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Reports 富士山 手軽な最高峰、その頂の地獄門

富士山

富士山に登ってみる

日本の最高峰で爽やかにで御来光とやらを望む作戦

俺はバカじゃないぜ。
でも高いところは結構好きだ!
ということで、富士山に登ってみよう。

…とりあえず、国内最高地点に立ってみようじゃないか、そんな考えはだいぶ昔、たぶん悩める思春期くらいの頃からはあった。しかし、そのうちそのうちと思っているうちに、気付けば俺もいいトシ…このままでは実行時には熟年登山になってしまうわ、ということで、とにかくもせわしくもさっさと実行してしまわないと。そんなわけで行って来ました。

改めて、富士山。
3776m、日本の最高峰であり、標高のみならずその秀麗さからも日本を象徴する山である。
近年は登山道が整備され、特に夏期は観光地化しており、ハイキング気分でチャレンジする観光客も多い。富士講その他において古くから信仰の対象とされてきた山でありながら、ある意味で非常に俗化している山でもあろう。
山麓の開発、登山道のゴミ問題など、俗っぽ過ぎて世界自然遺産に認定してもらえないくらいだ。とはいえ、「されど最高峰」。やはり実際に「征服」してみたいものだ。

さて、当然ながら俺はこれまで富士山に登ったことはない。今回、登ってみることにした動機はいくつかあるが、主には

  • せっかく日帰り圏に自国の最高峰があるのだからそこに立ってみない手はない
  • 「富士山登ったことある?」と聞かれて「そのうち1回登ってみるつもり」と答えるのがそろそろ飽きた。
  • 還暦越えて棺桶に片足突っ込んだようなご老人方でさえ登っているのに俺が登れないなどということは許されない。そして自分が出来るということを証明するには実際に登らねばならんだろう。近いんだし。

そんなところだ。
そう、実際のところ、最高峰とはいえ、この山に登ることがそんなに大変だとは思っていない。だってさー、テレビとか見てると、ジジババとか不健康そうな芸能人だって登ってるじゃない。一応、俺は健康な若者であるんだからして、どうってことはないでしょう。

希望的観測

富士山は五合目まではクルマで入ることが出来る。
俺も、バイクやクルマで数度、五合目(新五合目)までは行ったことがある。五合目まで行くと、霧が出たりしていなければ頂上の方がはっきりと見渡すことできる。特に夏は駐車場には、これから登山開始といった風情の爺婆もいる。なんか頂上は近く見えるし、結構楽勝で登頂できそうだというのが正直な印象だ。

季節や天候によっては危険であるということは知っているが、コンディションさえ良ければ、2000m以上までクルマで入って、整備された道を杖突いたジジババと一緒に何時間か歩いてれば頂上に着くんだろ?と、ぶっちゃけそんなイメ−ジで「チャレンジ」というよりは、「ま、ちょっと行って来ようや」というノリで招集した同行者はソニー(仮名)。
まあ、楽そうだとは言ってもそこは高山、「もう足が棒だよう、お腹空いたよう」とか言いそうなタイプは足手まといになるので連れていけない。その点、こいつは喘息と各種アレルギー体質、加えて胃下垂で、お腹も弱い上に幸運にも見放されている、ハッキリ言って虚弱なヤツだが、逆境を生きてきた者ならではの粘り強さを備える、ある意味で信頼できるメンバーだ。

綿密な計画と準備

ところで実はこのプロジェクトは、そもそも2004年度に計画されたものだった。だが、そのときは天候が非常に悪く1年順延されたのだ(我々も忙しい、今日がダメなら明日というワケにはいかない)。この(2005年の)夏の初めに、ソニーとモスバーガーを食いながら昨年買った登山地図を広げてリスケジュールされた綿密な作戦計画は、以下の通り。

  • 8/16の深夜から登山開始、8/17の日の出を頂上で見てくる。
  • 登山道は須走口を使用
  • その他は適宜状況に応じて判断

いわゆる「御来光登山」だ。どこから見たって日の出は日の出であって、仏の国とは関係ないと俺は思うが、まあ、どうせならこのポイントは押さえておこうということで夜間登山を選択した。
「須走口」を選んだ理由は、まずひとつに、登山と下山でコースが分岐していて変化が楽しめそうだということ、そしてもうひとつは、東側のコースであるため、日の出の時点で頂上にいなくてもThe Comming Light (御来光)が楽しめるという点を考慮したのだ。
いや、別に登頂の自信がなかったわけじゃないぜ。おやつ休憩を長く取り過ぎた場合などを想定しただけだ。

いざ出発

登山の前日は、次の日を休むために仕事をこなし、深夜に帰宅。0時を過ぎて歩きながら見上げ目を凝らすと、点々と星が見える。晴れている。予報では明日も天気はよいはず。素晴らしいではないか。
そして当日。夜通し登山することに備えて、昼まで寝る。…つもりが、朝、ソニーからのメールで目覚める。外からは、「ざっしゃー…」と…あれ?なにこの音?メールの内容を読まずとも、緊急連絡の内容はわかった。…豪快雨が降っているではないか?
おととい見た天気予報では晴れって言ってたじゃない?昨日の夜だって晴れてたじゃない?なのになぜ?……。…まあ、しかしこれもある意味お約束だ。俺は何かしようとすればいつも雨に見舞われてきた。血液型占いも星座占いもまったく信じない俺が唯一、少し信じている非科学的民間信仰は、「雨男」の存在であり、俺がそれなのではないかということなくらいだ。

出発の予定は18時。とりあえず、そのときに土砂降りなら諦めようと電話でソニーと話し、再度寝る。


そして出発の時刻。雲は多いが空はやや明るさを取り戻し、雨は止んでいた。

素晴らしい。行けるよ!

ソニーと合流し、NSRC1號(つまりクルマ)に荷物を載せ、いざ発進、一路、富士山を目指す(ちなみに高速は使わない。コストが高いので)。途中で食料も仕入れ、順調に目的地に向かう。…が…途中の道程、車内でガンダム主題歌集のCDで「哀・戦士」や「砂の十字架」などを聴きながら気分を盛り上げつつも…そう、ややもすれば下がりきってしまうテンションを無理に維持しつつも…一点だけ些細な問題が発生していた。

まあ…たいした問題じゃないんだが…だから敢えて俺もソニーもそのことには言及せずに会話を続けていたのだが…実は、静岡に入ったあたりから雨が降り初めていた。

やがて走行中、いくら無視しようとしてもフロントガラスの水滴はもう無視するには危険過ぎる量で、ついにワイパーのスイッチを入れざるを得なくなり、結果的に状況の悪化を認めざるを得なくなった我々は、車中でプロジェクト計画を修正していた。
当初、須走口からの登山を考えていたが、登山道を富士宮口に変更したのだ。理由は、このコースが最短ルートだからである。この天気では、登れたとしても日の出なんか見えないだろう。だったら、最短コースを使って、雨で気が滅入らないうちに登頂だけでもすることを考えよう。事前調査では須走口は火山灰地帯を登るらしかったので、雨でぬかるんでいたら歩きにくそうだ、ということも考えた。

富士宮口へは、富士山の南側の溶岩地帯を横断するように走る県道に入り、富士山頂の真南から新五合目まで登る富士スカラインという道路を走れば行ける。晴れた昼間なら、目前の富士と広々とした溶岩地帯の眺望が素晴らしい道路だが、夜中な上に雨に加えて濃霧で5m先もよく見えない状況なのでそんなことは関係ない。ていうかこんな濃霧の中で登山なんかして遭難しないだろうか。
ちなみに、このあたりの道は富士登山のピークシーズンにはマイカー規制がされているが、ちょうどマイカー規制は昨日解除されているのでその点は問題ない。富士スカイラインも終盤、すでに標高は2000mを超えようという頃にはやがて霧は薄くなったが、今度は霧雨。視界は良くなったが、クルマの外に出ると濡れる。…うすら寒くてシトシトと霧雨の降る夜中。
…とてもじゃないが、これから登山をしようなどというモチベーションはまったくもって希薄になっており、もはや我々の会話は客観的に見れば「帰る理由の正当化を模索している」状態であった。

