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28   ★「ふたつの家族 〜珍獣、駆ける〜<作・ひでやんさん>
更新日時:
2006.10.25 Wed.
「ふたつの家族 〜珍獣、駆ける〜」
 
 
 俺たちは昼休みに教室に集まって購買のパンを食べていた。
 渚と名雪が仲良くなってからというもの、こうして4人揃って昼食を取ることが多くなった。
 楽しげな声に包まれていると、名雪と相沢が引っ越してきてからは俺の学校生活は今まで以上に賑やかなものになってきていることを改めて実感する。
 肩の怪我のためにバスケを失って入学してきたときには決して縁がないと思っていた光景の中に、今の俺はいる。
「朋也くん」
「何だ、渚?」
 窓の外からはこの暑さにもかかわらず元気に鳴く蝉の声。
 この時期はパンが口の中の水分を吸い取ってしまい、結構食べにくい。
 それを飲み物で流し込みながら食べるのも夏の風物詩というものだろうか。
「クラスの人が話していたんですが、学校に猫が迷い込んでいるそうです」
「まあ、そのうちどっかにいくだろ」
 学校に犬や猫が迷い込んで来るなんて事はよくあることだ。
 そして野次馬どもが騒いでいる間に、気が付いたらどこかへ行ってしまっているというのが大方の結果だ。
 この話題については特にあれこれと話すほどのことのものでもなかったので、俺たちの雑談は再び次の話題に移ろうとした。
 だが…
「渚ちゃん、本当なの?」
 飛びつくような勢いで、名雪が渚に聞いた。
「多分本当だと思いますが、どうかしましたか?」
 いつもの様子とは違う名雪の勢いに渚も少したじろいでいた。
「えっ? ううん、何でもないよ」
 さっきの威勢とは打って変わって、何かをごまかそうとしている様子の名雪。
 迷い猫がどうかしたというのだろうか?
「名雪、まさかその猫を見つけて触ろうなんて思ってないよな」
「そんなことないよ」
 言葉とは裏腹に、相沢の言葉に明らかに動揺している。
 このときまだ何も知らなかった俺と渚は、そんな名雪の様子を不思議そうに見ていた。
 
 
「岡崎、渚。ちょっと頼みがある」
 昼食を終えお開きになろうとしたときに相沢が俺たちを呼んだ。
 いつもと違った様子に俺は何かあることを感じた。
「放課後、つきあってくれ」
 相沢は俺たちを近くに寄せて名雪に聞こえないような声でそう言った。
「何かあるんですか?」
「名雪を止める」
 まるで深刻なことを告げるようにそう言ったが、言葉が足りないせいもあって俺たちには相沢の言いたいことがよく分からない。
「分かるように説明しろ」
 俺はじれったくなって少し語気を荒めた。
「実は、名雪は猫アレルギーなんだ。そのくせ、猫が絡むとキャラが変わるくらいの猫好きだ」
「凄いジレンマです」
 渚が感慨深げに言った。
「そういうわけで、あいつは放課後必ず迷い猫を探しに行くはずだ。だから、猫と接触する前に名雪を捕まえるというわけだ」
「少し大げさじゃないか?」
 相沢の言うことはもっともだが、何も猫アレルギーでそんなに慎重にする必要はないのではないかと思う。
 大体、当の名雪が喜んで猫に触ろうとするのだから、俺たちがどうこう言うことじゃないんじゃないか?
「何を頼んでも『了承』としか言わないあの秋子さんでさえ、名雪が猫に接触することだけは禁止しているんだ。とにかく頼む」
 その言葉に俺は息をのんだ。
 そんな状態の名雪を見てみたい気きもするが、秋子さんが禁止にする程のことなのだから止めといた方が身のためなのだろう。
 そんなことを考えながら渚の顔を伺ってみると、渚と目が合った。
 あっ、という感じで渚が少し慌てたような表情をした。
 少し興味があったんだろうな、渚も。
「分かりました。手伝います」
「はぁ…分かったよ」
 面倒だが俺も手伝うことにした。
「あのー、僕のこと忘れてませんか?」
 ああ、見事に忘れてた。ヘタレの存在を。
 そういえばさっき俺たちと一緒に昼食を取っていたということが、記憶の片隅にかろうじて残っていた。
「じゃあ、春原も一応数に入れておくか」
「一応って言葉が余計なんですけど…。しかも、僕に選択の権利は無いんですかねぇ?」
「当然だ」
 俺はさわやかに答えておいてやった。
 
