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476:Distant Thunder doesn't stop muttering

作:◆l8jfhXCBA

(……厄介ね)
 向かってくる足音と気配に神経を尖らせつつ、クエロは胸中で嘆息した。
(誰かが来る前に移動したかったけど……仕方ないわね)
 ある懸念から、空目を置いてすぐにこの場を立ち去りたかったのだが、思ったより時間を浪費してしまった。
 クリーオウを落ち着かせ、埋葬までして空目の死を受け入れさせねばならなかったことが原因だった。
 泣き続ける彼女を無理矢理連れて行くのは難しく、もし出来たとしても、不安定な状態が続くことはこちらに何の利もない。
 一番信頼がある人物として、なにより同盟の緩衝材として非常に有用な彼女をだめにするのは避けたかった。
(まったく……いつまでこんな馬鹿馬鹿しい“ゲーム”を続けなければならないのかしらね)
 演技自体は苦にならない。時機が来れば“乗る”気もある。
 だがあのサラの夢の内容を思うと、どうにもやる気が削がれてしまった。
(心の証明、ね。そんなどうでもいいことのために、わざわざ私達をここまで連れてきたの?)
 複数の異世界から大人数を集めて殺し合いを強制する動機としては、あまりにもくだらない問いかけ。
 管理者達とは別にいたらしい“黒幕”のこの望みが、この“ゲーム”を開催した理由の一つになっていた。
(まぁ……結局私達には、奴らの期待に応えるか、奴らを倒すかのどちらかしか選択肢はない。
奴らの動機自体は、生きて帰るという目的を阻害しない。考えるだけ無駄ね)
 思考を打ち切り、再度前方へと意識を集中させる。
 足音は止まることなく次第に大きくなっていく。接触するつもりらしい。
 捜し人だったならば僥倖だが、そうでなければ警戒を強めに持たなければならない。
「そこで止まって」
 相手がちょうどよい距離に達したところで声を投げかけ、右手の懐中電灯を足音の方へと向けた。

 光に照らされた先には、黒髪で黒いコートを着た男が立っていた。
 精悍で整った顔立ちに、穏やかな笑みを浮かべている。ただ眼光だけは鋭い。
 右手には懐中電灯。見える限りでは武器を所持していない。
 見たところ顔の火傷以外の怪我はない。体格は普通。特別戦えるようにも見えない。
 特に警戒する必要がなさそうな、ごく普通の青年に見える──が。

「こっちに争う気はないよ。ただ知り合いを捜してるだけさ」
「ええ、こちらにも敵意はないわ。──あなた、名前は?」
 一歩踏み出そうとした相手に向けて、すぐさま問いを放つ。
 質問自体にも意味はあるが、男の姿が十分視認出来、かつすぐに逃げられる距離を保つための発言だった。
「……折原臨也。君達は?」
「私はクエロ。この子はクリーオウ」
 それ以上の質問を拒絶するような口調で答えを返すと、相手は曖昧な笑みを浮かべた。
「クエロ、そんなに強く言わなくても……!」
「……彼は、さっき私達を狙った狙撃手の可能性があるわ」
 小声で非難するクリーオウに対し、同じく小声で警告を返す。途端に彼女の表情が蒼くなった。
 クリーオウを待つ間、ずっと懸念していた事項はそれだった。
 ──狙撃で内部に対する隙をつくり、襲撃。
 爆発という広範囲かつ強力な攻撃手段を用いれば、逃げられても最低一人には足手まといになる程の怪我を負わせられる。
 そこを顔が割れていない狙撃手が接触、情報を得た後殺害する──という手法は、この場では十分に考えられる。
 少なくとも狙撃と襲撃のタイミングがよすぎるため、両者が組んでいることは確実だ。
(地下通路への入口が塞がれたことはある意味幸運だったけど、追撃の可能性がゼロになったわけじゃない。
あの場には、地下の詳細が書かれた地図が残されている)
 午前中に得た地下の情報は、デイパックが開けられない空目以外の全員が地図に書き込んでいる。
 ──当然、その情報を持ち帰った当人であるサラのものにも、はっきりとルートが書かれている。
 彼女からデイパックを奪い地図を見れば、地下から逃げるルートも予想出来る。
 学校から伸びる道は二つ。
 つまり、逃亡者を捕捉出来る確率は二分の一。わざわざ足を運ぶだけの価値はある。
「でも、あの人は武器なんて持ってないよ? それなのに疑い出しちゃったら、キリがないよ」
「それはわかっているわ。……でも、また私の油断で仲間を失うわけにはいかないの」
「……」