人はただ、風の中を、迷いながら、歩き続ける

富士山 ランララランララララララララ…。もはやモチベーションは下がりまくっているとは言え、やけくそで鼻歌を口ずさみつつも、とりあえず、登山開始前に晩飯を食べることにした。そう、登山前提の栄養補給として。けっして弁当食って帰るピクニックにしてしまうつもりはない。中止はしない。

だってここまで来て何もしないで帰れませんよ。とりあえず、雨は霧雨になったし、風も弱い。6合目までは行こう。そうすれば、登頂はしなくとも登山はしたことになるだろう、とやたらに現実的な落としどころを見つけ、飯の準備にかかる。
カッパを羽織り、登山道の入り口にベンチを見つけ、そこで取り出したのは、行きがけに調達した食料、山に闘いを挑む男の野戦食、…「パーティバーレル」。かつて、フライドチキン食べ放題にチャンレジした際には目標に挑むその心持ちを「チョモランマに見上げるアルピニスト」に喩えたが、今や俺は、グローバルとドメスティックの差はあれど、紛れもなく最高峰を闇の向こうに見上げ、フライドチキンを食っていた。やっぱり、力を出すには肉だよね。

せっせとセッティングをしているうちに、気がつくと霧雨はほとんど止み、眼下には富士宮市の街灯りがまたたいている。…奇麗なものだ。なら、6合目までと言わず、もうちょっと上まで行ってみようか。レインウェアを着込んでぱらぱらと登山道に入っていく人々を横目にみつつコーラとライスとチキンを貪り食い、3ピースを食べた頃、ようやく、くすぶりながらも胸のエンジンに火はついた。食後の角瓶お湯割りを飲み干し、立ち上がる。そうだな。俺たちも男なんだから、グズグズしてはいられない。

登山開始

富士山 クルマに戻り、装備を整える。実に、駐車場に着いてから2時間が経過していた。思い切り時間ロス。天候が回復傾向なため、登頂、御来光への期待も復活してきた。しかし、そうなると、予定よりだいぶ遅れているので、朝方に頑張らないといけない。そこで、朝型になれるようタフマンを飲み干す(※)。いよいよ登山開始。

※「タフマンは朝型」というCMにあやかっているが、執筆と閲覧に時間差がある媒体でCMネタは厳禁という戒めを半年経過後の現在既に感じている。)

現在時刻は0時をまわろうかと言うところ。登山地図によると登頂に必要な「平均的な」時間は4時間40分とされている。この「平均的」は、「平均的な『40−50代の登山愛好者』」の意であるとのことだから、登山慣れしない素人が登る場合はそれより長く見積もることが賢明だ。
ただ我々は「登山経験者」というほどに登山を嗜んではいないが、設定の年代より地の体力はあるはずの年齢なので、差し引きでちょうど地図通りのタイムくらいだろうと見込んでいる。そして日の出は5時4分。つまり、日の出に間に合えるかどうかは非常に微妙なタイミングでの登山開始となった。

駐車場から登山道に入るとまずは20段くらいの階段。そこに五合目、2400mの看板もある。あと1300mくらいか。まあ、小学校の林間学校で登った箱根の金時山くらいのもんか。じゃ楽勝だな、と階段を登りきると、おもむろに地面は細かい軽石に。ざくざくと、軽石の砂利道を歩く。勾配もさほどではないし、歩きやすい。
おいおーい、なんだコレ?余裕と言うか、もうヨユー、むしろ略してYO ですよ。登山道入り口では左右に樹木があったが、新五合目の駐車場がまさに森林限界のあたりなので、すぐに辺りに樹木はなくなり、前後左右に視界が開けた。歩き始めてからは、折り良く雨も止み、月明かりでも周囲が見えた。知ってる人は知っている、知らない人は知らないだろうが、電灯の無い山奥などで月明かりに照らされた景色というのは、何もかもが蒼く静謐に見えて、やはり都会(まち)では見られない幻想的な味わいでどこか心躍る。

遂に「富士登山」を実行にかかっているという高揚感もあり、テンションは高い。とは言え、ほどなく足下には小岩が現れ始め、それらに躓かないよう、ライトで足下を照らしながら歩くこととなった。それはそれで、非日常的で面白い。ほら、私これでも都会のもやしっ子ですから。さて、両手が使えるようにとヘッドライトを装着していたが、これがまたなんとも暗い。…結構、山岳用品にも定評があるドイツあたりの有名メーカー製で、いい値段するものだったんだが。いかんせん、もはや旧世紀のシロモノだからな…。

そこで、今回のために戦略的衝動買いをしておいた「スーパーLED」なるペンライトを取り出す。廉価な中国製のLEDよりは明るい通常の日本製の(青色LED訴訟で有名になった日亜化学の)LEDに比べ、さらに12倍のパワー(と消耗の速さ)を誇る、メイド・イン・USAのLEDを使用した、その名も「SuperFire」なるライトだ。これが、単3乾電池2本のくせに異様に明るい。あまりに明るくて、このライトで手許の地図を見ようとしたりすると、明る過ぎて直視できないくらいだ。うっかり光源を見ちゃったりすると眼が眩んで仕方ないが、地面を照らしていれば実に歩きやすい。さすが節操のない国アメリカ。単純な機能を突き詰めた製品では信頼できる。

岩が増えたと言っても、よじ上るような状態ではない。しかし蹴っ躓いてスネでも打ったら事なので注意しつつ(半ズボンだし)、しかしさくさくと軽快に俺は歩を進めていた。

早過ぎる消耗

ふと、後ろを振り返れば、眼下には富士宮市と、遠く伊豆半島の影も望めた。登山は始まったばかりとはいえ、そこはさすがに富士山。既にそこらの山より高い高度である。しかも、富士山は離れ山、言うなればロンリー・マウンテンなので、登山途中でも眼下に遠く下界を見晴らせる。
足下の遥か下、雲は多いが塊状で、地上もよく見えた。深く、暗い地上に点々と見える街灯りは、ところどころ密集し、いくぶん幾何学的に繋がり、時にせわしなく瞬く。その上をゆっくりと這うように尾を引いて流れる雲は、月明かりに照らされて仄かに青白く光り、どこか幻想的な美しさを称えている。儚ささえ感じるスケール感だ。写真に収めたかったが、残念ながら手持ちのコンパクトカメラの露出制御では描写は不可能だった。

俺はしばし、その美しい光景に見入り、そして野暮な野郎同士であっても、この景色を共有したいと思い振り向いた。…どうだこの光景は!実にいいじゃないか。なあ、ソニーくん!君もそう思わないか!…と、だがしかし。

後ろから歩いてくるソニーは、眼差しは力なく地を彷徨い、景色を見ている余裕など微塵もないといった風情。既に言葉少なでフラフラと、少し遅れて歩いて来る。

あれぇ?おいおい…まだ小学生の遠足ほども歩いちゃいねえぜ?ソニーさんもずいぶんと鈍らになったもんだなあ?
…よく見ると、ソニーはもはや雨も降っていないのに趣味の悪いドクダミの茎のような色の厚手のゴム引きカッパズボンを履いたまま、厚手のフリースの上から(偽)革ジャンを着て、頭にはロシアかモンゴルの人のような毛皮(フェイク)の帽子を被っていた。
…確かに富士山の頂上は夏でも零度近くまで気温が下がることもあるという。しかし、ここはまだ五合目で季節は真夏。気温は20度以上ある(平地は30度くらいある)。そんな格好して登山をしてれば、そりゃ苦行以外の何者でもあるまい。

