another SUMMER (2) 
  
「…暇だ」 
 俺は昼間から屋敷の見張りをしていた。 
 俺の役職とは本来無縁であるはずの見張りをしなければならないのは、この屋敷に警備のものが少ないからだ。 
 本来この規模の社殿であれば警備の者が今の20名程という数では足りず、その2倍は必要だと思うのだが。 
 まあ、これだけ平和なところなら外からの攻撃に備える必要がないのかもしれないな。 
「衛門どの、交代の時間です」 
「ああ、ご苦労」 
 俺は次の見張りの者と交代し、自分の部屋に向かった。 
 見張りが終われば今度こそ役職本来の仕事が待っている。 
 遣いの者への書状、上役への報告書などの机仕事だ。 
 今までの人生の長い間を戦場で駆け抜けてきた俺にとって、こんな仕事は当然得意な部類ではない。 
 今すぐ筆を投げ出してしまいたい気分だったが流石にそうするわけにもいかず、白紙のままの書状を取り敢えず睨んでいた。 
「…じーっ」 
「どわあぁっ!」 
 驚いて俺は机ごと硯をひっくり返しそうになった。 
 動悸が速くなっているのを感じながら顔を上げてみると、そこには一昨日会った美凪という少女が座っていた。 
「居たんだったら声でも掛けろ」 
 気配を全く感じることが出来なかったことに動揺しながらも、俺は努めて冷静に言った。 
 そう言えば一昨日もこいつの気配を感じることが出来なかったな…。 
「…お取り込み中のようでしたので」 
「ああ、まあな」 
 実際は机に向かって座っていただけなのだが。 
「…あ」 
 何かに気付いたらしい。 
「…機密文章?」 
 美凪は俺がずっとにらめっこしていた白紙の紙を見てそう言った。 
「もしそうだったら俺にも読めんぞ」 
 実際は読んでたんじゃなくて書こうとしていたのだが。 
「…ですよね」 
 分かってたなら初めから聞くな。 
「で、何の用だ?」 
 さっきから全然本題が見えてこないので、俺は先に進むよう催促した。 
「…何でしたっけ?」 
「忘れるな!」 
「…冗談」 
 はぁ…こいつと話をしていると疲れる。 
「…衛門さまに付いて来て頂きたいところがあるのですが」 
「すまんが仕事中で忙しいんだ」 
 俺は、ほれ、とさっきまで書いていた書状を美凪に見せた。 
「…白紙ですが?」 
 しまった、墓穴を掘った。 
 これでは他人から見れば今の俺は暇だと思われてしまうではないか。 
「…では、観鈴さまのご直命ということでしたら来て頂けますか?」 
「ああ、分かった」 
 仮にも翼人である観鈴の勅命ということならば仕事を中断してでも赴かなくてはなるまい。 
 俺は重い腰を上げた。 
 本心ではこの退屈な仕事から離れる口実が出来たことを少しは喜んでいたのだが。 
「ところで、俺の事を『衛門さま』と呼ぶのは止めてくれ。その呼ばれ方には慣れてないんだ」 
 美凪は俺の顔をじっと見た後に口を開いた。 
「…でしたら、『往人さま』とお呼びすることにします」 
「ああ、そうしてくれ」 
 そう言ってから、護手の者達にはそのような注文を付けていなかったことを思い出し、そのことが自分でも少し不思議に感じられた。 
 まあ、気にするほどのことでもないか。 
「…あ」 
 俺がそんなことを考えている間に、美凪が何かをひらめいたらしい。 
「…わたしのことは『なぎー』と呼んでくださっても構いませんので」 
「…いや、折角だが『美凪』と呼ぶことにする」 
 俺は美凪の出所不明の提案を丁寧に断っておいた。 
「…残念、がっくり」 
 そう言って美凪は端から見ても分かるほどに肩を落とした。 
 …どうやら本気で『なぎー』と呼んで欲しかったようだ。 
  
