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第493話:すべては凍え燃えゆく

作:◆l8jfhXC/BA

 どこか応答がぎこちないクエロと、それを心配するクリーオウ、それに彼女らに話を聞きつつ歩幅を合わせるせつらは、結局城には程遠いD−4で放送を聴くこととなった。
 各自荷物を置いて紙と鉛筆を取り出し、そばにあった地上への階段に座って時を待つ。
 そして、声が響いた。
『──以上24名』
(悠二もサラも、死んじゃったんだ……)
 どう足掻いても覆せない事実に、クリーオウはただ震える身を抱きしめた。
 数時間前に会話した人間が、数十分前に身を挺して自分を逃がしてくれた人間が、ここでは容易く失われてしまう。
『──その調子で励んでくれたまえ』
 絶望に囚われていると、いつの間にか放送は終わっていた。結局ただ聴き流すだけで何もメモできなかった。
 死者の名に線を引くという行為でさえ、二番目の空目の名で止まってしまっていた。
「ごめんクエロ、メモしたものを見せ……」
 自分とは違い冷静に聞けていたであろう彼女に呼びかけ──その顔を見て、言葉を失う。
 彼女は泣いていた。
 感情が凍ったと形容できそうな、何かを押しとどめるように不自然なほど硬くなった表情で、両の目から涙をこぼしていた。
 左手に鉛筆を持ち、視線を名簿に落としたまま、無音で動作を止めている。
「…………ああ、ごめんなさい、呼んだ?」
 長い沈黙を挟んだ後、彼女は反応した。
 涙を拭い、どこか強ばっている笑みを浮かべたままこちらの方を向く。
「……クエロ、大丈夫?」
「ええ、ちょっとショックが大きかっただけ。……あなたも、聞き逃したの?」
「あ、うん」
「そう……せつら、悪いんだけど放送の内容を教えてくれない?」
「はい。まず死者は──」
 放送前と何ら変わらぬ態度で、せつらは淡々と放送を再現した。
 それを今度は聞き逃さぬよう、胸中で自身を叱咤し線を引いていく。
 最後に禁止エリアの場所と時間を書き込んで、鉛筆を置いた。
「……とにかく、早くピロテースと合流したいわね。彼女が得た情報と合わせて、今後何が出来るかを考えなければいけない」
 同じく書き終わったクエロが、紙と鉛筆をしまって立ち上がる。
 その表情は硬いままだったが、先程のような不自然さはもうなくなっていた。
「その前にやることがあるんですが、いいですか?」
 と、そこへせつらが声を掛けた。
「ピロテースのところへ行くよりも、先に?」
「はい。状況把握に時間がかからなければ、放送前に済ませたんですが。あ、クリーオウには先に行ってもらうけれど」
「え?」
 意外なことを言われ、クリーオウは思わず聞き返した。
 彼のその発言の意味を考えた後、問う。
「……わたしに見られたくない、ってこと?」
「見られたくないというより、見たくないものを見ることになるかもしれないから」
「見たくないものって、何? 確かにわたしはみんなより打たれ弱いと思うけど……仲間はずれになるのは嫌って、学校にいた時も言ったよ」
「……クリーオウ、サラとせつらが神社に行ったときの話を覚えてる?」
「神社の時って……あ」
 数時間前の会議のことを思い出し、クエロが何を言いたいのかを理解する。
 彼らは神社に行った時、そこで見つけた死体で“実験”をした。
 禁止エリアの正確な位置を確かめるために、そこに死体を放り込み、刻印を意図的に発動させたのだ。
 そして昼の会議で、地下でも死体が見つかれば、その実験を行うことが決まっていた。
「僕が最初に地底湖を調査したときには、あの墓はなかった。
いざというときの逃走経路に出来るかもしれないし、出来るときに早めに確認した方がいいでしょう」
 死体で禁止エリアを調べることは、会議中に不承不承ながらも同意したことだった。
 結局、墓を暴くことが許し難い行為だと思えてしまうのは、自分の感覚──様々な意味で弱い、足手まといの感情だけの問題なのだから。
「……わかった。でも、わたしもここに残る。
わたしだけ見たくないものから目を反らしていいのは、変だと思うから。いいよね、せつら?」
 その感情を振り切って、結論を出した。肉体的な問題以外で、弱さを理由に特別扱いされるのは嫌だった。
 クエロが意外そうな顔をして、せつらが困った風に頭を掻く。
「いや、確かに気遣いの意味もあったけど……先に城の地下に行って、ピロテースさんと連絡をとって欲しかったから」
 しかし肯定の言葉を待っていると、当人から意外な役目を求められた。
「それなら、私の方が適役じゃない? あなたよりは早くないけど、クリーオウにわざわざ走ってもらうよりはいいと思うわ」
「クエロさんにはもし禁止エリアが発動した場合、それを見てもらいたいので。
“咒式”というものの知識があれば、発動した状況から新たに何かがわかるかもしれない」
「ああ、そういうことね。過剰な期待はしないでもらえるとありがたいけど……クリーオウ、それでいいかしら?」
 すまなさそうな顔をして、クエロが了承を求める。
 確かにピロテースといち早く接触するのは重要なことだし、何もわからないのにただ実験を見ているよりは役に立つことが出来る。
「……うん。なら、先に行くね。ピロテースと一緒に待ってるから」
 覚悟が無駄になった感はあったが、これ以上わがままを言うのはやめておいた。
 懐中電灯を取り出してデイパックを背負い、一人細い通路へと歩き出す。
 一度振り向いて二人に目で別れを告げた後、その奥にある墓の方へも視線を向けた。
(あなたの思いは、無駄にはしないから。……でも、ごめんなさい)
 胸中で呟いた後、ふたたび薄闇へと足を踏み出した。