とりあえず一度目の休憩をとる。へばるソニーに、まず、そのサウナスーツのようなムレムレのカッパズボンを脱ぐ事を勧める。「いや、リュックに入らなくて。」…確かに、ソニーのリュックはパンパンだ。しかし、無理に中に詰めなくても手はあるだろう?少し頭を使い給えよ。ソニーには、俺が持参した荷積み用のゴムひもでカッパと(偽)革ジャケットをリュックの外側に括りつけさせ、暑苦しい装備を解除させる。「あーこりゃ楽だわ」ってあたり前だろ。

ついでに、さっきケンチキを腹一杯食べたばかりではあるが、ウィダーエネルギーインで体力をチャージ。…ちょっと食い過ぎで気持ち悪くなってきてるけど。
ついでなので一服、煙草に火をつける(灰皿は持参しているぞ、念のため)。うーん、ウルトラライトとは言え、いつにも増して薄い。やはり空気自体が薄いからだろうか。
どこかで聞いた話だが、山など、空気のきれいなところでわざわざ煙草で煙い空気を吸うのは気が知れない、という指摘には、こう答えることができるそうだ。コーヒーだって、美味しい天然水でいれて飲みたいと思うだろ?と。そんなわけで、俺は室内で煙草を吸うのは好きじゃないが、こういうところでの一服は好きだ。

うっかりのんびり休憩し過ぎて、さっき追い越した登山者に次々と抜き返される。そう、休憩が無用に長いのが我々の欠点だ。いつまでもこんなところで油を売っていたら、せっかく天候が回復傾向なのにカミングライトを見逃してしまう。さっさと出発することにしよう。

再び訪れる危機

富士山 サウナスーツを脱いでからは、ソニーは見違えたように気力を取り戻し、足取りも口も軽くなった。たわいない会話やアニソンを口ずさみながら、快調に高度を稼いで行く。ちなみに、会話が切れると我々は各自でアニソンを歌いながら歩いていたが、これは酸素欠乏症で気が触れているわけではなく、呼吸が浅くなり高山病にかかりやすくなることを予防すべく、意識的に大きめな声で歌っていたのだ。…効果のほどは…どうなんでしょうねぇ…でもまあ愉快なのでよしということで。
6合目の山小屋は、実は登り始めて結構間もなくのところにあったので既にパスしていた。なんか俗っぽくてありがたみ無かったし。やがて上方に懐中電灯にしては明る過ぎる照明を見つけると、そこには山小屋があり、すなわち7合目であった。
夜間登山なので、山小屋は基本的に閉まっていた。また、小屋の中には高い金を払って宿泊している人が寝ているので、深夜に小屋の周囲で騒がしくすることは厳禁だ。基本的に、通りすがりにただで使えるようなサービスは何一つ提供されていない。どケチ。…まあ、実際のところ資源の少ない(食料、水、空気さえも!)場所での話なので、厳しいのは致し方ない。ただ、多少広い平地が確保されていることと、小屋は六合目、七合目、八合目…とマイルストーン毎に設置されているので、皆とりあえず座って休憩しているようだった。

このあたりまで来ると既に疲労の色が見える登山者も見られる中、我々はところどころで一服したりスッパイマンを食ったりしながら、順調に事を進めていた。

そんな折り、休憩がてら眼下の景色を楽しんでいると、遠く西の方、伊豆半島を覆うあたりの雲が時折、パパッと橙色に光るのが見えた。
雲の下で雷が発生しているのだろうか。上から見るとこういう色に見えるとは知らなかった。一方で、東の方、関東方面を覆う雲の中には、何度か蒼白い稲妻が走るのも見た。稲妻自体は当然見た事はあったが、それを見上げるのではなく、目線の高さで見るのは新鮮だった。

そして、上を見上げれば、今までに無い密度の星。いや、上だけではない。雷が光る雲は、むしろ水平より下、眼下に広がる景色だったので、そこから上は星で埋め尽くされていた。…普段、郊外で見上げる星空は、真上あたりでは密度が濃いが、地平線に近づくにつれて地上の灯りに紛れてしまい、ほとんどなくなる。山奥でキャンプをした時などはたくさんの星を見る事が出来たが、山間の空は狭い。それらと異なり、今は背後には富士山頂がそびえるとはいえ、右左前と三方の地平線(あるいは水平線)近くまで、びっしりと埋め尽くすような星空だ。こんな星空は初めて見た。「富士山で星を見ること」が趣味の人もいるようだが、納得だ。本当に絵に描いたような満天の星空、「ミルク」に喩えることがまったくもって自然に思える天の川、見上げていると目眩さえ起こしそうな幻想的な空であった…

…本当に、目眩すら覚えるような…というより、…実際のところ目眩を起こして気持ち悪くなってしまった。星空や雲を見ながらうろうろ歩くと、クルマ酔いを起こすことは前からあった(実際の運動と見ている景色の動きがズレるからだろう)のだが、思い切り食らってしまった。ケンチキの食い過ぎもあり、結構気持ち悪い。

気を取り直して再びガシガシと登る。
もうすぐ八合目だ。八合目で、そろそろ標高は3000mを超える。区切りもいいので、そこまで行ってちょっと長めに休憩を取ろう。そう話して歩いていた矢先、ソニーがまたしても無口になる。

「…すまん、ウンコしたくなってきた」

…おいおい。なかなか厳しいこと言うな。低山ならば、そっと登山道をそれて樹木の陰で野糞もまたオツであろう。あれはある意味で最高のスリルと最高の開放感を同時に味わえてよい。しかし、ここはとっくに森林限界を越えているので、とても見晴らしがよい。いつでも眼下の街並も広々とした空も望めるし、下から登ってくる人の列も上を登っていく人の列もよく見える。そう、はっきり言って、ケツを隠す場所など何処にもありはしないのだ。こんなところで野糞なんてして見ろ、スリルも何もない。ただの大開放だ。
それに、高い山では、生物の活動レベルが低いのでウンコや紙も自然には還り難いという問題もある。まあ、そんなものは切羽詰まった状況では建前にしか聞こえないが、とはいえしかし、まだ先は長く、分別ある大人にとって衆人環視の中で漏らすか露出かという二択はあまりにも厳しい。
どこか。なにか手はないか?このまま頂上を目指すことなど到底不可能だ。最高峰に登頂し人間的にも一回り大きくなるどころか、むしろ人間の尊厳を失ってしまう危機が迫っている…ソニーの無口さがその危機的状況を雄弁に語っていた。

八合目。ソニー、200円でうんこする権利を買う

富士山 結局、尻を隠せるスポットを見いだすことの出来ないまま、我々は八合目の山荘に到着した。
するとここには、「衛生センター」なる施設が存在していた。なんと、一般登山者(非山小屋利用者)向けのトイレがあったのだ。ただし有料だが。

結局ここで、ソニーは200円を払って排泄権利を購入。恐るべし富士山。ここは、安寧な現代生活にあって基本的人権のうちでももっとも根源的な領域にあると思い込んでいた「大便を排泄する権利」もタダでは手に入らない、非日常地帯なのだ。
しかし、失った自由は金で買い戻すことが出来るのが善くも悪くも冷徹なる資本主義社会の所作。先刻満天の星空に自然の素晴らしさを教えられた気になったばかりなのに、よもや同じ場所ですぐに「問題は金で解決できる」という人間界の鉄の掟を思い知らされるとは。

