ふたつの家族(3) 〜冬の災難〜 
  
年が変わってすぐに、わたしは熱を出した。 
そう、いつもの原因不明の持病。 
幸い、わたしは卒業後に進学するつもりはなかったので、勉強についてはそんなに慌てることはなかった。 
ただ、どうしても悔しいのが、学校での生活が送れないこと。 
名雪ちゃんたちと最後の学生生活を送る時間がどんどん無くなってしまうことだった。 
  
「具合はどう?」 
「いつも通りです」 
わたしが熱を出してから、名雪ちゃんは学校の帰りにいつもわたしの家に寄ってくれている。 
祐一くんは柄じゃないからと言ってたまにしか来ないけど、きっとわたしと名雪ちゃんに気を遣っているんだと思う。 
いつもは側にいてくれる朋也くんも、名雪ちゃんか来たときにはさりげなく席を外してくれている。 
学校には行けないけど、こうして毎日名雪ちゃんと話が出来るので、少しは気持ちが落ち着く。 
「早く良くなって、みんなと一緒に学校生活を送って、そして卒業式を迎えたいです」 
「うん、応援してるよ」 
  
「えっとね、渚ちゃん…」 
わたしが熱を出してから1週間ほど経った頃。 
今日も名雪ちゃんは学校の帰りにわたしの家に来てくれていた。 
「どうかしましたか、名雪ちゃん?」 
何か言いづらそうにしていたので、少し助け船を出した。 
「急に決まったことなんだけど、わたしたち、元いた町に引っ越すことになったんだ」 
「えっ?」 
考えてみれば、この町に名雪ちゃんたちが来たこと自体、秋子さんの急な転勤が理由だったのだから、元いた町にいつか戻ることは当然だし、そのことを少しは覚悟していたつもりだった。 
でも、こんなに早く、そのときが訪れるとは思っていなかった。 
「いつ引っ越すんですか?」 
「…2週間後だよ」 
わたしの病気が普通の熱なら、2週間という期間は学校に復帰するのに十分すぎるほどの時間なのかもしれないけど、今までの経験からして、わたしの病気があと2週間で治ることは、多分、無いと思う。 
その後はお互い明るい話をしていたけれど、わたしの心の中は暗い気持ちでいっぱいだった。 
  
水瀬家の引っ越し当日。 
古河家の全員で、水瀬家の人たちを見送りに行った。 
結局、わたしは名雪ちゃんたちと最後の学校生活を送ることができなかった。 
何度か無理をして学校に行こうとしてはみたものの、いつも家の玄関をくぐった頃には体調が悪くなって倒れてしまっていた。 
「渚ちゃん、わざわざ見送りに来てくれてありがとう」 
「お別れの挨拶はちゃんとしたいですから」 
今日も立っているのがやっとの状態だったけど、水瀬家の人たちはわたしの体調を心配するようなことは口にしなかった。 
きっと、悔しい気持ちでいっぱいのわたしに気を遣ってくれているんだと思う。 
そんな素敵な人たちと別れてしまうのが、本当に残念で仕方ない。 
「いつか、名雪ちゃんたちの町に遊びに行きます」 
「うん、大歓迎だよ」 
それは、いつか交わした言葉。 
水瀬家の人たちと過ごしたあの頃にはもう戻れないんだ。 
何もかも変わらずにはいられない。 
楽しいことも、嬉しいことも全部、変わらずにはいられない。 
そう思って、坂の下で立ちつくしていたあの頃。 
でも、今なら立ちつくすことなく前に進むことができるだろうか。 
「名雪、そろそろ行くわよ」 
いつも通りの穏やかな声で秋子さんが別れの時を告げた。 
「またね、渚ちゃん」 
「はい。また、です」 
去っていく車に向かって、わたしはいつまでも手を振り続けた。 
  
水瀬家の人たちが引っ越してから数日後。 
「渚、朋也さん。お話があるんですけど、ちょっといいですか」 
いつになく真剣な面持ちのお母さん。 
その様子に、わたしと朋也くんは顔を見合わせた。 
「冷静に聞いて下さい。祐一さんから連絡があったんですけど、秋子さんが事故に遭ったそうです」 
「えっ?」 
「それで、秋子さんの容態は?」 
身を乗り出すような勢いでお母さんに尋ねる朋也くんの横顔には、最悪の事態を予測している色が見えた。 
「…今はまだ、意識不明の状態だそうです」 
現実味が湧いてこないということを、身をもって体験した。 
  