                        ○


「……それで、何? わざわざ嘘をついてまで、クリーオウに知られたくないことは?」
「あれ、気づいてましたか」
 クリーオウの気配が消えたのを確認してせつらが口を開こうとすると、相手に先手を打たれた。
 デイパックと懐中電灯を床に置き、クエロはやや不快そうな面持ちでこちらを見ていた。
 ──クリーオウに言った“禁止エリアを調べるため”に先に行って欲しいというのは、彼女と一対一で話すための嘘だった。
 そもそもその“実験”は、学校から地底湖へと移動した際に既に行っていた。
 クリーオウに言ったこととは異なり、その段階で既に墓があったので、ありがたく使ったのだ。
「地底湖でクリーオウを待っていたとき、議事録のことを思い出して見に行ったもの。……ひどいものね」
「地上の時とまったく同じ結果でした。逃亡ルートには使えそうにないですね」
 死体を操作して禁止エリアに踏み込ませたところ、午前と同じように刻印が発動し、死体は血をまき散らした。
 サラがいないため検分しても意味がなく、また埋葬し直す時間も惜しかったため、その死体は放置しておいた。
 ただ墓を掘り返したままにしておくのは何なので、死体が着ていた青いウィンドブレーカーのみを実験前に回収し、それを元の場所に軽く埋め直しておいた。
「もしあの墓がなければ、空目の死体でも同じ事をしたの?」
「ええ、まぁ」
 その後に軽く弔いはするが。
「……確かに必要なことだったとは思うわ。でも仲間の、それに死者の気持ちを平気で踏みにじるような真似は──」
「仲間を踏みにじったのは、あなたも同じだと思いますけど」
 話がずれそうなところで、やっと本題を言った。