…このトイレは深夜にも関わらず大盛況であった。人の生理現象にかこつけて営業するとは!と一瞬思ってしまうが、そこはやはり高山である。下水管も来ていないし、放置しても分解する虫も微生物も植物もほとんどいない状況。し尿の処理にもそれ相応のコストがかかる。トイレ利用で対価を請求されるのも、あながち法外とは言えまい。もしも女性でこれから富士山に登ろうという方は特にこういった事情は肝に銘じ、何らか対策を講じておくことをお勧めする。

ちなみに、ソニーの前に並んでいた外人(逞しい欧米人)は、有料だと説明する山荘のスタッフを「ニホンゴワカリマセーン」と押し切り用を足していたそうだ。いくら日本語がわからなかったとしても、場所柄に加えて行列で自分の前の人間が皆200円を払っている様を見れば、状況は読めるだろう。ヤツは確信犯に違いない。知り合いの外国人も新聞の勧誘が来たら「日本語食ベラレマセーン!」と言って撃退すると言っていたし。

八合目。標高は3000メートル突破、急変する環境。

富士山 八合目を超えると標高としてもいよいよ3000メートルの大台を突破する。こうなるとやはり気分的にも「普通は来ないくらい高いところに来た」という気分が盛り上がる。2000メートル台は自動車乗ってても来れるけど、3000メートルは無いはずだし。
標高が上がったからか、そもそも天候が変わったからかは定かでないが、八合目の山荘を越えるや否や、風が強まり、霧が立ちこめ気温も急激に低下してきた。
五合目から登り始めた当初は意外に歩きやすい道にノリノリだったのは我々だけではないだろう。実際、登山道で見かけた人々を観察していると、子供もはしゃいでいたし、ギャルっぽいのも「まじ疲れた」という言葉とは裏腹に余裕が見えたし、熟年集団も会話が弾んでいた。野郎5、6人の学生風集団など、大はしゃぎで「俺走って登るわ!」とか言い合いながら追い越して行った(もちろんそのままずっと走って行ってはいない)。
が、八合目まで、つまり五合目登山口から標高差にして500メートルほども登ってくるとそろそろ疲れも出てくるというもの。言葉も少なく、無駄なアクションも無くなっている人が増えている。しかし、やはり3000メートル突破、そして「8」合目という何やら微妙に合格っぽい高さまで到達したからか、周囲の人々もなにやら第二エンジン点火といった風情で元気に頂上を目指し歩いていく。
ただ、「よし、もう八合目だ、もう少しだぞ!」みたいなことを仲間同士で話している方もいらっしゃったが、スタートが5合目なので実はまだ半分くらいしか来てないのは残念なところだ。が、わかってて無駄に勢いをつけて進んで行くならば、その心意気はあっぱれである。

しかし、実のところ、こういったプロジェクトにノリや勢いは禁物だ。我々は八合目やや上のお宮の前で、少し長めの休憩をとることとした。多少なりとも風を避けつつ、他の登山者の邪魔にならないような溶岩の陰に腰を下ろし、バックパックからケンタッキーフライドチキンを取り出す。…何せ、二人しかいないのに10ピース入りのバケツ買ったからね。チキンは冷めても結構美味いものだ。
肉を食いつつお湯をわかし、温かいみそ汁やらコーヒーやらを楽しむ。人はあまり疲れると、時に休む事さえ億劫になる。惰性で同じ行動を続けてしまいがちになり、特に例えば「登頂」といった目的がある時、早くそれを達成して全部終わりにしたいという心理が働くのだ。たぶん。
しかし、我々の考えでは、そんな時こそ、本当に動けなくなる前に休んでおくべきなのだ。まさに大人の智慧と余裕というやつだ。…ただお前らが貧弱なだけだろ、という指摘は敢えて聞き流させていただく。
いつまでも座ってるにはちょっと寒過ぎたので、ほどなく、我々もまた、食事の片付けをし、霧と風の中を歩き始めた。すっかり気温が下がっていたので、ソニーは脱いでいた(偽)革ジャケットを再び着込み、ロシア人風毛皮帽子を被っていた。ジャージ程度の格好で登ってきてしまっている人が寒さに打ち震えているのを見て、「薄着の連中は、五合目くらいにいた時は俺(ソニー)を見て『アイツ八月なのにあんな格好してバカじゃない』とか思ってたかも知れないけど、今は俺が正しいってことがわかった筈だぜ」と自慢げであった。

確かに、耳が痛いくらいに寒い。八月なのに。しかしそれも、いかにも「高い山登ってる」という感じがしてちょっと面白かったりもしつつ、十分に栄養と休息をとった我々はまた、雑談と鼻歌を交えて頂上を目指す。鼻水を啜りつつ(我々はともに鼻炎持ちだ)。

九合目。米国による日本征服

8合目以降は、霧が濃くなり上にも下にも展望は効かない。風はさほど強くはならなかったが、やはり気温は低い。この時の俺の装備は、Tシャツ、半袖シャツ、薄手フリース、ジャケット。ズボンは吸水しやすく乾き難いので山では不向きとされるジーパンの、怪我や寒さに弱いので避けるべきと云われる半ズボンだが。
これで、歩いているとやや暑く、停まっているとやや涼しいというところだった。視界が悪いので本当に下界も星空も見えず、ただただ代わり映えのしない岩場を歩いていたので、ある意味では退屈だが、「3000メートル以上の山を歩いている」という珍しい体験にテンションが上がっていおり、比較的足取りは軽い。我々も前半に比べれば当然ペースは落ちていたが、周囲の登山者が徐々に沈黙し古典的なゾンビのような緩慢な動きになって行く中で、自分たちはまあ元気な方だと思えた。

無駄話をしたり時折ギャバンの歌を口ずさんだりしつつ登って行くと、やがて頭上の行く先に明るい光が見えた。「アレが九合目かね?意外と早くついたな」「そうだな、山小屋以外にあんな光源があるとは思えないしな。もう九合か。…俺らも結構体力あるんじゃないの?それとも皆さんが貧弱過ぎるのか…」などと余裕の会話を交わす。

もはや登頂は成ったといわんばかりに口の端に勝利の笑みさえ浮かべて歩く。ざっざっざっざ…ペースはいい。
…だが、つまづいたりバランスを崩す頻度は確実に増えていたかも知れない。段々足場が悪くなっているせいだと思っていたし、それも事実だ。だが、身体の反応が悪くなる…例えば、20センチ上げたつもりの足が15センチしか上がってなかったというような感覚の…傾向が出始めていたのかも知れない。
九合目の山小屋は灯りが見えているものの、思ったよりなかなか近づいて来ない。こういう場合、遠いと思うものは近く、近いと思ってしまったものは遠くなるもの。また、ソニーが野糞をする場所を見いだすことが出来なかったことからも分かる通り、富士山には遮蔽物が少ない。遮蔽物のない夜闇に、山小屋の灯りは遠くからでも目立つ。まして、霧のためにぼんやりとしか見えなかった光だ。最初に見上げた時に近いと感じたのは、多少距離感を誤っていたようだ。

とはいえ、前半にやや休み過ぎた為に、時間の猶予も少ない。当初、6合目までとか言っていた考えは既に完全に放棄され、どうあっても登頂、そして日の出を、という気持ちになっていた。カミングライト見たさに無理なペースで登山することは、過度の疲労や高山病の発症を招き、富士登頂失敗のメジャーな理由のひとつだとは知っていたが、自分たちにはまだ体力にゆとりがあり、そこまでのデッドラインにいるとも思えなかったので、とにかく九合目までは休まずに登った。

九合目の山小屋に着くと、学校行事で来た高校生のような団体が山小屋の前で休憩している。あと少しで頂上ということで、若者らしくはしゃぐ気持ちの垣間見える元気な者もあれば、シートにくるまって壁にもたれ、視点は虚空を見つめて既に遭難者の佇まいの者もいる。後者はちょっと「疲れてる」「バテてる」という表現を越えたポジションまで行っている様子でなんとも悲壮感が漂っている。うーん、やはり人間にはそれぞれ出来ることと出来ないことがあるものだ。あまり画一的なカリキュラムでこういう過酷なことをさせるのはどうか、と思ったりする。

ジャージに防寒着の高校生集団と混在し、何故か異様にガタイのいい野戦服の男女がいる。ミリタリーオタではない。本物の米兵だ。その数は5、6人。たぶん近くの基地の連中が休暇で日本駐留記念登山でもしてるんだろう。このメンバーも一部は元気だったが、一部はフラフラしていた。兵士の癖にだらしないのう。日頃訓練さぼってんじゃねーのか?

