another SUMMER(7)
山道を歩き始めてから7日ほど経った。
さすがにこの頃になると要領が掴めてきて、昼を挟んだ朝夕を中心に移動するという生活の規則が俺たちの中に出来上がっていた。
そしてうだるような暑さの昼間には移動を止め、森や川から食糧を調達してきたり、午前の移動で疲れた体を休めていたりした。
そんなわけで、観鈴のお手玉の練習もいつの間にか昼休みに行われるようになっていた。
観鈴がお手玉を初めて手にしてから何日か経ったが、観鈴のお手玉の腕前はそれほど上達してはいなかった。
そして、翼人に関する俺の調べ物の方も同じくらい進展がなかった。
唸りながらも難しい文章に挑んでみては、嫌になって直ぐに投げ出すことの繰り返し。
そしてそんな様子の俺を暇そうにしていると解釈しては、一緒にお手玉の練習をしようと誘ってくる観鈴。
気の滅入るような書物と面倒な観鈴の相手のどちらかを選ぶかと言えば…実に悔しいが、観鈴の相手の方がよっぽどマシだった。
というわけで、俺は今日も観鈴のお手玉の練習に付き合わされていた。
「う〜ん、最近は往人どのもお手玉上手になってきた」
「何だ、その残念そうな感想は? 俺だってこのくらい出来て当然だ」
そうはいっても、3つのお手玉を2、3周まわすのが精一杯だった。
上手く回り始めても直ぐに落としてしまう。
「わたし、あれから全然上達してないんだよね」
観鈴もお手玉を回せないことはないのだが、何度か練習を重ねてきたにも関わらず、その腕前は初めて成功したときからあまり上達してはいなかった。
「まあ、才能というものもあるしな」
「が、がお…」
心当たりがあるのかどうかは知らないが、それなりに落ち込んでいるようだった。
俺はそんな観鈴の様子を気にすることなく、辺りを見回して美凪が近くにいないのを確認すると、観鈴の耳元に顔を近づけた。
「…そういえば最近、美凪が元気ないと思わないか?」
「そうかな?」
内緒話と察してくれたらしく、観鈴は同じように小声で返してきた。
「お前、何か美凪を困らせるようなことでもしたのか?」
「往人どの、それひどい。わたし、美凪を困らせるようなことしてない」
「いや、お前は美凪に教えてもらったすぐ側からよく失敗してるからな。気付かないうちに美凪を傷つけてたとか?」
「確かにわたし、よく失敗してるけど…でも、そのくらいじゃ美凪は落ち込まないと思うな」
観鈴が一人前に身の回りのことをこなしてみせると決意してからは、観鈴は美凪から色々なことを教わっていた。
その内容はお手玉を筆頭に焚き火や料理など、今まで社殿の中で翼人として世話を受けてきた観鈴にとっては未知の経験ばかりだった。
初めてのことなら当然失敗もよくあることで、なかなか上達しない観鈴の様子を見ては、俺は何度もため息を吐いたものだ。
端で見ている俺がそんなんだから、きっと教えている張本人である美凪はもっと落ち込んでいるに違いない。
社殿にいた頃とは違って寝食を共にするような密な関係を続けていれば、今まで気にならなかったような他人の性格にうんざりさせられるようなことや、新たに知った一面に驚くことだってあるはずだ。
そんな負の一面はあそこから抜けてきたことで得られた物に比べれば取るに足らないものだったが、掴み取った自由な生活が当たり前のものとして感じられてくるに従って、そんな悪い部分ばかりについ目がいってしまうことだってある。
俺だってもとは人付き合いを好むような性格じゃなかったから、一日中観鈴や美凪といれば面倒だと感じることが何度もある。
だから、こいつらを放っておいて自分一人で生活した方がよっぽど気楽だったりな、と感じることも…まあ、ないこともなかったりする。
だから流石の美凪も何度教えてもなかなか上達しない観鈴の様子を見ては憂鬱な気分になっているとか?
