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SOME MEMOIRS ABOUT SV400S.

2000.11-2003.5までの乗機となったSUZUKI SV400S('99型)にまつわるいくつかの小話。
by 我意

残された選択
戸惑い
ヤツが来る
ジョニーの膝パッド
決戦の部隊
垣間見たモノ
ブレイク・スルー
さよならSVツーリング
さらばサイクロン号
番外編

残された選択

なぜ俺がSV400Sを選んだか?ということだ。他のところでも言っているが、これは正直に言えば消去法、消極的な選択だった。
その前に乗っていたR1-Zがかなり消耗して乗り換えを決意したとき、現行車種でスポーツテイストを持ったものはCB400SFくらいしか思いつかなかった。FZ400も考えていたが、いつの間にかカタログ落ちしていた。
それまで軽さが好きで250ccの特に2ストが気に入っていたが、ちょうど排ガス規制が厳しくなって(またアメリカンやスカチューンの流行、スポーツモデルの不人気もあってか)二輪のラインナップが激変し、俺が欲しい要素である「軽い車体、回るエンジン」というようなバイクは特に中型では激減したのだった。
俺はバイクは全開にして乗り回してこそのものと考えているから、大型にはさほど興味はなかった。YZF-R1なども既に有名だったが、雑誌などあまり読まず、バイク仲間も少ない俺は「FZR1000の名前が変わった」という認識で、やはり「無駄にパワーがあるが大柄で取り回しが悪い」というイメージを抱いていたせいもある。知人などにもYZF-R6の魅力を語られたりしたが、実際に見てない俺のイメージは一昔前の大型バイクで固定されていた。つまり第三京浜や首都高の直線で飛ばして喜ぶためのマシンだろ、と。・・・いま思えば凄絶な勘違いだ。
就職したて、引越し直後、おまけに免停で罰金取られた直後で資金がないのも問題だった。が、捻出しようと思うほど大型に魅力を感じなかったのも事実だ。
本来、新しいバイクを買うつもりでカタログなどを見ている時は、鼻歌が出ちまうくらい愉しいものだが、この時はそうでもなかった。ラインナップに欲しいバイクがない。でもバイクは乗りたい。時代の趨勢を恨みつつ、妥協点を探る作業はあまり愉快ではない。俺が求めていたのは、一言で言えば80年代後半から90年代前半に「レーサーレプリカ」と呼ばれたようなマシン。走りの性能のみをストイックに追求したモノだ。だがそんなものは、時代に見放されて絶滅していた。だいぶ迷ったが、あまり古い中古車も買いたくない。
結局、カウル付きが良かったしYAMAHA好きでもあるので、FZ400の中古を買おうと大手量販店に向かい、見積もりを頼んで店内をブラブラ歩いているときに、「?・・・なんだコレ?見たことねえバイクだな」と遭遇したのがマイナーチェンジ前で叩き売られていたSV400Sであった。新車なのに安い(\399,000)。カウルに二眼、ブリッジ下のセパハン。パッションな赤。・・・悪くはない。跨ってみると、見た目以上に軽い。ちょっとアクのあるデザインだが、そこは妥協できる。Vツインってのは味わいバイクというイメージだったが、カタログで見るとスペックは悪くない・・・。なにせ、新車だ・・・。
3時間後、俺はローンを組んでいた。
「全額均等に36回払いにしてください」
「頭金は?」
「無しで。」
「ちょっとぐらい入れてくださいよ」
財布を見る。 「・・・じゃあ4万円。」
こうしてSVは俺の乗機となった。

戸惑い

ともかくSV400Sに乗るようになって見ると、最初はなんとも乗りにくかった。
それまでは、トルク感がない、エンジンブレーキ効かない、概してピーキーな高出力というのが特徴の2ストマシンを乗り継いでいたこともあり(またそういった特性が気に入ってもいた)、後ろブレーキいらねえんじゃねーか?と思うほどエンジンブレーキが効くVツインの乗り味はなかなか馴染めなかった。
そこで、ある日思い立って会社に「すいませんお腹痛いです」と電話し、多摩テックで開催されるホンダのライディングスクールに参加した。ジムカーナのようなことをして、ライディングの基本を身に付けるスクールだ。
これは相当の効果があり、とりあえず帰る頃にはだいぶ車体に慣れた。一般道で毎日チョコチョコ乗るのに比べ、こういう非日常な走りを丸一日やれるスクールで得られるものは非常に大きい。「多摩テック スポライ」なんてキーワードでGoogle検索すれば情報があるので、いまいちバイクが乗りこなせてないな・・・と思ってる人は是非行ってみるといい。
慣れてくると、このマシンがなかなか良く曲がるバイクであることがわかってきた。そして、慣らしを終えて、このエンジンがカタログに謳われているようによく回る・・・俺がもっていたVツインのイメージではないレベルで回るということも確認できた。
消去法で選択したマシンが徐々に、「俺のマシン」になって行った。