  
 俺は美凪に先導されて長い廊下を歩いていた。 
 足の裏に感じる床板は、日を受けて少し暖たかい。 
 日はこれからまだまだ高く登ることを思うと、この暑さにげんなりせずにはいられない。 
 しばらく進んでいると、大きな座敷に到着した。 
 それはこの社殿で最も高貴な者、つまりは翼人がおわすところだった。 
「あっ、往人どの」 
 座敷の奥にちょこんと座っていた観鈴は俺の登場に驚いている様子だった。 
 ということは、さっきの観鈴からの勅命という話は美凪の嘘だったのか。 
「どうかしたの?」 
 裏で自分の名前を無断拝借されたことを知らない観鈴は、無邪気な顔で俺にそう聞いた。 
「いや、異世界の住人からのお告げがあってここに来ただけだ」 
「?」 
 俺の隣に立つ美凪に対して嫌みを込めてそう言ってやったが、当の本人はしれっとしていた。 
 美凪が観鈴の発言に少しでも焦りの様子を見せていたなら揚げ足を取ることも出来ただろうが、流石にこの状態では下手にわめかない方が賢明のような気がした。 
「とりあえず、座って」 
 観鈴は自分の前の床を手でぱんぱんと叩いて催促した。 
 その催促に従い、俺と美凪は観鈴と向かい合う形で座った。 
「ところで、そのお告げの内容はどんなものだったのかな?」 
 俺が座り終えたと同時に、観鈴は掘り返してくれなくてもいい話題を見事に掘り返してくれた。 
 とっさに適当な答えを考えようとしたが、ありがちなことにこんな時に限って良い回答が思いつかなかった。 
「…観鈴さまと札にて遊ぶようにとのお告げだったそうです」 
 言葉に詰まっていた俺に、美凪が助け船を出してくれた。 
 まあ、俺をここに呼んだ張本人はこいつなので、初めから俺に何をさせるかは考えていたのだろうが。 
「札遊びかぁ。わたし、札遊び大好き」 
 心底嬉しいのか、観鈴は素直に笑顔を見せた。 
「わたしの好きなことが分かるなんて、そのお告げをした方はすごいね」 
 ああ、そいつは本当に大した奴だよ。 
 気配は一つもしないし、俺を見事に騙してここに連れ出してきたんだからな。 
 観鈴は上機嫌な様子で立ち上がり、離れたところにあった物入れの中を漁り始めた。 
 そんな様子を見ていると、事態は面倒な方向に向かって行っているような気がしてきた。 
 ここに俺を連れてきた美凪に腹が立ってきたので、隣に座る美凪を睨んでみた。 
 そんな俺の気持ちを恐らく察しているだろう美凪は、俺の視線に気付いた素振りを少しも見せなかった。 
 しばらくして俺たちの前に戻ってきた観鈴の手には札の束が握られていた。 
 話にしか聞いたことはないが、高貴なところの女性は歌を覚えることを兼ねた教養の一環として札を使った遊びをするらしい。 
 その札は絵柄のあるものと歌が書いてあるものが対になっていて、代表の一人が札に書かれている歌を詠み、残りの者が読まれている歌と対になっている絵札を取り合って遊ぶものらしい。 
 そして、どうやら観鈴が持ってきた札はその遊びに使う物のようだ。 
 信じがたいことだが、この観鈴にもどうやら教養というものがちゃんとあるらしい。 
 『人は見かけによらない』とはよく言ったものだと感心した。 
「はい、往人さん」 
 突然、俺は三等分に分けられた札の束のうちの一つを観鈴から渡された。 
 これを読めというのか? 
 しかし渡された札をよく見てみると、なかには対になっている札の両方が手元にあるものもある。 
 これでは札を読んでも対になっている札を取ることができず、遊びようがないではないか。 
 俺がそんな疑問に持っている間にも、札の束の残り3分の1が美凪にも渡された。 
「じゃあ、婆抜きをするよ」 
「何だ、婆抜きって?」 
 そんな遊び、聞いたことがない。 
 大体、札遊びは手に持ってするものではなく、床に置いてするものじゃないのか? 
 ますます疑問が増える一方の俺に、観鈴は婆抜きというものの遊び方を教えてくれた。 
「…で、この札に書いてある歌は詠まないのか?」 
「うん、ただの柄会わせ。わたしには歌なんて難しくてよく分からないから」 
 こいつに少しでも教養があると感心した俺が浅はかだった。 
 やはり観鈴はただのお子様だ。 
  