 
 ホームルームも終わり、放課後になった。
 わたしは相沢くんとの約束を果たすため、すかさず名雪ちゃんの元に行った。
 いつもはのんびりと帰り支度をしているはずの彼女の荷物は既にまとめられていた。
 これも猫が絡んでのことなのだろうか。
「名雪ちゃん、一緒に帰りませんか?」
 名雪ちゃんに今回の計画を気付かれないように、わたしは普段通りに話しかけた。
「えっ? うん、いいよ」
 そう答える名雪ちゃんは、わたしでも分かる程に動揺していた。
 わたしが声をかけなかったら、やっぱり猫に触りに行こうとしていたのだろうか?
 でも、これで名雪ちゃんはわたしと一緒に帰ってくれるから、迷い猫を触りに行くことはない。
 相沢くんや秋子さんが危惧していた状況は無事に回避できた。
 そう思う一方で、猫のために性格が変わった名雪ちゃんを見てみたいという気持ちも少しあったのだけれど…。
 わたしがそう思いながら名雪ちゃんと廊下に出た時に、廊下の向こうで誰か騒いでいるのが聞こえた。
 「あっ、猫がいる」と。
 そう聞こえた瞬間、わたしたちの目の前に例の迷い猫が現れた。
 つぶらな黄色い瞳の黒猫だった。
 にゃあー
 その猫はわたしたちに向かって一声鳴いた。
 何故だかわたしにはこの猫が「ついておいで」と言っているように聞こえた。
 そう思ってわたしが驚いている間に、猫はわたしたちの後ろに走り抜けていった。
 そして猫が走り去っていった先からは他の生徒の声があがっていた。
 その声を聞きながら、わたしは猫が走り去っていった方向をしばらく見つめていた。
 …猫が喋るなんて事、ないですよね?
 気のせいだと自分に言い聞かせ再び歩き出そうとしたとき…
「ねこー」
「!?」
 突然、何か不思議な動物の鳴き声を聞いた。
 わたし、さっきから変な声ばかり聞こえちゃってます!
 きっと今度も幻聴なんだと自分に言い聞かせながら、わたしは声の聞こえた方を恐る恐る向いた。
 視界に入ったのは、心ここにあらずといった目をして猫が走り去っていった先を見つめる名雪ちゃん。
 ということは、さっきの声の主は…
「待って〜」
 わたしが混乱している間に、名雪ちゃんはその言葉を残して猫を追いかけていった。
「あっ、名雪ちゃん!」
 慌てて呼んでみたものの、その声は名雪ちゃんには届いていないようだった。
 どうしようかと慌てていたところ、後ろから誰かが急いで走ってくる音がした。
「くそっ、間に合わなかったか!」
 ホームルームが終わり教室から駆けつけてきた祐一くんが悔しそうにそう言った。
 その後ろには朋也くんも一緒にいる。
「とにかく名雪を追うぞ。俺は1階に行くから、岡崎と渚は2階を頼む」
 相沢くんはわたしたちに的確に指示を出した。
 名雪ちゃんのあの様子と相沢くんの狼狽ぶりから事態の深刻さがようやく伝わってくる。
 わたしたちは頷き、急いで名雪ちゃんの後を追おうとしたとき…
「あのさ、また僕のこと忘れてない?」
 振り向いた先には春原くんがいた。
「…悪い」
 とりあえず簡単に謝る相沢くん。
「まあ、慣れてるからいいんですけどね…」
 そう答える春原くんは悲しそうだった。
 