ヤツが来る

ヤツは、学生時代からの知り合いで、俺の友人の中で数少ないバイク乗りである。俺が旋回性を重視し軽量マシンを好んだのに対して、パワーを重視し重量マシンを好むヤツは、乗っているマシンの傾向は違うが、バイクの腕、経験はいい勝負で、いわゆるライバルと言えた。そう、ヤツの名はジョニー(自称)。そして俺がSVを買うのとほぼ同時にヤツはGSX1300R隼・・・ミレニアムファルコン号を購入していた。当時は、お互いに「もうバイクを足に使うこともないし、社会人にもなったし、ちょっと大人しく乗るか」とか電話で言い合った気がする。俺たちもヤキがまわったのう!等とほざいてみたり。・・・しかし、この後、事態はあらぬ方向に展開することになる・・・。

ジョニーの膝パッド

2001年の5月。俺とジョニー、(そしてもうひとり、中古でSDRを買ったソニー)は、それぞれの人とバイクの慣らしを終えて、久々にグループツーリングに行く事にした。行き先は西伊豆。富士、箱根を経由し、高速を降りてからの大部分を峠道で構成したコースだ。これは、昔からの我々のコース設定のパターンでもある。
ちなみに、我々の常として、予定は集合先と目的地しか決めていない。目的地の宿の電話番号を各自でメモり、「途中ではぐれたら各自宿を目指せ」で発進。だが技量が近いので適当に走ってればいっしょに走ることになる。ソニーは腕前がアレなので遅れがちだが、そのことでストレスを受けないのが彼のイカす点である。
中央高速の談合坂SAで集合した俺とソニーの目に飛び込んできたのは、なんとツナギを着たジョニーの姿であった。
皮ツナギなのにブーツが普通のワークブーツなのが妙だったが、ジョニー曰く、「何せ300km/h出るマシンだからな。それなりの格好しねえとマズいだろ?」後に「アタックスーツ」と呼ばれるジョニーの黄/黒のツナギの初お目見えであった。
この後、いろいろありつつも、我々は峠を快走する。免許歴だけは十分長いが、ほとんど都内しか走ったことのないソニーを「宿の電話、教えたよな?」と置き去りにし、富士箱根伊豆のワインディングを堪能した・・・。しかし、いま思えば、この時から俺とジョニーの意識に新しい何かが芽生えて始めていたのだ・・・・。
問題はアタックスーツにあった。
途中でバイクを止めて缶コーヒーをすすりながら休憩している時だ。
俺たちがいっしょに走っていた連中(大学のバイクサークル)には、膝パッドを付けているヤツはいなかった。ツーリングに行けばかなり飛ばし、無理膝の峠小僧(実際には小僧ではない齢のことも)をカモったりすることもあった。だが、基本的にはツーリング派であり、みなジーンズなどで走っていた。
そこに現れたジョニーのアタックスーツ。その膝には樹脂製のパッドがついている。なんとなく話題がそこに行く。
「こんなトコ地面に付くか?」
「いや普通無理だろ」
「でも無理膝ってヤツならさ」
「そうだなあ、俺らより遅い小僧だって擦ってるもんな」
「・・・なんか膝パッドがツルツルなのって格好悪くねえか?」
そんな会話をしているうちに、膝パッドを外し、手に持って地面に擦るジョニー。プライドが高いのか低いのか。「それはダセえだろ。擦るなら走りながら擦らねえと。削れ方でバレたら余計に恥ずかしいぞ」
・・・そう、この会話が、俺たちの走り対する考え方を変質させた。「とりあえず膝を擦りたい。」「ジョニーが膝を擦るなら、俺が擦らないワケにはいかねえ」。
その後、ますます峠でペースを上げ、バンク角を増す。ケツもいつもより動かしてみる。なるほど、この方が速く曲がれそうだ。でも膝が地面についてしまう心配はまるでない。アレ?と思い、自分の求める走りと現実のギャップを感じつつも、いつになくハイペースで走る伊豆の峠は気持よかった。
実際、この時のツーリングは、日帰りまたは一泊までのショートツーリングのなかでは、いままでに数多く行った中でもなかなか面白かった。峠も面白かったが、堂ヶ島のあたりで海沿いの断崖の上にぽつんと湯舟だけある温泉・・・名前は忘れてしまったんだが、なんか漁港の奥にあるの場所だ、そこに入り、暮れ行く大平洋に全裸を晒してくつろいだのもいい気分だった(湯舟のすぐ横はそのまま崖で、崖の下は白波砕け散る磯だ)。また、雲見の民宿では、伊勢海老だのアワビだのがこれでもかというぐらいに出され、また、その他の地味なもの(もずくとか)もびっくりするほど美味かった。他にも、俺のマシントラブルから最後の高速でも集中豪雨まで、このメンバーのツーリングではお約束とも言えるイベントもしっかり用意されていて、むしろ「もう勘弁して下さい」というくらいだった。ただ、心残りもひとつあった。
結局、ジョニーの膝は綺麗なままだった。
今まで、膝擦るくらい、その気になればできると思っていた。が、その気になっても擦れない。そうなると、そこそこ走れるつもりだった自分の技量に疑問も湧く。GPライダーの速度は求めていない。だが、擦るだけならその辺のヤツだって擦ってる。もしかして俺達は下手糞か?