…。
残念ながら、そんな美凪は想像できなかった。
「往人どのの思い過ごしじゃないかな?」
「ちょうど俺もそんな気がしてきたところだ…」
ここは素直に負けを認めよう…。
「…どうかしましたか?」
「うおっ!」「わっ!」
「…?」
内緒話をしていた俺たちの後ろにいつの間にか美凪が立っていた。
その美凪は、どうして俺たちが自分の呼びかけにこんなにも驚いているのかを図りかねた様子で、頬に手を当て不思議そうにこちらを見ていた。
「な…何か用か、美凪?」
「…それはこちらの言葉ですが?」
「別に…俺たちは何かしてたわけじゃないぞ」
「うん、何でもない。往人どのが、最近ちょっと美凪の元気がないかなって…」
ぽかっ
空気の読めていないやつに、取り敢えずげんこつ一発。
「イタイ…往人どの、どうして殴るかな?」
「自分の胸に聞いてみろ」
そう言って俺は明後日の方向を向いた。
「…私、元気ないですか?」
自覚がないのに、他人からお前は元気がないと指摘されれば、美凪が不思議そうにしているのも当然のことだと思う。
「いや…ただ、何となくそんな気がしただけだ」
「…多分、大丈夫ですよ」
「そっか。俺の思い過ごしで悪かった」
「…いえ」
やはり俺の思い過ごしだったようなので、取り敢えず謝っておいた。
だが、観鈴の失言のせいで何となく場が暗くなってしまった。
「…そう言えば、お二人はお手玉の練習をしていたんですか?」
「えっ? あっ、うん。でも、なかなか上手くできなくて」
今回の観鈴は上手く誤魔化してくれたようだった。
「…でしたら、私がお手本を見せましょうか?」
「うん。じゃあ、お願い」
観鈴が美凪にお手玉を差し出した。
その表情は初めから美凪にお手玉を教えてもらいたかったかのような嬉しそうなものだった。
きっと、さっき自分が話を誤魔化すためにお手玉の話を出したことなどもうとっくに忘れているのだろう。
「…コツは、肩の力を抜いて優しく投げることです。…こんな感じで…」
美凪の手のひらから次々とお手玉が宙に舞っていく。
優しく、そしてどこか儚げに。
ふわっ…ふわっ…ふわっ…
そんなお手玉の動きを見ていたら、その雰囲気がどこか美凪に似ているな、という考えが急に浮かんだ。
どうしてそんな感想を持ったのか不思議に思ったから、俺は急いでその印象の元をたぐろうとしたが、不意に零れ落ちてきたような感覚の根元は突き止められるはずもなかった。
「やっぱりすごいね、美凪は」
「感心するのは良いが、ちゃんとコツは掴めたのか?」
「う〜ん、やっぱりよく分からなかった」
「ちゃんと見てろよな…」
「…まあまあ。…取り敢えず私の真似をしてやってみて下さい。…やりながらコツを教えますので」
「うん、分かった」
真剣な表情になってお手玉を回し始めた観鈴。
でもやっぱりお手玉は長く回り続けることなく、すぐに観鈴の手の外へ落ちてしまう。
そのお手玉を拾っては、励ましの言葉と共にそれを渡す美凪。
俺はそんな光景を一歩離れたところから見ていた。
何となく、まあその…二人の間に漂っている雰囲気を邪魔したくないと思ったからだ。
例えるなら仲のいい姉妹といった感じの、そんな雰囲気を。
「気分もすっきりしたし、俺もそろそろ読書の方に戻るとするか」
そんな独り言と共に二人に背を向けようとした時、俺ははっとした。
観鈴の失敗ばかりのお手玉を根気よく見守っている美凪の表情が、どこか寂しげな影を帯びているような気がしたからだ。
美凪の瞳は観鈴を映しているはずなのに、その瞳が見つめる先は目の前にいる観鈴ではなく…どこか遠くにいる誰か別の奴のような気がして…。
「が、がお…また失敗」
「…少しずつですが、ちゃんと上達しています。…諦めずに頑張りましょう」
ぐっ、と拳に力を入れて応援の姿勢を見せる美凪。
「うんっ」
その応援に笑顔を取り戻し、観鈴が答える。
…いや、やっぱり俺の思い過ごしだろうか。
どうもすっきりしない気分に、俺は少し頭を掻きながらその場を離れた。
*****************
焚き火にくべた小枝が爆ぜ、小気味よい音を立てていた。
夕方の気配を名残惜しそうに残した空の下では、その音が今日の終わりをより印象的なものに感じさせる。