さて、ゆっくりしている暇もないので、我々はまた頂上を目指し始める。外人部隊も同じ頃に歩き出す。間もなく、一部の兵士が俺たちを抜き去り、一部の兵士は逆にはるか後方に遅れる。時折、さきに行った兵士が振り返り、大声で「マ―イク!カモォーン!ハァリアーップ!」みたいな(文言は適当です)ことを叫んでいた。が、マイク(仮名)は下で首を振るばかりで足取りは重く、いっこうに追いつく気配はなかった。戦場だったらマイクは追って来たベトコンとかに撃たれて蜂の巣にされてしまうに違いない。

さて、そんなどうでもいい妄想をしているうちに、いつしか霧は晴れていた。徐々に空が明るくなり始めており、気付いてみればもはやハンドライトはさほど必要なくなっていた。
空が少し明るくなったことで、山のシルエットが見える。いよいよ頂上も近い。しかし、ふと気付けば、いつしか我々も無口になりつつあった。また、呼吸が荒い。確かにだいぶ登って疲れているが、走ったり急激な運動をしたわけではないのに息切れ?「…なんかさ…(すぅーー、はぁーー)…さすがに…(すぅーー、はぁーー)…ちょっと効いてきたよな…(すぅーー、はぁーー)」ソニーへの問いかけもこんな感じだ。そこで、我々はようやく、しばらく忘れていた事実にハタと気がついた。そうだ、酸素薄いんだ。この疲れ…足の筋肉に疲労が蓄積しているのは確か、だが、それとは別になんとも身体が重い感覚…これこそまさに高山での酸素の薄さによるものだったのか?
極地における身体変化を実感して「うひょーすげぇな、貴重な体験だなオイ」などと盛り上がる一方、念のために持って来ていた携帯酸素を吸入する。…でもあんまり、スッキリとかはしない。まったくもって気休め程度だ。

自分たちもそうだが、周囲も明らかにぺ−スが落ちている。もうすぐ頂上だし、夜間登山の目的である「頂上で日の出」にはもはや微妙な時間で猶予がないというのに。そのため、先行者に追いつくことが多くなってきた。時間も押しているので追い抜きたいのだが、狭い登山道ではなかなかチャンスがない。たまに道幅が広くなったところでススっと抜くのだが、これがまた結構キツくなって来ていた。運動量を一定以上に増やすことに、えらく苦労するのだ。実際のペースを数mの区間だけ120%に上げるのが、感覚的には200%のペースに上げるようなエネルギーを要する。

それでも、まだ、もう少しは余裕があるはず。そう思い、ソニーとともに先を急ぐ。
しかし登山道のそこかしこでは、立ち止まったまま動かない人が現れはじめていた。

九合五勺。いよいよ空が明るくなってくる。

富士山 九合目を過ぎてしばらく登ってから小屋が見えたので、いよいよ頂上か!と思ったら「九合五尺」の小屋だった。ずっと1合単位で小屋があったのに最後に来て突然0.5合とは!いらねーフェイントかけてるんじゃあねぇ!という思いで道標を蹴っ飛ばしたい衝動に駆られた。しかし物に無駄な八つ当たりをしているような時間的、体力的ゆとりもないので、我々は裏切られた思いで憤慨しつつ、さっさと先を目指す。

空は、いつしか透き通った群青のグラデーションとなり、東の果ては赤く輝き始めていた。「赤く輝く」というのは、詩的に表現しているわけではない。どちらかと言うと、何の捻りもなく見たままを表現しているつもりだ。空気が澄み、地平線までの間に障害物がない状態だからか、空の輝度が高いというような感覚だった。
さて、頭上にはいつしか雲一つなくなり―晴れた、というよりは、雲を抜けてしまったのだと思う―いよいよ気持ちよく日の出を拝めそうなので、早く頂上へ着かなければならないのだが…、身体が重い。あと30分で頂上、という看板を過ぎて、ラストスパートじゃあ!と思いつつ、えっちら、おっちらと10歩くらい進んでは立ち止まり、深く呼吸をしてまた進む。

認めよう。さんざん余裕ぶっていたが、いつしか、俺もやられていた。ここまで登ってきたことによる疲労もある。加えて、当然だが寝てないのだ。そして決定的に、酸素が足りていない。ぶっちゃけた話、どこからか、ずっと偏頭痛がしていたし、時折軽い目眩を覚えたりしていた。そう、どうやら俺はとっくに高山病にやられていたのだ。
ちなみに、五合目付近ではへろへろになっていたソニーは、今はむしろ落ち着いた足取り。曰く、「途中から酸素が少ない気がしたので、喘息呼吸法を実践していた」そうだ。ソニーは喘息持ちである。発作を起こした時の酸欠状態に対処するための呼吸を意識することで、高効率で酸素を取り込んでいたため、高山病は食らっていないのだそうだ…本当だろうか?
まあ、喘息という疾病を煩いつつも、それにより身に付いた習慣をあたかも「波紋の呼吸」の如き技能のように解釈してしまうところがソニー先生の優れたアビリティではある。

さて、そんな感じで疲労しつつも快調に歩を進めるソニーと対照的に、ここに来て一気に消耗し、顔色悪く(日頃から悪いという話もある)、携帯酸素なんか吸っても楽になった気もしない俺に、「キツそうだな、少し休むか?」というソニーの提案。しかし俺は拒否する。「いや…ここで座ったら当分立ち上がれん。こまめに立ち止まって呼吸を整えつつ、進もう」。

まだまだ。やらせはせんよ。高山病は悪ければゲロを吐くと聞いた気がする。俺はまだ吐いてないので問題ないはずだ。もはや、周囲にも立ち止まる人、座り込む人が多くなり、またその表情は苦しそうだ。ここらがいよいよ山場らしい。
標高の割には難易度の低いとされる夏期の富士登山。しかし、いわゆる「御来光登山」は、1.寝不足、2.日の出時刻に合わせようとしてペースを乱す、3.急ぐ事、景色も見えないことなどから結果的に短時間に高度を稼いでしまう、といったことから高山病のリスクが上昇するというのが事前調査でわかっていたのだが、まさに今、我が身と周囲を見るにつけ、それは予言の如き正確さに思われた。

なんとも言えない倦怠感と気持ち悪さ、目眩を感じつつ、ああ、これね。みんなこれで登れなくなってんのね。なんて納得しつつ、しかし、ジリジリと、それでもかつての消費税法案議決の際の社会党の牛歩戦術よりは速い程度で登っていると、もうあと15分程度というところで、登山道の横で倒れ込み、うずくまっている数名がいた。覚えているだろうか。五合目か六合目あたりで、「走っちゃうぜ」と元気にはしゃぎながら我々を追い越して行った男子学生グループであった。もう頂上はすぐそこだと言うのに、「…もう御来光なんてどうでもいいよぅ」と半泣きの声で呻いている。おいおい、若いのに随分と根性無しだなあ?…まあ、高山病が重いのでしょう。南無阿弥陀仏。