決戦の舞台

おそらく、俺が感じたのと同様のもどかしさをジョニーも感じたのだろう。あるいは俺以上かも知れない。ある日、ジョニーからメールが届く。「梨本塾というのに参加してみることにした」本文はこの一言にURLを添えてあるだけだった。そのサイトを見ると、梨本塾というのは、どうやらサーキット走行会のようなものだ。ちょっとためらったが、ツナギやライセンスがいらないということで、「一度くらいサーキットってのも走ってみるか」と思い、俺も参加を決めた。
こうして、俺たちは新しい世界に一歩足を踏み入れることになった。
梨本塾に参戦しての話は、
ここにあるので参照して欲しい。結論だけ言えば、5回の参加のうち、初回は俺の圧勝と言えた。SVの旋回性が隼に勝った、というよりは、俺の腕がジョニーよりだいぶ上だった、というのが正しいだろう。だが、これ以降、ジョニーはこの塾に通い詰め、目覚しい進歩をする。それ以来、俺は勝利を手にできないでいる。

垣間見たモノ

この梨本塾というところでは、俺とジョニーの対決はすっかり有名になってしまった。塾はサーキットのフリー走行に模擬レースもあり、ジョニーと雌雄を決するにはうってつけだ。だが、俺もそれだけを目的にしているわけではない。ジョニーに勝つことは必須だが、まず第一に、より速く走りたいと思っている。
暖かい時期にだけ隔月で参加というペースだが、ここで初めて、俺は全開走行するスーパースポーツマシンを目の当たりにした。それは、俺が持っていた「大型バイク」のイメージとは違っていた。速い。本当にこの一言に尽きる。
ジョニーは、とりあえず倒したい相手ではある。だが、ここには、そこそこは走れる方だと思っていた自分とは、まるで違う次元の走りをする人達がたくさんいた。塾長・梨本氏は別格だ。バイクに乗って飯を食っているのは伊達ではない。だが、それ以外の参加者・・・まあ常連というか、何度か参加しているようではあったが・・・それにしてもただの素人だ、それが、塾長には劣るも、自分とはまるで違う走りをしている。正直、俺は憧憬の眼差しで眺めてしまった。峠で俺より速く走るYZF-R1を見ても、「そのパワーでそんな程度か?」としか思わなかったが、ここでは、素直に「アイツら格好いいなオイ・・・」と思ってしまった。
言ってみれば、南斗水鳥拳に心奪われたユダの気分だった。

