another SUMMER(14) 
  
  
  
 聖さんのおかげで、わたしたちは追っ手に見付からずに森の中を逃げることができていた。 
 夢中で走っている間に辺りはもう暗くなっていて、足下を照らしているのは木漏れ日のように差し込む月明かりだけだった。 
 もともと足が遅い上に足元がよく見えなくて何度もつまずきそうになってたから、先頭を行く往人どのから何度も離されていた。 
  
「…往人さま、少し休憩しませんか?」 
  
 わたしの足取りがおぼつかなくなってきたことに気付いた美凪が往人どのを呼び止めた。 
 逃げることだけでも頭がいっぱいなはずなのに、美凪は遅れがちなわたしの傍にずっと付き添って気遣ってくれていた。 
  
「そうだな。今すぐ追いつかれるってわけじゃなさそうだし、少しだけ休むか」 
  
 往人どのの返事を聞いた途端にふっと気が緩んで、わたしは近くにあった太く立派な木の根に引き寄せられるように座り込んだ。 
 呼吸を整えるために手を胸に当て、目を閉じてみた。 
 …わ、心臓がすごい速さで鳴ってる。 
 でもそれも次第に落ち着いてきて、わたしは再び目を開けた。 
 そこには心配そうにわたしを覗き込んでいる美凪の顔があった。 
  
「ごめん、わたしが遅いから…」 
  
 …迷惑かけちゃてるよね? 
 そう言おうとしたけど、美凪の穏やかな表情を見てたら最後まで言えなかった。 
  
「…いえ…半日以上ずっと走っていたんですから、疲れるのも当然です」 
「そう言う美凪は平気そう」 
「…そうでもないですよ…疲れを見せないようにしてるだけです」 
  
 でも、息の上がり方を見れば誰だって直ぐに分かる。 
 わたしがいなければ、美凪も往人どものもっと安全に逃げられるんだろうな…。 
 座って安心してしまったからか、なんだかまぶたが重くなってきた。 
  
「疲れてるのは分かってるが、念のため今夜は夜通しで歩くからな」 
  
 眠たそうなわたしの顔を見ながら往人どのはそう言った。 
  
「うん、平気」 
  
 とは言ってみたけど、もう足はくたくただった。 
  
「…大丈夫です…もしものときは往人どのが負ぶって…」 
「やるわけないだろ」 
  
 呆れ顔の往人どのの顔をじーっと見つめた後、美凪は小首を傾げた。 
  
「…甲斐性なし?」 
「あのなぁ…」 
  
 そんな二人のやり取りを見ていたら、不意に今日のお昼までのことを思い出した。 
 佳乃さんや聖さんがいて、不安なことなんか何もなくて、とっても楽しかった。 
 あんな時間がずっと続くと思ってたのになぁ…。 
  
「そういえば。美凪、足は大丈夫なの?」 
  
 口にしてしまってからはっとした。 
  
「…はい…聖さんのおかげで、見ての通りへっちゃらです」 
  
 そっか、もしかしたら美凪の怪我はわたしのせいだったかもしれないんだ…。 
  
「…観鈴さま?」 
「あ、えっと…何かな?」 
  
 誤魔化そうとしたけどやっぱり美凪には分かるのか、美凪はわたしの目を見つめてきた。 
  
「…じーっ」 
「み、美凪?」 
「…気にすること、ないですから」 
「え?」 
「…私の怪我とか全部、観鈴さまのせいじゃないですから」 
「う、うん…」 
  
 でも、あんな話を聞いた後じゃ気にせずにはいられなかった。 
 それに、今まで全然心当たりが無かったってわけでもないし。 
 もし本当にわたしに翼人の呪いっていうのがあるのなら、わたしは誰かと親しくなっちゃいけない気がする。 
 今回の事で、あんなに親切にしてくれた聖さんや佳乃さんに、きっと迷惑を掛けてしまった。 
 そして今までずっと一緒にいてくれた美凪や往人どのには、きっと、もっとたくさん… 
  
