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475:ミッシング・マインド(心の行く先)

作:◆l8jfhXCBA

 そこは闇の中だった。
 全天が黒に包まれた、一片の光もない無の世界。何も見えず、嗅げず、聞こえない。
 その闇に身体が包まれ、深淵へと飲まれていく。
 掴めるものは何もなく、ただ沈み続ける。
 自らも黒に塗りつぶされるような感覚は心地よく、どこか懐かしい。
 それにそのまま身を委ねようとして──しかし違和感を覚え、思いとどまった。
「お前は、何だ?」
 虚空に向かって問う。発した声はすぐさま闇に紛れ、曖昧になった。
 何かがいる。
 先程まで自分しかいなかった漆黒の中に、唐突に誰かが足を踏み入れた。なぜだかそれをはっきりと知覚できた。
 そして、声が聞こえた。
「わたしは御遣いだ。これは御遣いの言葉だ、空目恭一」
 年齢も性別も判然としない、不自然なほどに特徴のない声だった。
 数秒後には本当に聴いたのか疑いたくなるほど不確かな、存在感のない音の集合。
 その中に聞き覚えのある単語があるのを知覚し、言葉を返す。
「御遣い、アマワ。神野陰之が言っていた者か」
「奴を既に認識しているか。ならば、話は早い。
ひとつだけ質問を許す。注意深く選べ。その問いかけで、わたしを理解しなければならない」
 ふたたび声が闇から生まれ、消えた。
 サラが夢の中で伝えられた通りの、“彼”のやり方。
 この世界を解くための手掛かりが手に入る、一度きりの貴重な好機。
(たった一つでこの状況を打開できる問いは何か。
おそらく“お前を倒すためにはどうすればいいか”などの単刀直入な問いはかわされる。
加えて何かの具体的な方法を聞いても、こちらが理解できないおそれがある。何せ相手は“精霊”だ。
ならばもっと簡潔な──)
 思索は数十秒。
 それで問いという名の答えは出た。
 だが、答えだけだ。式──根拠をつけてやらなければ、結論としては完成しない。
(心の証明という問いが、この未知の存在の目的だ。だがそれは、“彼が望む答え”でなければならない。
“心”という形而上学的なものを確立させる、普遍的な答えは存在しない。
だが“精霊”の思考を読み、答えを導き出すのは非常に困難だ。
おそらく、彼の打倒を目指した方が早いが……その場合、神野陰之という存在が大きな障壁となる)

 直感を先行させ、それに理屈を付け加えるいつもの思考方式。
 闇に身を任せるように瞼を閉じ、理論を組み立てる。
(神野はアマワの“心の実在の証明”という願いによって呼び寄せられ、この舞台をつくりだした。
アマワの願いがある限り、彼はアマワに協力し続ける。
しかし裏を返せば──その願い自体を彼から失わせることが出来れば神野は去り、この世界は意味がなくなる)
 答えの証明が終了し、目を開く。視界は相変わらずの黒。
 彼がいるであろうその闇に向かって、用意していた問いを投げかけた。

「俺達は、お前を失望させることが出来るか?」


「惜しいな」
 しばしの間をおいて、問いの答えではなく単なる呟きが耳に入った。
 発言の意味がわからず訝しむこちらを無視し、彼は続ける。
「わたしの力が万全であれば、君と契約を為した。だが君はもう契約者にはなれない。残念だ。
……既に死亡しているが、以前にその質問をした者がいた。もっとも致命的な問いだった。
問いの答えはこうだ、空目恭一。──出来る。
そしてお前は幸運だ。既に聞かれたことのある問いは無効にすることにしている」
 意味不明の嘆きと共に、ふたたび問いの機会が与えられる。
 だが、わずかに残っていた意識は消えつつあった。もうあまり時間がないらしい。
 闇に抗うように、新たに生まれた疑問への思案を巡らせる。
(……契約。心の証明に対する、代価の提示と保証か?
ならば、これについて聞いても意味がない。この空間からの脱出以外に、俺が望むことはない。
……だからこそ、俺は“契約者”になれないのか?
望みをほとんど持たぬがために? ……いや、彼は“惜しい”と言っていた)
 つまり自分は契約者になる条件を満たしていたが、気づかぬうちにそれを失ってしまったことになる。
 そしてそれは、彼の力が減退していなければ防げていたものだったらしい。
 ……行動を振り返っている時間も、直感で思いつく疑問もない。このことを率直に聞くべきだろう。
 手掛かりを得て、同盟中の誰かが契約者になれれば、事態の打開へと大きく前進できる。

