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第447話:その腕は、とても長い

作:◆7Xmruv2jXQ

 捕まった。囚われた。
 その冒涜的な光景に。その冒涜的な異世界に。
 吐き気を催し。肌が粟立ち。
 風は消え。熱は失せ。血は凍って。声は死んで。
 世界は、仮初の静音に沈む。


「……っぁ」


 火乃香が形に出来たのは、意味を成さない文字の連なりだけだった。
 それさえも自身の胸の内で溶け消えるほどに弱い。
 思いを言葉にするには力が足りない。
 言の葉が風に散らされたように霧散してしまう。
 頭がくらくらする。
 足が地を踏む感触すら頼りない。
 握ったこぶしの感触すら空ろだ。
 あらゆる感覚が曖昧な一方で、額の天宙眼を介してか、視覚だけが確かに機能している。
 白い人型。
 黒い髪に金の瞳。
 花に抱かれて目を閉じた少女。
 鏡の世界は鮮明過ぎた。
 空の青も、雲の白も、鳥居の朱も。
 そこでは淡く輪郭を崩している。
 本来それらはただ映りこんだものに過ぎず、覗き見たところで歪な像を結ぶだけだ。
 そのはずなのに。


 そこにあってはならないモノを混ぜることで――――


 そこにもういない少女のカタチを混ぜることで――――


 ――――その世界は、狂いなく整合してしまう。


 鏡の向こう。
 此処ではない此処で、矛盾を孕んだ少女が踊る。
 誘うように、細い腕が伸ばされる。
 嘲るように、細い腕が曲げられる。
 伸ばされた腕に、じっとりとした寒気を覚える。
 曲げられた腕に、ふらつくほどの眩暈を覚える。
 粘性の海に浸かっているような不快感。
 昏い幻惑に火乃香は魅せられた。
 森で拾った“物語”が思考の海にぬらり、と浮かぶ。
 曰く、歪んだ鏡は現実を映さない、そこには違う世界が広がっている。
 曰く、じっと鏡を見ていると、そこにはきっと厭なものが映る。
 曰く、鏡は水の中とつながっていて、そこには死者の国が在る。
奇形の幻想に現実が犯される。
 無声の世界に耳が痛みを覚える。
 両の黒瞳が。蒼い瞳が。
 白く、細い腕に奪われる。
 腕は確かめるようにぐるりと巡って。
 こちらに向けて、にゅうっと――――



「消えろ」



 乾いた声。
 次いで強い光が生まれた。
 その声に火乃香は一気に現実へと引き戻される。
 火乃香の真横、白衣の袂で荒ぶる波動が収束。鮮烈なまでの白が膨らみ、弾けた。
 発生したのは単純にして圧倒的な熱量。力の奔流が眼前の案内板へと容赦なく叩きつけられる。
 激震が走る。
 余波の熱が空気を焦がし、荒々しく大気が揺れる。


 火乃香はとっさに腕を顔の前にかざし、網膜を焼く光を遮断した。
 前髪が熱風に煽られ大きく乱れる。
「コミク……」
 ヘイズが挙げた声が轟音にかき消える。
 地の震えが収まった後には大穴の開いた床だけが残された。
 案内板は木っ端微塵に砕かれた挙句、一片も残さず灰となった。
 呼応するように、火乃香の額からも、蒼い輝きが消える。
「……ふっ」
 コミクロンはニヒルな笑みを浮かべた。
 左手で髪をかき上げて、斜め四十五度の角度で破壊跡を満足げに見渡している。 
 似合わないそのポーズは、どうやら勝利のポーズらしい。
「幽霊もどきなんかでこの偉大な頭脳に挑戦しようとは笑止千万!
 どんな無知無能人間の仕業か知らんが、あんな前時代的発想が通じるはずもない!
 時代の先駆者として、その辺の格の違いをわからせてやったわけだが……どうしたんだ、二人とも?」
 コミクロンの演説をよそに、火乃香とヘイズは顔を見合わせ、
「なんか……」
「……身も蓋もねぇな」
 どちらからともなくぽつりと呟く。
 二人は十秒ほど見詰め合ってから、同時にため息をついた。
 と、そのため息を運ぶように、
 
