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「帰郷<小狼編1>」


3月の香港はおきまりの雨で、空ばかりか人混みですら鈍色に見える。
だが、空港に降り立つとすぐに、陰鬱な気配を感じたのは雨のせいばかりではないーと小狼は直感した。

短いフライト中、彼は思いがけず日本に残してくることが出来たクマの縫いぐるみのことを考えていた。
そして、それを欲しいと言ってくれた少女のことを。
彼女がどういうつもりで受け取ってくれたのか、本当のところは、小狼には解らなかった。
ただ、再会の約束を交わしたわけでもないかわりに、別離の言葉を交わしたわけでもなかった。
ー今はそれでいい、と小狼は思う。
最後に駆けつけてくれた。会えた。それで充分だと。
なにより、考えても解らないことにいつまでも気を取られていられるほど、彼の周囲は平穏ではないようだった。

「小狼、香港に戻りなさい」
突然、自分を呼び戻すにいたった母からの電話があったのはつい先日。
母はクロウカードが全て新しいカードに変わったことを既に知っていた。
落ち着いた声音に変化はなかったが、その性急な帰国命令自体がすでに緊迫した状況を物語っていた。
時が時だけに、自分への帰国命令がクロウカード、もしくはクロウリードに関係しているであろうことを小狼が察するのは容易だった。

そして今、香港の空気に触れた小狼は、それが杞憂でなかったらしいことを肌で感じた。
側にいる偉も、いつもながらの柔和な物腰を崩してはいないまでも、どこか気を張りつめていることにも気づいていた。
未だ日本に残っているらしき自分の心の大方を取り戻し、小狼は神妙な面もちで入関ゲートをくぐった。
「小狼ー!」
思いがけず名を呼ばれ戸惑っている小狼に、苺鈴がまっすぐに駆け寄ってきた。
「もう、さっきからずっと手を振ってたのに気づかなかったの!」
いつものようにふくれて見せる苺鈴の様子に緊張を解かれ、小狼は小さく安息の溜息をもらした。
「なぁにー、溜息なんてついちゃって。そんなに帰ってくるのが嫌だったの?」
「お、おれはべつに…」
悪戯っぽい含み笑いを見せながら、明るく言う苺鈴に、いつものように小狼はしどろもどろになる。
「小狼ったら、相変わらずねー。そういうときは“ああ、そうだ”ってかるーく言えばいいのよ」
「なっ…」
「だって、ホントのことなんだから。でも、もしそんな風に言えたりしたら、小狼が小狼じゃなくなっちゃうわよねー」
「……」
「とにかく、おかえりなさい、小狼。それに、偉も」
どうやらなにをどう言っていいやら解らなくなっているらしい小狼の様子に満足したのか、苺鈴はまたクスリと笑ったかと思うと、一転してことさらあらたまった様子で二人に挨拶した。
「ありがとうございます、苺鈴様」
「…ああ、ありがとう」
帰国早々の苺鈴パニックから小狼がどうにか持ち直しかけたとき、苺鈴が絶妙のタイミングで彼にとどめを刺してくれた。
「そうだ、小狼。見送りには来てもらったの?」

「車はこっちよ。早く帰りましょ!伯母様がお部屋でお待ちになってるわ。」
自分の手荷物に躓いて、転びそうになった小狼を見捨てて、苺鈴はさっさと歩き始めた。

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