「……なんですって?」
「ゼルガディスさんのことです」
 茫洋とした雰囲気を変えぬまま、せつらは即答する。
「……確かに不本意だけど、あの状況じゃ私に疑いがかかるのはしょうがないと思うわ。でも、根拠もなしに言いがかりをつけるのは──」
「根拠はこれです」
 そう言って、デイパックの中に入れておいた“根拠”を地面に放り投げた。
「これは……」
「薬莢です。ゼルガディスさんの死体の隣に落ちてました。あなたの支給品の弾丸のものですよね?」
 彼の死体は、島の最西端に位置する砂浜に打ち捨てられてあった。
 その岩の身体は胸部を境に輪切りにされ、腕も二の腕の半分から下が断たれていた。デイパックも背負われたまま真っ二つになっていた。
 すべての断面が完全に炭化しているところを見ると、高温の刃のようなもので胸部のラインを腕ごと一気に切り裂かれたらしい。
 そしてそのそばには、見覚えのある鈍色の弾丸が──弾頭部が存在せず、空になった薬莢だけになったものが落ちていた。
「これがあったと言うことは、あの場で“魔杖剣”が使われたことになります。
でもあなたは、使う機会もなくただその場から逃げたと言いました。実際に防御障壁を発生させたのなら、隠す必要はないのに」
「……」
「この弾丸を、誰が、何に、何のために使ったのか。そしてなぜ使われたことを隠したのか。それを聞かせてくれませんか?」
 空目とサラが死んだ襲撃については、クリーオウがいたため嘘はつけないし、状況からして作為的に事態を悪化させる機会もなかっただろう。
 だがゼルガディスの件は彼女しか生存者がおらず、さらに一つ減った弾丸などの不自然な点もあった。
 そこに空薬莢という物的証拠が加われば、疑いは確信となる。
(本当は合流してからのつもりだったけれど……)
 城に到着して会議を終えた後に、ピロテースと共に彼女の真意を問う予定だった。
 だが再会した直後の彼女の様子や、放送での動揺の仕方──空目の名前ではなく、その次に呼ばれた“敵”と言った男の名に反応したことが気にかかった。
 動揺した原因は、彼女と口論していたあの青年が言った“復讐”という言葉にあてはめれば想像は出来る。
 問題はその反応自体──激情と言うほかない強い感情を無理矢理抑え込んで、今にも爆発しそうな状態になったことだった。
 その激情も今はまったく感じられないが、逆にいつ爆発してもおかしくないと考えられた。ゆえに、早めに対処することに決めた。
「……わかったわ」
 しばしの沈黙の後、クエロは応答した。
 そして、
「私が、ゼルガディスに、彼を殺すために使った。隠した理由は言わなくてもいいわよね?」
 かなりあっさりと、すべてを認めた。

「……それじゃあ代わりに、理由を聞いてもいいですか?」
「疑われすぎて邪魔になったから。これで満足?」
「うーん、まぁ」
 左手を魔杖剣を差した腰に当て、右手でナイフを弄びながら彼女は笑みを見せている。
 粘り強く反論してくるか有無を言わさず攻撃してくると思っていたのだが、随分と余裕があるようだ。
「でもあれは、お互いに運が悪かっただけよ? あんな事がなければ二人仲良く帰ってくるつもりだったもの」
「その後は?」
「どうせあいつの疑念は晴れないだろうし、やっぱり隙を見て殺したでしょうね」
 肩をすくめてクエロは答えた。
 その言動は、数時間前にまさにその男のことで号泣していた人間のものとは到底思えない。
「それで、私をどうするつもり?」
「僕の要求を飲んでくれれば、特にどうもしません」
「あら、ずいぶんと甘いのね?」
「あなたは保身のための殺人はしても、基本的には大人しく一つの団体の中に留まっていますし。結局、脱出さえ出来ればその行程はどうでもいいんじゃないですか?」
「……ええ、そうよ」
 彼女への信用が、心情的な問題ではなく完全に利害によるものに変わるものの、警戒を強める以外はその対応に変わりはない。
「同盟の仲間と彼らに敵意を持たない人に対して危害を加えず、さらに脱出のために真面目に動いてくれること。
この二つを約束してくれるのなら今までと変わりなく協力出来ますし、僕もあなたの諸々の嘘に関して誰にも言いません」
「それだけ?」
「あ、僕の仕事の邪魔をしない、というのも追加で」
「……」
 弾丸を渡してもらうという条件もつけたかったが、下手に取り上げるとかえって危険だろう。
「……もしゼルガディスの知り合いと出会って、さらに私が彼を殺したことがばれてしまったら?」
「許してもらうのが一番でしょうけど、だめなら敵討ちされてください」
「……あなたなかなか香ばしい性格してるわね。……要求を呑まない、と言ったら?」
「強硬手段で」
「そんな眠そうな声で言われても、脅しにならないわよ?」
「はあ」
「……サラといいあなたといい、何で私はこうずれた人間に振り回されるのかしら」
 反応に少し困ると、クエロは半眼になって溜め息をついた。
 そして呆れたような口調で、続ける。
「条件は確かにいいけれど、問題はあなた自身。こんな状況の中でそんな態度を取れる──すべてを悠然と構えて受け止められる人間を、私は信用できない。
どうせ私の件も、隙を見てピロテースにあっさり話すつもりでしょう?」
「さて」
 ばれた。
「そこは力強く弁解すべきところでしょうに。……まぁいいわ。こちらの答えは、最初から決まっているもの」
「どっちに?」
「言うまでもないでしょう?」
 挑発するように彼女は言った。
 冷たく鋭い黒瞳をこちらに向け、肉食獣を思わせる笑みを浮かべている。
「そうですか」
 それにもせつらは短く答え、右に下げていたワイヤーを走らせた。

