝ご飯を食べた後、俺はバッグの中に入れてあった、古ぼけた人形を取り出した。
長らく、俺の相棒として世話になった人形だった。
そいつをポケットに仕舞いこんで、とある場所へと向かった。
見晴らしのいい丘の上。
海風が心地いい。
ここは、この町の墓地。
あいつが眠っている場所だ。
俺はあいつの墓へと向かった。
-神尾家の墓-
そこに眠っていた。
俺は、ポケットに仕舞っていた人形を出すと、墓に置いた。
お供え物の1つ、というわけではなく、
あいつを助けられなかったという意味では、この人形も役目を終えたと感じたのだった。
この人形=法術という意味で。
俺は振り返り、一瞥もくれずに家へと戻った。
心の中では、別れを告げて。
夜。
この町には似つかわしい爆音を響かせて、この家の主人が戻ってきた。
俺は戸を開けて出迎える。
「おかえり」
「ただいま〜。やっぱ、こーやって出迎えてくれんのはええなあ〜!」
既に出来上がっているようだった!
飲酒運転だろっ!とツッコミたくなったが、こらえて一緒に家へと戻ることにした。
そこから、この家の主人が上着を脱ぎ捨て、いつもの無防備な格好へと変わってから、第二部がスタートする。
どこに隠し持っていたのか、一升瓶を取り出した。
「どや。仕事先のオッサンにもろたんや〜。
大吟醸やで? だ〜いぎんじょ〜」
どうもこの家に来て、いつも日本酒ばかり呑んでいる気がする。
この日もやはり日本酒のようだ。
早速ガラスのコップを2つ取り出してきて、トクトクと注ぎ始めた。
そして、自分のより多めに注がれたコップを、こちらにずい、と差し出してきた。
「ほな、呑みや〜。
はよウチの状態に追いついてや〜」
どうやら、限りなく素の状態の俺に、既に出来上がっている自分の状態にまでなってほしい、
と言うことのようだった。
しかし、こんな展開も慣れてきていた。
あいつがいなくなった直後は反発もしたが、
お互いの境遇を考えると、呑むのが一番良い選択だと思うようになっていた。
だから、こうやって差し出された酒は、ぐいっと飲み干すのが習慣化していた。
今日も一杯目は一気にカラにした。
「アンタ、ホンマええ呑みっぷりになったなあ〜。
ええわあ〜」
何が良いのかはサッパリわからなかったが、コップ一杯の日本酒を一気に行くと、
それほど酒に強くない俺はかなりくらくら来てしまう。
そんな状態になって、ようやく2人同じスタートラインに立つのだ。
「アンタな…。やっぱり観鈴のこと、探してたんか?」
「…たぶんな」
最近は、俺がこの町に来た目的とか、そう言う話をすることが多くなっていた。
そんな訳で、この家の主人にもかなり、俺の素性を知られてしまっていた。
「じゃあ、たまたま来たここで、観鈴を見つけたってわけなんやな」
「そうなるな…」
正しくは、観鈴のような存在を見つけた、と言うことだろう。
空にいる少女=観鈴を。
「その…お目当ての観鈴がおらんようになったんやし…。
アンタの旅も続ける意味があらへんのやなあ」
上手く伝わっているかどうかはわからなかったが、
観鈴がいなくなったことで、俺の旅の目的が失われたことはわかってくれたようだった。
「そう…だな。俺もこれからどうして良いか…」
俺の旅=生きている意味が削がれてしまったのだ。
「そやな…」
俺たちは、黙ったまま呑み続けた。
正直、あまり美味い酒では無かった。
しかしそんな空気を嫌気したのか、
「アカン。酒がマズイわ。
ここはパ〜っと、気分変えて行こか〜。
名付けて"第1回 ナンパ・逆ナン告白大会"〜〜〜〜っ!!」
とかいきなり言い出した!