「ねえ、往人どの」
「何だ?」
「わたしたち、どこまで行くのかな?」
「さあな。俺たちが落ち着いて暮らすことが出来る場所まで、としか今は言えないな」
「…まだ麓の道を歩けそうにはありませんか?」
食糧や水の調達のついでに何度か麓の様子を探ってみたが、見た感じの印象では例の敵達が俺たちをお尋ね者として捜し回っている様子はないようだった。
だが、俺たちが今まで移動してきた距離から考えると、まだ敵の手の届く範囲にいてもおかしくはない。
「問題ないかもしれないが、念のためにもうしばらくは今まで通り山道を進み続けることになるだろうな」
「そっか、まだ当分は楽できないんだ」
これまでのきつい山道などのことを思い出して少しがっかりしている様子の観鈴だったが、それでもこいつはこの数日の間に今の生活にちゃんと適応してみせていた。
翼人であるがゆえに生活のほとんどを他人任せにできた社殿とは違い、今の生活では自分達の事は何から何まで自分たちで行わなければならない。
空腹を凌ぐために食糧を探し、時には雨露に濡れながら夜を過ごすというようなことは、俺のように戦で野営慣れしたような者でなければなかなか続けられるようなものではない。
社殿から抜け出したときには、こいつらがこの生活に耐えられるかという不安も少しはあった。
でも、観鈴も美凪もそんな俺の心配を見事に裏切ってくれ、今ではその生活ぶりはかなり様になっていた。
むしろ美凪なんかは女官だったこともあってか、分野によっては俺なんかよりも野営の才能があった。
そのひとつが、この自炊だろうな。
「…そろそろ焼けた頃ですね」
そう言って美凪は火の近くに差していた山女の串刺しを手に取った。
ちゃんと中まで火が通っているかどうか確かめようと、美凪が身の一部を剥ぎ取ってみると、それと同時にうまそうな匂いが俺の元まで漂ってきた。
ぐう〜
その匂いに釣られて俺の腹が悲鳴を上げた。
「往人どの、お腹ぺこぺこ」
観鈴は嬉しそうに俺のお腹を指差した。
「…うるさい」
「…ちゃんと焼けているので、召し上がって構いませんよ」
「うん。じゃあ、いただきます」
「いただきます」
俺は焼きたての山女に舌を火傷しそうになりながらもかぶりついた。
腹が減っているだけあって、口に広がるその味は格別だった。
その味を堪能するのに夢中で、しばらくの間俺たちは無言で食べ続けた。
「今日こんなにも山女を食えたのは俺のおかげだな」
全ての山女が俺たちの腹の中に収まって一段落付いたところで、俺は自慢げにそう言った。
「うん。往人どの、魚捕まえるの上手」
「というか、お前らも蝉なんか捕まえるのに夢中になんかなってないでちゃんと手伝えよな」
「だって楽しかったもん。今日は3匹捕まえられた」
「そらよかったな。美凪も真剣に蝉の捕まえ方を観鈴に教えてたし、ちゃんと働いてたのは俺だけってわけか?」
「…私もちゃんと山女を捕まえました。…えっへん」
「美凪は蝉もたくさん捕まえてたよね。わたしも頑張って美凪みたいに捕まえられるようになりたいな」
「お前は1匹も山女を捕まえてなかったもんな」
「が、がお…」
「…大丈夫です。…いつか鯨でも捕まえて、その時は往人さまを驚かせてやりましょう」
「鯨とは大きく出たな…って、鯨に捕まえ方なんてあるのか? そんなの聞いたこと無いけどな」
「…ちゃんとありますよ。…私、知ってますし」
「何で知ってるんだよ?」
「…女官の教養としては普通かと」
「いや、普通の女官はそんなこと知らないと思うがな…」
「…そうですか?」
「ああ。お前の常識が通用する奴はまずいないと思っておいた方が、この先いいと思うぞ」
「…そうなんですか?…がっくり」
「何故そこで残念がる…」
俺が呆れ顔をしていると、隣で観鈴が笑っていた。
「何だよ?」
ちょっと癪だったので、俺の声は不機嫌そうな声色になっていた。
「ううん、別におかしいってわけじゃないよ。ただ、楽しいなって思って」
「…何がでしょうか?」
「こうやってみんなで賑やかに過ごすこと。わたし、ずっとこんな生活をしてみたいと思ってたから」
「賑やかなのだったら、社殿にいたときもそうだっただろ?」
