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第389話:私は心を雪と語る

作:◆E1UswHhuQc

「あまり死にたくはないな」
 というのが、ヤン・ウェンリーが死に際に思ったことだった。
 まさかセーラー服の少女に殺されるとは思ってもいなかったが、考えてみればこのようなゲームに招待される人間がまともなはずはない。
 迂闊に話しかけた自分にも落ち度はあった……と、ヤンは結論を出し、胸からどくどくとあふれ出ている自身の血液を観察するのをやめ、目を閉じた。
 やはり自分には荒事は向いていないな、とヤンは意識の片隅で苦笑する。その意識が途切れるのに、さして長時間はかからないだろう。紅茶を一杯飲むほどの時間も、ヤンには残されていないようだった。
 忌々しい痛みだけが、ヤンを現世に繋いでいた。この痛みが消えた時、自分はあの世とやらに逝くのだろう。艦隊司令官として何千何万もの兵を――敵も味方も含めて――殺した自分が、天国とやらにはずはないだろうが。
 魔術師だの奇蹟だのと自分を祭り上げていた人々に、現在の状況を見せたいところだ。魔術だの奇蹟だの、そんなものが使えるなら、ここで二度目の終わりを迎えることもないだろうに。
 そう――二度目の。
 まさかこんなものを二度も味わうとは思わなかった、と思った瞬間、痛みが消えた。
 死んだのかな、と軽く自問したその時、視界に少女が映った。見覚えのない少女だが、記憶力にはまったくもって自信がないので「どこかであったかな」とヤンは頭をひねった。
「なにをしているの?」
 少女の質問に一瞬だけ思考し、苦笑を浮かべたヤンは答えた。
「死んでいるところさ」
「そのようね」
 至極あっさりと頷いた少女に、ヤンは拍子抜けして言う。
「君は参加者かな? だとしたら、これから一日ぐらいは誰も殺さないようにしてくれないかな」
 管理者達の言ったペナルティは、『24時間のうちに一人の死者も出なかった場合』。
 ヤンが死ねばそれで一日保つのだから、これ以上の犠牲は少ない方がいいと思っての言葉である。
 だが少女はヤンの言葉を無視して問いかけた。
「何が、心残りなの?」

 その言葉は、彼の胸にぐさりと突き刺さった。
 胸に二本目のナイフを突き立てられた気分でヤンが沈黙していると、少女は言葉を続けた。
「あなたの“死”はもうほとんど無くなってる。でもまだ少し――ほんの少しだけ、こびりつくように残ってる」
「人間、心残りがあると死ににくいのかな」
 ヤンはぼやくように言って、ようやく気付いた。
 視界に映る少女――だが、自分は先ほど目を閉じたはずだ。
「君は――」
 少女が――“イマジネーター”は、静かに笑った。
「わたしは人が“死”を扱えるようになる可能性……死神に殺された、“世界の敵”よ」
 それはとても綺麗な微笑みだった。その顔を直視できずに視線を逸らし、ヤンは小さく呟く。
「神なんてのは想像の産物だよ」
 呟きが大気に消え失せると同時、ヤンは立ち上がった。
 背後を見ると、血塗れの自分が家の壁にもたれかかって骸を晒している。頭に被さっているベレー帽のずれを直そうとして手を伸ばし、素通りした。
 溜息をついて、ヤンは少女に言う。
「人間は、いや生物は生まれた時から“死”を扱えてるさ。誰かの、または自分の命を奪うことができ、そして新しい命を生むことが出来る――というのは女性に限るけどね」
「そういう意味ではないの。わたしが言っているのは、“死”をエネルギーとして自在に使えるようになること」
「よく分からないなあ」
 幽霊になっても収まりの悪いベレー帽をかぶるのをやめてポケットに突っ込み、ヤンはぼやく。
「つまるところ、君はなにをしに私の前に来たんだ」

「あなたの“死”が不自然だったから」
「死ぬことに自然も不自然もないと思うんだがね」
「いいえ。あなたのはそれはとても不自然よ」
 言い切って、少女はずいと顔を近づけた。
「あれほどの傷なら“死”はとっくに使い切って、こうして会話することもできないはず」
「それはこちらが聞きたいんだが、私が想像するに……一度死んだから、耐性ができてるんじゃないかな。抗体反応のように」
「面白い考えね」
 少女は一瞬苦笑を浮かべて、即座に表情を切り替えた。
 真剣な眼差しでヤンを見つめて言う。
「“一度死んだ”? ではあなたは……」
「蘇えった、ということになるのかな。その方法は、私は知らないよ。管理者という連中にでも聞いてくれ」
「……そうなの――ありがとう。参考になったわ」
「それは良かった」
 言って、ヤンは空を見上げた。
 まだ陽の出ない闇空が――見慣れたものとは違う銀河が、そこに広がっている。
「そろそろ……ね。一つ、聞いていいかしら?」
「なにかな?」
「あなたがもし、造り物だったとして」
 そこで少女は一拍置いて、言う。

 その声音は、周囲の雑音を淘汰して静寂に満ちたものに変えてしまうような、そんな音だった。
「そこに心はあると思う? 記憶も感情も意識もなにかもが造り物だったとして、それでもあなたであると自信を持って言える?」
「哲学問答はよく分からないんだけどね」
 ヤンはポケットからベレー帽を取り出し、目深に被って視線を隠すと空を見上げながら言った。
「君はそう聞かれたとき、どう答えるんだい」
「わたしの心は――わたしのものだわ」
 確信に満ちて、悩みも迷いもなく、ただまっすぐに――少女は言った。
「わたしの心はわたしの世界。それがたとえ造られたものだと造物主に否定されても、わたしの世界にとっては何の意味もない。ただそれは誰もがそうなのだから――心がすれ違って互いを否定しあえば、たった一つの真実である心同士が互いを嘘としてしまう」
「それは――」
 身体が消失していくのを感じながら、ヤンは答えた。
「とても、切ないことだね」
「そう。とても切ないことだわ、心を持っているということは」
 もう身体の半分以上が消えているヤンに、少女は訊いた。
「それで――あなたの答えは?」

「君の答えをそのまま返そう」
「……詐欺じゃないかしら、それは」
「生前から、魔術より詐術の方が得意でね」
 と、ヤンは皮肉げに言って――
「さようなら――御嬢さん。良い夢を」
「さようなら――詐欺師さん」
 不器用な敬礼と不器用なウインクを一つ、イマジネーターの少女へ残し、ヤン・ウェンリーは二度目の眠りについた。



【C-8/港町 /1日目・1:03】
【080 ヤン・ウェンリー 死亡】

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