ブレイク・スルー

さて、先に書いたように、ジョニーとの勝負は負け越しだ。初対決こそ俺の圧勝と言える結果だった。だが、敗北が彼のスイッチを入れてしまったようだ。次の対決で会ったとき、ジョニーの走りは、俺が学生の頃から見てきたものとは異質なものになっていた。そして、隼を御するようになったジョニーに対し、俺のSVは後塵を喫し続けた。俺の走りも、彼ほどではないがだいぶ変わった筈だが、お互いにマシンの性能をより使い切れるようになれば、絶対性能の差が顕著になるのは必然だ。
ところで、社会人になって車を買ってバイクを降りるヤツは多い。だが、こういう風に、もう何年も(しかも積極的に)乗っていたのに、ある時にまったく別の世界が開けることもある。そういう魅力が、バイクにはあると思う。それを知らないでバイクを降りてしまうことは非常に勿体ないと思うが、それはあくまでも乗りつづけている者の価値観なんだろう。
さて、話を対決に戻すと、俺は敗北をマシンのせいにするのは嫌いだ。だからこそ、近頃では「小さい」とさえ云われそうな400ccのマシンに拘ってきた。
場所やレベルが上等になれば、マシンの差が出よう。だが、一般的な使われ方では、排気量の前に腕の問題なんだというのが信念だ。だが、そろそろ、このバイクでは勝てない、と認める時が来たようだ。無論、俺の腕にもまだまだ問題は多々ある。だが、既に謙遜しても一般的とは言いがたい状況で走る機会を持ち、それによって走りのレベルも徐々には上がって来ている。この状況では、ジョニーの隼、そして並み居るスーパースポーツ・・・YZFやCBR、GSX-Rなどに対抗するのに、SVのスペックは明らかに不足していた。そう思えても尚、拘りを持って挑戦を続けていたが、ジョニーが隼を乗りこなすほどに差は広がる一方。そして、他の上級者達にも追いつける希望すらない。
いつまで勝てない戦いを続けるか?
もはや、俺は、勝てないことを常態として受け入れ、「Vツインで4ストのSV400Sでは勝てない」と、それこそマシンを負けの言い訳にして、自分を納得させてはいないか?
「速いバイクに乗れば負けねえ」と息巻いて、それをしないのは、まさに「言うだけ番長」ではないか?
・・・徐々に、俺の脳裏にはそんな考えが浮かぶようになっていた。
そしてある日、それでもまた梨本塾に参加して、ジョニーには負け、Aクラス(上級者)の走りを眺めて「速えなあ、カッコいいですなあ」と思っていた時・・・俺は突然に重大なことに気が付いた。
俺はいつから傍観者になってしまったのだ!?
Aクラスだ?別にレーサーが走ってるワケじゃねえぞ?素人が市販車走らせてるだけだろ?何を「自分とは別の世界」のように眺めて感心してるんだ?俺はいつからそんな屁垂れになっちまったんだ!?
・・・俺とて、初めてサーキットに出てから1年半。頻度は高くないが、それはAクラスのヤツらとて大差ない筈だ。俺より走ってたとしても、毎日走ってるわけじゃない。平日は仕事をしてる連中だし、3歳からポケバイってな生粋のレーサーでもない。それを、いつまでこっち側からあっち側を見るように、羨望の眼差しで眺めているのか?SV400Sじゃパフォーマンス不足で向こうに行けない?オーケイ、その通りだ、認めよう。さすがに敵が悪い。ならば、マシンを換えよう。妥協のないマシンを手に入れ、二度とマシンのせいで勝てないなどと言わないようにしよう。そして、ジョニーを倒すだけではなく、自分の腕はどの程度か、試してみようではないか。