 
 俺と渚は階段を駆け下り、2階に着いた。
 廊下を見ると、幾人かの人影の向こうに名雪が中央階段を降りようとしているのが見えた。
「渚、追うぞ!」
「はいっ」
 1階には相沢と春原がいるが、念のため名雪を挟み撃ちできるような状態にしようと、俺たちは中央階段の方に向かった。
 渚は必死に俺に付いてこようとするものの、足が遅いため俺より少し遅れてきていた。
「あっ、朋也〜」
 俺が階段に差しかかったとき、ちょうど3階と2階の間の踊り場から杏が姿を現した。
「何だ、杏」
 急いでいたのでぶっきらぼうに答える。
「あれ、もしかして急いでる?」
「この様子を見て、急いでる以外の何がある」
 とりあえず、ため息を吐く。
「とにかく、今忙しいんだ」
「残念ねぇ。ボタンがどこかに行っちゃったから探してもらおうと思ってたんだけど」
「他のやつにでも頼むんだな」
 そう言い残して、俺は追いついてきた渚と階段を降りた。
 
 
 俺と春原が階段を降り終えようとしたとき、ちょうど俺たちの目の前を猫が駆け抜けていった。
 ということは…
「ねこー」
 予想通り、次に猫を追って名雪が現れた。
「もらったぁ!」
 そのかけ声と共に、春原が勢いよく床を蹴った。
 豪快なヘッドスライディングのように、春原の体が宙に舞う。
 上手い具合に飛び出せたようで、名雪との距離は瞬時に詰まる。
 春原の腕が獲物を捕らえようと伸ばされる。
 もう少しで、届く。
 しかし、名雪はとっさに上体をひねった。
 見事にかわされた春原の腕は空を切る。
 驚愕の表情を見せる春原。
 自分を捕まえようとしたのが春原であるということさえも認識していないような様子で、ひたすら猫だけを見ている名雪。
 俺の目にはその様子がスローで見えた。
 べちっっ!
「ぶぐっっ!」
 次の瞬間、春原は名雪が走り抜けた後の壁に勢いよく顔面から突っ込んだ。
 名雪を捕まえることを前提にした飛び込みだったので、かわされればそうなるのも当然だ。
「…死んだか?」
 見事な突っ込みっぷりに、思わずそう聞いてしまった。
「…まだ…生きてる…よ…」
 震える声でそう言い残し、春原は壁からずり落ちた。
「そうか、安心した」
 こいつのことだからそのうち生き返るだろう。
 俺は廊下に伸びている春原を放置して再び名雪を追いかけた。
 姿は見えないが、他の生徒の騒ぎ声がする方向から察するに、名雪は旧校舎に向かったらしい。
 人を避けつつ、渡り廊下を抜けて旧校舎に入った。
 旧校舎は新校舎ほど教室が使われているわけではないので人は疎らだ。
 足を止め耳を澄ましてみたが、騒ぎ声も走っているような足音も特に聞こえない。
 俺を焦らすように、セミの声だけがうるさく聞こえる。
 1階にはいないと思い、2階へ向かった。
 名雪が中庭に行った可能性も頭に浮かんだが、その場合は後から来るであろう岡崎に任せよう。
 階段を上りきったところで廊下を見渡すと、だいぶ向こうの空き教室のドアが開いていることに気付いた。
 その教室からかすかに名雪の声が聞こえたので、俺は急いでその教室へ向かった。
「ねこーねこー」
 俺が教室のドアに辿り着いたときには、教室の隅に追いつめた猫を名雪がうっとりと眺めていた。
 当の迷い猫は名雪に追いつめられているという意識がないのか、気持ちよさそうに毛繕いをしている。
「…かわいい」
 そう言って名雪が猫に向かって手を出し触れようとした瞬間…
「止めろ、名雪!」
 俺は叫ぶと同時に全力で駆けだしていた。