 表情を幾分暗くしつつ、ゼルガディスの件を引き合いに出してクリーオウを説得する。
 確かにこの男は狙撃銃やそれに類する武器を持っていないが、それがすぐさま狙撃者でないことには繋がらない。
 単にどこかに隠しておけばいいし、そもそも“武器が必要でない狙撃”だった可能性も十分ありうる。
 ここに自分の常識が通じない人間や物資が多数存在することはよく理解している。見た目で判断するのは禁物だ。
 二の句が告げずに言い淀むクリーオウから目を離し、男──臨也との会話を再開する。
「ごめんなさい。でも、あなたに敵意がないことを証明する術はないの。多少の自衛はさせてちょうだい」
「ま、警戒する気持ちはよくわかるよ。近くで大きな爆発もあったし、そうせざるを得ない状況だろうね」
「……ええ、それもあるわ。私達はその時地下にいたけれど、かなり大きい音が聞こえてきたの」
「俺はさっきまで商店街にいたんだけど、そこでもすぐ近くで起こったかのようなすごい音がしたよ。
近場にある学校から黒煙があがってたから、確かにこっちにその犯人が移動しててもおかしくないね。
あ、もちろん俺は違うよ?」
 飄々と話す臨也に対し、クリーオウの顔がこわばる。
 彼が犯人である可能性よりも、爆発に巻き込まれたであろうサラのことを気に懸けているのだろう。
 こちらとしてもサラは生きていてくれた方がありがたいが、今は彼女の生死に思考を割いている暇はない。
 それよりも、気になることは。
(……商店街?)
 特に隠すことなく言った、ここに来る前の彼の行動に疑問を持つ。
 サラの地図を見てここに来たのならば、地下通路から歩いて来たと言った方がいいはずだ。
 そうすればずっと地下にいたであろう自分達に対して、爆発の詳細を含む地上の現状について答えなくてすむ。
 加えて地下通路の大半はかなり長い一本道になっているため、そこをずっと歩いていたと答えるだけで、
 かなりの“誰とも会わなかった空白の時間”を捏造出来る。
(本当に関係がない? それとも、ここまで読んでいる?)
 現時点では彼の真意はわからない。サラ程ではないが、つかみ所がない印象があった。
 こちらの問いに対する答えと、相手が投げかける質問から推測していくしかない。
 そう結論づけ、次の疑問点を彼に問う。

「ところで、あなたはなぜ地下に降りてきたの?
人捜しなら、純粋に人が多そうな地上から当たっていった方がよさそうだけど」
「濃い霧が出てきたから、外を出歩くと奇襲に遭うと思ってさ。
捜したい人がいても、その人に会う前に死んでしまったら意味がないよね?
だから、ちょうど見つけた地下に降りてみたんだ。
もしかしたらどこか別の、人がいる建物に繋がっているかもしれない……って考えてさ。そういう君達は?」
 言い淀むことなくすらすらと答えが返ってくる。
 霧、というのは本当だろう。そんな大規模な変化の嘘をついてもすぐにばれる。
「私達もさっきまで地上にいたんだけど、他の参加者の襲撃を受けて地下に逃げてきたの。
ここは地図に書かれていないから、殺人者に遭う可能性も少ないと思って」
「確かにここなら安全に休めそうだね。地下の存在を知っている人自体が少ないだろうし」
 意図的にぼかされた答えに対しても、臨也は笑みを保ったままだった。
 こちらが強く警戒と疑念を表に出しても、彼は態度を変えることなく受け答えをしている。
(過剰な警戒は厄介事を避けるため。
でも、それに対する相手の反応と出方から、情報を得ることも目的の一つ。
非難されればその時点で止めて、以後は友好的な態度に切り替える予定だったけど……。
ここまで態度を変えず、しかもこちらにされたような突っ込んだ質問をしてこないのは違和感がある。
もっと深く切り込んできてもいいはずなのに、あえて踏みとどまっているように感じる。
クリーオウがいる以上、あまり大きく出られないこちらとしては好都合だけど……まさか、警戒されている?)
 最低限の用心以上の疑念を、こちら側が持たれる要素はないはずだ。
 武器があるとはいえ、非力そうな少女と女という組み合わせは、何かあっても成人男性であれば簡単に対処出来る。
 もし自分と同じように、未知の異能に痛い目を見たために警戒しているのならば、
 それこそ自分と同じように、積極的に相手の情報を探ろうとするはずだ。
 ……臨也の行動に不自然さを覚え初めていると、今度は彼の方から口を開いた。