「今思い出すだけで、身体が熱ぅ〜なる、一夜限りの炎の話や〜」
過去の実績を誇張して(?)、熱く語るこの家の主人。
俺も最近は、随分と聴き上手になっているらしく、いい話相手になれていた。
それに、沈みがちな俺の気持ちを、強引にでも引き上げてくれているのには感謝さえしていた。
ある日の夜。
この家の主人=晴子が休みの日に、珍しく夕食を一緒に食べていたときのこと。
しらふの晴子がこんなことを言ってきた。
「アンタさ。身体なまっとらへん?」
「俺か?」
「そや」
そう言われると、今まで旅してきたときから比べると、全然運動をしていないことに気付かされた。
食う物にすら困って、徒歩で町から町へ移動したこともあったのが、
今や「食っちゃ寝」状態だ。
「人形の芸もウケへんみたいやしな」
「…」
その点に関しては何も言い返せないし、もう今、その人形すら手元には無い。
「働いてみいへんか?」
「…働く?」
「そうや。身体動かす仕事をせえへんか? ってことや」
考えてもいなかったことだった。
定住することの無かった俺にとって、雇われて働くことはほとんどしたことが無かったからだ。
「アンタくらいの、若くて体格の良さそうな人間がおらへんか? って人に言われてるんや。
それにや。このまま何もせんより、気分転換になると思ってな」
もしかしたら、もの凄く俺に気を遣ってくれて言っているのかもしれなかった。
逆に、ただの穀潰しと化している俺に対し、少しは気を遣えと言うことなのかもしれなかった。
「今のままやったら、生きてるんか死んでるんかわからんようなもんやろ?」
「…ああ」
「仕事してる間は、何も考えるヒマも無くなるわ。
そしたら、思いつめたりすることもあらへん」
「…」
晴子は、少し遠くを見るように話した。
まるで、俺ではない誰かに語りかけるように。
そう思ってると、ふっと微笑みかけるように、
「どや? やってみる気あるか?」
と、柔らかな表情で訊かれた。
何となく、拒否する思考は働かなかった。
「わかった。じゃあいつから、どこに行けばいい?」
止まっていた時間が、僅かながら動き始めた瞬間だった。
それから数日後、俺は漁協で働いていた。
最初の頃こそ、持ちなれない重さの荷物を持つ辛さを感じてしまったが、
半日もすればそれにも慣れてしまった。
それに、仕事に没頭していると、鬱屈していた思考が晴れてくるような気さえしていた。
身体を動かすことによって起こる刺激も、悪いものではなかった。
そうして数日も働いていると…、
「おうっ、新入りの兄ちゃん! 良い動きしてるなあ」
ベテランの親父たちに声を掛けられるまでになっていた。
「そうか? それほどでも無いと思うが」
「お祝いだ。これ持ってけ!」
そう言って渡されたのは、お造りの盛り合わせと一夜干しの魚だった。
お造りは、さっき俺が運んでいた魚だった。
俺は、ただで手に入れた食料を片手に戻った。
俺が食料を持って帰るなんて、ゲルルンジュースを持ち帰って以来かもしれなかった。
その日は珍しく、晴子が先に帰っていた。
「ん? なんや、その荷物は」
「仕事先でもらったんだ」
そう言って、刺身の盛り合わせと一夜干しを差し出した。
「アンタ、ええとこで働いてんなあ。
酒の肴にピッタリやで〜」
晴子は上機嫌で、俺の頭をわしゃわしゃと撫で、いつものように一升瓶を取り出した。
「呑もか〜。今日はアテがええから、ようさんイケるで〜」
いつもより豪勢なつまみ片手に、いつものように晩酌(?)が始まった。
「仕事…どや? ちゃんとやってるか?」
「ああ」
「このタコや鯛の刺身は、その証拠っちゅうわけか」
「まあ、そういうことだ」
「それで…どや? 何か刺激的な出会いでもあったんか〜?」
「あるかっ!! めくるめく、魚たちとの出会いしかないわっ!!」
この町には、観鈴の通っていた学校はあるものの、漁協で働いている若いヤツなどほとんどいなかった。
「何や〜。つまらんなあ。ウチにも紹介して欲しかったのになあ」
と言うか、誰をどうやって紹介してもらう気だったのだろう?
