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頂きモノSSの部屋
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22   ★〜ある悲しい物語〜<作・ひでやんさん>(CLANNAD岡崎敦子SS)
更新日時:
2007.01.17 Wed.
 愛しい朋也へ。 
 わたしはもうあなたに触れることが出来ないけど、
 わたしはもうあなたに語りかけることが出来ないけど、
 それでもわたしはあの少女にあなたへの言葉を託しておきます。
 あなたはやがてその子と出会い、その子からわたしの言葉を聞くことになるでしょう。
 でもきっとあなたはわたしの言葉を胸にとどめておくことは出来ないでしょうね。
 それは仕方のないこと。
 でも、わたしはあなたにこの言葉を残しておきます。
 わたしの想いが少しでもあなたの心の中に残ることを信じて。
 
 
               「朋也、幸せになってね」
 
 
 
 
 
 
                 〜ある悲しい物語〜
 
 
 
 
 
「男の子だ! 敦子、男の子だぞ! やったな、よく頑張ったな!」
 直幸君はわたし達の子供が無事に生まれたのを確認すると、まるで子供が何か宝物を見せたくてしょうがないような様子でわたしにそう語りかけてきた。
「そう、よかった…」
 お産が終わって直ぐのわたしにはそれ以上の言葉を返す力が無くて、直幸君にもっと話したいことがあるというのに、たったそれだけしか言葉を返すことが出来なかった。
 でも元気な直幸君はわたしがしゃべれない分、沢山のことをわたしに話しかけてきてくれた。
 だからわたしはその言葉に、うんうん、と小さく頷いて相槌を打っていた。
 そうしている間に助産婦さん達が生まれたばかりのわたし達の子供を引き取り、産湯などに浸けて綺麗にしてくれていた。
「直幸。敦子さんはお産で疲れてるんだから、あまり話しかけるんじゃないの」
 同じ女性として気を遣ってくれたのか、お義母さんは直幸君にそう注意した。
「うるさいなぁ、そんなこと分かってるって。でも、本当に嬉しくてしょうがないんだから仕方ないだろ?」
「分かっているんだったら男らしく黙って大人しくしていなさい」
「はいはい、分かったよ。まったく、お袋はいつも口うるさいんだから」
 ベッドに寝たままのわたしを余所に、直幸君とお義母さんはいつものようなやりとりを始めた。
 本当にこの親子は仲が良いんだか悪いんだかよく分からない。
 わたしと出会うまでは直幸君はよく本気で両親と喧嘩することもあったらしいんだけど、今では少し粗っぽい会話程度で済んでいる。
 言葉遣いこそ荒いけど、別に本当に仲が悪いというわけではないらしい。
 ああ、でも直幸君がわたしと結婚することをご両親に言ったときには大喧嘩になったとか言ってたっけ?
 とにかく、そんな二人の様子を見ていると思わず微笑んでしまう。
 そんな温かい気持ちで目の前の光景を眺めていると、やがて助産婦さんがわたし達の子供を柔らかそうなタオルにくるんで連れてきてくれた。
「はい、お二人の元気な子供ですよ。この後は赤ちゃんが落ち着くまでこちらの方で預からせて頂きますが、しばらくの間はお顔を眺めてあげて下さいね」
 そう優しい声で語りかけ、わたしに子供を抱き渡してくれた。
 生まれたばかりのわたし達の子供はまだどこかよく見る赤ちゃんとは違って変な顔をしていたけど、湧き上がってくる愛しい気持ちに変わりはなかった。
「泣き疲れて寝てるのかな? それにしても変な顔だよな、敦子」
 それは直幸君のほうも同じだったみたいで、生まれたばかりの子供のほっぺたを突いては、この子の存在を確かめているようだった。
「生まれたばかりのうちはそんなものなのよ。でも、いずれかわいくてしょうがなくなるわよ」
 お義母さんも微笑みながら子供の顔を覗いていた。
 それにしても赤ちゃんの力は凄い。
 さっきまで口うるさく言い合っていた二人が、この子を前にするとこんなにも表情を緩めるなんて。
「もうこの子の名前は決めてあるの?」
 お義母さんがわくわくした様子でわたし達に聞いた。
「ああ、ずっと前から考えあるてるさ」
「ええ、直幸君はこの子がわたしのお腹を蹴り始めた頃にはもう名前を決めるって言ってましたから」
 そういってわたしはくすくすと笑った。
 お義母さんにそんなことがばれたのが恥ずかしかったのか、直幸君は顔を赤らめて少し恥ずかしそうにした。
「まったく、直幸は私達に相談もなく勝手に名前を決めて」
「いいだろ? 子供の名前を決めるぐらい俺たち親の権利だろ?」