「で、いい加減近づくだけでも許してくれないかな。
こっちは君達と違って武器を持ってない。デイパックの中に何かあっても、取り出すのには時間がかかる。
懐中電灯で手も塞がってるから、これを捨てて新たに何か持つだけで相当な隙が出来る」
「塞がってるのは右手だけ。あなたが私みたいに、左利きか両利きなら何の問題もないわ」
「あ、確かにそうだね」
 左手のマグナスを軽く振って言うと、彼は苦笑を浮かべた。特に反論はない。
 やはり反応の薄さが気になるものの、無視して続ける。
「それに、武器はデイパックに入れていなくとも隠せるわ。……そのコートとかね」
「ポケット? それならライターぐらいしか入らないけど」
「あなたの着ているコートは裾が長い。腰に差せてなおかつ短いものなら、表に出さなくてすむ」
 先程から危惧していた点を指摘すると、彼は若干笑みを薄めて口を閉じた。
 追い打ちはかけず、彼の弁解を待つ。
 若干の怯えを混ぜた視線を彼に向けたまま、無言で対峙する。
「……わかったよ。確かに俺は、武器を一つ隠してる。
そのこと自体は確かに悪かったけど、それこそ自衛の策だってことを理解してほしいな。
まぁ、そんなもったいぶるほどのものでもないけどさ」
 沈黙と共にしばしの時間が経過した後、臨也は大きく息をついた。
 そしてコートの中──腰の辺りに左手を入れ、何かを掴む。
(コート自体を脱がないのなら、まだ何かを隠し持っているおそれがある。
他に何か持っていたとしても、ここで取り出される武器は一つだけ。
まだ警戒を解いてはいけない。……内心では、ね)
 外に出す演技はいい加減警戒を緩めたものにするべきだ。
 油断を見せれば、あの態度が多少は変化する可能性がある。
 それにこれ以上続けると、クリーオウが不満を持つだろう。
 数秒の思索。
 それが終わった時、彼の左手がコート下から姿を現した。
 そしてその手にあるものを、前方の地面に向けて無造作に放る。
 視線を下げてそれを見やると、
「────!?」
「どうってことない普通のナイフ。何もないよりはマシだけど、いまいち頼りないよね」

 ──自分がガユスに刺したはずのナイフが、そこにあった。

「あれ、このナイフってわたしの支給品の……。そうだよね、クエロ?」
「ええ……確かに、そうね」
「へえ、これって元は君のだったの?」
 クリーオウが事実に気づき、意外そうにこちらに問いかける。
 臨也の声も、偶然に対しての純粋な驚きの色があった。
(どうして、こいつがこれを……!?)
 ただ一人、自分だけが別種の動揺を感じていた。
 今はガユスが持っているはずのナイフを、なぜこの男が持っているかがわからない。
(致命傷になるような傷は負わせていない。生存し、ナイフを回収してるはず。
彼が武器を放置する理由はないから、それは確実。
……なら、ガユスが臨也と同盟を組み、その際に渡した? ……違う。
わざわざ武器を渡した後に単独行動させる程、あいつは警戒心がない馬鹿じゃない。
そうなると考えられるのは……略奪された可能性)
 焦る思考をまとめ、結論を出す。
 彼には自分が教えた格闘術があるとはいえ、あの怪我ではまともに歩くことすら出来ないだろう。
 銃器と同行者の存在から生き延びること自体は十分可能だが、隙をつかれれば武器の強奪など容易にされてしまうだろう。
「……クエロ、どうしたの?」
「大丈夫、何でもないわ」
 クリーオウから不安そうに声を掛けられ、初めて自分が動揺を外に出していることに気づく。
 すぐに微笑を返して無理矢理感情を押し込め、あくまで冷静に思考を働かせる。
(まず大丈夫だろうけど、彼らがどうなってたのかが気になる。
臨也にナイフの出所を聞いてみる? 略奪したのなら必ず嘘をつく。その嘘からうまく真実を類推したい。
でも、そうすると彼に“ナイフの元の持ち主”の手掛かりが欲しいとわかってしまう。
……いえ、とにかく何か言わせないと何も掴めない。ここで問い詰めなければ、この話はこれで終わってしまう)
 何も言わなければ和解へと流れていってしまい、問う機会がなくなってしまう。
 そう判断し、ナイフから臨也へと視線を戻す。
 相変わらずの笑みの中には、わずかだが不審の色もあった。
 そのことに胸中で舌打ちしつつも、問う。
「どうやって、これを手に入れたの?」
 自分でも驚くほどの低い声が、洞窟内に反響する。
 鋭い問いと視線を投げかけられた臨也の笑みが消え、一呼吸置いた後に苦笑へと変わる。