 間に合うのか!?
「祐一?」
 自分の名前を呼ばれ、名雪は一瞬正気に戻った。
 その隙に俺は名雪の腕をしっかりと捕まえた。
「祐一、放してよ!」
「絶対にダメだ」
 抵抗する名雪を放すまいと俺は必死に取り押さえた。
「酷いよ〜。こんなことする祐一なんて嫌いだよ!」
 名雪はなおも抵抗を続けた。
 いつもより言葉がきつい名雪に内心驚きつつも、とにかくこの猫から引き離そうと、俺は名雪を引っ張って教室から出ようとした。
 ふと猫の方を見てみると、そいつは毛繕いを止め、俺たちの様子を眺めていた。
 そして気持ちよさそうに伸びを一つすると、その猫は俺たちに付いて教室から出てきた。
「ほら、猫さんもわたしといたいって言ってる」
 その様子を見た名雪は自信たっぷりに俺に向かって言った。
「気のせいだ」
 対抗して俺もきっぱりと言ってやった。
 それにしても、この猫は俺をからかってるのか?
 いらだちを覚えつつも、さすがに蹴飛ばしたりするわけにもいかないので、俺は猫を睨みつけておいた。
 当然、睨まれた猫は涼しい顔のままだったが。
「相沢、無事かー!?」
 声の方を向くと、廊下の向こうに岡崎と渚がいた。
「ああ、無事に名雪を捕獲したぞ!」
 俺は誇らしげに言ってやった。
「そんな、わたしを動物みたいに言わないでよ〜」
「いや、『ねこーねこー』なんて鳴くやつは立派な珍獣だ」
 後で思い返せば、このとき俺は岡崎たちと合流した安心もあり油断していた。
 その俺の油断を見計らっていたように、猫が岡崎たちの方に急に駆けだした。
「…!? しまった!」
 猫の後ろ姿に気がそれた瞬間に、名雪は俺の手を振り払って再び猫を追いかけ始めた。
「ねこーねこー」
 再び珍獣と化した名雪。
「岡崎、そっちに行ったぞ!」
 幸いにも俺たちは名雪を挟み込むような体勢になっていた。
 俺たちの間には中央階段があったが、さすがの名雪も減速せぬまま90°ターンを決めて階段を駆け下りるのは無理だろう。
 減速すれば、その間に岡崎が名雪に追いつく。
 …しかし、俺のその予想は見事に外れた。
「あっ、待って」
 正面から走ってきた岡崎に驚き、急にターンをして階段を駆け下りていった猫を追って、名雪は減速することなくそのままの勢いで中央階段へと吸い込まれていった。
 リノリウムの床に上履きの組み合わせで、人はあんなにも見事なターンを決めらるのか?
 しかも、普段はぼ〜っとしているあの名雪が、だ。
 その豹変ぶりに、今となっては名雪を捕まえることよりも、秋子さんのあのジャムを食べることの方が容易いことのように思えてきた。
 …俺は想像してみた。
 
『…すいません秋子さん。俺には名雪と猫の接触を止められませんでした』
 敗北を認める俺。
『そう…』
 少し悲しそうな顔をする秋子さんの手には、あのジャムのビンが抱えられていた。
『ところで祐一さん。このジャムをまた試してみますか?』
 先程の表情とは代わって、穏やかな表情を見せる秋子さん。
『…ええ』
 名雪を止められなかったことを償う気持ちが俺の中にあったのか、自然にその言葉が漏れた。
 俺の前に置かれた鮮やかなオレンジ色のジャムが入ったビン。
 綺麗なきつね色に焼けたトーストまでいつの間にか用意されている。
『たっぷり塗って食べて下さいね』
 秋子さんの微笑みに促され、俺はトーストにジャムをたっぷりと塗った。
 憔悴しきった今の俺には、このジャムの色がとてつもなく美味そうに…
 