「はいはい、分かったわ。それで、この子、男の子でしょう? 何て名前にしたの?」
 そんなお義母さんの質問を聞いて、直幸君は自慢げにわたしに視線を送った。
 その視線にわたしは頷く。
「『朋也』って名前にしたんだ」
「この子の名前は『朋也』です、お義母さん」
「『朋也』、ねぇ。あなた達にしてはちゃんとした名前を付けたじゃないの」
 お義母さんは口元に手を当ててくすくすと笑いながらそう言った。
「一生懸命考えましたから」
「ああ、俺たち二人で考え抜いた名前だよな」
「そうですか? わたしの方が直幸君よりも多く候補を上げたと思いますよ?」
「何言ってんだよ。俺のはお前のよりもセンスが良かったぞ?」
「はいはい、二人ともそこまでにしなさい。子供の前でみっともないわよ」
 そう言われてわたしも直幸君もおかしくなって笑った。
 そう、この子は幸せをわたし達に運んできてくれたんだから、わたし達もこの子の前ではいつでも笑っていないと。
 これから少しずつ時間を掛けて、『朋也』に幸せというもの与えていってあげなくちゃ。
 朋也の安らかに眠っている顔を見ているとそんなことを思わずにはいられなかった。
「直幸君。わたし達、親になったんだね」
 朋也を抱いているとそんなことを改めて思う。
 今まで朋也をお腹に宿したときからそんな感覚はあったものの、やはりこう目の前に本当に生まれてきたことは大きな違いだった。
「ああ。俺たち、こいつの親なんだな」
 それは直幸君も同じだったようで、朋也の顔を優しく見つめながらそう言った。
「直幸も敦子さんも、これからは今まで以上に頑張りなさいね」
「ああ、もちろんだ」
「はい、お義母さん」
 お義母さんの励ましに、わたし達は力強く答えた。
 この子の親として恥ずかしくないように。
「すまん、遅れた!」
 大声と共にお産室に駆け込んできたのはお義父さんだった。
「親父、遅いぞ」
「仕方ないだろ、なかなか仕事を抜けられなかったんだから」
「ほら、あなた。大声を出してないでちゃんとこの子の顔を見てあげて下さい」
 お義母さんの声と共に腕に抱いている朋也をお義父さんの前に出した。
「お義父さん、男の子です」
「朋也って言うんだ」
 お義父さんは初孫の姿に思わず笑みを浮かべながら、わたしの腕から朋也を受け取ると、あやすように朋也ゆっくりと揺すった。
 そのいつもは見せないお義父さんの様子にわたし達は声を出して笑った。
「むっ、そんなに笑うことでもないだろ。しかし、良い顔をしている。これは敦子さんに似たのかな?」
「朋也は男の子だぞ。俺に似ているに決まってるだろ」
「ふん、男の子だって母親に似るところはあるんだぞ。そう言うお前だってお母さんに似て…」
 いつもより饒舌なお義父さんが直幸君にあれこれと言っていた。
 直幸君の家庭は一人っ子だったせいか、お義父さんはわたしに対して少し甘かった。
 だから直幸君とわたしを比較するようなことがあるときには、いつもわたしをひいきしてくれる。
 その点、同じ女性であるお義母さんはわたしに対して実の母親であるかのように厳しく、そして優しく接してくれていた。
「それにしても、敦子さんのご両親は来ていないのかね?」
「…はい」
 そう、わたしと直幸君が結婚すると両親に伝えたときには親子喧嘩があったとはいえ、今では直幸君のご両親にはわたしたちの仲を認めてもらっている。
 でも、わたしの両親は今でもわたし達のことを認めていなかった。
 だから、今日のお産にも立ち会ってはいなかった。
 わたしの両親が言うように、学生時代の直幸君には多少暴力的なところがあって、世間から見ると決して理想的な男性ではかったかもしれない。
 でもそれは昔の話だし、世間がどう見ていたって直幸君は直幸君だ。
 わたしと付き合うようになってからは暴力的な素振りは見せなくなってきたし、目的を持って日々を過ごすようになっている。
 わたしのために、そして直幸君が自分自身のために頑張る姿は、決して他の男性に劣っているとは思えない。
 いや、直幸君ほど一生懸命の頑張り屋さんで、ちょっと不器用だけど優しい人は他にはいない。
 だから、わたしは今こんなにも幸せでいられるんだ。
 それを少しでも早くわたしの両親にも分かって欲しかった。
「もういいだろ、その話は」
 気まずくなったわたし達の雰囲気を直幸君のその言葉が破った。
「いつかわたしの両親も分かってくれると思います。朋也がわたし達と一緒に幸せになっていく姿を見れば、きっと…」
「ええ、そうね」
 みんなの視線が穏やかに眠っている朋也に注がれる。
 ああ、本当に子供の力って不思議だと思う。
 朋也を見ているだけで、朋也がいてくれるだけで、こんなにも心が安らかになるんだから。
 