「ううん。あの頃は3人でこんなにもずっと一緒にはいられなかった」
「確かにそうだな。あの頃は何だかんだ言っても俺や美凪には仕事があったから、一日中ってわけにはいかなかったな」
「…私は、ずっと観鈴さまのお相手をしていてもよかったんですけれど…」
「そんなことしてれば間違いなく暇を出されてたに違いないな」
「…はい…残念でした」
当時に思いを馳せて残念そうな表情を浮かべる美凪。
「でも今は美凪も往人どのもずっと一緒にいてくれる。わたし、友達とずっと一緒に過ごすことが夢だったから、本当に嬉しい」
「まあ、ここまでずっと一緒に生活してれば、友達って言うより家族みたいだけどな」
「うーん、家族かぁ…じゃあ、往人どのはお父さんかな?」
「だとしたら、俺は相当年を食ってる設定になるな」
自分の年をちゃんと覚えてる訳じゃないが、流石におっさんまでは行ってないと思う。それに、おっさん扱いは嫌だ。
「じゃあ兄妹?」
「まあ、そんなとこだろうな」
真面目に取り合っていたらきりがなさそうだったので、適当に答えておいた。
「じゃあ、わたし、妹。往人どのはお兄さんで、美凪はお姉さんかな?」
「ただの例え話で言ったのに、なに熱心に考えてるんだよ?」
「だって、わたし家族と過ごしたことがないから。…あれ? そういえば、往人どの家族の事って聞いたことがなかったよね?」
「ああ、面倒だから話したことはないな」
「じゃあ、聞きたいな。往人どのの家族のこと」
「面倒だ」
「聞いてみたいな」
「大体、聞いたって全然面白くないぞ?」
「大丈夫、大丈夫」
「はあっ…仕方ない奴だな」
これ以上しつこくされるのも嫌なので、俺は場が白けるのを覚悟しつつも口を開いた。
「俺は自分の父親が誰なのか知らない。俺の物心が付いたときにはもういなかったし、母親も教えてくれなかったしな。その母親の方も俺が小さい頃にいなくなった。どうしていなくなったのかは覚えてないが…多分、もうこの世にはいないだろうな」
たったこれだけ。
俺が自分の家族について語れることは、たったこれだけしかなかった。
「…ごめん。やっぱり聞かない方が良かったかな?」
「事実だし、別に気にする事じゃないだろ」
「それじゃあ、美凪は?」
ばつが悪いと感じたのか、助けを求めるように美凪に話を振った。
「…私ですか?」
「うん」
「…私には父と母と妹がいましたが…今はみんな、空の高いところにいます」
そう言って、今はまだ見えない星空を見上げる美凪。
「…何だかわたし、暗い話振っちゃったかな?」
「自業自得だ。気にするな」
「それ、全然励ましになってないと思う…」
まあ、励ますつもりで言ったわけでもなかったが。
「そう言うお前はどうなんだよ…って、なんか嫌な予感がするな…」
「多分、往人どのの想像通り。わたしもお父さんやお母さんのこと知らない。亡くなってるのかどうかも知らないけど、物心付いたときにはもうわたしは独りぼっちで社殿にいたから…にはは」
暗い雰囲気にしたくなかったのか、観鈴は無理に笑っていた。
その笑い方が諦めからくる開き直りというか、少し自虐的なところを感じさせるものだったから、迂闊な質問をしてしまったと少し後悔した。
観鈴には俺が持っているような家族とのおぼろげな記憶さえもないというのに…。
「…そっか、3人とも同じようなもんか」
「うん、同じだね」
気が付けば東の空から夜のとばりが下り始めていた。
森の中が完全に闇に包まれるのももうすぐだ。
「暗くなる前に片づけよっか」
「ああ、そうだな」
観鈴の声を合図に、俺たちは焚き火の後始末を始めた。
−8話に続く−
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ひでやんさんから、続きを頂きました。これだけ良いペースで続くと、連載って感じがしますよねw 見習わないと…。
個人的には、美凪と、みちるとの記憶がどのように過去編と絡んでいくのかが興味深いのですけどね。このまま、往人とくっ付いても別に違和感も無いですし…。
ひでやんさんへの感想は、
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