11.追憶 3 /おにやん
マリア様、どうか2時間前に時間を戻して下さい。
すでにマリア祭は終わり校内には人影が少なくなっていた。私が倒れたことは幸い大事にはならずに済んだらしい。
なんでも、あの後もっとすごい事件が起きたらしいのだが、詳しくは聞かなかった。私にとっては、あの人の前で醜態を晒してしまった事の方が大切で、それしか頭になかった。こうしてマリア様の前で不毛なお願いごとをすること約数分。ポツポツと雨が降り始めていた。
「はぁ・・・私ってつくづく雨女だなぁ〜」
昔からそうだった。何か自分にとって良い事が起こる、もしくは起こりそうな日には決まって雨が降るのだ。お父さんにねだって買って貰ったお気に入りリボンを付けて行った初等部の頃の遠足の時も、テストで思わぬ好成績がとれた時も。エトセトラ、エトセトラ。そして・・・あの人と始めてあった時も。
昔からの友人の間では、私のこの雨は“超能力”とか“素敵な力”とか色々な説が飛び交っている。まぁ、そのせいで雨は嫌いじゃないんだけど。
「お〜い、もしも〜し。聞こえてる〜?」
「ふぇっ!? ・・・痛っ」
物思いに耽っていたせいだろうか、数分で済ませるつもりお祈りが延長戦に突入してしまったらしい。やっぱり、調子にのって初等部から今までの想い出の引き出しを開けてしまったのがまずかったのだろう。
その突然の呼びかけに完全に不意を突かれてしまった為だろう。お嬢様にあるまじき品のない叫びと共に急に振り返ってしまった。あぁ、あの人とは大違い。・・・ホント、恥ずかしい。
しかも、急に振り返った時に近くの草の葉で腕を切ってしまった。
「わっ! ちょ、ちょっと大丈夫?」
私に声をかけた生徒が心配そうな声をあげる。
「あっ、平気です。ちょっと切っちゃっただけですから。これぐらいなら舐めていれば大丈夫ですよ」
目の前の生徒は首からカメラを下げた眼鏡の似合う大人びた人だった。
「あっ! あなたマリア祭で倒れた娘ね。大丈夫なの?」
どーん・・・。なんで覚えているんだろう。この人。
「えっ・・・あ、その・・・大丈夫です・・・」
恥ずかしさに語尾の音量がみるみる小さくなっていく。
パシャ!
「ふぇ!?」
突然のフラッシュにまたもや失態を犯してしまった。
「真っ赤な顔、頂き♪」
「ちょ、ちょっと・・・!」
「大丈夫。ちゃんと現像したら持って行くから・・・って、そうそう、あなたのお名前を教えて頂ける? 私は武嶋蔦子。二年よ」
そう言ってカメラを片手にウインクする姿は一瞬見とれてしまうほどだった。
「い、一年李組の雨宮円です!」
その人はこともあろうに上級生だった。と言うか早く気が付け自分。よく見れば分かるじゃないか。しかも武嶋蔦子って、有名なあの新聞部エース、武嶋蔦子!?
「・・・・・」
しばらく反応がないので、恐る恐る蔦子さんの顔へと視線を向ける。
「えっ!?」
蔦子さんは驚いたような顔をしていた。
「あの・・・」
「驚いた。祐巳さんと同じ百面相の持ち主が一年生に存在していたとは・・・」
ひゃ、百面相? 一体、この人は何を言っているんだろう。・・・って、それよりも今何かとても重要な単語を聞いたようなきがするのだけれど。
「あなた、ババ抜き弱いでしょ?」
「え? ・・・あ、はい。生まれてこの方、一度も勝ったことがありません」
「ふふっ やっぱり。こりゃあ、祐巳さんといい勝負ができそうだわ」
・・・祐巳さん? 祐巳さんって、もしかしてあの祐巳さまのこと?
「あ、あの・・・“祐巳さん”って・・・もしかして・・・」
「ん? あぁ、そうだよ。あなたがおメダイを貰った紅薔薇さまの隣にいた紅薔薇のつぼみ。福沢祐巳さんよ」
「ゆっ、祐巳さまとお知り合いなのですか!?」
「わっ! ちょ、ちょっと落ち着いて、落ち着いて!」
思わぬ事実にいつの間にか上級生であるにも関わらず、蔦子さんに詰め寄ってしまっていた。
「・・・なるほどね。それで祐巳さんに会ってちゃんとお礼が言いたい、という訳ね」
いつの間にか雨は止んでいた。
「はい」
「でも、私に出来ることはないわね。それはあなたと祐巳さんの問題だから。会いたかったら、自分で会いに行きなさい」
「・・・はい」
「まぁ、急ぐことはないんじゃない? 祐巳さんは逃げたりしないわよ・・・たぶんね」
「たぶん・・・、なんですか?」
「世の中に100%ってのはそうそうあるもんじゃないのよ」
そう捨て台詞を残して蔦子さんは行ってしまった。
「自分で会いに・・・か」
そんな勇気、自分にあるのかな?
「ごきげんよう」
えっ? あっ、ごきげんよう。
「あら? 血が出ているわよ」
あぁ、これはさっき草で切って・・・
「これを使って」
大丈夫ですよ。こんなの舐めていれば治りますから。
「あなたも気を付けて帰りないさいね」
あ、あのっ! その節はありがとうございました。私、ずっとあなたにお礼が言いたくて・・・それで!
言いたいことはいくらでもあるのに、決して口から出てこようとしない私の臆病な気持ち。
伝えたいけど、伝えられない私の切ない気持ち。
遠ざかっていく背中は、私の求めていた人の背中。
「・・・祐巳さま」
やっとの思いで涙と一緒にこぼれ落ちた言葉は、その背中には届かなかった。