 
********************
 
 
 わたしの産後の体調も戻り、朋也も病院の方で身体に異常がないことが確かめられると、わたしと朋也はそろってわたし達のアパートに戻った。
 わたしにとっては久しぶりの、そして朋也にとっては初めての帰宅だ。
 こんなにも小さなアパートだったけど、決して人には自慢できるような暮らしではなかったけど、わたし達のこの部屋には沢山の幸せが詰まっている。
 そして今日からはこの幸せの中に朋也が加わる。
 朋也が運んできた幸せと、わたし達が作っていく幸せと。
 それはどんなに素敵なことだろうか?
「直幸君、部屋ちらかってます」
 わたしはアパートに戻ってくるなりそう言った。
「仕方ないだろ、お前がいなかったんだから」
「仕事とわたしの見舞いで忙しかったのは認めますけど、ちゃんと掃除して下さい」
「ああ、気を付けるよ」
 そういいながら頭を掻く直幸君。
「それにしても、俺がお前と初めて会ったときにはお前って結構おどおどしていたのに、今となっては結構気が強くなったな」
「そうですか? わたしは変わってないと思いますよ」
 そのとき朋也が眠ったまま欠伸をした。
「…でも、母親としては強くなったかもしれませんね」
「母親としてか…」
「直幸君もこの子のお父さんとして頑張って下さいね」
「おう、任せとけ。今まで以上にしっかりと働いて、お前達に良い暮らしをさせてやるよ」
 そういって直幸君は力こぶを作って見せた。
 そんなかわいらしい仕草に、わたしはくすくすと笑った。
「あぁーん、あぁーん!」
「あら、いけない。朋也がお腹をすかせたみたいね」
 わたし達の立話がすっかり長くなったせいで朋也がお腹をすかせてしまった。
「ほら、早くそこに座って乳を飲ませてやれよ」
 座ると早速、わたしは朋也に乳をあげた。
 元気いっぱいに吸い付くその姿に、つい笑みがこぼれてしまう。
 それは直幸君も同じだったようで、二人一緒に朋也が乳を一生懸命飲む様を静かに見守っていた。
 やがて朋也はお腹いっぱいになると、げっぷを一つして再び夢の世界へと戻っていった。
「かわいい寝顔だな」
「ええ。子供は天使って言いますしね」
「あ、もちろんおまえだってかわいいからな」
「ありがとうございます」
 二人揃ってくすくすと笑い合った。
 朋也がわたし達の元に来てからは本当に笑いが絶えない。
 それはわたし達がまだまだ親としては未熟で、何もかもが初めてだからと言うこともあるけど、それだけじゃないと思う。
「わたし、晩ご飯の支度をしますね。直幸君は朋也君の子守をしていてあげて下さい」
「ああ、頼む。久しぶりの手料理、期待してるからな」
 そんな応援ともプレッシャーともつかない声を背に、わたしは台所に立った。
 わたしは高校を卒業してからはパートをしつつ主婦としてもきちんと働いていた。
 本当はもっときちんとした仕事について少しでも家計の手助けをしたかったけれど、直幸君の希望もあって家事の方も疎かにせず両立させている。
 それは直幸君が自分の力でわたし達の生活を支えてみせるという決心の、いわゆる男のプライドのようなものだった。
 それが直幸君の目標であり、喜びでもあった。
 だからわたしはそんな直幸君がこの小さなアパートで少しでもくつろげるようにと、毎日家事を頑張っているというわけだった。
 それはお金には代えられない幸せだった。
 わたし達が支え合って作る幸せだった。
 そうだ、朋也が乳離れをしたときにはきちんとした離乳食を作れるようにしておかなければ。
 料理を作りながらあれこれとこれからのことが頭に浮かんでくる。
 それは大変でもあり、同時に楽しくもあること。
 朋也が色々と経験しながら育っていくように、わたし達も朋也と一緒に色々な経験をしながら育っていくのだから。
 