 ――――――――さあぁぁぁああぁぁぁぁ


 前触れもなく風が流れた。
 再び、木々のざわめきが辺りを包む。
 さきほどまでが嘘のように、神社は心地よい静けさを取り戻していた。 
「おい、いつまでぼーっとしてるんだ。さっさと行くぞ」
 自然を感受する神経など持ち合わせていないコミクロンはさっさと渡殿の奥へと消えてしまった。
 ヘイズが気のない返事を返して後を追う。


 火乃香も続こうとして――――もう一度、案内板があった場所を振り返った。
 風が髪を揺らし、青い天宙眼が顔を覗かせる。
 砕かれた床を見たところで何が見えるわけでもない。
 それでも。
 目を閉じれば、瞼の裏で、白い人影が笑みを作った。
 その姿に、名前のわからない感情を覚える。
 渾然とした、雑然とした、複雑に絡み合った混沌。
 複雑すぎるが故に、名前をつけて飲み下すことも出来ない。
 火乃香は幻想をうち払ってかぶりを振った。 
「あれはシャーネだけど、シャーネじゃないんだ。
 向こう側にいて、それはこっちと同じだけど、こっちじゃない」
 自分で言っていてもどかしい。
 感覚的な情報を言語化できない。どうやっても筋道だった説明になってくれない。
 ――もう一度見れば。
 脳裏に浮かんだ考えを即座に否定する。
 無理だ。
 自分はあの時、為す術なく魅入られていた。
 もしコミクロンがいなかったなら、きっと、あの腕に掴まれて……
「しっかりしろ」
 半ば夢うつつだった火乃香は、肩を掴まれて我に返った。
 正面には赤と茶色、色違いの双眸。
 いつの間に戻ってきたのだろうか。
 ヘイズは苦渋を噛み潰すように顔をしかめた。
「気持ちはわかるが、とりあえず忘れろ。
 ただでさえギリギリなんだ。潰れちまうぞ」
「でもっ!」
 反射的に強く言い返して、言葉なく沈黙する。


 火乃香を黙らせたのはその真摯な瞳ではなく、肩を掴んでいる手だったのかもしれない。
 触れられている場所から感じる手の強張り。体温。発汗を拭ったわずかな湿り気。
 それらが、火乃香には、ヘイズが無理やり押さえつけている動揺の残滓に思えた。
「……行くぞ。このままだとコミクロンに置いてかれる」
 歩き始めるヘイズ。その背中に力なく続く。
 肩から手が離れてしまえば、ヘイズが何を考えているかなどわからなくなる。
 だけども。
「少なくとも、俺達はあれを認めるわけにはいかねぇんだ」
 ぽつりと、自分に言い聞かせるように呟かれたヘイズの言葉が、耳から離れなかった。
 
  *   *   *    


「もうちょっとこう、近代的な設備が欲しいところだが、まあこんなものか。
 休むだけならぎりぎりで及第点をやらんでもないな」
「……そうだな。
 入り口のすぐ近くにあったのを見落としてなければなお良かったな」
 がっくりと肩を落としながら、ヘイズは二つあるソファの内、入り口から遠い方に腰を下ろした。
 バックをテーブルの上に投げ出して背もたれに体重を預ける。
 火乃香もまた、ドアに近い方のソファにぐったりと沈み込んでいた。
 コミクロンだけはなぜか元気そうで、一人隠し扉がないか部屋を這っている
 現在三人がいるのは境内の右手にあった社務所の応接室だ。
 八畳ほどのスペースに向かい合わせに三人掛けのソファが二つ。
 間には木のテーブル。
 テーブルの端には盆の上に伏せられた湯飲み茶碗が四つある。
 ただし肝心のお茶は見当たらず、当然お茶葉もお湯もない。
 お茶菓子代わりにか、茶碗の横には黄色い箱が二つ添えられている。
 窓はないため警戒するのはドアだけでいい。
 多少埃っぽいことを除けば、まずまずの休憩所と言えた。


