ふたつの家族(4) 〜卒業式〜 
  
卒業式の日、その日をわたしは家で迎えることになった。 
朋也くんたちと一緒に迎えることの出来なかった卒業式。 
名雪ちゃんたちと一緒に迎えることの出来なかった卒業式。 
叶えられなかったことが、悔しい。 
  
気が付けば桜の花も咲き始め、もうすぐ新年度が始まる頃。 
わたしと朋也くんはそれぞれ就職が決まっていた。 
仕事といっても、わたしは朋也くんのような立派な仕事ではなく、パートだったけれど。 
一方、名雪ちゃんと相沢くんは進学することが決まっていた。 
これからはそれぞれ違う道を進もうとしている。 
「渚。次の日曜、空いてるか?」 
夕食の席で、朋也くんが尋ねてきた。 
私たち二人はお父さん達と離れ、アパートに引っ越してきたばかり。 
今はわたしと朋也くんの貯金からお金を出し合っているけど、来月からは仕事の給料だけでやりくりしていけるはず。 
「はい、大丈夫です」 
まだ仕事は始まっていないので、二人揃って特に予定はなかった。 
「じゃあ、デートに行こう」 
「はい、喜んで。ところで、どこに行くんですか?」 
「それは秘密だ」 
何か隠し事でもあるのか、朋也くんが意地悪そうに言う。 
「そんな風に言われると気になります」 
「気になるかもしれないけど、秘密にしておいた方が楽しいこともあるだろ?」 
「そうですか。では、秘密のまま楽しみにしています」 
「それでな、デートは学生服を着てしたいんだけど」 
朋也くんの突然の提案にわたしは驚いた。 
最近は学生服を着てデートをするのが流行っているのだろうかと少し思ったけれど、それはないか。 
「朋也くん、わたしたち、もう卒業しちゃってます」 
それに加えて、卒業してから学生服を着るのは恥ずかしい。 
「卒業してからまだ少しか経ってないし、新学期も始まってないから構わないだろ?」 
朋也くんの言うことは間違っていないし、朋也くんも一緒に学生服を着るのだから、それほど嫌というほどでもないような気がしてきた。 
「わかりました。少し恥ずかしいですけど、朋也くんがそう言うなら学生服を着てデートしましょう」 
  
そして日曜日。 
約4ヶ月振りに着る学生服に、懐かしさと少しの違和感を覚えた。 
もう二度と着ることのないと思っていた学生服をこのような形で着ることになったから、そのように思うのだろうか。 
あの頃を懐かしんでいるわたしは、もう学生では無いということの裏返しであると思うと、少し寂しく感じられる。 
朋也くんと手を繋いで歩く青空の下では、至る所で春が勢いを増している。 
「朋也くん、この方向ということは、目的地は学校ですか?」 
見慣れたT字路に差し掛かったので、わたしは尋ねてみた。 
「ああ。実は隠れたデートスポットなんだ。今日という日に最適のな」 
朋也くんが自慢げに言う。 
学校に行けば、朋也くんが今日の行き先を秘密にしていた理由も分かるのだろうか。 
  