 
 朋也がうちにやってきてからは、直幸君は今まで以上に熱心に働くようになった。
 仕事で疲れていても毎晩必ず朋也の相手をしてやり、そして遊び疲れた朋也と一緒になって布団に入って寝るという生活が続いた。
 そしてわたしは毎晩そんな二人の幸せそうな寝顔をひとり楽しんでは、おやすみ、と声を掛けてわたしも布団にはいるのだった。
 もちろん朋也の夜泣きで起こされる事もあった。
 元々少し短気なところがある直幸君は不本意ながら深夜に起こされることにいらいらしていることもあったけど、そこはちゃんとお父さんらしく耐えて見せていた。
 それはわたしが出会ってすぐの時の様子からは想像できる光景ではなく、直幸君の昔の姿と今の姿を比べては、直幸君がお父さんとして成長していることを強く実感するのだった。
 直幸君が言うにはそれはわたしも同じだったようで、昔は苦手だった早起きとかを少しずつ克服していくたびに、立派な母親になったなぁ、とか冷やかされていた。
 そうやってわたしたちは朋也の親として成長していた。
 そして朋也もわたし達の愛情を一心に受け、すくすくと成長していった。
 やがて朋也は乳離れをし、気が付けばハイハイをしてこの小さな部屋を探検し始めた。
 
 
「なあ、引っ越ししないか?」
「えっ?」
「こんな小さなアパートじゃなくてさ、もっと大きな家に。それこそ一戸建てとかにさ」
「それは素敵な話ですけど、うちにはそんなお金はないでしょう?」
 直幸君が一生懸命働いてくれるおかげで、わたしが朋也の育児にかかりっきりになっているにも関わらず、わたし達の生活は何一つ苦労していなかった。
 でも、だからといって一戸建てに住むほどのお金などあるはずがない。
「別に新しく家を建てようってわけじゃない。近くに安い物件があって、そこを借りようと思ってるんだ」
「でも、わたしはここでの生活に満足していますよ?」
「でもさ、今は俺とお前だけの生活じゃない。朋也だってあちこち動き回るようになったし、広い部屋も必要だろ? だから、引っ越そう」
 確かに、物に掴まればそろそろ立ってしまいそうな朋也にとって、このアパートは狭いかもしれない。
「それに、俺の夢なんだよ、一戸建てに住むのが。だからその目標が実現できれば、俺はもっともっと頑張れるような気がするんだ」
 そんな風に誇らしげに言われれば、わたしだって断る理由が見つからない。
 直幸君はいつだって目標に向かって一生懸命で、慎ましやかながらもその夢を全て叶えてきた。
 だから今回も上手くいくのかもしれない。
 いや、上手くいくんだ。
「直幸君がそこまで言うんだったらわたしも了承します。でも、仕事に打ち込みすぎて朋也やわたしのことを疎かにしないで下さいね?」
 最後は少しからかうように言ってみた。
「ははは、そうだな」
「そうですよ。わたし達の幸せは裕福な暮らしをすればいいって訳じゃないんですからね? わたし達3人が一緒に暮らしていないと意味がないんですから。ね、朋也」
「だぁー」
 わたしの言葉を理解しているのかしていないのか、朋也もわたしの意見に賛成のようだった。
「あー、朋也にまでそう言われたらさすがに堪えるな」
 そしてみんなで声を出して笑った。
 