 ――あくまで設備面では、だ。安全面を考えると……
 ヘイズは右手で髪を持ち上げた。陰鬱に息を吐く。
 左手の上の時計は、まだ二時十分を回ったところ。
 Iブレインの機能回復まで、後一時間半。
 ――わかっちゃいたが、長いな。
 続いて。
 指先を組んだヘイズは、ペットボトルに口をつけている火乃香を盗み見る。
 答えは初めからわかってはいた。
 視線の動き。筋肉の動き。呼吸数。それらが明瞭に彼女の体調を物語っている。 
 ――ここまで歩けただけでも驚きだったんだ。火乃香も、限界だな。
 最後にヘイズはコミクロンに視線を移す。
 真剣な面差しで床を叩いているその姿からはいまいち消耗が計れない。
 しかしコミクロンも二人の重傷者を癒そうと魔術を行使している。
 魔術による疲労の度合いなど知る由もないが、見た目ほど楽なものではないらしい。
 これ以上魔術は使えないと言う可能性も一応考慮に入れておく。
 と、そこまで考えてヘイズは無力さに歯噛みした。
 例えあのマージョリー・ドーが追いついてきたとしても、現状で戦えるのはコミクロンだけ。
 そのコミクロンも本調子にはほど遠い。
 この状況で完璧を求めるのは愚かだが、なんせチップは自分たちの命だ。 
 増やすことも取り返すこともできないのだから、できるだけ完璧に近づけたいとは思う。
「って、お前何やってるんだ?」
 ドアの前で仁王立ちするコミクロンに、ヘイズは半眼で問いかけた。


「ふっふっふっ。まあ見ていろ」
 コミクロンはいつもの笑みを浮かべてから、左手でびしりと扉を指して、
「俺の入念な調査の結果――――」
「入念な調査?」
 すかさずヘイズが怪訝な声を上げる。
 が、コミクロンは完全に無視。ヘイズの指摘などなかったように自信満々に後を続ける。
「入念な調査の結果、この部屋に隠し扉の類はないことが判明した。
 ついでにこの部屋には窓もない。
 誰かが入ってくるとしたらこのドアから入るしかないわけだ」
「まあ、そうだね」
 体を起こした火乃香が合いの手を入れた。
 コミクロンはちらりとそちらを見てから、
「この真理に気づいたのが俺だけと言うのがこの面子の知能指数を物語っている気もするが……。
 まあ、仕方がない。凡人を導くのも優秀な人間の役目だしな」
「この面子の知能指数、ね……」
「優秀な人間の役目……」
 なんともいえない引きつった表情で、ヘイズと火乃香。
 そんな二人の様子にかけらも気づかないコミクロンは深々と頷いて、
「つまりこのドアさえ開かなくしてしまえば襲われる心配はない。実に簡単な証明だな」
「鍵なんかないよ、そのドア」
「バリアーでも張るのか?」
 ふっふっという含み笑いを従えて白衣がひるがえる。
 二人の質問への答えとして、コミクロンは扉に向かって鋭く叫んだ。
「コンビネーション4−6−4!」
 メカ……ギシ…ギィギ……!
 なんとも形容しがたい音をたててドアが急速に体積を増大させた。
 体積を増した分だけ周囲の壁にめりこんでいく。
 ドアは二周りほど大きさを増してから増大を止めた。
 ドア自体にも若干ヒビが入っているが、圧力に負けて砕ける様子はない。
 確かに、これではドアを開けるのは不可能だろう。