「きれいです」 
校門前の坂道の桜並木は満開に近い咲き具合だった。 
この時期ならではの桜のトンネルの中を歩いていると、小学校の卒業式で、卒業生が在校生の持った花のアーチをくぐりながら卒業していく風景をふと思いだした。 
「これを見せるために今日の行き先を秘密にしてたんですか。ありがとうございます」 
「いや、こんなのはまだまだ序の口だ」 
そう言って朋也くんが見上げた坂の先には、わたしたちの方に駆け寄ってくる一人の少女の姿。 
風になびく長い髪、人なつっこくこっちに向かって振られる手。 
それらの全てが懐かしい感覚を思い出させる。 
「渚ちゃ〜ん」 
懐かしい声。 
もうこの場所で会うことはないと思っていた声の持ち主が、確かに目の前にいる。 
「えっ、名雪ちゃん?」 
坂を駆け下りてきた勢いそのままで、名雪ちゃんがわたしに抱きついてきた。 
名雪ちゃんも嬉しさのあまり勢いをつけすぎたのか、わたしと名雪ちゃんはそのまま姿勢を崩した。 
「わっ、わっ」 
予想外の事態に慌てる名雪ちゃんの襟がぐいっと掴まれ、わたしたちはなんとか倒れずに済んだ。 
「自分の遊びに勝手に他人を巻き込むなよな、名雪」 
すんでのところで名雪ちゃんの襟を掴んでいたのは、相沢くんだった。 
「遊んでなんかないし、巻き込んでもいないよ〜」 
「喜びに我を忘れていただけだよな」 
「う〜、岡崎くんも言葉が悪いよ〜」 
困った様子で名雪ちゃんが腕をぱたぱたさせている。 
「それにしても、二人ともお久しぶりです」 
「うん、久しぶりだね。とっても会いたかったよ」 
「わたしも、会えてとても嬉しいです」 
名雪ちゃんと相沢くんの顔を見ていると懐かしさがこみ上げてくる。 
でも、懐かしさを感じさせるものはそれだけではなかった。 
「ところで、どうして名雪ちゃんたちまでこの学校の制服を着ているんですか?」 
もちろん二人とも既に卒業している身だし、それに着るとすれば名雪ちゃんたちが長い間通っていた学校の制服のはず。 
「俺は名雪に騙されて学生服を着さされてしまっただけだ」 
「えっ、そうなんですか?」 
「嘘だよ。祐一、照れてるからそんな風に言うんだよ」 
「それに、制服を着てるのは俺たちだけじゃないんだぜ」 
そう言いながら朋也くんが向ける視線の先、校門の奥には同じ学生服を着た人々が見えた。 
そこには、仁科さん、杉坂さん、坂上さん、藤林姉妹、そして芽衣ちゃんがわたしたちを待っていた。 
「渚ちゃん、久しぶり」 
親しいようで違和感のある黒髪の男の子がやってきた。 
「おまえ、誰だ?」 
その男の子に向かって真剣に尋ねる相沢くん。 
「マジで言ってるの!? なあ岡崎、相沢に何か言ってやれ」 
「俺にも誰だかわからん」 
朋也くんも即答。 
「あんたら酷いっすねぇ!春原だよ、春原!」 
「いや、髪が黒かったから分からなかった。すまんすまん」 
「俺は男の顔は3日で忘れる性格なんだ。悪いな」 
「言葉から全然誠意が感じられないんですけど…」 
肩を落とし、うなだれる春原くん。 
実はわたしも春原くんだと気付くまでに時間がかかったんだけれど。 
先程から気になっていたことを、わたしは聞いてみることにした。 
「あの、皆さん、今日はどうしたんですか?」 
懐かしい面々がみんな制服で集まって来ているのを見れば、今日ここで何かがあることぐらいはわたしにも見当が付く。 
「卒業式だよ」 
「え?」 
名雪ちゃんの言葉に耳を疑った。 
卒業式は、どこももう終わってしまっているはずなのに。 
「渚と、その親友一同のな」 
朋也くんが晴れ晴れしくそう言った。 
今日の秘密とはこのことだったんだ。 
「では、始めるかのう」 
校庭の影から幸村先生がそう言いながら出てきた。 
  
青空はどこまで広がっているのだろう。 
私たちの歌う高らかな校歌はその青さに溶け込んでいくように感じられる。 
誰もが精一杯歌っているのを、みんなの声が一つになって響き合っているのを、わたしは歌いながらじっくりと感じていた。 
「卒業証書授与」 
司会を務める仁科さんの凛々しい声が響き、幸村先生が前に立つ。 
「古河 渚」 
「はい」 
名前を呼ばれて、わたしは前に出た。 
受け取った卒業証書は、想像していたよりも重く感じられる。 
この学校での思い出が詰まっているからだろうかと、そう思った。 
「…相沢 祐一」 
「え?」 
突然自分の名前を呼ばれて戸惑う相沢くん。 
「なにをぼさっとしておる。早く前に出て来なさい」 
確かにこの学校にいたこともあったが、相沢くんが卒業したのはこの学校ではない。 
それにも関わらず、相沢くんに渡される卒業証書。 
「これぐらい、大したこともないわい」 
どうやって卒業証書が用意されたのか分からず、きょとんとしていた相沢くんに、幸村先生は優しく笑いながら言った。 
説明になっているようでなっていない気もするけれど、一緒に卒業できるのは嬉しい。 
そして。 
「水瀬 名雪」 
今年最後の卒業生の名が呼ばれた。 
  