いよいよ明るくなってくる中、ついに鳥居が見えた。浅間大社奥宮、つまり頂上だ。俄然、力が入り、ペースを上げて辿り着く。時間はまさに5時ちょうど。ついに鳥居をくぐってお宮の前に着く。登頂だ。しかし、ここでは登頂の感慨に耽っているわけにはいかなかった。やんぬるかな、ここからでは日の出はよく見えそうにないのだ。東側に見晴らしのよさそうな高台が見えた。日の出まではあと5分程度。ここまで来て見逃す手はない。ソニーを振り返る。「あそこまで行こう。時間はあと5分もない。急ぐぞ」大股で歩き、坂も小走りに登る。さっきまでの牛歩とは大違いだ。瞬間的に、違うエネルギーで活動している感じであり、これは小宇宙と書いてコスモと読んでもいいものだろう。

ともかくも、日の出のわずか数十秒前には、東向きの斜面に腰を下ろした。眼下には白い雲が流れ、その下には緑に覆われた地上が見える。煌煌と輝く地平線から間も撒く、光が射し込み、太陽が現れた。写真に撮ると小さく見えるかも知れないが、何もない地平線の向こうに登る太陽は、眼が痛いほど明るく、また大きく見えた。


富士山
これが噂のThe Coming Light。最初は紅いが、やがて想像以上に眩しく輝き出す。
確かに、これは生で見ておいて損はない迫力だった。
富士山

ともかく呆然と大きな気持ちになれました。…疲労と寝不足と酸素不足による半トランス状態もあったかも知れませんが。


…正直、俺は「人々が有り難がる御来光というものに興味があった」だけであって、御来光なんてものを有り難がってはいなかった。いや、むしろ「御」まで付ける仰々しさを小馬鹿にしており、「日の出なんてどこで見たって同じだろ?つまり太陽を見るんだったら」なんてこともよく言っていた。海で水平線から昇る太陽も見たことはあった。しかし、確かに、富士山頂から見る日の出は今まで見たものとは違っていた。正直、感動を覚える光景と認めざるを得なかった。
もちろん、苦労して登ったあとだという心理的な作用もあろう。しかし、実際のところ、山の間から見える太陽と、遥か地平線の彼方から昇ってくる太陽は絵的に違うし、海抜0mで潮風と水蒸気の向こうに現れる日の出と、海抜3700m以上で澄み切った空気の向こうに現れる日の出は物理的に違うはずだと、実際に見て理解した。

まあ、そんな理由付けとは別に、感動をよりわかりやすく表現すれば、俺の感想は「あー、これがアッラーの神かー…」ということだ。…余計にわかりにくいかも知れないが、「これなら信仰の対象にされるのも納得」それくらいの景色だったのだ。
空は晴れ渡っており、晴天ということではこれ以上無い気象条件だったのも幸いした。この景色を生で見られて良かった。そういう達成感があった。

富士山

ソニーさんはいつも普段通りのタイトジーンズとワークブーツ。バイクに乗れる格好は究極の万能スタイルと固く信じているらしい。

ふと見れば、ソニーは耳にイヤホンを入れて音楽を聞いている。よく音楽を聞いていることがあるが、こんなところでまでmp3とは無粋なヤツだ。そう思ったが、ソニーは違うと言った。
「いいから、あの太陽を見つめながら聴いてみろ」…ソニーは、頂上でこの曲を聴こうと決めてわざわざ持って来たらしい。
MP3プレーヤーを受け取り、イヤホンをはめて再生ボタンを押す。
…壮大なオーケストラのイントロから始まり、太く包容感のあるヴォーカルが響くその曲は、「超人機メタルダー」のオープニングテーマだった。

 「君の青春は/輝いているか?
  ちっぽけな幸せに/妥協していないか?(中略)
  宇宙全体よりも/広くて深いもの
  それは、ひとりの/人間の心…」

…という壮大にも壮大過ぎる歌詞と、佐々木功の歌声は、確かにこの景色にベストマッチしていた。ソニーは満足げであった。

富士登頂、日の出も拝めてすべては完璧と思われたプロジェクト。しかし、こんな時こそ忘れてはいけない。「家に着くまでが遠足なんだ!」。…標高3776mのある意味で極地にいて、安堵するのはまだ早い。

下山編

頂上にて

富士山 太陽が完全に地平線から離れ、やがて茜色は消え、空は完全に昼間の青に変わり、周囲で日の出を眺めていた登山者もどこかへ立ち去った後も、しばらくは地上の雲や樹海を眺めていたが、ぼちぼちとまた我々も動き出す事とした。
まずは、朝飯を食べようということになったが、この場所はあまり落ち着くには足場が悪い斜面なので、座りのよいところへと移動する。奥宮の方へ戻り、火口へ向かうと、なんと公衆トイレがあるではないか。
頂上にも山小屋はあるが、そこではカップ麺にお湯を入れてもらっただけでも500円以上は取られるらしい。それでもひっきりなしに人は入って行くのだが…。我々は、そんなものは食うつもりはないので食料はたんまりと持って来ている。途中でもケンチキだのスープだのジャーキーだのウィダーだのスッパイマンだのといろいろ齧っていたんのだが、ケンチキもまだあるし、他にカップ麺もある、お菓子系、飲み物系も豊富だ。水も一人2リットルずつ持って来てるし。その分、背中のザックは周囲の登山者に比べ異様にパンパンで、重量感に溢れていたのだが、それを背負って登頂した苦労は今報われる時が来たのだ。
ふははは、皆さんは大枚叩いて不味い飯でも買ってください。我々は潤沢な資源を贅沢に味わうこととしますよ。

が、その前にトイレ、ということで、山小屋のトイレは無料じゃ使わせてくれねえだろうな、と思った矢先に公衆トイレを発見したのだった。
数機の仮設トイレ個室が棺桶のように並んでいる。たまに、個室のミニ煙突から煙が出ている。トイレで煙草を吸っているものがいるらしい。ふてえヤツだ。少し並んでいると順番がきて、中に入る。一応水洗のようで、思ったほど臭くない。ただ、ちょっと嗅いだことのない化学臭がする。なんだろう?まあいいや。とにかく、下山時はまたトイレがないわけなので、ここぞとばかりにビッグ・ベンを排出する。ちなみに紙は持ち込みだったがぬかり無く用意してある。スッキリして拭くと、これまたスッキリと汚れが少ない。快便である。ここまでは快調だ。
さて、流そうと思うと、見慣れたレバーがない。まあ、場所が場所だ。循環式の処理水で流すタイプだろう。ボタンが壁にあり、そこに説明があるが、…どうもよく意味がわからない。文意が掴めないが、燃焼がどうたらこうたら、ボタンを押せとか押すなとか書いてある。…意味がわからん。まあ、俺はこの股下の物体を処理しなければいけなくて、ボタンが目の前にあるんだから、それは実行ボタンに決まってる。押すしかないんだろ…正直、こう思ったところから先は、今ではよく覚えていない。だから不正確かも知れないが、断片的な記憶を辿ると…

まず、何かが作動して、水が吐出された。が、それはブツを押し流すというより、強力な水鉄砲のような感じだった。細く強い水流が便を見事に直撃しているが…勢いが強すぎるんだよォォォ!!、と俺は脳内で叫びながら、逃げ場のない棺桶の中で跳ね返る飛沫を足に受けていた。まあ、細かいことではあるんだけど、眼に見えるように濡れるわけじゃないんだけど、俺、半ズボンだったから。感覚的に直でわかるもので。ああ、飛沫が来ている、俺と、その他見知らぬ大勢の便を受け止めた壷で反射したスプラッシュが、と。
そんな嫌悪感の中、ようやく水が停まると、便壷(べんつぼ)の底が…突然、あまりに突然にガパ!と開いた。そして!なぜかそこから!モクモクと煙が!そうか、これが燃焼式か!あの煙はタバコじゃなかった!…俺は瞬時に理解した。そして、同時にもうひとつのことを直感した…『この煙、俺のうんこが燃えてるんじゃあねえ…』。
タイミングがおかしかったのだ。吸い込まれたものが点火されてから出た煙にしては。つまり、前の者のうんこが燃えた煙が、床下に充満していて、いま蓋が開いたことによりそれが吹き出たのだ……って臭い!この煙臭いよ!!誰のうんこだよちくしょー!

