私は彼女のその鼻筋がとりわけ好きで、指先を這わせていると、なんだか口の中に唾液が充ちてきて、唇まで潤ってくるような気分になれた。また私は閉じられた彼女の瞼を舌先でこじあけて、そっと眼球に舌を這わせるのが好きだった。(P225) |
室井とその周辺の男たちは、主人公になりたくてしかたがないが主人公になれないか、主人公になったとたんに自信をなくしてしまうような脆弱さを感じさせる(実人生の話です)。 室井も男たちも、小説のような人生を実際に生きてしまおうとして、転んでしまう愚か者たちである。 こういう輩を現実から遊離している阿呆と決めつけるのは簡単であり、また実際に間抜けで阿呆なのだが、この愚かさこそが小説の核となるものであるので、まったく表現の世界は手に負えない。 おそらく室井はこういう愚か者から養分を吸い取っているのだろう。 そして、おなじ阿呆でも女は巫女として在ることができるので、男のほうがつまらない論理と現象のきれはしをちまちまと弄(もてあそ)んで迷走停滞しているその前を情のおもむくままに彼方にまで飛翔してしまっている。 女の小説化のなかでも室井はとりわけ巫女としての才が抽(ぬき)んでている。巫女としての才なるものがあるのかどうかは、これを書いている私にもよくわからないのだが、言い方を変えてしまえば、それはある天才のようなものである。 |