坂上さんの送辞の後、卒業式を締めくくる答辞となった。 
みんなの前に立っているわたし。 
色々な思い出がこみ上げてくる中、わたしはゆっくりと口を開いた。 
「ここでの学校生活、色々なことがありました。わたしは引っ込み思案で、友達をつくるのが苦手で、なかなか友達が出来ませんでした。それでも2年の終わりには、何とか友達の輪にはいることができるようになりました。そして、次の年はもっと友達を増やそうと、そう思いました」 
しかし、わたしはいつも大事なところでその機会を逃してしまう。 
「でも、次の年には体調を崩してしまい、ほとんど学校を休んでしまいました。そして、次に学校に行くことができたのは、みんなが卒業してしまってからの、始業式の2週間後でした。時の流れは止まることはなく、何もかも変わらずにはいられない。学校でのわたしの居場所はもう無いんだ、そう思うとわたしは一歩も動けませんでした」 
そう、1度は嫌になってしまった学校。 
「でも、そんなわたしの背を押してくれたのが、朋也くんでした。変わっていくのなら新しい楽しみを見つけるまでだと、わたしを励ましてくれました」 
それが、全ての始まりだった。 
「それからは色々なことがありました。演劇部の再建のために走り回ったり、そのためにバスケットをしたこともありました。バスケットで勝つことが出来たのはみんなの力が一つになったからだと思います。」 
わたしは演劇部の再建を通じて、たくさんの人に出会い、支えられた。 
「そして、創立者祭では演劇をしました。舞台の上では泣いてしまいましたけど、やりきることが出来ました。わたしはいつの間にかたくさんの人たちに支えられていました。だから、やりきることが出来たんだと思います」 
こんな弱いわたしだったけど、みんなの夢が一つになって、夢を叶えることができた。 
「その後、名雪ちゃんと相沢くんが転校してきました。友達作りの苦手だったわたしだったけど、名雪ちゃんとは直ぐに仲良くなりました。」 
それが、2つ目の転機。 
「名雪ちゃんと過ごす毎日は楽しかったです。今まで友達のできなかったわたしだったけど、最後の学生生活でたくさんの素敵な友達ができました。楽しい日々はいつまでも続くものだと思っていました」 
本当に、いつまでも続くものだと信じて疑わなかった。 
「でも、年が明けてすぐに、わたしは体調を崩しました。残された学校生活を、わたしは布団の中で過ごさなくてはいけませんでした。それでも、少しでも多くの時間を、最後の学校生活を、みんなと一緒に送りたいと思いました。そして、一緒に卒業式を迎えたいと思っていました」 
願い続けていれば叶うと思っていた。 
「そんなとき、名雪ちゃんたちの引っ越しが急に決まりました。そして、名雪ちゃんたちと一緒に卒業式を迎える夢は叶わなくなりました」 
夢が一つ叶わなくなった瞬間だった。 
「その後もわたしの体調は戻りませんでした。ようやく治った時には、わたしは卒業してしまっていました。最後の学校生活だけでなく、最後の卒業式さえも、わたしは参加することが出来ませんでした。みんなと一緒に過ごすことは叶いませんでした」 
辛いことが思い出されて、少し言葉に詰まった。 
「この学校での4年間、辛いことがたくさんありました。それでも…それでも、わたしは…この場所が好きです」 
そう、思い出は辛いことばかりじゃない。 
「たくさんの人に支えられ、一緒に頑張って、たくさんのことを叶えることが出来ました。たくさんの思い出も作りました。今まで夢でしかなかったことを、本当にいっぱい実現することができました。そして最後にはこうして、朋也くんや名雪ちゃんたちと一緒に卒業することができました。叶えられることのない卒業式を、叶えることができました」 
今ここにいることができる自分が嬉しくて、涙が出そうになる。 
「だから、わたしは、この場所が、ここに集まってくれたみなさんが、本当に大好きです」 
溢れてきそうな涙を堪えながら、今胸に込み上げてくる一番の言葉を口にした。 
途中で泣き出すことなく、最後までちゃんと言えた。 
「ふむ。卒業、おめでとう」 
「…ありがとう、ございます」 
最後の言葉を口にした途端、涙が溢れてきた。 
そして、校門の方から湧き上がる拍手。 
そこにはお父さんとお母さん、伊吹先生、美佐枝さん、そして秋子さんがいた。 
みんな口々に祝福の言葉をかけてくれる。 
「手を繋いで帰りましょう」 
涙を拭って、わたしは朋也くんにそう言った。 
朋也くんがいつか言っていた夢を叶えるために。 
卒業生を送る桃色のアーチとなっていた桜並木の中を、わたしたちは歩いた。 
本当にここは、わたしにとって、願いが叶う場所だったと思う。 
ここを離れてしまっても、今のわたしは迷わず探すことができると思う。 
新しい環境で、新しい、願いが叶う場所を。 
  