「見えるわけ無いだろ!」
 そう叫び、俺は現実へと戻った。
 やはりこちらの選択肢も実行不可能だった。
「ふう、危うくあれを口にするところだった…」
 想像の中とはいえ、あの味を再び体験するのは嫌だ。
 俺がそんな馬鹿な想像をしている間に、岡崎たちの姿はもう廊下にはなかった。
 
 
 何か別の世界に旅立ってしまった相沢を置いて名雪を追いかけ1階に下りたときには、既に名雪の姿を見失っていた。
 それにしても、なんていう足の速さだ。
 陸上部に所属しているといっても普段は渚並みにのろまな名雪がこれほどの実力を持っていたとは。
 猫の存在が鍵となり、名雪のリミッターが解除されるのだろうか?
 …嫌な仕組みだ。
 とりあえず中庭も覗いてみたが、やはり名雪の姿は見当たらない。
「名雪ちゃんを見たかどうか、向こうの人たちに聞いてきます」
「ああ、頼む」
 とりあえず渚と別れ、俺は新校舎に戻った。
 すれ違う生徒に猫を追いかけている生徒を見なかったか聞いてみたが、目ぼしい情報は得られなかった。
 トテテテテ…
「!?」
 俺が廊下の曲がり角に差しかかろうした時、突然茶色い固まりが俺の進行方向とは反対側に足下を駆け抜けていった。
「ぷひ?」
 何だ、ボタンか。
 そういえば杏の奴が探してたな。
 そんなことが頭をよぎったため、俺の反応は少し鈍っていた。
 気が付けば、曲がり角を抜けてきた杏の顔が目の前にあった。
 無論、ぶつかった。
「痛ってぇー」
 見事に頭をぶつけてしまったようだ。
 俺の方は体重差で倒れずに済んだものの、杏の方は見事に尻餅をついて倒れていた。
「痛った〜い。ちゃんと前見て歩きなさいよ!」
 杏の方もやっと俺とぶつかったことを認識したようだった。
 杏は頭を押さえながら俺の顔を見てそう言った後、自分の状態を確認して…
「…!?」
 突然、何かに気付いたようだ。
 しかも、何故か一瞬で顔を赤くした。
 俺が視線の先を追って見ようとした瞬間、杏はスカートを押さえながら素早く座り直した。
 …スカートを押さえながら?
 俺の疑問はその行為が意図することに気付く前に、目の前のブラックホール並みにドス黒い気配によって掻き消された。
「あんた、見たでしょ!?」
「何をだ!?」
 杏のすさまじい気配に押され、俺は素っ頓狂な声を上げた。
「とぼけないでよ! この純情可憐な乙女のパンツを…」
 そこまで言ってはっと止まり、杏の顔はさらに赤くなった。
 さすがの俺にも杏が怒り狂っている理由がやっと分かった。
「あーもう、とにかく死刑!」
 杏の手にはどこからか取り出された「イ○ダス」が既に握られていた。
 気のせいか、握られている表紙の部分が指の形に沿ってへこんでいるように見える。
「お、落ち着け杏! 俺は見てない! 被害妄想だ!」
 大体、俺はスカートがめくれていたことにも気付いてなかったのに。
「言い訳なんて往生際が悪いわよ!」
 すさまじい勢いで飛んでくる「イミ○ス」を、俺は「マト○ックス」の例のシーンの如く紙一重で避けた。
 その軌跡に沿って生じた衝撃波が、俺の皮膚に一筋の痛みを描いていった。
 どぐしっっ!
 直後、鈍い音がした。
 …いや待て、俺は確かに杏の攻撃を確かにかわしたはずだぞ?
 まさか杏がこんなに早く次弾を投げつけてくるとは思えないし、仮にヒットしたなら俺はタダでは済まないはずだ。
 体勢を崩し背中を床に打ち付けながらも杏の方を見ると、杏は何故か「しまった」という顔をしていた。
 杏の視線を追い、振り返って見たその先には…
「…渚!?」
 どうやら俺がかわした流れ弾は、俺を追いかけてきていた渚に命中したようだ。
 俺は急いで渚の元に向かい、倒れていた渚を抱え起こした。
「しっかりしろ!」
「渚、大丈夫!?」
 杏もさっきまでの怒りを忘れ、さすがに渚の心配をしている。
「もう、あんたがかわすからいけないのよ!」
 訂正。理由を変えて俺は再び杏に怒られた。
 大丈夫だろうかと心配していたところ、しばらくして渚は目をゆっくりと開いた。
「…あっ、朋也くん」
 まだ朦朧としているものの、どうやら無事に意識を取り戻したようだ。
 杏のあの攻撃を食らったにも関わらずこの速さで復活するとは、渚は意外にも頑丈なようだ。
 渚は自力で上体を起こし、周りをゆっくりと見渡した。
「ごめんね、渚。全部こいつが悪いんだから」
 もとはといえばお前の勘違いだろ! と突っ込みたい衝動を俺はかろうじて押さえた。
 もしそんなことを言ったら、杏に確実に一発食らわされる。
「…あっ、だんごです」
 渚の言葉の意味を測りかねて、俺はその視線を追った。
 渚が見つめる先には、渚のことを心配そうにしながら佇むボタンの姿。
 ボタンがそこにいたことに俺と杏が今まで気付いていなかったのは意外だった。
 …いや、それは置いといてだ。
 渚はさっきボタンを「だんご」と呼んだ。
 そして杏の攻撃が直撃したのは渚の頭部。
 ということは…
「だんご、だんご」
 楽しげにそう言いながら、ボタンに手を伸ばす渚。
「ぷ、ぷひ?」
 さすがのボタンも渚の異変を察知したのか、慌てて走り去っていった。
 トテテテテ…
「あっ、待って下さい」
 そう言ってボタンを追いかけ走り出した渚。
 その場に残された俺と杏。
「…もしかして」
「ああ、多分想像している通りだ…」
 渚は幻覚により、ボタンをだんご大家族のだんごと勘違いしている!
「ぐああぁー! 名雪に加えてまた珍獣が増えてしまったぁー!」
 思わず頭を抱える俺。
「ちょっと、誰が珍獣ですってぇ!」
 プラス、猛獣1匹。
 というか、こいつの勘違いは止まるところを知らなのだろうか?
 とにかく、事態は悪化の一途を辿るばかりだった。
 