「よし。完璧だな」
「……思いっきり力任せだな」
 自信満々に振り返るコミクロンに、ヘイズは半眼で呻いた。
 だが実際問題悪い案ではなかった。
 もともと出入り口が一つしかないなら封鎖しておいたほうが安全だ。
 自分たちが出ることもできなくなったが、そのときは壁に穴を開ければ済む。
 気を取り直してヘイズは今後の提案を切り出した  
「とりあえずの安全は確保されたって考えて問題ねぇだろ。
 当初の予定通り休憩だ。
 次の放送でこことG1が禁止エリアにならない限り、今日はもう動かない。
 運がいいって言っていいのかはわからんが、俺達には積極的に捜してる人間はいないしな」
 ちらりと火乃香に視線をやる。
 この中で知り合いが生存しているのは彼女だけだ。
 ヘイズの意図を察して、火乃香が軽く頷いた。
「あたしは構わないよ。ウチの連中は、みんな、うまくやってると思う」
「俺もいいぞ」
 二人の同意を受けて作戦会議はあっさりと終了した。
 その後はコミクロンの強硬な主張により、火乃香とヘイズがソファを占拠して眠ることとなった。
「とにかく寝とけ。
 結局食料はなかったからな。睡眠だけでもとっておけ」
 との御達しを受けた二人はソファの上で丸くなる。
 実際に横になると、疲れが全身に染み渡っているのが自覚できた。
 ――考えることは多いんだけどな。 
 ヘイズはきつく目を閉じて眠ろうと試みた。
 しかし、体は疲れているのに妙に目が覚めてしまって眠れない。
 暗闇の中で悶々とした結果、
「くそ、眠れねぇ……」
 結局、ヘイズは起き上がった。ソファの上で胡坐をかく。


 向かいのソファではジャケットを毛布代わりにした火乃香が穏やかな寝息を立てている。
 それを羨ましく思っていると、見張り役の声が飛んできた。
「む、どうしたヴァーミリオン。さっさと寝ろ」
 声がした方に振り返れば、コミクロンが床に座り込んでなにか袋を弄っていた。
 その足元には潰された黄色い直方体が一つ。
 ヘイズは火乃香が起きないように声量を絞った。
「眠れないんだよ。で、お前は床でなにしてる」
「茶菓子を開けようとしている。しかし片手では開かんぞ、これ。
 不良品だと思うんだが、作ったのはどこのメーカーだ?」
「片手じゃ無理だろ。こっちよこせ」 
 素直にコミクロンが放り投げたそれを片手でキャッチ。
 その際にコミクロンの指を見て、ヘイズは疑問符を浮かべた。
「おいコミクロン、火傷してるぞ」
 きょとんとしたあと、自分の左手を見てコミクロンは憮然とした表情を浮かべた。
 どことなく重要報告書の記載ミスを発見した事務員の顔に似ているとヘイズは思った。
 あるいは契約書を読まずにサインをした空賊の顔か。
「どこでやったんだ、それ。バスで突っ込んだ時か?」
「わからん」
 適当に呪文を唱えると火傷はあっさりと消えた。


 その様子を横目に見ながら包装紙を破る。中にはブロック状の固形物が二本包まれていた。
「携帯食みたいだな。『カロリーメイト』。聞いたことねぇな」 
 テーブルに残された箱からロゴを読んだヘイズは首を傾げた。
 ――1箱に2本ということは、計4本か。
 当たり前の勘定をして一本を抜き取り、包装紙ごとコミクロンに返す。
 試しに一口分齧る。
「結構いけるな、これ」
「苦いぞ」
「それがうまいんだろ」
 もそもそと口に含んでから水で流し込む。
 多少の満腹感を覚えて、ヘイズは再び横になった。
 腕を枕に天井を見やる。  
 なんとはなしに思い出すのはこの島での出来事だ。
 思い返せばゲームスタートからたった半日で四度も死にかけている。
 特にコミクロンは片腕を使えなくしている。
 いくらこの島でも、自分たちほど不運な者などいないのではないか……
 ――とは、口が裂けても言えないけどな。
 ヘイズの目が細く窄まる。
 たとえ四度命の危機に晒されようが、今、自分は生きている。
 一回目の放送までに二十三名。
 二回目の放送までに十三名。
 合わせて三十六名が死亡している。
 ――いや。三十七名か。
 ナイフ使いの少女の名前をリストに加える。