他人のうんこの臭いは嗅ぎたくないものだ。誰だってそうだし俺だってそうだ。しかもね、それが燃えることによって異様な臭いになっており、しかも、煙という形で視覚化されているのだ。言うなれば、エキゾースト・ヴィジュアライザー。いや余計わからん。クソ!と吐き捨ててる呪いの言葉も忌々しい!誰だよこんな仕組み設計したバカは!(こいつらです。)実際使ったらどうなるか少しは考えられねえのか!
…怒りながらも急いでズボンを上げ、俺は這々の体で棺桶を脱出した。

正直、かなり衝撃的な便所だった。キレイ好きな俺にはちょっと刺激的過ぎたぜ…。確かに、富士山頂に公衆トイレの設置は難しい、そして、だからこそ有り難い。しかし、だからと言って、こんなサービスレベルの低い装置でいいのか?自然環境ももちろん大事だが、精神環境も守ってくれ。公共の福祉とは、自然環境と文明の共生とは、と様々な疑問を禁じ得なかったが、ふと見ると、脇に手洗い水道がある。カップ麺のお湯が数百円する世界でなんと贅沢な!もちろん、俺はキレイ好きであるので、喜んで使う事にした。足踏みでポンプを踏むと、ちょろちょろと水が出て来る。か細いのはご愛嬌。これから飯を食うのに、うんこした手を洗えないと思っていた矢先だったので、喜んでしっかりと手を洗った。

そして、いざ食事を…とその前に、交代してソニーがトイレに向かう。燃焼装置のことは黙っておいた。ひひひ、アイツもビビることだろう…しかし、何か臭いな。トイレからは風上の筈だが…。あれ?
俺は自分の周囲くんくんと嗅ぎ回った。臭いのもとは、…俺の手だった。あれ?さっきちゃんと洗ったのに。手にうんこ付いてた?いや、快便だったしそんな危険なシチュエーションはなかったし、第一、俺のうんこはこんな臭いじゃない。

とすると…まさか…。手洗い場に眼をやる。普通にスルーする人が多い(俺の個人的統計によれば、世の中にはトイレに行った後に手を洗う習慣がない人は意外に多い)が、ちょうど一人の白人が手を洗った。立ち去り際、自分の手を顔の近くにもって行き、何か驚いたような顔をしている。こういう時、欧米人はリアクションがでかくてわかりやすいな。ソニーも出て来る。キョロキョロとして(俺は数十m離れて荷物番をしていた)、手洗い場を見つけ、手を洗い、何気なく戻って来る。
「いやー、びっくりしたよ…」トイレの煙の衝撃を語るが、俺はそれよりも「手の臭い、嗅いでみ」。
「え?何で?俺手に付いてなんか無いよ?ちゃんと洗いもしたし…うわ!」異臭に顔をしかめるソニー。やはり…あの水だ。そうだ。循環式なんだ。俺は、仮設トイレ群の横にある幾つかの巨大なポリタンクが、簡易浄化槽のようなもので、水洗の水を循環利用しているのであろうことはすぐに予想していた。しかし、手を洗う水は、まさかそれを使うことはないだろう。雨水でも貯めて、使える時だけ使えるんだろう、と勝手に思っていた。いや、期待していた。だって、まさか、ウンコ流した水、つまりウンコ希釈液で手を洗わせる装置が公共の場に設置されているなんて思わないじゃないか!?誰がウンコ溶液を手で受け止めたいと思うよ!?スカトロじゃねえんだよ!ふざけんな!
俺は怒った。このトイレを設置した環境庁に、抗議したいと思った。これは、自然保護でもサービスでもない。罠だ。無差別テロだと。

しかし、いま、最優先事項は怒ることではない。手についた臭いを拭い去ることだ。我々は、多めに持って来ていたミネラルウォーターを使い、手を洗った。「いやー重い思いして持ってきてよかったなあ」。…しかし、安堵は束の間、さらなる絶望が我々を襲った。臭いが取れない。水で洗ったぐらいでは、話にならない。
続いて、ウェットティッシュで手を丹念に拭く。皮脂汚れもキッチリ落とせるメンズ用だ。何枚も使い、丹念に爪の隙間まで拭く。…しかし、メンソール系の臭いが追加されただけで、異様な臭いは以前取れない。焼け石に水、いや、むしろ火に油。さらにカオティックな異臭と化している…。

結局、手から臭いを除去することは諦めざるを得なかった。

とにかく食事をすることにしたが、食べ物を口にするために手を顔に近づけると臭くて食欲が減退するので、食事をする時は軍手をするという逆転の発想でなんとか難を切り抜けるしかなかった。

とはいえ、富士山頂の火口を見下ろす位置に腰掛け、チキンを食いながらお湯を湧かし、カップヌードルカレー(こだわりのチョイスだ)を食べ、さらにコーヒーを飲むと、多少は気持ちも落ち着いた。ソニーとは、いくらか道中や登頂についての話をして、しばらくその場で昼寝をすることにした。既に日が昇り、風は弱かったので、横になれば眠るのに差し支えない暖かさだ。ちなみに俺は日光に弱いので、日焼けしないよう、売り場で一番SPF値が大きかった日焼け止めを顔や腕足に塗りたくってから、日本で一番高い位置で、晴天の下、ごろ寝を堪能した。…手が臭くなければもっと気持ちよかったろうに、との思いだけが心残りだったが。

2、30分眠り、再びコーヒーをいれてから、剣ケ峰を目指す。そこが実際の最高地点、3776m地点になるわけだが、20分程度、散歩くらいの道程だ。剣ケ峰からは、富士山の北側の景色も見えた。平野から海へと至る南側とはまた違い、日本アルプスなどの山が連なる内陸である北側もまた別のファンタジックな雰囲気がある、いい景色だった(実際には雲が多かったけど、雲の形も海側と山側では違っていてなかなかオツなものであった)。

既に先達の風格とともに下山開始。

しばらくいろんな方向を眺めて満足した後は、下山を開始した。富士宮口登山道は、駐車場から頂上までの距離が最短のコースだが、このコースでの登山のデメリットとして下山道が存在しないことがある。もちろん、下山する道はある(無かったらビックリだ)。だが、他の登山口では、出発したのと同じ口に帰るための、登山道とは別の下山専用のルートが用意されていて、それらは大抵、柔らかい砂地で、歩きやすく一気に下山出来るらしいが、富士宮口は登りと同じ岩場を下山しなければならないので、つらい、というよりつまらなそうだ。

…と、思っていたのだが、下山し始めて気付いたのは、御来光登山の場合、登りは夜闇で下りは昼間なので、それなりに景色は違って見えて、そんなにマンネリは感じなかった。
早朝に登山開始をしたのであろう人々が結構大勢登山して来る。すれ違いながら、挨拶を交わす。登山時は、実はほとんど他の登山者と挨拶を交わすことがなく、観光地化してるから人もスレてる?などと思ったが、たぶんそれは夜で顔も見えない状況であり、また下山して来る人はなく対面ですれ違うこともなかったからだろう。昼間の帰りは、多くの登山者と気持ちよく挨拶を交わしながらの道のりであった。…もっとも、すでに登頂を達成して下るだけの我々は、先達、勝者としての余裕を醸し出しつつ本当に気持ちよく歩いていたのだが、すれ違う相手はまさに疲労の絶頂にあり、言葉を発するのも辛そうなこともしばしばだった。
「もうすぐですよ、頑張って」。まさに先輩といった風格で余裕の笑顔を見せて(心なしか特に若い女の)登山者に声をかけるソニー先輩。登山中と下山中、経験の差は実は数時間のズレしかないのだが。