 
 完全に名雪を見失った。
 岡崎たちにも合流できないまま、俺は校舎の外を探し回っていた。
 体育館もグラウンドも、いつものように部活前の生徒がいるだけだった。
 そんな様子を見ながら、こんな暑い中によく部活なんかやってられるなという思いが頭をよぎる。
 しまった! 俺は部活よりもよっぽど無意義な名雪の捜索をしてるんだった!
 そう思い、ヘコむ俺。
 それと同時に、急に思い出した事のように疲労感が全身に広がる。
 ああ、こいつらと俺との間には見えない壁があるような気がする。
 この穏やかな日常の中、俺たちだけが非常事態の世界を走り回っている。
 もしかすると名雪は既に止まらないくしゃみと涙にも関わらず、猫と戯れているのかもしれない。
『ねこーねこー』
『にゃあーにゃあー』
『ねこーねこーねこー』
『にゃあーにゃあーにゃあー』
 …想像するだけでも異様な光景だ。
 これを人は微笑ましい光景と捉えるのかもしれないが、俺はこんなことになるのはお断りだ。
 名雪がこうなっていないことを願いながら再び駆けだしたとき、どこからともなく「だんごっ、だんごっ」という声がかすかに聞こえてきた。
 不思議に思って声の方を向くと、ウリボウが走っているのが見えた。
 この学校であんな動物を飼っている覚えはない。
 生物部の部室で飼っているとしたら熱帯魚のようなものが普通だろう。
 もしや、料理愛好会の食材か!?
 いや、そもそも料理愛好会なんて存在してたか?
 というか、普通に考えれば学校に迷い込んできたイノシシだろ!
 そんな自分の思考の暴走にツッコミを入れていると、ウリボウの後方に人影が見えた。
「だんごっ、だんごっ」
 渚が、かつて子供達の間で流行していた歌を口ずさみながら、そのウリボウを追いかけていた。
 さらにその後方には渚を追いかける岡崎と藤林の姉の方。
「渚っ、落ち着くんだ!」
 どうやら岡崎は必死に渚を止めようとしているようだ。
 何やってんだ、あいつらは?
 岡崎たちが見えなくなるまで、俺はしばしその光景に見入っていた。
「ねこー」
「!?」
 俺はその声で我に返った。
 振り向いた先には、駆けていく名雪の姿。
 その様子からすると、まだ涙も流していないし、くしゃみもしていないようだ。
 つまり、まだ猫には触っていない。
「待てっ、名雪!」
 俺は最後の気力を振り絞り、この死闘に決着を付けるべく駆けだした。
 そう、あのジャムを食べなくて済むように…もとい、名雪を止めるために。
 俺は名雪を見失わないよう必死に追いかけた。
 途中で何人かの生徒と肩がぶつかったりして、その度に走りながら「急いでるんだ、悪い」とか言って軽く謝った。
 一方の名雪には全然疲れた様子などなく、人や障害物を上手く避けながら猫を追い続けていた。
 そのまま名雪を追いかけてきたため、今や俺は土足で校舎内を走り回っているのだが、この際気にしていられない。
 それに、追いかけている途中に出くわした教師は名雪の様子に言葉を失い、そんなことを注意できるような状態ではなかった。
 それにしてもよく走る猫だ。
 名雪は長距離走が得意なので(猫に我を忘れているのもあるのだろうが)、疲れを見せないのは当たり前だが、猫って短距離型の動物で長く走れないんじゃなかったのか?