 …ぼかっ 
  
「が、がお…」 
  
 目の前にちょっと星が飛んで、さっきまでの考え事も一緒に飛んでいった。 
  
「今はとにかく逃げることだけ考えてろ」 
  
 わたしは頭をさすりながら往人どのの言葉に頷いた。 
 往人どのの気遣いは嬉しかったけど…でも、叩かなくてもいいと思うな。 
  
「で、もう歩けそうか?」 
「うん、大丈夫」 
  
 短い休憩だったけど、さっきよりは呼吸も足もだいぶ楽になっていた。 
 社殿を抜け出してからはずっと山道を歩いていたから、きっと体力がついたんだと思う。 
 でも、その原因を考えるとあんまり嬉しくないな。 
 そんなことを思いながら、わたしは立ち上がってお尻を払った。 
  
「よし、行くぞ」 
  
 行き先さえ見えない暗闇がとこまでも広がっている森の中を、わたしたちは進み続けた。 
  
  
  
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  
  
  
 わたしは物心が付いたときからひとりぼっちだった。 
 周りには家事をしてくれたりわたしの面倒を見てくれる人がたくさんいたけど、でもやっぱりわたしは広い部屋の中にいつもひとりぼっちでいた。 
  
 時々、わたしの部屋には年上の女の人が勉強を教えに来てくれていた。 
 その人の話では、わたしと同じくらいの歳の子供にはお父さんやお母さんや姉妹、そして友達がいるらしい。 
 どうしてわたしはお父さんもお母さんもいないの、って聞いたら、その人は困った顔をした。 
 わたしはその人に悪い気がしてそれ以上は聞けなかったけど、最後にその人は一言だけ教えてくれた。 
 それはわたしが翼人だからだ、って。 
  
 外に遊びに行きたいなと思ったときがあった。 
 でも社殿を護ってくれている人に止められた。 
 なんでだめなの、って聞いたら、わたしが翼人だからだって言われた。 
 わたしにもしものことがあったら大変だから外には出してあげられないって言われたら、その人を困らせたくなくて外に出るのは我慢した。 
  
 みんなはわたしのことを翼人だって教えてくれたけど、わたしはそれがどんなものなのか知らなかった。 
 だからみんなにそう言われても全然実感がなかった。 
 その時の、自分のことを他の人の方がよく知っているような感じは、ちょっと嫌だったかな。 
  
 本当は外でいっぱい遊びたかった。家族や友達も欲しかった。 
 みんなが話す外の様子はどれもおもしろそうだった。 
 お仕事の合間におしゃべりをする女官の人達はみんな楽しそうだった。 
 わたしもそういうのに憧れた。 
 でも、世の中には食べるものも住む場所もないような人達がたくさんいるんだって知った後には、そんなわがままなことを言っちゃ駄目だなって思うようになった。 
 わたしには食べるものも住む場所もあるから、きっと幸せ。 
 欲張りな人は最期に酷い目に遭うって、昔話でもよく言ってる。 
 だから我慢、我慢。 
 そうやってずっと我慢してたらそういうのも平気になった。 
  
 そしてわたしが少し大きくなってきた頃、どうしてわたしがみんなから避けられているのか、少し分かるようになってきた。 
 翼人には立派な噂がたくさんあるのと同時に、良くない噂もちょっとあったみたいだったから。 
 詳しく聞いたことはなかったけど、みんながひそひそと話しているのを何度か聞いたことがある。 
 翼人がいると火事が起きるとか、翼人に触れると病にかかるとか。 
 そういう噂があっても、社殿のみんなはわたしに嫌がらせとか酷いことをしなかった。 
 でも、わたしはみんなに大切にされてただけ。親切にしてくれる人はほとんどいなかった。 
 だけど中には美凪のように、わたしと友達になってくれる人もいた。 
 他の女官の人達からはわたしと仲良くなるのは止めといた方がいいよって言われてたみたいだったから、わたしはちょっと悪い気がしてたけど、その人は笑って首を振ってくれた。 
 だからわたしも気にするのは止めて、今までずっと友達が出来たらやってみたかったことをその人と一緒にした。 
 誰かと一緒に遊ぶことは、わたしが想像していた以上に楽しかった。 
 ある日、話の流れからその人はわたしに翼人について教えてくれた。 
 その人も詳しくは知らなかったようだったけど、知っていることは全部話してくれた。 
 わたしは翼人のくせになにもできない普通の女の子だけど、お母さんはとても立派な人なんだろうなって、その話を聞いて思った。 
 みんなから頼られてて、きっと、とっても忙しい。 
 だからわたしに会いに来れないのは当たり前のこと。 
 さみしいとは思うけど、それはみんなにとって良いことだから仕方ないんだなって。 
  