「ウチさあ。あの子にもっと何かしてやれへんかったんかな…」
「…俺もずっと考えてる」
繰り返し考えてきたこと。
バカ騒ぎが一段落すると、決まってこういう話題になっていた。
観鈴のために、もっとしてやれたことは無かったのか。
「あの子…ホンマに幸せやったんかなあ、ってな」
「…」
それは俺にはよくわからなかった。
自分で言うのも何だが、出来なかった友達もでき、
新しい母親とも心通じたわけだ。
アイツにとっては、少なくともこれまでとは違った夏休みを過ごせたはずだった。
そんな矢先に体調を崩して…。
「結局ウチは、あの子の母親にはなれんかったんやろな」
実の母娘ではない、この母娘。
部外者の俺から見ても、母娘には到底見えなかった。
どちらかと言えば…。
「姉妹ってほうが、ピッタリ来るかもな」
「そうかー。嬉しいような、悲しいような、複雑な答えやなあ」
姉妹、と言うのは、年齢的に母娘ほど離れていないことも当然あったが、
晴子に母親の匂いを感じることが出来なかったからだと思った。
「ただ最後のほうは、十分母親になっていたと思うぞ」
「…そうか。アンタに言われるとちょっと嬉しいわ」
これも本音だった。
母親としての自覚や経験値が圧倒的に足りない中でも、
晴子は懸命に母親になろうとしていた。
その姿は、微笑ましくとも、儚くともあった。
「アンタかて、観鈴とやる事やってたんちゃうんか?」
「あ…いや、それは……」
思わぬ反撃だった!
「ええねん。あの子も見る目あったっちゅうことやしな」
「それはどういう意味だ?」
「だって。アンタ割とええ男やで。色んな男観て来たウチが言うんやから間違いないって」
そう言われるとどうも照れてしまう。
男としてと言うよりも、人間としてそれほど威張れるようなところも無かったからだ。
「ま、そーゆーことやし、ちょっとえー男と、もうちょい呑もかー!!」
そう言うと晴子は、俺の肩に手を伸ばし、肩を組むような形で再開した。
薄すぎる衣服越し…いや、その露出の多さから、一部は素肌と密着するような形で…。
その感触が気持ちいい。
アルコールを含み、上気した肌が熱かった。
何時の間にか、照りつける日差しは優しくなり、
耳をつんざくようなセミの声も、次第に少なくなっていった。
俺は、神尾家に届けられるようになった牛乳ビンを開け、
朝陽に向かって、腰に手を当ててその中身を飲み干した。
朝早く出勤する晴子のバイクを見送った後、いつものように朝食をいただく。
今日は珍しく、魚の焼いたのが置いてあった。
豪華だな…と思っていたが、咀嚼しているうちに、自分が昨日持って帰ってきたものだと気付いた。
その日の仕事帰り。
脚が自然と海岸へと自分を運んでいた。
学校前の見慣れた防波堤の上へと立った。
山のほうから吹き降ろす、幾分冷たい風が身体を撫でる。
海を見下ろした。
穏やかな波。
そんな静かな海面を、夕陽が赤く染め上げていた。
空を見上げた。
赤く染まる空。
一日の終わりを告げていた。
そんな空を背にして、鳥が飛んでいた。
俺は、アイツの姿を重ねていた。
空に思いを馳せていたこと。
翼があったら、って言っていたこと。
アイツは今、冷たい土の中にいる。
石に閉じ込められていると言うべきだろうか。
それなら、あの頃と何も変わっていない。
檻に入れられているような。
無理やりこの世界に縛り付けているかのような…。
解き放てないものだろうか?
アイツの一部を、この大空に。
「なんや? アンタも来とったんかいな」
突然聞こえた声に、俺はあっという間に現実に引き戻された。
「どないしたん? えらい驚いた顔して」
「驚くな、と言われるほうが無理があるだろっ」
ここは人気の無い防波堤だ。
誰かに声をかけられるなんて思っちゃいない。
「あの子のこと、考えてたんやろ?」
「…ああ」
一瞬その言葉にビクリ、としたが、晴子もこの場所は一生記憶に残るであろう場所になっていたはずだった。
あの日、観鈴がゴールした場所。
自分の意志で、新しい母親の元へ歩いた場所。
だが俺には、その目的を達成したところで、一体どうして幸せになれるのか?