 そういう疑問を、少し重くなってきた俺の足が呼び起こした。
 そして、猫とそれを追う名雪は廊下の曲がり角に差し掛かろうとしていた。
 まずい、これじゃあまた階段のときみたいに引き離される!
 さっきからほとんど距離を詰める事が出来ていない状況にそんな焦りが浮かんだものの、どうしようもなかった。
 …ああ、猫がコーナーに入っていく。
 早くも絶望感に囚われる俺。
 そして…
「ぶみゃっ!」「ぶひっ!」
 お腹を押さえると音が出るぬいぐるみ同士がぶつかったかのような音が廊下の曲がり角でした。
 その音に、俺は呆気に取られた。
 直後。
「「わっ!」」
 猫を見ていたせいで前をろくに見ていなかった名雪が、その猫と同じく誰かと曲がり角でぶつかった。
 あまりに見事にぶつかったのか、あの強敵名雪も頭を押さえて座り込んだままだ。
 突然舞い降りてきた絶好の機会に自然と笑みがこぼれる。
 ありがとう、神様。これで無事に名雪を捕まえられる。
「えっ、渚か?」
 廊下の角に辿り着いて見てみると、名雪とぶつかっていたのは渚だった。
 名雪と仲良く座り込んだまま頭を押さえている。
 ちなみに、猫とぶつかっていたのはさっきのウリボウだった。
 こいつら2匹も目を回して倒れていた。
「う〜、痛いよ〜」
 渚が頭をさすりながら弱々しく言った。
「一体どうしたんだ、相沢?」
 廊下の向こう側から、渚を追っていた岡崎がやってきた。
「この曲がり角でぶつかったらしい」
 そう言って2人と2匹を指さした。
「そうか、やっと止まったか」
「ああ、止まったよ」
 お互い、疲労と共に安堵の表情を浮かべた。
 これで平和な生活に戻れるんだ。
 そう思うと、心底ほっとする。
「なんだか、だんごを追いかける夢を見ていたような気がします」
 名雪が涙目で変なことを言った。
 だんごっ、とか言いながらウリボウを追いかけていたのは渚じゃなかったか?
 岡崎の顔を伺ってみると、俺と同じく困惑した様子だった。
「あれ? 祐一、どうしてそんな困ったような顔してるの?」
 まだ頭が痛そうにしている渚が俺の顔を見てそう聞いた。
 …ちょっと待て。
 渚は俺のことをいつも「相沢」と呼んでいるはずだ。
 しかも語尾にいつも敬語が含まれていたはずだ。
「朋也くんも変な顔をしてます」
 今度は名雪がそう言った。
 待て待てっ!
 名雪は岡崎のことを「朋也」とはほとんど呼ばないはずだ。
 しかも語尾に敬語なんて付けてしゃべらない。
「まさか、岡崎…」
 俺は青ざめそうな顔で聞いた。
「ああ…」
 言葉を返す岡崎も顔が引きつっていた。
 お互い、唾を飲んだ。
「…渚」
「何ですか?」
 岡崎の言葉に名雪が応えた。
「…名雪」
「何、祐一?」
 俺の言葉に渚が応えた。
「…おまえら、自分の髪を確かめてみ」
 2人は岡崎の言葉の意味を不思議に思いながらも自分の髪を触ってみた。
「わっ、いつの間にかわたしの髪が短くなってる!」
「わたしの方は長くなってますっ!」
 …要は、そういうことだった。
 喜んだのも束の間、事態はより深刻な状況を迎えることになった。
 前言撤回、神様なんか嫌いだ…。
 