「どうって、ただ落ちていたのを拾っただけだよ」
「それは、どこで?」
「ん? ただの支給品のナイフがあった場所なんて、どうして気にするのかな?」
「このナイフって確か……ゼルガディスの時に、クエロが落としちゃったものだよね」
「ええ。……つまり現在の所持者は、私達の仲間を殺したあいつらのはずなの」
「それじゃあ、そいつらに何かあったんじゃない? 現に落ちてたわけだし」
 飄々と、なぜだかどこか楽しそうに臨也は受け答える。
 このナイフが本当に落ちていたものならば、なおさらどこにあったものなのかが知りたい。
「ああ、俺もその人達の仲間だと疑ってるのか。
こんな状況で、わざわざ他人に武器を渡して単独行動させる“乗った”人間なんていないと思うよ?
いい加減、疑いすぎるのはやめてくれないかい?」
「質問を無視するのはやめて。どこでそれを拾ったの?」
「そんな言い方されると、こっちも答える気ってものが──」
「どこで」
 相手の言葉を無視し、強く問いかける。
 思ったより感情が言葉に出てしまい、クリーオウが驚きと不安が入り交じった視線を向けてきた。
 ……苛立ちと憎悪という名の感情が、己の中で勢いを増していく。
 かつて所長が長所だと言った自分の激情は、今この状況では障害にしかならない。
 その事実に歯噛みしながらも、臨也をふたたび問い詰める。
「……もう一度聞くわ。どこで、それを手に入れたの?」
「そんな今にも飛びかかってきそうな目で睨まないでくれるかな。
……やれやれ、何としてでも答えないと、許してくれそうにないね」
 そう言って臨也は嘆息し、肩をすくめた。
 その動作とは裏腹に、表情はやはり楽しそうな笑みを浮かべたままだった。
 その微笑を変えぬままこちらを見据え、もったいぶるように間を空けた後口を開き──

「あれ、クエロさん?」

 鋭い声の方へと視線を向けると、遠目に見知らぬ男と見知った二人の姿が確認できた。
 後者の方へと歩き出しながら、せつらはその内の一人に声を掛けた。
(これは……何かあったかな)
 足を止めずに周囲を見回し、確信する。
 土の上に広がっている、学校から出た直後には存在していなかった血の跡。
 同じく血で汚れているクエロの背広と、クリーオウの左手に出来た火傷の跡。
 そして、共にいるはずの空目とサラの不在。
 そもそも二人がこの時間にここにいること自体が、何かイレギュラーな事態が起こったことを示していた。
(まぁ、時間に遅れたのは僕も同じだけど)
 広い地底湖とその地上にある商店街。そしてその周辺のビルや高架、砂漠。
 それらを調査し、直接集合場所へと向かうために商店街に戻った時には、とうに十七時を過ぎていた。
「せつら……!?」
「あ、会えてよかった! あのね、サラと、恭一が……」
 仲間の生存を確認出来た安堵と喜色を見せ、それをすぐさま曇らせるクリーオウ。
 そして、自分がここに出てくることに対する純粋な驚きを見せるクエロ。
 前者の話にも興味はあったが、後者──クエロの動揺の仕方に対し、少し違和感を覚えた。
 二人を見つける原因になった、彼女の切迫した鋭い声。
 目の前の男に対して何か疑いを持ち、それを問い質していると解釈すれば別に不審な点はない。
 だが、どことなく別れる前の彼女とは異なった雰囲気があるのを感じていた。
「あなた、どうしてここに?」
「単に探索に時間がかかってしまって。特に問題は起きてないです」
「そう、よかっ────待ちなさい!」
 歩きながら事情を話していると、突然クエロが鋭い声をあげた。
 彼女の視線の先を見ると、先程まで彼女と対峙していた男が、北東に伸びる通路へとすたすたと歩いて行くのが見えた。
 二人がこちらに気を取られた隙に動き出していたらしく、もうかなり離れてしまっている。
 彼は声に反応して振り返り、しかし足は止めずに口を開いた。