全くわからなかったのだった。
晴子はそれ以前から、観鈴のことを思っていたし、それを行動でも示していたはずだからだ。
「結局、ウチはあの子のこと、な〜んもわからんまんまやった」
新しい母親になった晴子も、俺と同じ思いを持っていたようだった。
「だからな。こうやって思い出の場所に来て、あの子のことを想ってやるのが、
せめてもの償いになるかなあ、って思ったんや」
"償い"と言う言葉には引っ掛かったが、俺も観鈴との記憶を辿っているのは同じだった。
「アイツ、空を飛びたがってたんだ」
伝えなければならないと思ったこと。
観鈴が空に想いを馳せていたこと。
「ああ。ウチもそんなこと聞いた事あったわ」
その事は、晴子も知るところだったらしい。
「翼があったらな、って。鳥のように」
「どっか…普通の人とは違った感性みたいなもん、持ってたからなあ。
今やったら何となくわかる気するわ…」
そこまで理解してくれているのなら、話は早かった。
俺はある想いを伝えることにした。
「アイツを、この空に解き放ちたいんだ」
「なんやて?」
俺の言葉はあまりに滑稽だっただろうか?
だが俺は続けた。
「アイツは今、冷たい土の中で眠っているんだ」
「…そうやな」
「なら、その身体だけでも、この風に乗せて空を飛ばせてやりたいんだ」
「…」
それだけ言うと、俺は観鈴が眠っている墓地へと歩を進めた。
やや遅れて、晴子もバイクを押しながらついてきた。
アイツが眠っている墓の前に立った。
墓石をどけ、中に安置されているアイツの身体だったものを取り出した。
いわゆる、遺灰が納められているものだ。
「それ…。どうするつもりなん?」
晴子の戸惑いを含んだ問い。
「『風葬』って知ってるか?」
「風葬?」
「ああ」
風葬とは、人間の肉体を風化するままに放置して、大気へと返す方法だ。
旅先で、つい最近までそういう習慣が残っていた地域を訪れたことがあった。
この方法で、アイツの身体を空へと還してやりたいと思った。
「…アンタがそう言うんやったら、ウチはええと思う。
あの子のこと、一番よくわかってくれてたからな」
そこまで信頼してくれているのはありがたかった。
封印を解いた。
灰となったアイツの身体が、強い風に晒されながら空へと舞った。
その細かい粒子は、太陽光に照らされてキラキラと輝いていた。
俺は、涙を流していた。
観鈴の想いを叶えたことに対して。
自分の側から離れたことに対して。
「俺たちは、観鈴が飛んでいる空の下で生き続けるんだな」
「…そうゆうことになるな」
ようやく出た答え。
晴子もそれに同意した。
帰り道。
「アンタ、生き続けるって言った時に、『俺たち』って言うたよな?」
「え? そうだったか?」
思わぬ言葉に、俺は返答に窮した。
「ええねん。これからもよろしゅう頼むわ」
どうやら、この同居生活もしばらく続くようだった。
「ウチもず〜っと男日照りやったから、あんじょう頼むで〜!」
俺たちは生き続ける。
観鈴が舞う、空の下で。
<終わり>
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いかがでしょうか?
これが僕の、初のAIRのSSとなります。
かなり苦労しました…。
その割に、面白いかどうかについては微妙な気がしますが…。
シチュエーションに関しては、劇場版AIRみたいな状態ですね。
往人と晴子が生きていて、観鈴は死んでいるという設定です。
観鈴がいなくなると、この2人は生きている理由を失うと思うんですよ。で、誰かと生きて行かなければならない、と思うとこの2人だった、というわけですw
感想などありましたら、
『新・掲示板』
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などにお願いしますm(_ _)m
今後AIRのSSを書いて欲しいか否かってことも…。
<作成日:2005年3月19日>
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