 
 それからしばらくしない間に直幸君が見つけた貸家の下見に行った。
 そこはごく普通の一戸建てだったけど、小さなアパートで暮らしてきたわたしにとって、それはお城のように思えたのだった。
 わたし達の力でこの家を守っていくのは大変なことかもしれないけど、それに見合うだけの幸せはきっと掴めるはずだと思った。
 朋也もここが気に入ったようで、連れてきて直ぐにきゃっきゃといいながら今までとは比べ物にならないくらい広い部屋を探検していた。
「いいですね、この家」
「だろ?」
 二人肩を寄せ、飽きることなくハイハイで探検を続けている朋也を優しく見守った。
 そしてわたし達の目にはこれからここで営まれる生活の光景が次々と浮かんでいった。
 それは幸せの数だけ浮かんできて、そのどれもが素敵な物だった。
「でも、こんなに広いと掃除が大変そうです」
「日頃使うところだけ掃除してればいいだろ?」
 そんな適当な返事に、わたしは直幸君を正面に見据えて答えた。
「だめですよ、そんなんじゃあ。散らかった所に住んでいると、そこに住んでいる人もだんだんだらけてきてしまうんですから」
「ああ、分かったよ。せいぜい頑張ってくれよな」
「もちろん、直幸君にも手伝ってもらいますよ」
「げっ」
「ちゃんと朋也に手本を見せてあげて下さいね」
 そう言ってわたしはくすくすと笑った。
 
 
********************
 
 
 引っ越しが済んで落ち着いてから、わたし達はこの新しい家に両親を招いた。
 それは直幸君のご両親だけでなく、わたしの両親もだ。
 結婚式にさえも顔を出してくれなかったわたしの両親も、さすがに今のような生活を見せられると、わたし達が上手くいっていることを認めざるを得なかったようだった。
 それに直幸君のご両親もわたしの両親を説得してくれて、ちゃんと仲直りが出来たわけではなかったけど、わたしの両親もわたし達のことを少しは見直してくれたようだった。
 それに初孫がかわいいと思うのだけは抑えきれなかったらしい。
 わたしと直幸君には冷たいくせに、朋也にはちゃんと笑顔を見せて帰っていった。
 それはまるで今まで頑張ってきたわたし達にくれた神様のプレゼントのようだった。
 この家でわたし達は新しい幸せを育んでいける。
 そんな実感が確かにしていた。
 