 そのうち、わたしに親切にしてくれていた人が体調を崩して社殿に来なくなった。 
 周りの人達は今まで以上にわたしを避けるようになった。 
 悪い噂を耳にすることも多くなった。 
 …わたし、悪い子なのかな? 
 やっぱりわたしは贅沢なんか言っちゃいけなかったのかな? 
 翼人だから我慢しなきゃいけなかったのかな? 
  
 そしてその頃からわたしは社殿を転々とするようになった。 
 あの人はもう元気になったかなって思いながら。最後のお別れが言えなくて残念だったなって。 
 …でもその理由は、今なら少し分かる気がする。 
  
  
  
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  
  
  
 気が付くと、わたしの体は宙で上下に揺れていた。 
 とりあえず足をばたばたさせてみたけど、地面につかない。 
  
「…あ、あれ? 地面がない?」 
  
 でも代わりにわたしの目の前には大きな壁…じゃなくて、大きな背中があった。 
  
「やっと起きたか」 
  
 そして往人どのの呆れたような声が直ぐ近くで聞こえた。 
  
「…おはようございます、観鈴さま」 
  
 横からはひょっこりと美凪が顔を覗かせた。 
  
「…おはよう、美凪」 
  
 わたしは寝ぼけ眼をこすろうと右手を… 
  
「あ…あれっ?!」 
  
 視界が急に傾いた。 
  
「なっ、馬鹿っ!」 
  
 何かを掴もうと空に伸ばしたわたしの右手を、往人どのがとっさに掴んだ。 
  
「あ、ありがと…」 
「おまえ、自分が背負われてるって事ぐらい忘れるなよな」 
「でも、おかげで目が覚めた」 
「そうか。なら今すぐ降りろ」 
  
 そう言うと往人どのはわたしの手をぱっと放した。 
  
「わっ、わっ!」 
  
 慌てて往人どのの首に腕を回し直したから、なんとか落っこちずにすんだ。 
  
「危なかった…なんでいじわるするかな?」 
「うるさい。目が覚めたんなら自分で歩け」 
「もう少しだけ。往人どのの背中、気持ちいい」 
「俺は暑苦しくてたまらん。しかも“重い”」 
「ひどい。さっき“重い”ってところだけ強調してた」 
「ごちゃごちゃ言ってないで早く降りろ」 
「嫌」 
  