 クエロが短剣を抜き放ち、その引き金に指を掛ける前に、せつらはワイヤーをしならせつつ大きく右に跳んでいた。
 ゼルガディスの死体から類推した本当の魔杖剣の力──高温の刃を伸ばす、もしくは飛ばせる能力を警戒しただめだった。
 腕とデイパックごと胴体を切断する術は強力だが、その内容を知られているために、対策を打たれることを彼女は危惧しているはずだ。
 それゆえに彼女が一番に狙ってくるのは──戦闘開始直後、防御の布石を打たれる前に速攻で倒すという手だろう。
(さて、この後は──あれ?)
 彼女は身を伏せて首を狙った一閃を回避し──同時に持っていた短剣から、あっさりと手を放した。
 そして右手のナイフを逆手に持ち替え、低い体勢のままこちらに向かって疾駆する。
「そんなに撃って欲しかった?」
 地面に落ちた短剣を前方に蹴り跳ばし、悪戯めいた微笑を浮かべてクエロが言った。その余裕の色しかない笑みを見て、疑問が増す。
 ワイヤーを避けられたことはまだいい。
 質がいいとはいえ、やはり妖糸と比べると鈍く、太すぎ、重すぎるため、技術に追いついていない。それに、これも制限なのか“私”が出てこない。
 それでも見切るだけの技量があるということは、彼女が言った“あまり戦えない”というのは大嘘になるが。
 問題はわざわざ魔杖剣を放ったことだ。
 不要とばかりに引き金を引きもしないで捨てるのは、その使える術の威力からして不自然すぎる。
「せかさなくても、ちゃんとあなたも彼と同じ目に遭わせてあげるわよ?」
 新たに閃いたワイヤーに髪を数房持っていかれながらも、彼女は軽い口調で言葉を投げかける。
 その発言の意図がわからぬまま、せつらは鋼線を走らせる。狭い洞窟内に張られていくそれは、彼女の薄褐色の肌に数本の朱線を刻んだ。
 しかし痛みに顔をしかめることもなく、クエロは右に跳躍。足を狙った一閃が、革靴の一部をそぎ落とす。
 着地点にも既に張られていた別の線も、空中で身体を捻って回避。数センチずれた場所に受け身を取り、即座に立ち上がり疾走を再開する。
(接近戦を狙っている? 効果が予想されているとはいえ、リーチの大きい術を使った方が楽なのに)
 クエロの現在の武器は、ナイフと自身の肉体のみ。全方位をカバー出来るこちらに比べると、ひどく頼りない。
 彼女に十分な戦闘能力があるとしても、時間が経過すればするほど空間ごと“糸”に絡め取られてしまう。
 だが彼女は、まるで時間稼ぎをするかのようにワイヤーを避け続けている。
(あの短剣が手元にあれば、術の準備時間を稼ぐためとも考えられるけれど……)
 ワイヤーを動かす指は休めずに、しかし頭の隅で疑問を浮かべ続ける。
 この状況を打開できるのはあの術しかないはずなのに、それを彼女は戦闘開始直後にいきなり捨てた。
 もし効果を知られたくらいで使えなくなる術だとしても、持っているだけではったりとして十分機能するはずだ。
 それに短剣自体としても、少なくともただのナイフよりは使い道がある──
「……」
 そこまで考えてふと思いつき、新たに鋼線を手繰る。クエロの右手──ナイフを握っている手首に狙いを定め、引く。
 すると彼女は大きく身体を捩ってその死線を避け──しかし代わりに左肩が別の線に当たり、その肉の一部が宙に飛んだ。
(……本当に?)
 今までと比べるとやや大振りな動きと、その表情にわずかに浮かんだ焦燥を見て、単なる思いつきが半信半疑程度になる。
 ……彼女がゼルガディスを何らかの特殊能力で殺害したことと、魔杖剣を何らかの目的で使ったこと。
 これらは同一だと状況から自然に考えていたが、もしそれが違ったら。
 あの場にあった他の道具──たとえば、先程からずっと手放していないナイフの方にその効果があったとしたら。
 あのナイフはクリーオウの支給品だが、彼女がクエロと出会った直後にそちらの方へと手渡されたらしく、以後はずっとクエロが所持している。
 彼女の言い分も見た目自体もただのナイフだが、戦力確認の際も軽く流されて、誰もそれを実際には確認していない。
 そして学校に戻ってきた際には彼女の手元から消えており、サラが調査する機会もなかった。
(魔杖剣で殺したとあっさり認めたことや、それを躊躇無く捨てたことは、こちらの注意を完全に魔杖剣に惹きつけるため。
砂浜に落ちていた弾丸の用途は本当に防御障壁で、それで何らかの攻撃を防いだ後に、ナイフを媒体にして術を使ったと考えれば──。
でも、それならやっぱり弾丸を使ったことについて隠す必要はないし、魔杖剣は捨てずにそのままナイフを使った方が意表をつける。
そもそもそれを言うなら、今は使えないらしい“咒式”とやらも本当は使えて、それで不意を討ったとも考えられる)
 つく必要のない嘘と、する必要のない行動が重なり合い、疑い出すときりがない。
 先程の焦燥でさえ、彼女の今までの行動からすれば造作もなく演技出来るだろう。
 どれが本当でどれが嘘か。もしくはすべて嘘なのか。
 そんなことを気にせずに彼女をさっさと始末するのが一番の解決策だが、疑念を抱いてしまったせいで思い切った行動に移れない。
「このナイフが気になるの?」
 と。
 その疑念を読み取ったのか、クエロが蔑むような口調で問いかけてきた。
「そんなに気になるのなら──」
 声と同時に彼女の足が何かを蹴り放った。白い光を伴い、高速でこちらに飛んでくる。
 それが地面に放置されていた彼女の懐中電灯だと気づく前に指が動き、捕縛する。
「あげるわ!」
 視界を覆った光が邪魔をし、一瞬彼女の位置を捕捉出来なくなる。
 鋼線の圧力で軋んだ塊を地面に叩きつけ、濃さを増した闇の中でふたたび人影を視認したときには、また何かが飛んで来ていた。──ナイフ。
 懐中電灯のように絡め取るのは容易だ。だが、思考の隅の疑念がそれを許さない。
 一瞬の逡巡の後、せつらは天井へと伸びる鋼線の一つを引いた。
 刹那黒衣が宙に舞い、滑空する。行き先は地上へ伸びる階段の、出口に当たる上蓋の取っ手。
 そしてその下を、ちっぽけな刃が通り過ぎた。
 今まで細心の注意を払っていたそれは、何の現象も起こさぬまま、背後にあった禁止エリアの中へと消えて、小さな水音を立てた。
 警戒が無駄に終わった事に対し、少しの安堵と徒労感を覚えつつ、地上へと帰るために別のワイヤーを引く。
 しかし大地へと滑る間に、また声が聞こえた。
「いい線行ってるけど、もっと根本的なところから見直さないとダメよ? ──ねえ、クリーオウ?」