その日の夜、わたしの家では久々に古河家と水瀬家の面々が、賑やかに料理の並ぶテーブルを囲っていた。 
「秋子さん、元気になって本当に良かったです」 
「あら、渚ちゃん。わたしはいつでも元気ですよ」 
「お母さん、心配をかけておいてそれはないよ」 
「それもそうね。本当に今回はみなさんに心配をかけてしまいましたね」 
ぺこりと頭を下げる秋子さん。 
「心配をかけたと言えば、今回の名雪にも手こずったけどな」 
場を和ますように相沢くんがため息混じりに言った。 
「あれは仕方なかったよ」 
「その仕方なかったで、俺は危うく凍死するところだったんだぞ」 
「それはちゃんと謝ったよ〜。あのとき祐一を見つけた後にキ…」 
ぼかっ。 
相沢くんが慌てて名雪ちゃんの頭を殴った。 
「祐一、何で殴るの?」 
「お前が変なことを言おうとするからだ」 
「え?」 
名雪ちゃんは今になって、自分が何を言おうとしていたのに気付いて驚いている様子だった。 
「祐一さん、暴力はいけませんよ」 
秋子さんが柔らかく注意した。 
「そうですよ。それに、そういう話もたまにはいいじゃないですか」 
そう言うお母さんの横で、お父さんはニヤニヤしながら、顔を赤くした名雪ちゃんと相沢くんを見ていた。 
「青春ですね」 
微笑みながら頬に手を当て、秋子さんがそう言った。 
「はいっ」 
お母さんも、二人を見ながら秋子さんの言葉に相づちを打った。 
本当に、あの頃と変わらないやりとり。 
でも、私たちは新しい道を歩き始めている。 
それぞれが、お互いに離れ、違う道を進もうとしている。 
それでも、わたしたちは今のように笑っていられるだろうか。 
ううん、それは少し違うかな。 
そういうことは、過去や思い出と比較するものではないのだろう。 
次に会うときは、わたしたちは新しい場所で、新しい笑顔を見せているんだと思う。 
離れてしまっても、違う道を進んでも、わたしたちの家族の間にある絆はずっと続いていくのだろう。 
どんな困難があっても、前に向かっている限り。 
  
  
  
〜おまけ〜 
  
  
「で、やっぱりこうなるのか」 
ため息を吐く朋也。 
「名雪が止めないからだぞ」 
とりあえず名雪に責任追及する祐一。 
「わたしのせいじゃないよ」 
困った顔で呟く名雪 
「食べるしかないんでしょうか?」 
最後の選択肢を口にする渚。 
一同の目の前には5つの色が鮮やかな調和を織りなす、レインボーパン。 
それぞれの色のジャムを練り込んだ生地をひねり合わせて焼き上げられた、レインボーパン。 
秋生に「お前達のコンビは最高だが、お前達のコラボは最悪だあぁぁー!」と言わせ敵前逃亡をさせた、レインボーパン。 
「遅くなりましたけど、秋子さんの退院祝い兼みなさんの門出祝いです」 
すっかり泣きやんだ早苗が笑顔で言った。 
「遠慮せずにたくさん食べてくださいね」 
秋子もいつもの穏やかな笑顔で言った。 
「…再び訪れた日常にレインボー」 
「祐一、笑えないよ…」 
そして日常は続いていく。 
いつまでも、どこまでも。 
  
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 いかがでしたか? 最後の部分は加筆修正してもらったものを載せています。かなり上手くまとまって、良いオチになったと思うのですが、どうでしょう? 
  
 ひでやんさんによると、またSSを書きたいと思っているようなので、次回作も期待ですね。 
  
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