 そう言ってわたしは往人どの首筋に顔を押しつけながら、ぎゅっと抱きついた。 
 全身に往人どのの暖かさを感じた。 
  
「…うらやましい」 
  
 そんなわたしたちの様子を見て、美凪は少しいじけたような顔をした。 
  
「じゃあ、あとで美凪も背負ってもらおうよ」 
「…はい…是非」 
  
 美凪の目がきらーんと光った。 
  
「勝手に話を進めるなっ。なんで俺が美凪まで背負わなきゃならないんだよ」 
  
 往人どのの苛立ったような声に、美凪はよよよと崩れ落ちた。 
  
「…往人さまに嫌われていましたとさ」 
「…」 
  
 往人どのは目を細め、軽蔑するような視線を美凪に送った。 
  
「往人どのが悪い」 
  
「俺なのかっ?! 大体おまえが朝になってぶっ倒れたから、俺が背負って歩き続ける羽目になったんだろ!」 
「あ、そうだったんだ」 
  
 言われてみれば、いつの間にか森の中はセミ達の鳴き声とじりじりと肌を焼くような日差しに溢れていた。 
  
 往人どの背中が気持ちよくて、なんでわたしが背負われてたのかとか考えるのをすっかり忘れてた。 
  
「…大丈夫ですか?」 
  
 いつのまにか立ち直っていた美凪が、わたしの顔色を伺うように覗き込んできた。 
  
「うん、ちょっと眠かっただけ。体の方は大丈夫」 
「社殿から抜け出したときは夜通し歩いてても平気だったくせに、このくらいのことでへばりやがって」 
  
 往人どのは背中にいたわたしの頭を器用に小突いた。 
  
「が、がお…もういい、降りる」 
  
 わたしはひょいと往人どのの背中から降りた。 
 その行動に往人どのは少しあっけに取られていたみたいだった。 
  
「ん、どうかした?」 
「いや…別に」 
  
 往人どのは気まずそうに頬を掻いた。 
 小突いたせいでわたしが降りたと思ってるみたいだったけど、そうじゃない。 
  
「うーん、もう目も覚めたしね。それに、いつまでも甘えてるのも悪いし」 
  
 わたしは大きく伸びをして何でもない振りをした。 
 往人どのも美凪もすごく優しい。だから、わたしはいつまでも甘えてちゃいけない。 
 誰かに甘えるのは、わたしにとってはきっと贅沢すぎるから。 
  
「…観鈴さま?」 
  
 いけない、美凪は勘が良いから気付いちゃったかな? 
  
「ほら、今度は美凪の番」 
  
 わたしは美凪の背中を押して、往人どのと向かい合わせにした。 
  
「分かってるだろうが…」 
  
 低い声で念を押すようにそう言ったあと、往人どのは一呼吸置いてから口を開いた。 
  
「…往人さまの背中は観鈴さま専用…」 
「なわけあるかっ」 
  
 ぼかっ 
  
 往人どのが美凪を小突いた。 
  
「…痛いです」 
  
 珍しく往人どのに頭を叩かれた美凪は感慨深げに呟いた。 
  
「馬鹿やってないで早く行くぞ!」 
  
 そう言い捨てると、往人どのはどすどすと先に歩いて行ってしまった。 
  
「美凪と往人どのは仲が良いね。ふたりの仲が良いとわたしも嬉しい」 
「…でも、負ぶって貰えませんでした…がっくり」 
  
 美凪はわざとらしく肩を落としてみせた。 
 それを、にはは、と笑って返した。 
 美凪と往人どのなら、きっとわたしがいなくても大丈夫。 
 そう思うと少し安心した気持ちと一緒に、ちょっとさみしい気持ちが湧いてきた。 
  
「行こ、美凪」 
  
 そんな気持ちを、笑顔を浮かべてごまかす。 
  
「…はい、往人さまに置いてけぼりにされちゃいますね」 
  
 二人で笑い合うと、わたしたちは先に行ってしまった往人どのを追いかけた。 
  
  
  
  
  
  
 往人どのが追っ手は上手く捲けただろうって判断したから、今晩はゆっくり寝られる事になった。 
 往人どのも美凪も疲れていたのか、いつもよりぐっすりと眠っていた。 
 でもわたしは昼前に往人どのの背中で眠ってたから、そんなに眠くなかった。 
 それにちょっと考え事をしていたから。 
 わたしは音を立てないように起きあがると、そっと二人のもとを離れて森の中を歩いた。 
 聞こえるのは、わたしの微かな足音と、夜の虫たちの声だけだった。 
  
「月がきれい」 
  
 見上げれば雲一つ無く、やわらかな光が空全体を染めていた。 
 その光景に、ふと、社殿にいた頃の事を思い出した。 
 寂しい夢を見た後に気分を紛らわそうと月を眺めていたとき、夜の見回りをしていた往人どのと偶然会った日も、こんなきれいな月の夜だったかな。 
 それはずっと前の出来事のように感じられたけど、よく考えてみれば往人どのと会ってからまだ一月くらいしか経ってなかったんだ。 
  
「あ。いけない、いけない」 
  
 わたしは頭を振ってから、森の中を見渡した。 
 これだけ明るければわたしにでも夜道を歩くことができそう。 
 それを確認して、わたしは二人の元にきびすを返した。 
 起こしてしまわないように静かに近づき、しゃがみ込んでふたりの顔を覗いた。 
  