さよならSVツーリング

そういうわけで、まだ次のマシンは手配していなかったが、SVは手放すことにした。
SVの「たいていのシチュエーションでまずまずよく走る」という性格はクセモノで、サーキットに出てジョニーやスーパースポーツ乗りに敗れた時こそ不足を感じるが、それ以外の日常では特に不満がない。最初はちょっと馴染めなかったデザインも、見慣れたのか、道行くおっさんやチビッコにはよく誉められるせいか(彼らには、排気量やカテゴリー、ブランドによる先入観がないからか?)、いまとなっては結構イイようにも思えるし、街乗りでは軽快そのもので、ワインディングも面白い、高速でも充分過ぎる巡行速度(大きい声では言えないが150前後なら楽、気合い一発なら180は出る)で、変な表現だが、気を抜くと満足してしまう。
高い出費をして新しいマシンを獲得するには、まずこのなかなか居心地のいいマシンを手放してしまわないと、どうもアクションが起こせない。
しかし、会社の同僚と兼ねてからツーリングに行こうという話があったので、最後に、久しぶりのツーリングに出かけてからコイツと別離れることにした。
同僚たちは、みなネイキッドで、免許取得後間もない者もおり、かなりのローペース。お互いの走りに対するスタンスも不明なので、各自ずいぶん気を遣ってのツーリングとなったと思うが、まあそれなりに楽しめたと思う。詳細は、
さよならSVツーリングで。
最後とは言え、バイクに故障が来ているわけではないので、当然と言えばその通りだが、この日もSVはよく走った。よく走ってはいる。だが、ヤツらに勝には足りない、そう思って俺は決意を新たにした。

さらばサイクロン号

そして、5月のある日曜の夜。ついにSV400S-サイクロン号を売りに出した。売った先はバイク買取専門店。次のマシンを買う店をまだ決めてなかったので、下取りではなく買い取りにした。
適当に雑誌の広告を見て、サイトに繋ぎ、オンラインで見積もりを依頼する。買取希望金額30万円。同型の中古車が40万前後で売っているからだ。まあ高すぎとは思うが希望だからな。20も行けば万歳だ。
ところが、返って来た答えは24-28万円。・・・うそ!?そんな出してくれんの?下取り14万5千円だったのに?
さっそく来てもらう。期待は膨らむ一方だ。オンライン見積もりの時点で、傷や欠品の状態は正確に伝えてある。隠したってどうせバレるからな。
ところが。
開口一番、「こりゃあ他所じゃ一桁って言われちゃうよ」。 ・・・は?
それからマフラーが傷だとか、アレがないだの走行が多いとか、人気ないとか、安い理由を並べ始める買取屋。
・・・いやさ。言い分はもっともだ。だから見積もり段階でちゃんと書いといたろ。それで30万近い金額を提示したのそっちだぞ。
で、他ではまず10万は行かないが、ウチなら15は出しますよ、だと。
バカ言ってるんじゃねえ。下取りが安いと噂の某大型店でも14.5は出てるんだよ(コレは黙っておいた)。結局、相場通りだろうが。恩着せがましい。 追い返そうかな、とも思ったんだが、おそらくこの調子だとどこに持っていっても似たようなものだと思い、売ってしまうことにした。それでも、粘って1万円は乗せさせたけどね。15と16じゃ大差なくも見えるが、何もしないで1万円が手に入ったと考えると大きい。
おそらく、これは買取屋の常套手段なんだろう。見積もりでは高値を提示。現地で「あちゃ〜細かい傷が・・・」とかケチつけて値下げ。そこから、ウチならば、とちょっと値上げする。売り手も、呼んでしまっている手前、売ってしまう。上手くいけば買い叩けるし、失敗しても普通の値段で買っていい顔だけできる。
セコい・・・なんてセコいんだ。どうせみんな似たりよったりだろう(その後、バイク屋で買取屋の話したら、買取屋から入手した名刺を見せてくれた。15社くらいの買取店が、実は全部同じ会社の別名だった)が、俺が呼んだのはArk819と言うところです。
まあ、結局はおそらく相場程度で(新車とはいえ特価の39万で買って3年近く乗ってるしな)、書類の手続きとかはちゃんとやってくれたから、いいにはいいんですが。ぬか喜びさせられたのは、非常に腹立たしい。
さて、買い取られたSVは、そのままトラックに積まれて、夜の町を何処かへと消えていきました。走る去るトラックの荷台で、愛嬌のある二眼ライトがこっちを向いていたので、なんかちょっと気の毒な・・・ドナドナの子牛を見送る気分になってしまった。
そんなセンチメンタルな性質ではないつもりだが、やはり、ともにジョニーと闘ってきたマシン・・・いつの間にそれなりの愛着が湧いていたのを再認識した。おそらく珍しい、ブレンボとバックステップ装着のSV。願わくば、熱い走りのライダーに選択されるといいな、と思う。