 嫌な気分だった。
 あって間もないとはいえ、見知った人間の死はヘイズを陰鬱な気分にさせた。
 ヘイズ自身は火乃香から聞かされただけで死体すら見ていない
 それでも、火乃香の蒼褪めた顔を見れば実感せざるを得なかった。 
 そして少女の名前は社での一幕と容易に結びつく。
 “物語”に酷似したあの現象はなんなのか。 
 気づかないうちに、背中に嫌な汗をかいていた。
 理解できないことに対する怖れ。
 理解できないことに対する苛立ち。
 理解できないことに対する安堵。
 立ち向かおうとする強さと、それに相反する逃げ出そうとする弱さ。
 渾然とした感情を、無理やり意志の力で押さえつけているだけだという自覚。
 ――あんな冒涜的なものと同一視されれば、シャーネも浮かばれねぇ。
 だから、自分たちはあれを認めてはいけないのだ。
 頭ではそうわかっている。
 あれはシャーネを模しているだけだと理性は言う。
 だけど、何度も、何度も、何度も。
 自分に言い聞かせなければ、重ねて見てしまう。
 先ほどは火乃香に忘れろなどと言ったが、自分だって忘れられていない。
「コミクロン。お前、さっきのあれをどう思う?」
 真剣味を帯びた声。
 ヘイズは躊躇いを切り捨てて、コミクロンに問いかけた。
「苦かったぞ」
 がくんとヘイズは首を折った。上半身だけ起こして唾を飛ばす。
「誰が携帯食の話をしてるんだよ! あの案内板のやつだ!」
「火乃香が起きるぞ。案内板のやつ? そうならそうと言え」
 ぎりぎりと歯軋りしながらヘイズは手を戦慄かせた。
 もしコミクロンが目の前に居たなら首を掴んで宙吊りにしているところだ。
 当のコミクロンはしばらく虚空を見つめてから、
「どうと言われてもな。
 案内板の中にシャーネっぽいものが見えただけだぞ? やたら間接は柔らかそうだったが……」


 その答えを聞いてヘイズは絶句した。
 それだけなのか?
 自分と火乃香が囚われた異界は、この男にとってはその程度のものなのだろうか?
 あっさりと割り切れるからこそ、コミクロンは『鏡』を破壊できたのか?
「原理はわからんが、映ってる物体を壊せば終わるんだ。あんまり気にすることもないだろ」
 呆けた表情でその言葉を聞く。
 ――それこそ理屈じゃないんだろうな。こいつにはそれが当たり前なんだ。
 ヘイズは羨望と諦観が入り混じった、複雑な笑みを浮かべた。
「良識ある一般市民として忠告しておくが、気持ち悪いぞヴァーミリオン」
「うるせえ」
 睨み返してから後ろに倒れる。
 明け透けに言い放たれた言葉を聞いて幾分すっきりした。
 天井を睨みながら、ヘイズの思考が徐々に回り始める。
 だが腹にものを入れたせいか、急速に意識が溶け始めていた。
 考え事をできる時間は少なそうだ。
 『鏡』の一件。考えるな。どうにもならない。少なくとも死者数は三十七。Tブレインは停止している。
 騎士剣はどうした? 火乃香に渡した。魔術と魔法の干渉、類似性。情報解体。手数を増やせる。
 そもそもの目的は刻印の解除だ。主催者は何を目的としているのか。定時放送が誘導の可能性は?
 天樹錬が本当に参加していた保障はない。食料が放置されていたのは不自然。果たして不自然だろうか。
 能動的に動くにはエネルギーが必要。カロリーメイト。エネルギー源としては中途半端では。支給品。
 毒が支給されていれば? 食料に混ぜておけば罠になる。可能性は高い。食う前に気づけよ俺。
 殺し合い。生き残れるのはただ一人。
 ――まだ、打てる手は何もない。
 陰鬱に唱えて、ヘイズは眠りへと落ちていった。