さて、俺も、ソニーも、ガレ場を歩くこと自体にはある程度馴れているので、重力に従い半ば走るように下山して行く。ただ、俺は8合目手前あたりから、軽い目眩を覚えていた。高山病なら高度が下がれば治る筈…そう思いながら下山して行くが、なかなか楽にはならない。なんだろう…?相変わらず手は臭いので、その臭気にやられた可能性も考えたが、それはちょっと違うだろうと考え直した。でも、本当に憂鬱なくらい臭かったんだけど。この時点でも。

7合目あたりまで来ると、さすがに膝や踵に疲労が溜まってきていた。衝撃があるとちょっと痛い。脚が疲れてきており、筋力で衝撃を吸収せずに楽な歩き方をしてしまうと、その分骨系にダメージが来るようだった。そう気付いてからは、意識的に少し腰を落とし、膝を延ばしきらないようにして歩いた。途中で何度かおやつタイムはとったが、下りはもう、淡々と降りて行った。結局、正午前には富士スカイライン終点の駐車場に到着した。ちょうど3時間ほどで下山したことになる。駐車場は超満車だった。

さて、しかし、下山しきってからというもの、俺はすこぶる具合が悪くなってしまった。目眩がして気持ち悪くてしょうがない。手も臭い。…ていうか、そうだ、寝てないじゃんよだって俺。ソニーはなぜか結構元気だが、こいつはもともと不規則な生活を送っており、睡眠不足にはかなり順応している。しかし俺は、1日9時間は寝たい派なのだ。
すぐに寝たかったが、頂上の寒さはどこへやら、夏の日差しが照りつける駐車場の車内はあまりに暑いので、朦朧としつつ発車。富士スカイライン途中の展望所で木陰にクルマを止め、小一時間仮眠した。
目が覚めると、だいぶ意識ははっきりしたが、以前として目眩が取れない。手の臭いもとれない。睡眠の欲求を多少なりとも満たすと、次はとりあえず、好き放題手が洗える場所を目指せ、ということで、富士山麓の巨大駐車場へ。公衆トイレ(ちゃんとした水洗のな)で手を5分くらい洗う。周囲の人が見たら絶対潔癖性だと思うだろうが、この手が汚染されているのは錯覚や思い込みではないのだ。しかし…なんと…悲しいことに、いくら洗っても手のウンコ臭さは消えない…もう、俺は一生このうんこ臭い手で暮らさなければいけないのだろうか…。
また目眩がして来た。

目眩がして来た、というのはこれまた比喩でも何でもなく、本当に目眩がしていた。高山病なのだろうか。頂上では結構元気だったのに、下山してから発症する高山病なんてあるんだろうか。潜伏期間がある?…そんな話は聞いたことないが…。

アルカリのちから

結局、その後、落ち着いて休めるところが必要だということで、山中湖の近くにある「ph10」がウリの温泉施設「石割の湯」に向かう。目的は、休むこと以外にもあった。なにせph10だ。「日本最高級の高アルカリ性温泉です」だ。この温泉ならば、もしや死臭漂う俺の手を、呪いから解放してくれるやも知れない。
それに、夜間の登山は寒かったが、せっせと登ったし、下山の後半は気温も高かったので、汗はそれなりに掻いていた。また、ザックを背負ってガレ場を歩き続けた全身の疲労も当然ある。かなりある。そんなこんなで、温泉に入ることはとにかく必要だった。

さてやはりこれが、駐車場から小走りに受付へ走り、そそくさと料金を払い、はやる気持ちを抑えてパンツを脱ぎ捨て、危ないので走らないでしかし小躍りしつつ浴場へ向かい、備え付けのアロエシャンプーで髪と身体を洗い、…そして湯に浸かると、…ギコギコと何かが凝り固まっていたかのような身体の芯がほぐれ、何か憑き物でも落ちるかのように楽になる。…やぁー、気持ちいいですな。そりゃあお猿だって温泉入るわけだぜ。ぬるめの露天風呂で、屋外でふるちんでいられる開放感を堪能していた俺は、ふと、そして恐る恐る自分の手を鼻につけてみた。

すん。

すんすん。

…いい臭いだ。アロエシャンプーのいいにおいだけがする!さすがph10!!見事に、環境庁の卑劣な罠に嵌って穢された俺の手を浄化してくれた!この時の俺の感動がわかるだろうか?わかるまい。端的に言えば、富士山に登頂した時と同じか、それ以上かと思えるほどの喜びだ。登頂の喜びが小さかったという意味ではない。それほど、俺の手は堪え難く臭かったのだ。

そして、気がつけば、呪いが解けたかのように、目眩も治まっていた。
その後は、広間でノンアルコールビールを飲み(運転があるからな)、また1時間ほど眠る。目覚めて、重い腰を上げ、再び道志みちで東京へと帰る。

とにかく、人生で一度はやっておきたいイベントをまたひとつ消化した。
臭い手からも解放され、温泉に入り、ようやくその充実感と達成感を素直に味わうことが出来た。

喉元過ぎれば

…見事に登頂、日の出も見られてすべて順調、と思いきや地獄の悪臭に悩まされた富士登山から数ヶ月。山の上でなくてもすっかり寒い季節。俺は、全国有数の自殺者と痴漢の数を誇るJR中央線快速で通勤していた。この路線、気付いていない利用者も多いと思うのだが、実は荻窪前後の高架を走っている時には、空気の済んだ冬の晴れた日に限っては西の遥か100kmほど彼方に富士山が見える。
ああ、あのてっぺんまで俺は歩いて行って来たんだっけなあ。そう思い出すと、ずいぶんと高いところまで歩いていったんだなあ、と何か他人事のように感心してしまった。

…冬の富士山も面白そうだな…とは一瞬思っても、俺は寒さに弱い上に、冬の富士登山はハイキングの延長じゃ済まされないので遠慮しておこうと思い直す。ただ、最近、暖かい時期でいいからもう一回くらい登ってみてもいいかなあ、とか思うのも事実だ。最高峰に登ったことがある、という事実はもう手に入れた。けど、終わってみれば、如何に多少は俗っぽくとも、「最高峰だから」などということとは別に、その景色には苦労して味わうに値する魅力があったと思う。今度はもうちょっといいカメラでも持って、ゆっくりと。

富士登山は思っていたほど楽なものでなかったのは確かだが、道は迷うような状態ではなく、人も多く、登山経験などなくても登ることができる状態の山であることも確かだと言える。首都圏からならば土日で十分登頂できる。
…ただし、もしあなたが富士山に登ってみるならば、頂上のトイレで手は洗わないように。これだけは、ゆめゆめ忘れぬように。

余談

富士山

夏の登頂から半年以上が過ぎ、箱根の三国峠を通りかかった際に撮影。周囲の山々、垂れ込める雲を遥かに凌駕してそびえる。この時、隣にいた友人(ソニーではない)に俺はぼそっと言った。「俺、あの左端のとんがってるとこまで行ったことあるぜ」「マジで!?」…これだ…これだよ!こんなシチュエーションでこんな台詞を吐きたいが為に、俺はあの偏頭痛とも戦ったのだ!
その想いは、いま報われた。俺は満足であった。