「今まで本当にありがとう。すごく楽しかった。でもわたし、ふたりにはいっぱい迷惑かけちゃったかな?」 
  
 答えが返ってくることはもちろんなかった。 
  
「往人どのも美凪もわたしがいなくても大丈夫だよね。にはは…」 
  
 そしてわたしは立ち上がり、真っ直ぐと森の中に歩き出した。 
  
 …ざっ 
  
「こら。勝手にどこ行くつもりだ?」 
  
 その声に、わたしの背中がびっくっと跳ね上がった。 
  
「ちょっと散歩…」 
  
 恐る恐る振り向いた先にはさっきまで眠っていたはずの往人どのが立っていた。 
  
「“今までありがとう”なんて言い残して散歩に行くやつがいるか」 
「起きてたんだ…」 
  
 いたずらがばれた子供のように、わたしはしゅんと肩を落とした。 
  
「おまえの様子が変だったから、まさかと思ってな」 
  
 そう言って往人どのは顎でくいっと横を指した。 
  
「…というわけです」 
  
 そこには往人どのと同じようにさっきまで寝ていたはずの美凪が立っていた。 
 ますます気まずくなって、わたしは逃げ場を探すように俯いた。 
  
「迷惑ついでだ。ちゃんと訳を話せ」 
  
 声の様子から、ちゃんと説明するまで放してもらえそうになかった。 
 ふたりは許してくれないだろうなと思いつつ、わたしは諦めて口を開いた。 
  
「わたし、これからも往人どのと美凪にはきっと迷惑をかけると思う。だから、ふたりを困らせないように、わたしは二人と別れようかなって」 
「まだ気にしてるのか、おまえ? 翼人について書物にどう書いてあろうと、おまえには関係ない話なんだよ」 
「そんなことない。だって、聖さんのところでぼやが出た時とか、往人どの酷い顔してた。それってきっとその話を信じてたからだと思う。違うかな?」 
「それはだな…」 
  
 往人どのはさっきまでの勢いを失って、気まずそうな表情で言葉を探し始めた。 
  
「往人どのも美凪も優しいから、きっとわたしのこと見捨てられない。だからわたしの方からひとりになった方がいいと思う。わたし、気が付いたときからひとりぼっちだったし、そういうのには慣れてるから平気。それに、わたしには往人どのや美凪みたいな友達はもったいない」 
  
 二人を不安にさせないように、わたしは努めて笑顔を浮かべた。 
  
「うん、わたしにはもったいない」 
  
 だけど往人どのの表情はどんどん険しくなっていった。 
  
「じゃあ、さっさと出て行けよ」 
  
 低く押し殺した声に、わたしは少しすくんだ。 
  
「…往人さまっ」 
  
 咎めるように美凪が囁いたけど、往人どのはそれを無視して続けた。 
  
「本当にひとりぼっちになるのが平気なんなら、今すぐ行っちまえ」 
「う、うん…言われなくてもそうする。じゃあね、二人とも」 
  
 わたしは二人に背を向けると、震えが止まらない足で一歩踏み出した。 
 そして二歩め、三歩めと…。 
  
 …。 
  
 ……。 
  
「…どうした?」 
  
 背中越しに往人どのの声が聞こえた。 
  
「一歩進んだだけで足が止まってるぜ?」 
  
 …あれ? 
 なんで足が動かないんだろ? 
 ほら、こうやって一歩前に。 
 一歩前に。 
  
 …。 
  
 ……。 
  
 …それでも、足は動かなかった。 
  
「にはは…前に進めない、不思議」 
  
 いつの間にか涙が滴となって頬を流れた。 
  
「どうしてかな…ひとりぼっちに戻るんだなって思ったら、すごく、苦しいよ」 
  
 二人の元を離れなきゃと思う気持ちと、いつまでも一緒にいたいという気持ちの狭間で、胸がぎゅっと締め付けられる。 
  
「わたし、間違ってるのかな? 往人どのや美凪に迷惑かけたくないって思うの、間違ってたのかな?」 
  
 止まらない涙を拭いながら、わたしは二人の方に振り向いた。 
  
「わたし、翼人なんだよ? わたし、頭が悪いから自分のこともよく知らないけど…でも、きっとこれからも、往人どのや美凪には迷惑をかけていくと思うよ? もしかしたら、また怪我をさせてしまうことだって…」 
「…迷惑じゃないです」 
  