「なぜ俺は、契約者になれない?」
 ふたたび闇に問いを放つ。
 声を発するという感覚自体が、かなり曖昧になっていた。黒に侵される感覚も、だんだんと強くなっていく。
 闇に沈みきって底に着いた後は、おそらくサラのようにこの世界から目覚めるのだろう。
 ただ問いの答えだけは聞き逃さぬよう、心地よい闇にささやかな抵抗を試みる。
 そして、ふたたび声が響いた。
「その問いの答えは簡単だ。契約者は、心の証明について思索し続けなければならない。
ゆえに契約者は、まず第一に生者でなければならない。
──君は既に死んでいる。死んで世界から剥離されている。
だからこそ、世界に影響が与えられぬ今のわたしでも接触できたが、しかしそれゆえに契約者にはなれない。
さらばだ、空目恭一」
 その声を認識し──やっと、直前に起きた出来事を思い出した。
 狙撃。金髪の女性。ガスボンベ──爆発。
(……ああ、そうか)
 何の感慨もなく納得すると、意識は勢いを増した黒に侵食されていった。
 急激に襲ってきた眠気に抵抗することもなく、ただ身を委ね、意識を閉ざした。

                      ○

 浅く掘られた土の中に、空目恭一の遺体は横たわっていた。
 身体の大半は既に土に埋もれ、頭部と肩先だけが外気に晒されている。
 その肩にも、クリーオウはゆっくりと土をかけていった。血に塗れた黒い布地が姿を消した。
 狭い地下通路からこの地底湖のある空間へと移動し、止血のためにクエロが空目を降ろしたときには、既に彼は事切れていた。
 爆発による火傷と衝撃。飛び散った破片による裂傷。そして、それらによる出血過多。
 頭が切れるという以外はごく普通の少年を死に追いやるには、十分すぎる怪我だった。
(やっぱり、何にも出来なかったね)
 せつらからもらった拳銃を使う暇もなく、空目の命はあっさりと奪われた。
 たとえ使う暇があったとしても、拳銃一丁で爆発物をどうこう出来るわけがない。
 それこそ彼に言わせれば“運がなかった”だけなのかもしれないが、やはり無力さを痛感せずにはいられない。

(……何でわたし、ここに連れてこられたんだろう)
 あらゆる面から考えて、自分が最後の一人になれる可能性はゼロだ。
 殺し合いにはまったく向いていない、ただの足手まとい。
 クエロと出会っていなければ、誰よりも先に死んでいただろう。
(あ、でも目的はそれだけじゃなかったんだよね。……心の証明、だっけ)
 サラが夢の中で会ったという“黒幕”が告げた、“彼の友”の望み。
 投げかけられたもう一つの条件は、殺し合いで生き残ることと同じくらい難解で、不可解だった。
 こちらにも、自分が向いているとは到底思えない。
(存在するに決まってるのに。わたしが今思ってるいろんなことは、確かにあるはずなのに。
でも、他の人にそれを“証明”することなんて出来ない)
 最初に名も知らぬ男二人が死んだときの衝撃。
 クエロに出会ったときに抱いた安堵。
 マジクの死を知り慟哭し、空目に諭され決意したときに、確かに感じたもの。
 そしてその空目が目の前で倒れたときに、自らを包んだ絶望。
 それらを否定することは、自分自身の存在を否定されることに等しい。
 だが、いざ言葉で説明しようとするとどうしても出来ない。
 曖昧で薄弱で、それでもあると信じたいもの。それが心なのだと思う。
(サラ達はどう思ったのかな。……オーフェンなら、何て答えるのかな)
 夢の内容が書かれたメモは空目の遺体から回収され、今はクエロが持っている。
 あれを彼が読めば、最適な答えを出してくれる気がした。
(……やっぱりわたし、誰かに頼ってるね)
 未だ会えない知人に対する期待が、時間を追うごとに大きくなっていくのを自覚する。
 いつも隣には誰かがいた。
 父は早世したが、母と姉がいた。旅の間はオーフェンやマジク、レキがいた。
 そしてここではクエロに出会った。空目がいてくれた。
 一人になったことはほとんどない。いつも寄りかかれる誰かがいた。
(一人で何も出来ないわけじゃない。でも、わたし一人じゃ出来ないことの方がずっと多い。
……ここにいた人は、どうだったんだろう)