 
 やがて朋也は立って歩き始めるようになった。
 そのころには短いながらもきちんと話が出来るようになり、わたし達家族の会話の中心にはいつも朋也がいた。
「ちゃーはん?」
 調味料が焼ける独特の香ばしい匂いに朋也が気付いたようだ。
「そう、今日は朋也の大好きなチャーハンよ」
「わーい、ちゃーはん、だいすき」
「いいのか、この前もチャーハンじゃなかったか?」
「いいんですよ。子供は好きな物を食べてるときがしつけもしやすいんです」
「まあ、お前がそう言うんだったらいいけど。…なあ朋也、どこか遊びに行きたいところはあるか?」
「う〜ん…でんしゃをみたい」
 わたしたちは車を持っていなかったから、以前3人で近くに旅行に行ったときに電車を利用したのだ。
 そして男の子なら例に漏れずといった感じで、朋也も電車が好きになったのだった。
「そうか、じゃあ次の休みには近くの駅まで電車を見に行くか」
「うん、たのしみ」
 男二人の間での約束が成立した頃には、3つのお皿にチャーハンが盛りつけられていた。
 それをテーブルに持って行くと、すかさず朋也がやってきた。そして遅れながらも直幸君が。
「はい。じゃあ、いただきます」
「「いただきます」」
 両手を合わせていただきますを言うと、朋也はすぐさま自分の目の前に置かれたチャーハンに飛びついた。
「ほら、ご飯粒をこぼさないように気を付けて」
「…うん」
 そう答えるも、上の空と言った感じか。
「敦子、コショウってなかったっけ?」
「ああ、そう言えば切れていたんでしたっけ? 新しいのを買ってあるので持ってきますよ」
 そう言ってわたしは真新しいコショウのビンを持ってきた。
 直幸君はいつもコショウを少し多めにかける好みがある。
 だから今日も自分のチャーハンにコショウを追加で入れていた。
「…」
「どうしたの、朋也」
 朋也にしては珍しくチャーハンを食べる手を休め、直幸君がコショウをふりかけている様子を眺めていた。
「…それ、なに」
「ん、コショウだよ」
「こしょう?」
「ああ、好みで加えるとおいしくなるんだよ」
「…おいしくなる?」
 そう言ってから朋也は俯いて少し考える素振りを見せると、直ぐに顔を上げて言った。
「ぼくもこしょうほしい」
「朋也にはちょっときついかもしれないよ」
 こくん。
「じゃあ、ちょっとだけな」
 こくん。
 直幸君は朋也の分にもコショウをかけようと手を伸ばした。
 朋也はそのコショウのビンの先端を興味深げに顔を近づけて見ようとしていた。
 その先端からどんなおいしいくなる魔法が出て来るのかを覗くように。
 だから直幸君がチャーハンにコショウを振りかけたときに、その粉末の一部が朋也の鼻腔に吸い込まれ…
「くしゅん!」
 と、かわいいくしゃみをした。
「…おいしくない」
 そんな朋也の素直な感想にわたし達は声を出して笑ったが、当の本人はそのことが笑いの種になっていることまでは理解していないようで、きょとんとした顔でそんなわたし達を眺めていた。
 そんな楽しい毎日が続いた。
 わたし達は時に朋也の容赦ない質問攻めに遭わされることもあったが、それにつれて朋也は色々なことをどんどん覚えていった。
 育児書の知識では、そろそろ記憶の方もきちんと発達してくる頃とのこと。
 だからわたし達は朋也にこれからもっともっと幸せな体験をさせたいと思っていた。
 幸せな思い出を沢山作ってくれることを願った。
 それは同時にわたし達の夢でもあったから。
 この3人で幸せに暮らしていくという夢にとって、幸せな思い出は欠かせないエッセンスだからだ。
 これから朋也は一体どんなことを覚え、どんなことを記憶にとどめていくのだろうか?
 もしかしたら幼稚園に入って女の子にモテるのかもしれない。
 朋也は直幸君に似て顔の作りが良かったから、そんなこともあるかもしれない。
 わたしはそんな楽しい想像をしながら過ごすことが多くなった。
 だってそれはいずれ想像でなくなる日が来るのかもしれないから。
 近い未来、そんな温かいことが起こるのかもしれない。
 それはきっと神様しか知らないことなんだろうけど、だからこそ楽しい。
 朋也の成長を見守り、朋也の将来をちょっと想像してみること。
 それは母親としてとても楽しいことだった。
 