「いつまで経っても信用してもらえないなら、ここにいても意味がないからね。
むしろ俺の方が刺されそうな雰囲気だったし。お仲間も来ちゃったし、退散することにするよ」
「…………っ」
 睨むクエロを一顧だにせず、男は通路の奥へと歩みを進める。
 詳しい事情は知らないが、無理矢理追っても話が聞ける状況ではないようだ。
 加えてこの後すぐに放送があるため、争っていては聞き逃すおそれがある。
「……とりあえず何があったのか聞きたいんですが、歩きながらいいですか?」
「……ええ」
 彼女もおそらくそう判断したのだろう、素直に男からこちらへと視線を移した。
 出来るだけ早く状況を知り、ピロテースと合流するのが最優先だ。
 メンバーが二人も欠ける事態に対して、早急に対策を練らなければならない。
 ──と。
「あ、言い忘れてた」
 なぜか先程の男の声が聞こえ、視線と光源をふたたび通路側へと向ける。
 かろうじて表情が読み取れる程度の距離に、男が微笑を浮かべて立ち止まっていた。
 そしてクエロの方を見て、

「──復讐なんて面倒なこと、わざわざご苦労様」

「…………っ!?」
 その表情を文字通り本当に悪意が滴りそうな笑みに変えて、言った。
 彼は動揺するクエロを尻目に闇の中へと姿を消していき──その足音も、すぐに聞こえなくなった。
「クエ、ロ……?」
 不安と怯えが入り交じった目で、クリーオウが彼女に声を掛ける。
 ──闇の中に叩きつけるかのような激情が、クエロから噴出しかけていた。
 彼女を取り巻く雰囲気が何か底知れないものに変わり、辺りの空気を侵食している。
「……いえ、大丈夫よ」
 不自然な沈黙の後。
 小さくこわばった彼女の声が静寂を破ると共に、激情の漏出が止まる。
「…………ええ、まだ、大丈夫」
 ふたたび、独り言のような小さな呟きが闇に混じる。
 俯いて前髪で隠された表情からは、何の感情も読むことが出来なかった。


                      ○

(さて……距離も十分取ったし、ここでいいか)
 小走りに近かった歩みを緩め、狭い地下通路の中で臨也は立ち止まった。
 探知機で三人が追ってこないのを確かめた後、名簿や鉛筆を取り出して放送に備える。
(他に行く当てもなかったし、子荻ちゃんに習って負傷した逃亡者と情報交換でもしようと思ったら……あんなことになるとはね)
 先程までの出来事を思い出し、口元を歪める。
 確かに学校から地下への入口は封鎖されてしまい、逃亡者とは接触出来ないように思われた。
 だがそこに袋小路ではない通路があり、それが学校と同じ地下のあるどこかへと繋がっていることは推測出来る。
 加えて最低一人の逃亡者は、現場に大量の血痕を残すほどの重傷を負っている。
 どこか治療と休息が出来る広い空間、それもここからあまり離れていない場所に潜伏していることが予想された。
 学校の周辺にある、地下がありそうな建造物は五つ。
 遊園地、公民館、商店街、そして二つのビルだ。
(公民館と二つのビルはどちらも行って調べたけど、地下なんてものはなかった。
残るのはまだ行ったことのない遊園地と、あまり調査していない商店街。
この二つなら、位置が近い商店街から回った方がいい。
……もちろん、単純に歩き回るだけじゃ効率が悪すぎる。建物が多いから、隠れる場所なんて無数にある。
でもちょうど手元に便利なものがあったから、足を運ぶ価値は十分あった)
 ──ベリアルから回収した、半径五十メートルに存在する刻印を探知する装置。
 これがあれば、見た目ではわからない場所──それこそ地下に隠れていたとしても見逃すことはない。
 実際に商店街に行ってみると、ほどなく探知機に光点が二つ映し出された。
 逃亡者ならば反応は三つあるはずだが、重傷者が死亡して刻印の機能が停止したと考えれば理由はつく。
 光点のある地点へ移動してみると──誰かがいるはずのそこには、コンクリートの地面だけが広がっていた。
 そしてその近辺を捜索すると、雑貨屋の中庭に地下へと繋がる階段が見つかった。