(────まさか?)
 呼ばれるはずのない人名に、新たな疑念とそれを即座に否定する思考が拮抗する。
 ……彼女はゲーム開始当初にクエロに出会い、行動を共にしたと言った。ゼルガディスと出会ったときには既に二人一緒だった。
 その事実とクエロの演技力が彼女にもあると考えれば、確かにありえないことではない。
 だが。
(……違う)
 疑念を振り切り、地に足をつけた。
 具体的な根拠は、肯定の側と否定の側のどちらにもない。ゆえにこの状況で一番信じられるもの──己の実力をせつらは信じた。
 人の気配がクエロ以外に感じられないことと、それに人捜し屋としての人を見る目を。
「まぁ、そこまで馬鹿ではないわよね。別にいいけど」
 つまらなそうな呟きと共に、クエロが肉薄する。逡巡と降下の間に、かなりの距離を稼がれていた。
 背広を血と汗で濡らし、肌には無数の創傷と擦過傷が刻まれているものの、まだ限界には見えない。かなりタフらしい。
「十分、時間は稼げたしね?」
 朱唇をつり上げ、クエロは嗤った。
 その左手には──捨てたはずの、魔杖剣が。
(いつの間に?)
 疑問とほぼ同時に答えは出た。──あの懐中電灯の時だ。
 懐中電灯の光とそれ自体の処理で行動を阻害して、前方に蹴っておいた短剣を回収。ナイフと嘘で気をそらしつつ左手を死角に持って行ったらしい。
(なら、今までのはすべて──)
 彼我の距離を一気に縮めようとするクエロに対し鋼線を放つも、彼女は短剣でそれを受け止め、反らす。火花が散るほどの速度だが、刃は欠けない。
 ──すべてはこちらに接近するためのフェイク。遠距離攻撃だと思っていたのが、そもそもの間違いだったらしい。
 一度捨てることによって気を反らし、さらにふたたび回収して術を準備するまでの時間を、その捨てたことから発する疑念を増幅させることによって稼がれた。
「さよなら」
 クエロの言葉とほぼ同時に、せつらはふたたび宙を舞った。
 行き先は同じく階段の上蓋。もちろんそれだけではすぐに追いつかれる。ゆえに真上に到着する前に、もう一本別のワイヤーを操作する。
 両手の中指を引いた瞬間、辺りが完全な闇に包まれた。
 最後に残った光源──クエロの背後に放置してあった、自身の支給品の懐中電灯をワイヤーで破壊したためだ。
 この地下には明かりが一切無い。元から闇に目が慣れているものでなければ、支給品の懐中電灯に頼るしかない。
 そしてどんなに夜目が利くものであろうと、いきなり照明を落とされれば判断は遅れる。
「っ!」
 彼女の舌打ちの音と地を駆ける音を耳に入れつつ、ワイヤーを手繰る。
 真上に到着。すぐに闇に慣れた目でクエロの姿を視認する。一足遅れて階段に到着するところだった。
 元から夜目には自信があった。懐中電灯をわざわざ出したのも自分のためではなく、他の参加者に出会ったときに警戒心を抱かせないためだった。
 彼女が上蓋の真下に短剣を向け、その指が引き金を引くのも確認。
 その瞬間、刀身の先端にネオンを思わせる紫光が灯り、取っ手に掴まったままのせつらを照らし出した。
(電撃……いや、プラズマ?)
 その色と光、それにゼルガディスの死体の状況から推測する。今更わかったところで、防御できるものではないが。
 回避するも道は少ない。飛び道具ではなかったが、人体とデイパックを貫く程度のリーチがあることは確実だ。
 右か左か、それとも真上に留まるか。もしくは──。
 術が展開するまでの、一呼吸の時間。
 その瞬間の半分を思考に費やした後、せつらは自身の全体重を支えるワイヤーから、己の指を抜き放った。
 身体が支えを失い、土の上へと自由落下していく。これなら切断のラインに被ることはない。
 そして正面に向けられたままの刃の先端を高速で見送った刹那、
(な──)
 上でも下で右でも左でもなく、真正面に。
 刃ではなく、網のように。
 視界全体に紫電の壁が発現し、せつらの身体を灼いた。