 
*********************
 
 
「行ってきます」
「ああ、気を付けてな」
「いってらっしゃい」
 わたしはひとり買い物に向かった。
 今は朋也の面倒を直幸君に見てもらっている間にわたしひとりで買い物に行っているけど、もう少ししたら朋也も連れて行ってみようかしら?
 きっと目の前にある沢山の誘惑に我慢しきれずにおねだりを始めてわたし達を困らすかもしれない。
 でも、それもきっと楽しいことだと思う。
 親子揃っての買い物はどんなものになるんだろう?
 そんな想像をしながらひとり歩いていた。
 そして、突然風が吹いた。
 それは冷たくわたしの首筋をかすめていった。
 その冷たさに思わず背筋がびくっとする。
 直後…
 わたしの背後に車が迫っていた。
 わたしが歩道の外を歩いていたわけではない。
 車がこちらに突っ込んできたのだ。
 でも、今更そんなことはどうだっていい。
 とにかく、逃げなければ。
 なのに、はっきりと動く思考に対して体の方は全く動かなかった。
 冷たいガラスにこの空間ごと閉じこめられたような感覚だった。
 思考だけがはっきりとして、周りの景色は微動だにしない。
 そしてわたしも微動だに出来ない。
 …走馬灯?
 そんな嫌な、だけどこの状況に的確な言葉が脳裏をよぎる。
 たしかに、この速度で突っ込んでくる車を避けることは出来ない。
 それはわたしの死を意味していた。
 だけど待って、わたしはまだ死ねない!
 まだ朋也にしてあげられていないことがいっぱいある。
 まだ直幸君に話したいことがいっぱいある。
 まだ…まだ…たくさんある。
 わたし達家族の幸せだって、これから先の道のりにまだまだいっぱいあるというのに。
 わたしの想像が現実になる日はまだ訪れていないというのに。
 でも死の訪れは非情で、そんなわたしの思いなどお構いなしだということを悟る。
 泣きたいのに泣けない。
 涙を流したいのに流せない。
 それはこの空間が止まっているから。
 そして次の瞬間にはわたしは涙を流す暇も与えられずにこの世を去ることになるだろう。
 ごめんね、直幸君。あなたの幸せで居続けることが出来なくて。
 ごめんね、朋也。あなたをもっと甘えさせてあげることが出来なくて。
 ごめんね…。
 そして、再び時が動き始めた。
 どこをどう打ち付けたのか分からない。
 どこがどう痛んだのか分からない。
 …そんな最後だった。
 自分があの走灯馬で何を思ったのか、何を願ったのかさえも、圧倒的な勢いでなだれ込んでくる訳の分からないものによって押しつぶされていく。
 そして意識がすっと抜けて軽くなっていく。
 自分という存在が、無くなっていく。
 たった一つの、光を残して…
 
 
********************
 
 
 沢山の光たちが見える。
 沢山の光たちが揺れている。
 それは見えているけど、「目」には見えていない光景。
 ここはどこ?
 …珍しいことなのよ、光が意識を持っていることなんて。
 気が付けばそばにひとりの少女が立っていた。
 …でも、残念だけどあなたの意識はもうすぐ消えてしまうの。
 わたしは?
 …あなたは光。ここにある沢山の光と同じ、誰かの幸せを願う想いから生まれたもの。
 だったら、伝えないと。
大切な人に伝えたい言葉があるから。
…誰に伝えたいの?
わたしの子供と夫に。
…でも、わたしは彼らにその言葉を伝えることが出来ないの。
どうしてもできないの?
…。
大切なことなの。
…いずれ、ここにひとつの光が来ると思うの。それはきっとあなたの子供であって、あなたの子供でない存在。その光は元の世界には戻れないかもしれない。もし戻れたとしてもここでの記憶を全て忘れているかもしれない。それでも、いいの?
 それでもいい。伝えられる可能性がほんの少しでも残っているのなら…ううん、わたしはこのまま誰かにこの言葉を残さずに消えることなんて出来ないから。
 …わかったわ。それで、後悔はない?
 うん、後悔はない。だから伝えて、わたしの言葉を。
 わたしの存在が溶けるように消えていく感覚が徐々に強くなっていく。
 その感覚に、もう言葉を残すことの出来る時間がわずかしかないことを悟る。
 だから、本当に一言だけだけど、わたしの言葉を…
 
 
 「朋也、幸せになってね」
 
 
 〜終わり〜
 
 
----------------------------
 
 ひでやんさんより、またまたSSを頂きました。岡崎敦子SS…朋也のお母さん視点のSSですね。レアすぎます。
 僕が凄いと思ったのは、敦子さんの事故の場面の描写ですね…。あの迫力と言うか無力さの表現は唸らされました。
 直幸も、恐らくはこんな性格だったんでしょうね。元々は。ちょっと乱暴だけど家族想いで。
 
 感想などありましたら、
 
「掲示板」「Web拍手」「SS投票ページ」
 
などへ!!

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