悲しんでいるだろう名雪ちゃんたちに会いに行かなくてはと思って外出しようとしたけれど、まだ熱が治っていないわたしの体調では無理だった。 
だから、わたしは今も布団の中にいる。 
「朋也くん。わたし、何もしてあげられません。名雪ちゃんたちが苦しんでいるのに、力になってあげることが出来ません」 
「渚がそんなに思い詰めていても仕方がないだろ」 
朋也くんは慰めてくれるけど、こんな時に自分のことで精一杯なのが悔しくて、情けない。 
相沢くんのあの電話の後、水瀬家とは連絡が取れていない。 
きっと電話に出るどころではない状態なのだろう。 
「朋也くん、わたしの代わりに名雪ちゃんたちの所に行って来て下さい」 
「でも、俺に何かできるのか」 
「朋也くんなら大丈夫です。力になってあげることが出来ます」 
朋也くんは否定の言葉を口にしようとしたようだけれど、その言葉を飲み込み、わたしに言い聞かせるようにゆっくりと口を開いた。 
「…分かった。渚の気持ち、ちゃんと伝えてくるな」 
  
何かを待つというのはこれほどまで辛いことだっただろうか。 
朋也くんが出かけている間、わたしは布団の中から窓の外を眺めていた。 
「あっ、雪です」 
少し時期外れの遅い雪が、ぱらぱらと降ってきた。 
この白い雪に包まれた町で、名雪ちゃんはどんな思いでいるのだろうか。 
秋子さんのことで、名雪ちゃんが自分の殻に閉じこもっていなければいいなと思う。 
祐一くんが名雪ちゃんの支えになってあげられていたらいいなと思う。 
朋也くんが二人の力になってあげられたらいいなと思う。 
たくさんの想いが浮かぶけれど、地面に辿り着いてしまった雪がすぐに溶けて無くなるように、浮かんできただけのわたしの想いは二人の元に届くことなない。 
そんな繰り返しの思考を断ち切るように、ノックの音がした。 
「渚、入るわね」 
「どうぞ」 
お母さんと一緒に、お父さんも一緒に部屋の中に入ってきた。 
二人が何も言わずわたしの側に座った後も、しばらく沈黙が続いた。 
ストーブの低い音と、雪の降る気配だけが部屋に響いていた。 
「わたし、泣いてもいいですか?」 
何かに耐え切れなくなったように、その言葉がわたしの口からこぼれ落ちた。 
「こんなに辛くて悔しい時ぐらい、泣いてもいいですか?」 
「ああ、我慢せずに泣け」 
そして、わたしはしばらく泣いた。 
お父さんたちが側にいてくれた事もあり、泣き終わってからは少しは気分が落ち着いた。 
  
夜になって、朋也くんが帰ってきた。 
朋也くんが語る状況は良くなかった。 
名雪ちゃんは悲しみに囚われてしまったらしい。 
祐一くんの呼びかけにも反応しないらしい。 
全てを拒絶してしまっている今の名雪ちゃんは、創立者祭の時のわたしと少し似ている。 
悲しみに囚われて、立ち止まってしまったわたしと。 
でも、何かきっかけがあれば。 
きっかけがあれば、自分の殻を破り、悲しみを受け入れて前に進むことが出来るはず。 
悲しいときも、自分が一人ではないことに気付きさえすれば。 
わたしは祈っていることしかできないけれど、少しでも事がよい方向に運ぶことを祈るしかない。 
  
「渚、電話ですよ」 
秋子さんが事故に遭ってから1週間ほど経った日、名雪ちゃんから電話があった。 
「お母さんの意識が戻ったんだよ」 
「本当ですか!?」 
「うん。お医者さんが言うには、思っていたほど悪い状態ではないから、問題なく回復するだろうって」 
「本当に良かったです」 
「うん。色々と心配かけちゃったね。本当にありがとう」 
電話で聞く名雪ちゃんの声は元の明るさを取り戻しているように思えた。 
相沢くんと支え合ってうまくやっている様子に安心した。 
わたしの病気は今回のこともあって全然良くなっていないけど、きっと良い方向に進む気がする。 
春はもう近くなっているから。 
目指すは、できるだけ早く学校に通うことと、朋也くんたちと一緒に卒業式に参加すること。 
  
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 ひでやんさんから頂いたSS,3話目です。少しシリアスな展開に変わりつつあります。最終話もお楽しみに! 
  
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