 美凪が静かに、そして力強く言った。 
  
「…迷惑なわけないじゃないですか。…私たちは観鈴さまと一緒にいたいから、こうして一緒にいるだけです。…もし本当に翼人の呪いがあったとしても、そんなのへっちゃらです」 
「でも…」 
「…観鈴さま。…私の幸せは、観鈴さまと一緒にいることです」 
  
 美凪は柔らかく微笑んだ。 
  
「…これは私の我がままです。…だから、観鈴さまが私のことを嫌いになっても…私は観鈴さまにずっと付いていっちゃいます」 
  
 そう語る瞳に、わたしはあの夜、美凪が新しく歩み始めたときのことを思い出した。 
 美凪は自分の罪滅ぼしのために生きていくことを止めて、自分が幸せになるために生きる決意をした。 
 その真っ直ぐな気持ちが、私に向けられていた。 
  
「大体、俺達に友達になってくれって言ったのはおまえの方だろ? そのおまえが今度は勝手に友達願い下げだなんて言うのはズルじゃないのか」 
「往人どの…」 
  
 わたしが初めて会ったときには人と関わるのを面倒臭がっていた往人どの。 
  
「おまえは我慢しすぎなんだよ。もっといろんなものを欲しがれよ。俺や美凪と一緒にいることなんて贅沢にもならないぜ?」 
  
 でも、わたしたちと過ごしている中で誰かと過ごす心地よさを知って、今ではこの生活を守るためにわたしたちの中で一番頑張ってくれている。 
  
「いいのかな、わたし。往人どのや美凪と一緒にいても…」 
「…はい…観鈴さまが一緒にいたいと思っているなら、全然問題ないです」 
「いっぱい迷惑かけちゃうと思うよ?」 
「馬鹿、おまえのおかげでもうとっくに迷惑には慣れてるんだよ」 
「きっと、後で後悔すると思うよ?」 
「…もし後悔するとしたら、それはここで観鈴さまと別れてしまった事の方です。…それは、観鈴さまも同じですよね?」 
「美凪…」 
  
 辛くて涙が出てるのか、嬉しくて涙が出てるのか、よく分からなくなってきた。 
  
「思い出せ。なんで俺達は危険を冒してまで社殿を抜け出してきたんだよ? 俺達にとっておまえは“翼人”じゃなくて“友達”、それでいいだろ」 
  
 そう言って往人どのはわたしの頭をくしゃくしゃとかき回した。 
  
「往人どのっ」 
  
 わたしは往人どのの胸に飛び込んだ。 
 そこはとても暖かくて心地よかった。 
 そして後ろからは美凪が、わたしを包み込むようにそっと抱いてくれた。 
  
「わたし、往人どのや美凪と一緒にいたい。ずっとずっと一緒にいたい」 
「ああ、好きにしろ」 
「…私も、ずっとずっと一緒です」 
  
 今までは寂しい夢を見るたびに、ひとりぼっちで夜空を見上げながら寂しさを紛らわせていた。 
 …でも、今は違う。 
 寂しい夢から覚めた後には、往人どのと美凪が傍にいる。 
 寂しい思いをするのは、もう夢の中だけでいいんだ。 
  
 そしてその夜はみんなで寄り添いながら眠った。 
 その日見た夢は、とても幸せな夢だった…。 
  
  
  
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 
  
  
  
  
 次の日の朝、わたしたちは食事をしながらこれからのことを話していた。 
  
「…これから、どこに向かうんですか?」 
「さあな。ただ、今回のことでこの辺りも危ないってことが分かったし、安心して暮らせそうなところが見付かるまでにはしばらくかかるだろうな」 
  