  
「…やった」 
 美凪が5回連続1番抜けを決め、残るは俺と観鈴の一騎打ちとなった。 
「ふっ、かかってこい」 
 緊張した空気が辺りに漂う中、俺は観鈴に余裕たっぷりにそう言った。 
 対する観鈴は眉を寄せ真剣な面持ちで、俺が持つ残された2枚の札のうちのどちらを取るか悩んでいる。 
「えいっ!」 
 観鈴は目をつぶって勢いよく俺の手元にあった札のうちの1枚を引き抜いた。 
 そして、その札を恐る恐る覗き… 
「…あっ、わたしも上がり」 
 観鈴のほっとしたような表情と同時に、俺の5連敗が決定した。 
 今まで幾多の戦を切り抜けてきた俺が、5連敗。 
 相手との駆け引きには自信があるはずの俺が、5連敗。 
「そんなはずはなーい!」 
 俺は札を宙に放り投げ、思わず叫んでしまった。 
「もう一度勝負だ!」 
 びしっ、と目の前の二人に向かって指を指した。 
 男がこのまま黙って引き下がれるものか! 
「いいけど…6連敗しても知らないよ?」 
 観鈴が心配するような声でそう言った。 
「…6連敗」 
 美凪がしっかりと噛みしめるかのように呟いた。 
「…やっぱりやめておきます」 
 そう、男にとっては引き際も大事なのさ…。 
 今は簾の隙間を吹いてくる風の涼しさが妙にもの悲しいものに思えてくる。 
「じゃあ、俺はそろそろ務めに戻る」 
 ずっと負けっ放しなのでさすがに居心地が悪くなり、俺は退散を決めた。 
「あっ、往人どの」 
 去っていこうとする俺の背中を、観鈴の声が引き留めた。 
 俺は振り向き、その先の言葉を促した。 
「また、来てくれるよね?」 
 …面倒だ。 
 そう口にしようとしたのに、その時の俺には何故かその言葉が酷く冷たいものに感じられた。 
「…ああ、もし暇な時間が出来たらそうする」 
 だから、気が付けば俺はそう答えていた。 
「うんっ」 
 眩しいほどに自分の心を素直に表しているその笑顔は、俺の中に眠っていた何かをくすぐったみたいだった。 
 しかし、そんな感情にとらわれたのもほんの一瞬のことだったので、その感情の正体を突き止めることは出来なかった。 
「もし、と言っただろ。そんなに期待するな」 
 そう言い残し、俺は観鈴の部屋を後にした。 
  
  
********** 
  
  
 その後も、俺は暇を見つけては観鈴の所へ通う日が続いた。 
 正しくは『暇を見つけられては』なのだが。 
「どおぉっ!」 
 今日もまた俺は美凪の気配無き登場に驚かされていた。 
「…いつも元気な挨拶ですね」 
「おまえのせいだろっ!」 
 毎回同じ事を仕掛けてくるこいつと、毎回こいつの気配に気付かない俺自身に少し腹が立っていたので、つい大きな声を出してしまった。 
「はぁ、頼むから俺を呼びに来たときぐらいは気配を漂わせておいてくれ」 
 武としては情けない頼み事だが、いつまでも同じ失態を繰り返しているわけにはいくまい。 
「…気配ですか?」 
「ああ、気配だ。俺が気付くようにな」 
 美凪は小首を傾げたまま、考え事に浸っている様子だった。 
「気配、気配…」 
 そう呟く美凪の背後からは、今まさに気配が漂い始めてきた。 
 おおっ、やれば出来るじゃないか美凪。 
 だが、何かがおかしい。 
 漂い始めた美凪の気配は止まるところを知らず、俺までも包み込もうとしていた。 
 そして、俺はその気配の向こう側に異世界を垣間見たような気がした。 
 俺の中でうずく好奇心。 
 目の前に広がるこの世界を見てみたいと思う一方で、もう一人の俺がそれを必死に食い止めようとしている。 
 この世界は危険だ、と。 
 覗くべきか、覗かぬべきか。 
 好奇心と理性が俺の頭の中で競り合った結果… 
「…いや、やっぱり気配を出さなくていい」 
 俺は美凪の背後に広がる世界に足を突っ込むのを止めた。 
 そしてこの当たり前の世界に戻ってきて改めて思う。 
 やはりこいつは色々な意味でただ者ではない。 
「…いいんですか?」 
「ああ、知らなくてもいいことは世の中にたくさんあるからな」 
「…?」 
「まあ、その話は置いといてだ。またあいつのお呼び出しか?」 
「…はい、お呼び出しです」 
「じゃあ、今日も行くとするか」 
 よいしょ、という感じで俺は腰を上げた。 
 そんな俺の様子を見て、美凪が静かに微笑んでいた。 
 やばい、表情に何か現れていたのだろうか。 
 少し照れ臭く感じるのを隠すため、俺は美凪よりも先を歩きながら観鈴がいる座敷に向かった。 
  