                           ○


 神経が比喩でなく本当に焼き切れそうになる感覚に、クエロは片膝をついて耐えた。
 午前とは違いゼルガディスの魔法は喰らっておらず、十分な睡眠も取ったものの、それでも平常の数倍はある脳への負担はやはりきつい。
 さらに余裕と焦燥の演技を切り替えつつ咒式を紡ぎ、なおかつ高速で走るワイヤーを避けるという作業は吐き気さえ伴う疲労となって、肉体を苛んでいる。
(予想はしていたけど、つらい状況ね……)
 地面に落ちている二つの薬莢を拾い、湖のある方へと投げ捨てつつ思う。
 回収する暇がなかった薬莢のことには気づいていたし、それをせつらが見つける可能性もわかっていた。そのために地底湖でクリーオウを待つ間に咒弾も装填しておいた。
 ……ゼルガディスに〈電乖天極光輪嶄(アリ・オクス)〉を使用してわかった、現在の咒式の問題点は二つ。
 演算能力の低下と、発動後の遅延だ。
 第七階位の咒式とはいえ、発動までに三十秒以上もかかるのは自分としては遅すぎる。
 ただ咒式を紡ぐという行為は、魔杖剣の柄に手を掛ける以外の目立った行動を伴わないため、剣そのものかそれを持つ腕を狙われない限りは阻害されにくい。
 問題は後者だ。
 意図的に発現させた状態で止めることはあるものの、本来は引き金を引けば光速で対象に向かうのが電磁系咒式だ。
 それなのにここでは、ゼルガディスが刃に灯った紫光に反応して、剣を正面に構えるという行動が出来る程の遅延が発生していた。
 使う咒式の効果を知られている相手に対しては、必殺になりえない可能性が出てきたのだ。
 本来ならまだしも、現在は第七階位を一度撃っただけで脳にかなりの支障が出る。避けられるか防がれるかすれば敗北は必至だ。
(本当に、制限さえなければもっと楽にいけたんだけど)
 ある程度闇に慣れた目で、正面にあるせつらの死体を見る。
 高熱に晒された身体の全体が、黒く炭化して蒸気を上げていた。人体を根こそぎ灼いた臭いが、嗅覚を刺激し続けている。
 彼の持っていたワイヤーも、同じく炭化し焼き切れて落ちていた。彼の死体から遠い部分は被害を受けていないが、その丈はあまりなく、もう使い物にならないだろう。
 ──電磁電波系第七階位〈雷環反鏡絶極帝陣(アッシ・モデス)〉。
 超高密度のプラズマを鏡状態にした複数の超磁場で閉じこめた壁を、限定空間内に発生させる咒式。
 本来の目的は物理防御だが、その障壁に直に触れれば、当然尋常ではない熱量にすべてを灼き消されることになる。
 すべてはこの咒式を使うために、彼に接近するためのフェイク。
 そして、彼に“ゼルガディスを殺した効果”──〈電乖天極光輪嶄〉を使わせると思わせるためのフェイクでもある。
 一度別のものに思考を誘導させることによって、効果が知られている能力を是が非でも使いたいと確信させる。
 それにより昼に言ってあった障壁という使い道を完全に嘘と思い込ませ、攻性に使われる可能性を無視させる。
 “線”ではない“面”の攻撃に、対応できなくしたのだ。
(……また言い訳を考えないといけなくなったわね)
 彼を殺しただけではゲームは終わらない。奴らを倒すか満足させるかしなければ、元の世界に変えることは出来ない。
 そしてそのためには、人数が大幅に減ったとはいえあの同盟の人材と人脈を利用する必要がある。