 お手上げといった感じで肩をすくめた後、往人どのはご飯を口の中に放り込んだ。 
  
「あ、もしよかったらなんだけど…いいかな?」 
「何だ? 言ってみろ」 
  
 もぐもぐと口を動かしながら、往人どのは先を促した。 
  
「わたし、もうひとりの翼人に会ってみたい」 
  
 それは聖さんの話を聞いてからずっと考えていたことだった。 
  
「もう一人のって…聖が言ってた、高野山にいるって奴のことか?」 
「うん。わたし、もっと自分のことについて知りたい。わたしがどうやって生まれたのか。翼人の呪いが何なのか。その人に会えば分かる気がするんだ」 
  
 もし自分のことについてもっと知ることができたら、もしかしたら呪いを和らげる方法が分かるかも知れないという期待があった。 
  
「…それに…もしかしたらその方は観鈴さまの母上かもしれませんしね」 
「お母さん、かぁ…」 
  
 実感は湧かないけど、今まで見てきたあの夢のこともあるし、呪いのことと同じくらい興味があった。 
  
「だが、高野山が俺達のようなやつを易々と入れてくれる気はしないな。強行突破しようにも、あそこの僧兵は手練れなので有名だしな」 
「…それに、あそこは翼人の力を封じ込める程の術を持っているというのを耳にしたことがあります」 
「じゃあ、まず最初はお願いしてみて、普通に入れるかどうか試してみてからっていうのはどうかな?」 
「おまえ、自分が行方不明でお尋ね者の身になってるのを忘れたのか? そんなことしたら即捕まるに決まってるだろ」 
「そっか…なら、無理だよね」 
  
 往人どのや美凪と一緒にいることにも充分満足していたし、始めからあまり期待していたわけじゃなかったけど…改めて無理なんだなって分かると残念だった。 
  
「まあ無理かどうかは知らないが、その翼人に会いに行くってのには反対しないぞ」 
「え? でも危険かもしれないんだよね?」 
「…観鈴さまは、もう一人の翼人の方に会ってみたいんですよね?」 
「う、うん…」 
「…なら、行きましょう。…それに、私も知りたいですから…観鈴さまのことについて」 
「ああ、“毒を食わば皿まで”ってな。おまえの行きたところならどこへでも付いて行ってやる」 
  
 二人がどんな答えを返すか予想は付いてたけど、わたしはそれを確認せずにはいられなかった。 
  
「本当に良いの?」 
  
 その問いに、二人は力強く頷いた。 
  
「…行きましょう、高野山へ」 
  
  
  
  
  
                    −15話に続く− 
  
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<ひでやんさんより> 
 初の観鈴視点での話でしたが、いかがだったでしょうか? 
  
 観鈴になりきったつもりでSSを書いてみると、改めて観鈴の強さを実感させられました。 
 自分の負の体質を受け入れてしまったり、他人のことを考えてあえて自分を遠ざけたり。どんなに辛くて理不尽なことがあっても「にはは」と笑ってみせる、そんなイメージがSSを書いてる間もずっと浮かんでいました。 
 でも、受け入れることや諦めることに慣れすぎて、自分の願いを積極的に叶えようという姿勢を忘れてしまっている。そんな弱さも含め、観鈴らしさを表現できていると感じてもらえれば幸いです。 
  
 ご存じの通り(?)このSSはDREAM編とSUMMER編をかけあわせたアレンジです。 
 観鈴が往人と友達になろうと決意した時、一度は遠ざけた晴子を認めて夢を最後まで見ようと決意した時、困難の中で神奈たち3人の中が深まっていく流れ…そういったものをこのSSに重ねていくと、面白さが2割ほどアップするのではないかと思います。(←もとの数値が低いのであまり意味ないかも知れませんが:笑) 
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りきおです。これまた大幅に遅れてしまい申し訳ありませんでした(汗。 
  
観鈴視点でしたね。 
案外違和感もありませんでしたし、神奈とはまた違った面も見えていたのでは無いでしょうか? 
強そうに見えて、色々とアラがあるのも彼女の魅力ですしねw 
  
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