(……しかし、面白い偶然もあったもんだね)
 地下に降り光点を目指して進むと、思惑通りマージョリーが取り逃がした逃亡者と出会えた。
 火傷や血痕、強い警戒などからも、それはすぐに確信出来た。
 だが、一方の女が数時間前に殺害した人間の敵対者だとは、さすがに名前を聞くまで思いつきもしなかった。
(あらかじめ情報があったからよかったけど、何も知らないまま接触してたらやばかったな)
 ガユスとベリアルとの情報交換の際、危険人物として彼女の名前が出た時。
 あの時点で、クエロという人物が誰にとっても害がある人間であることはわかっていた。
 ──あの状況で名前が出せる人物は、誰にとっても“敵”になりうる者でなければならない。
 相手側が、その人物と既に出会っている可能性があるためだ。
 その場合嘘をついてもすぐにわかるし、かといって全部演技だったと言うのは強引すぎる。
 だからこそあの時こちら側は、あの時点で最大の敵だった哀川潤の名前が出せず、静雄で情報の対価を求めざるを得なかった。
(この前提がなかったら、外見や雰囲気にそのまま騙されていただろうな。
彼女の怯えや同行者を気遣う態度からは、ごく普通の女という印象しか持てなかったけど……おそらく、全部演技だろうね)
 バケモンだね、と声に出して呟く。
 この不気味な所作があったためにうまく踏み込むことが出来ず、相手に主導権を握られてしまった。
(非力そうな子と組んでいたのは、隙をつくる道具として利用して、どこかの同盟に潜伏していたと考えれば理由はつく。
後に見せたあの子の彼女に対する不安や怯えからも、元の世界からの親密な仲じゃなかったことは確かだ)
 おそらくクエロは自分と同じ、人を操り自らの意図通りに物事を運ばせようとする人間だ。
 さらにあの演技力を鑑みるに、自らも“駒”となり行動し、積極的に場を動かせる実力を持ち合わせているようだ。
(……だけど彼女には俺と違って、精神的な弱みがあったらしい。それも、憎悪なんて面倒なものが。
その辺が、あの人と同じく中途半端だよなあ。復讐なんて考えなけりゃ完璧なのに)
 わざわざベリアルを救おうとして墓穴を掘ったガユスと、焦燥に近いクエロの動揺を思い出し、くつくつと嗤う。

 “復讐”とわかったのは、彼女がガユスと敵対しているという事実と、ナイフに対しての不自然な質問があったためだ。
 前者は同じく危険人物の話の際、話に加わっていなかったガユスが自ら口を挟み、彼女の名を挙げたことが根拠になる。
 この場で初めて敵対した相手なのか、それとも元の世界からの対立なのかはわからないが、
 この行動で個人的な因縁を持つ相手だということが推測出来る。
 後にベリアルがわざわざガユスに話を回したことからも、彼が詳しい話を知っていることは確実だった。
(ナイフに対しての動揺は、ナイフを所持しているはずの人間──ガユスが仲間を殺した奴だから、という彼女の言い分が確かに通じる。
その真偽はわからないけど、たとえ嘘だとしても、それを事実として話を伝えてあった同行者には動揺を見せる必要があるからね。
この出来事で初めて敵対したのか。それとも元の世界からの対立で、“仲間”は単にとばっちりを受けただけなのか。
どちらにしろ、ここで二人がお互いに敵意を持っていることが確実になる。
……そして次に彼女は、ナイフの出所について詰問した)
 ただ聞くだけならば、“仲間を殺した”相手の情報を知るためとして理解出来る。
 だが、彼女はなぜか執拗に自分を問い詰めた。
 単なる敵対相手ならば、不都合──持っていた武器を落とすような──があったことを知っただけで満足するだろう。
 放送が近いので、単純な生死だけなら少し待てばすぐわかる。深追いする必要はまったくない。
(それなのに彼女はある種の焦燥すら見せながら、俺を問い詰めて彼の現状の手掛かりを求めた。
必要性がまったくないから演技ってことはない。これは本当に心からの動揺だ。
……敵意はあるけど、危険が及んだり死んでたりすると困る相手。
つまり、“自らの手で”潰したい程強い敵意──憎悪を抱く存在。復讐したい人間、ってことになる。
本当、わざわざご苦労様なことだね。まぁ、だからこそ面白いことになったんだけど)
 この殺人が是認された状況下で“復讐”を欲するなど、自ら枷を嵌める行為に等しい。
 そしてそこをつけば他者を巻き込んで自滅してくれると考え、十分に距離を取った後、煽った。
 結果は予想通り──いや、予想以上だった。