 *   *   *


 ヘイズが寝たのを見計らって、コミクロンはむくりと立ち上がった。
 片腕だけで伸びをする。
 伸びの動きに合わせてお下げ髪が左右に揺れた。
 視線はヘイズから外されてテーブルに放り出されたバックへ移る。
 コミクロンの瞳で光が揺れた。
 このバックも数時間前は四つあった。今は、三つしかない。
 それが曲げることの出来ない事実だ。
 自分が失敗したのだから。数が減っている事実から目を背ける余地はない。
 視線を眠る火乃香へ。
 寝ている少女の姿は海洋遊園地での一幕を思い出させる。
 間に合うはずだと唱え続けた。出来るはずだと唱え続けた。
 だが、力が足りなかった。
 シャーネを先に完治させるべきだったのか? それでは火乃香が死んでいた。
 二人を交互に治癒していたら。移動せずその場で治療を始めていれば。
 先に応急処置を施していれば違っただろうか。
 そもそも、初撃でフォルテッシモを倒していればこんなことにはならなかった。
 チャイルドマンが同じ状況だったらどうしただろう。
 師なら二人を助けることができただろうか――――きっと、できたと思う。
「キリランシェロが王都に行くって言い出したのも、こういうことなのかもな」  
 敵うはずがないと心から思う相手を越えなければならない。
 チャイルドマン教師に比肩する力、それが必要な場面に出会ってしまった。
 自分一人でそんな場面に出会うことなど考えたこともなかったのに、だ。
 コミクロンは自分を侮蔑するように笑った。
 自分がこんな風に笑うことがあるとも、同様に、考えたこともなかった。


 動かない右腕を見て、次いで左手の指を見る。
 治し忘れがあったのは失敗だった。運よくヘイズは勘違いをしてくれたが。
 あの火傷は、案内板を破壊したときにできたものだった。
 魔術は制御されなければならない。魔術士にとってそれは当然の原則だ。
 制御できる限界を超えた魔術は容易く術者を傷つける。
 あの時の魔術は、明らかに制御の枷から外れていた。
 『鏡』の向こうにシャーネの姿を見たとき、激しい怒りを覚えた。
 その姿はあってはならない。
 その少女はもういない。
 誰よりも、自分が知っている!
「こっちも、ハーティアのようにはいかなかったな」
 行動と感情が切り離せなかった。
 激情全てを吐き出した後には左腕は肘までを覆う大火傷。
 二人に気づかれなかったのは白衣とその下のローブのおかげだ。
 ちまちまと隙間を縫って治癒を完了するまではやせ我慢の連続だった。
 実を言えば勝利のポーズ中は地獄だったのだが、隠し通した自分の演技力を褒めてやりたい。
 背筋が震える記憶を頭の中から蹴りたぐって追い出す。
 ふぅーっと大きく息を吐く。
 目を閉じれば、瞼の裏で、白い人影が笑みを作った。
 ヘイズに言ったことに嘘はない。どこまでも正直な感想だ。
 自分はあれに魅入られることこそないだろう。
 あの現象が再び起こっても、変わらずに『鏡』を壊してみせる。
 だけど、もう一度あれを見せられた時、自分を制御できるだろうか。
 ――信じろ。
 夜の帳が下りるまでまだ時間がある。
 眠ることこそできないが、体は休めなければならない。
 向こう側から伸ばされた、少女の、長い長い腕を意識して。
 
 コミクロンは、動かない右腕をぎゅっと掴んだ。


【戦慄舞闘団】
【H-1/神社・社務所の応接室/2:20】
 
【ヴァーミリオン・CD・ヘイズ】
[状態]:睡眠中。貧血。I−ブレイン3時間使用不可(残り1時間ほど)
[装備]:
[道具]:有機コード 、デイパック(支給品一式・パン6食分・水1200ml)
[思考]:……
[備考]:刻印の性能に気付いています。


【火乃香】
[状態]:睡眠中。貧血。しばらく激しい運動は禁止。
[装備]:騎士剣・陰
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1400ml)
[思考]:……


【コミクロン】
[状態]:右腕が動かない。能力制限の事でへこみ気味。見張り役中。
[装備]:未完成の刻印解除構成式(頭の中)、エドゲイン君 
[道具]:デイパック(支給品一式・パン6食分・水1200ml)
[思考]:……
[備考]:かなりの血で染まった白衣を着直しました。へこんでいるが表に出さない。


[チーム備考]:火乃香がアンテナになって『物語』を発症しました。
       シャーネの食料は全員で分けました。
       行動予定:放送まで休息・睡眠
        
※応接室のドアは開きません。破壊するのは可能。
※応接室内テーブルの上にカロリーメイト一箱(チーズ味。二つ入り)。

2006/01/31 修正スレ199

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第411話 ヘイズ 第457話
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第411話 コミクロン 第457話