そして、次の日。
俺は、SVの売却益を手に、会社をキンコンダッシュ(定時)で上がる。
その足で向かったのは自動車教習所。どうやら俺は一発試験では大型免許は取れないようだからな。
もはや手段は選ばん。取れればよかろう、だ。
そして、翌日は会社のPCからバイク屋にメールを送りまくる。「・・・在庫ありますか?」
奇しくも、ソリッドカラーのカウルに変形ニ眼のデザインは、俺にはSVを連想させる。だが、排気量は1.5倍、車重はSVより軽く、パワーは実に2倍を優に超える・・・間違いなく、これまで俺が乗ってきたバイクの中で、もっとも、そして飛びぬけて強力なヤツを俺は獲得しようとしている。

番外編:大型免許は一発じゃ取れない

適当に検索すれば見つかる通り、ネット上の情報によると、「大型免許は一発で取れる!」だそうですが。書いてる人は取ったんでしょうが。だからと言って、誰でもできるワケではないということがわかりました。
そう・・・・実は俗に云う「一発試験」に7回チャレンジして落ちました。 最初は、盆休みがヒマだったから行っただけだったんだけど、そうなると意地になって有給とか使って何度もチャレンジしたんです。正直、俺も運転技術にはそこそこ自信があります。それでいて、試験では技術じゃなくて「法規運転」が肝心だってこともわかってます。
しかし・・・不思議なことに、まさに呪いか、心霊の仕業か、あるいは政府の陰謀かと思うんですが、ぜんぜん受からない。
いや、受かる気はするんだけど。微妙に受からないんですわ。
・・・確かに、交差点でエンストして転けたり、一本橋で頑張り過ぎて転けたりした時は、不合格に納得しよう。おうとも、俺は一発モノのプレッシャーには弱い方だからな。しくじったさ。でもなあ、他の時のはどうかねえ?
アクセル閉じ過ぎだとか空け過ぎだとか。コマケえんだよクソ野郎!!てめえらの勝手に想定したさじ加減など知るかボケ!
・・・こういうことを考えてやってるから受からないのかもな、と思いつつ、教習所に行くことにしました。
要は、アレだ。大型試験がえらい難しいってのはやはり正確じゃないと思うのだ。普通二輪でも、小型限定でも、一発試験で取るのは難しい。試験の走り方ってのがあるからだ。
だから、普通二輪を取って間もない人なら、むしろ一発試験で大型も取り易いんじゃないかなあ、と思う。そういう人はチャレンジしてみてください。俺は、なにせ試験用の走り方も心構えも忘却の彼方なので、いつも「技術的にはいいんだけど・・・」とケチがついてしまう。
いままで、試験で取ろうとしてたのは、「試験でとった」っていうステータスが欲しかったわけではなく、切実に金がもったいなかったからなのだが、今は有給が使えない身分であり、会社休んで試験に行くとそれも結構な損失になってしまうし。
しかしながら、教習所も通い初めて見ると・・・意外といいかも知れないなあ、と思い始めたりしてます。
場所にもよるだろうけど、昔の教習所のイメージみたいに、無駄に怒鳴られたりはしないし。確かに、指は4本がけだとか、変な立ち姿勢だとか、疑問点もあるにはあるんだけど、基本のキと言うんですかね。丁寧な運転の練習は、これはこれで無駄ではないんではと。
俺は、16になってすぐに免許をとって、最初は父親の知人から古びた125ccのオフ車(DR125S)を譲り受けて乗っていた。最初からまあボロだったし、軽かったし、転倒することになんの抵抗もなく、川原で変なテクの習得に励んだりした。それで、ある程度は腕があがったと思うんだが、いかんせん、えらく我流の癖が強い乗り方になってしまっているみたいなのだ。
その後もTDRやR1Z、TT-Rなど、軽いモノに乗っていたせいか、癖が矯正させることもなかったようで、多摩テックでも梨本塾でも、腕の力でバイクをねじ伏せようとしている、とか操作が雑とか、いつも似たようなことを言われてたのです。概して、バイクの性能を引き出すというより、俺が俺がと我が強い操作なんですな。これでは、性能の高いバイクになるほど乗りこなせなくなりそうだ。
今回、望まないながら教習所に通って、また同じことを言われてしまった。目線が近いなんてのもお約束。
教習走りは、実戦向けではないのは間違いないのだが、俺のこの骨の髄まで染み付いたガサツさを矯正するにはいいかも知れない。矯正され過ぎない程度に、せっかく金払ってんだからまじめに練習しようと思う。

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