(まさか、あそこまで強い感情をぶつけられるとはね。……早めに対策を練るべきかな、これは)
 単なる動揺ではなく、“激情”と呼ぶのが相応しい負の感情の奔流。
 それが、こちらの言葉を聞いたクエロから発されたものだった。
 ……理屈も状況も顧みず、ただ激情の赴くままに行動する者がどれだけ扱いにくいかは、静雄でよく分かっている。
 彼女がそうなれば、強大な敵がまた一人増えたことになってしまう。
 実際、珍しく少し後悔などという感情も抱いていた。
(とにかくこの通路を早く抜けて地上に戻った後、また誰かを組める人を探すしかないな。
彼女に対抗するためには“仲間”は不可欠だろうし、やっぱり誰かいた方がいろいろと行動しやすい。
まぁ、まだ体調も万全だし武器も十分あるから、大抵の物事には対応出来るけど)
 クエロの仲間が商店街側から来てしまったため、雑貨屋に隠しておいたライフルは回収出来なかった。
 遠距離攻撃手段を失ったのは痛いが、まだ不意打ちに利用できる光刃を生み出す柄や毒薬がある。
 ナイフも拾う暇がなかったが、代わりの道具としては短剣を使えばいい。
 非常に軽く使い易いため、武器としても十分扱えるだろう。
(組むなら子荻ちゃんみたいな人間が一番いいんだけど、難しそうだなあ。
選り好みが出来る状況じゃない。とにかく誰か捜さないとね。────っと、そろそろか)
 思考を打ち切り時計を確認すると、予想通り十八時を回るところだった。
 土の上に広げた紙を見つめながら、意識を頭に響き出すであろう声に集中させる。
(……さて、後は何人残ってるかな?)

【C-3/地底湖周辺/1日目・17:55頃】
【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右手に火傷。少し不安
[装備]:強臓式拳銃『魔弾の射手』
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
    缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録
[思考]:みんなと協力して脱出する。オーフェンに会いたい
[備考]:アマワと神野の存在を知る

【クエロ・ラディーン】
[状態]:打撲あり(通常の行動に支障無し)。背広が血で汚れている。
[装備]:魔杖短剣〈贖罪者マグナス〉
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン6食分・水2000ml)
    高位咒式弾×2、“無名の庵”での情報が書かれた紙
[思考]:…………。
[備考]:アマワと神野の存在を知る

【秋せつら】
[状態]:健康。クエロを警戒
[装備]:ブギーポップのワイヤー
[道具]:支給品一式(地下ルートが書かれた地図・パン5食分・水1700ml)
[思考]:ピロテースをアシュラムに会わせる。刻印解除に関係する人物をサラに会わせる。
    依頼達成後は脱出方法を探す。
[備考]: 刻印の機能を知る。

【B-4/地下通路/1日目・18:00】
【折原臨也】
[状態]:脇腹打撲。肩口・顔に軽い火傷。右腕に浅い切り傷。(全て処理済み)
[装備]:光の剣(柄のみ)、銀の短剣
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水2000ml)、探知機、禁止エリア解除機
    ジッポーライター、救急箱、青酸カリ、スピリタス1本
[思考]:同盟を組める人間とセルティを捜す。クエロに何らかの対処を。人間観察(あくまで保身優先)。
    ゲームからの脱出(利用出来るものは利用、邪魔なものは排除)。
    残り人数が少なくなったら勝ち残りを目指す
[備考]:クエロの演技に気づいている。
    コート下の服に血が付着+肩口の部分が少し焦げている。

※三人から少し離れたところにナイフが放置されています。
※商店街の雑貨屋のどこかにライフルが隠されています。

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