  
「いしょっしゃぁぁー!」 
 俺はこの社殿に来てから一番大きな歓喜の声を上げた。 
 声を上げつつ拳を握って高く突き上げてたりして、この喜びを全身で表現していた。 
 遂にこのときが来たのだ。 
 婆抜き、1番抜け。 
 思えば連敗に連敗を重ね、やっと2番勝ちになったのはつい先日のこと。 
 さすが俺様、やればできるぜ。 
「往人どの、おめでとう」 
「…ぱちぱちぱち」 
 側にいる二人も一緒に祝ってくれている。 
 嬉しさのためか、うっとうしいほどに暑い日差しも、耳障りなほどに元気になく蝉も、俺の勝利を祝ってくれているように感じられる。 
「そういえば、気になっていたんだが」 
 喜びの熱が冷めてから、俺はここに来てから気になっていたことを観鈴に聞いた。 
「俺はこの座敷で美凪以外の姿を見たことがないが、他にここに来る奴はいないのか?」 
「うん、いないよ」 
 悲しい答えのはずなのに、観鈴は当然のことのようにさらりと言った。 
「わたしと遊んでくれるのは、往人どのと美凪だけだよ」 
 遊ぶかどうかは別として、観鈴の周りには美凪を除いてお付きの女官も警護の者もほとんど見かけない。 
 そのことは、こうして俺がのこのこと観鈴に会いに来られることが証明している。 
 だが、観鈴が翼人であることを考えればこの手薄さは異常としか言えない。 
「なあ、教えてくれ。どうしてお前は翼人というのにも関わらず、お前に対する周りの奴の態度はそんなにも冷たいんだ?」 
 俺の問いに対して観鈴は口を噤んだ。 
 その様子は、何かあることを俺に予感させるには十分だった。 
 さっきまでの賑やかだった空気はいつの間にか静寂なものへと変わっていた。 
 もしここで声を出せば目の前にあるものが儚く崩れさてしまう、そんな気さえした。 
「…往人さま」 
 その静寂を破り、美凪が俺の名を呼んだ。 
「…往人さまは観鈴さまを翼人だと思いながらいつも接していますか?」 
 思い返してみれば、俺は観鈴に対して敬意を持って接したことなどなかったように思う。 
 木から落ちてきた観鈴の下敷きになったことが最初の出会いだったということもあり、俺は観鈴に対して噂に名高い翼人の印象を当てはめてはいなかった。 
 だから観鈴が翼人であるということなどいつもどこかへ忘れていた。 
 じゃあ、俺が観鈴のことをどう捉えていたのだろうか? 
「…いや、俺はこいつが翼人だなんて少しも考えていないぞ」 
 何か複雑な方向へと進んでいく思考を止め、俺はそう答えた。 
 そんな俺の答えに、美凪は微笑んだ。 
 まるで俺がその答えを口にしたことに安心したように。 
「二人とも酷いよ」 
 観鈴は自分を翼人だと信じていない家来に対して情けない視線を送った。 
 本人は非難しているつもりなのだろうが、あいにくその言葉に主人としての凄みなど何も感じられなかった。 
「そう言うんだったら天から授けられた知恵の数々や、背中の翼でも見せてみるんだな」 
「…ですね」 
 そんな俺たちの無理な注文に困っている観鈴の様子を見ながら、俺と美凪はしばらくの間笑っていた。 
 気が付けばさっきまでの重い空気などまるでなかったかのように、俺たちを包む空気は夏の賑やかさを取り戻していた。 
  
  
                     ―3話へ続く― 
  
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 ひでやんさんから、another SUMMERの2話を頂きました。ほのぼのしていてイイ感じですw 次回から、AIR本編に沿った話が展開され、進んでいきますよ。 
  
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