 たとえそれが、自分の一番の目的に支障が出るとしても。
 このくだらないゲームから脱出するためには、必要なことだ。
 でも。
「こんなくだらないことでっ……!」
 放送を聞いてからずっと抑え続けてきた激情が溢れ、拳を地面に打ち付けた。
 ……臨也に会ってから懸念していたことは杞憂に終わることなく、至極あっさりと放送で告げられた。
 008 ガユス、と。
 元同僚であり、元恋人であり、すべてを奪い、裏切った人間。
 まだ死者の無念は晴らされていないというのに、彼は呼ばれた。
 まだ自分の苦痛はおさまっていないというのに、彼は殺された。
 彼がこんなところで死んでいい理由など何一つないというのに、奪われた。
「殺し合いゲーム? 心の証明? そんなことのために私の想いは──私の憎悪は無駄になったと言うの!? ふざけないで!」
 ただ虚空に向けて叫ぶ。
 握った拳の爪が皮膚を破り、生暖かい血液が指の合間から流れ落ちた。
 行き場がなくなった憎悪が、対象を変えて増幅していく。
 愚かな問いかけを持ちかける精霊とやらに対して。その友と言い彼に協力する刻印の制作者に対して。
 何らかの形で監視し今も嘲っているであろう管理者達に。ガユスを殺した張本人であろう臨也に。本来の復讐の一端であるギギナに。そしてこの世界そのものに。
「…………」
 感情を外に出し切り、肩で息を整える。その息遣いの音がやけに滑稽に聞こえ、歯噛みした。
 ここでどんなに足掻いても、すべての根源である主催者達には何の害も及ぼせない。
 いつもと違い、物語の外側に〈処刑人〉として配置されたわけではないのだ。ただの無力な紡ぎ手としてここにいる。
「……なら」
 だんだんと熱が冷め、落ち着きが戻ってくる。
 未だ内に燻る炎はそのままに、思考だけを冷たく走らせる。
 そして完全に冴えた頭で答えを導き出すと、それが狂気に近いことを自覚しつつ、口に出した。
「……それなら、乗ってあげる。このゲームにも、証明とやらにも。
もちろん無謀なことをするつもりはない。休息を取って情報収集した後に、ね。
でもそれは〈処刑人〉としてではなく、ただの復讐者として。
何かを取り戻すためではなく、すべてを奪うために。誰かのためではなく、ただ私だけのために」
 呪詛のように強く、続ける。
「ただ憎悪だけをもってこのゲームを終わらせ、その感情の強さで心の存在を証明してあげる。
──そしてすべて終わった後に、〈処刑人〉としてあなた達を殺すわ。たとえ文字通り住む世界が違おうとも、どれだけ時間がかかろうとも、必ず」
 姿の見えない俯瞰している者達に対し、憎悪をこめた低い声で呼びかける。
 ただの自己完結した宣言ではなく、約束を取り交わすように。ただの脅迫ではなく、死そのものを契約させるように。
「あなた達はただそこで見ていればいい。欲しいものがあるならいくらでもあげる。
でも私の想いだけは、この憎しみだけは失わせない! たとえまた奪われたとしても、何度でも滾らせて叩きつけてやる!」
 叫んだ声が反響し、それが完全に消えるまで、クエロはずっと虚空の闇を睨み続けた。
 そして辺りに静寂が戻ると立ち上がり、荷物を回収した後にゆっくりと、城への道を歩き出した。
 後にはただ、闇を焦がす熱だけが残った。