 
 
〜おまけ〜
 朋也は杏に聞いていた。
「とりあえず、もう一度2人が廊下の曲がり角で頭をぶつけてみるとか?」
「そんなことは俺だって考えつく」
「う〜ん、そうねぇ…2人同時に頭を殴ってみたら治ったりして」
 杏は取り繕うように「なんちゃって」と笑った。
「おまえ、人を殺す気か?」
 ぼこっ!
「何で俺が殴られるんだよ!」
「あんたが失礼なこと言うからでしょ!」
「おまえが古典的ギャグを言うからだ!」
「仕方ないでしょ、思いつかないんだから! あんたのその空っぽの頭が悪いのよ!」
「じゃあ、そう言うおまえだって頭空っぽだろ!」
「何ですってぇー!」
 
 祐一は秋生に聞いていた。
「あん? 思いつかねぇよ、そんな方法」
「頼む、このままじゃ困るだろ?」
「じゃあ、渚に早苗のパンを食わして、名雪の方には秋子さんのあのジャムを食わせてみるってのはどうだ? 案外ショックで人格が元通りに入れ替わったりしてな」
 自分で思いついた案に「こりゃ傑作だな」と言いながら笑う秋生。
「あら、祐一さん。いらっしゃい」
 早苗が買い物から帰ってきた。
「祐一さんも来てたの?」
 秋子も一緒だったようだ。
「ところで秋生さん。さっき元通りに入れ替わるとか言ってましたけど、何の話をしていたんですか?」
「…小僧、後は任せた」
 そう言い残し、ダッシュで店を出て行く秋生。
「待てっ、おっさん!」
 祐一の声がむなしく響く。
「祐一さん、何の話をしていたのか教えてもらえるかしら?」
 秋子に問いつめられる祐一。
 この場をうまく言い逃れる方法を祐一は思いつかなかった。
「名雪、渚。悪く思うなよ…」
 
 その後、入れ替わっていた2人の人格は元に戻ったことが確認されているが、それがどのような方法によるものであるのかは定かではない。秋子さん曰く、「それは秘密です」
 
 
----------------------------------
 
 またまだひでやんさんからSSを頂きました。前作の番外編みたいなヤツですね。
 かなりドタバタしてしまってますが、名雪も渚も、アレには相当イレ込んでいるので、わからなくも無いですねw
 
 感想などありましたら、
 
「Web拍手」
「SS投票ページ」
「掲示板」
 
 などへどうぞ!
 ひでやんさんには、またSSを頂いています。

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