 少し離れたところにある、かすかに土が膨らんでいる地面を見やる。その上には丸石がそっと添えられている。
 それ以外には何もないが、それだけでここに誰かが眠っているという証になっていた。
 そしてそれは同時に、仲間を弔い死を乗り越え、歩き出した者がいる証でもある。
(この人は、何か出来ることがあったのかな。それとも、何も出来なかったのかな。
大事な人が死んで、どんなことを考えて埋めてあげたんだろう。
……どんなことを考えて、立ち上がっていったんだろう)
 ──『死んだ彼の事を思うのならば、己の出来ることをすることだ』
 マジクが死んだとき、空目にはそう言われた。
 言われ立ち上がり、出来ることをして、また命を失った。
(……だめだ)
 思考が沈み、循環している。
 それに気づき、かぶりを振って何とか断ちきろうとする。
 彼の言葉を強く意識し、自らに出来る行動を必死に考える。
(今は、恭一を埋めてあげること。
それが終わったら、クエロと一緒に城の地下まで行って、みんなと話して、オーフェン達を捜して……。
ちゃんと出来るかどうかはわからないけど、やりたいことはいっぱいある。
どれも全部、ここで座り込んでいるよりはしたいこと)
 決意と言うにはあまりにもちっぽけな、ただの望み。
 曖昧で薄弱な心が生み出した、希薄で儚いただの願望。
 生きている限りは持っていられる、何かが出来るという希望。
 それを失わぬよう、それが叶えられるようにと強く願う。
「……」
 視線をふたたび空目の方に戻し、その表情をのぞき見る。
 元々白かった肌がさらに赤みを失い、その頬が裂傷と火傷に蹂躙されていた。
 刺さっていた破片を取り除き、顔に付いた血を水で洗い流しても、生々しい傷跡は残ったままだった。
 だがその表情だけはひどく穏やかで、傷跡と顔色の悪さがなければ、ただ眠っているだけにも見えた。
 その顔に、ゆっくりと土をかけていく。
 黒い髪と整った顔立ちが、土の中へと姿を消した。
 最後に手の平で土を固め、彼を大地へと帰す。そして少し考え、隣の墓と同じように丸石を添えた。
 捧げられる花もなく、刻める碑銘もない。
 小さな石と、祈りだけが残されたちっぽけな墓。
 それでも、前に進む小さな意志だけは与えてくれた。

「……行ってくるね、恭一」
 呟いてそっと立ち上がり、背を向けた。
 一歩進み砂を踏むと、湖のそばで見張りをしていたクエロが振り向き、こちらに目を向けた。
 気遣う表情を見せる彼女に、小さく頷く。
(クエロに頼りすぎてるのはわかってる。わたしも出来る限り、何かしないと)
 彼女は出会ってからずっと、自分を支え続けてくれている。
 空目の死を知って泣きじゃくる自分を、黙って抱きしめていてくれたのは彼女だった。
 また埋葬を提案し、ペットボトルを加工してシャベルをつくり、穴を掘るのを手伝ってくれたのも彼女だった。
 そして自分が落ち着くまで、彼女はずっと待っていてくれた。
「クエロ、えっと……ありがとう」
「気にしないで」
 静かに微笑みクエロが言った。
 空目の無表情とは正反対な、暖かな優しい笑顔。
 それに同じく笑みで返した後、荷物をまとめて移動の準備をする。
 と。
「……誰か来るわ」
 先程とは違う低い声でクエロが言った。床に置いてあった懐中電灯と短剣を回収し、表情を硬くする。
 注意深く耳を澄ますと、確かに誰かの足音が聞こえてきた。
 学校からこの周辺までの道には、空目の流した血の跡が残っている。誰かがそれを辿って来たのかもしれない。
(そういえば、せつらとピロテースが来たときもこんな感じだったよね)
 ふと既視感を覚え、思い出す。
 マジクの死を何とか乗り越えた直後に、彼らは図書館を訪れた。
 そしてしばしの問答の末に和解し、今の同盟が結成された。
(大丈夫。今度の人も、きっと二人みたいに仲間になってくれる)
 不安を打ち消すように自分に言い聞かせ、前方へと目を向ける。
 次第に大きくなる足音と共に、奥の薄闇が徐々に光に侵食されていくのが見えた。あちらも光源を手に持っているようだ。
「そこで止まって」
 クエロが声を投げかける。いつもよりも強い口調だった。
 そして光が漏れる場所へと、右手でさらに光を向ける。

 二つの懐中電灯の光に照らされた先には、空目と同じ黒髪の、黒いコートを着た男が立っていた。

【006 空目恭一 死亡】
【残り 57人】

【C-3/地底湖周辺/1日目・17:50頃】
【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右手に火傷
[装備]:強臓式拳銃『魔弾の射手』
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
    缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)、議事録
[思考]:みんなと協力して脱出する。オーフェンに会いたい
[備考]:アマワと神野の存在を知る

【クエロ・ラディーン】
[状態]:打撲あり(通常の行動に支障無し)。背広が血で汚れている。
[装備]:魔杖短剣〈贖罪者マグナス〉
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン6食分・水2000ml)
    高位咒式弾×2、“無名の庵”での情報が書かれた紙
[思考]:集団を形成し、出来るだけ信頼を得る。
    魔杖剣〈内なるナリシア〉を探す。後でゲームに乗るか決める(邪魔な人間は殺す)
[備考]:アマワと神野の存在を知る

【折原臨也】
[状態]:上機嫌。 脇腹打撲。肩口・顔に軽い火傷。右腕に浅い切り傷。(全て処理済み)
[装備]:ナイフ、光の剣(柄のみ)、銀の短剣
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、探知機、禁止エリア解除機
    ジッポーライター、救急箱、青酸カリ、スピリタス1本
[思考]:セルティを捜す。人間観察(あくまで保身優先)
    ゲームからの脱出(利用できるものは利用、邪魔なものは排除)
    残り人数が少なくなったら勝ち残りを目指す
[備考]:コート下の服に血が付着+肩口の部分が少し焦げている。

※空目のデイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)は学校保健室前廊下に落ちています。

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