【107 秋せつら 死亡】
【残り 54人】


【E-4/地下通路/1日目・18:10頃】
【クリーオウ・エバーラスティン】
[状態]:右腕に火傷。
[装備]:強臓式拳銃『魔弾の射手』
[道具]:デイパック(支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン4食分・水1000ml)
    缶詰の食料(IAI製8個・中身不明)。議事録
[思考]:ピロテースと合流するために城の地下へ。
    みんなと協力して脱出する。オーフェンに会いたい
[備考]:アマワと神野の存在を知る

【D-4/地下通路入口/1日目・18:30頃】
【クエロ・ラディーン】
[状態]:相当な肉体的疲労(いつ気絶してもおかしくないレベル)。
    咒式は一度休息しないと使えそうにない。
    全身に切り傷と擦り傷多数。背広が血で汚れ、切り刻まれている。
[装備]:魔杖短剣〈贖罪者マグナス〉(高位咒式弾×1装填済)
[道具]:デイパック(懐中電灯除く支給品一式・地下ルートが書かれた地図・パン6食分・水2000ml)、
    “無名の庵”での情報が書かれた紙
[思考]:ひとまずピロテース達と合流。
    休息・情報収集後、機を見てゲームに乗る。
    ギギナと臨也は楽には殺さない。憎悪をもって心の証明を。
[備考]:アマワと神野の存在を知る

※景の死体がD-3に移動され、刻印が発動しました(時間は15:30〜16:00の間)。ウィンドブレーカーのみが風見の作った墓の下に。
※ゼルガディス殺害時&せつら殺害時に使用した弾丸の空薬莢二つがD-3地底湖に投げ捨てられました。ナイフも同じく沈んでいます。
※ブギーポップのワイヤーがD-4に放置されています。但し大半が炭化し焼き切れて使い物にならない状態。
 せつらのデイパック(懐中電灯除く支給品一式、地下ルートが書かれた地図・パン5食分・水1700ml)も同じくD-4に。

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