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自省の辞
(1)序
 自分は何をやっているんだろう?
 インフルエンザで頭が朦朧としていて、そういうことは手に付かなかったのですが、近頃ようやく快方に向かったので、のそりのそりと取り組むことにしました。
 時はあたかも年末年始。節目であるから、自省するにはいい時期です。

 そもそもなんでこんな文章を書こうと思ったのか? きっかけは面接時に、面接官のM氏に色々と言われたからです。帰った後、腹が立ちました。このM氏に対して、そして自分に対して。
「何だコイツは!」
「自分はなんてふがいないんだ!」
 そして翌朝、起きてみると鼻の脇のリンパ腺がパンパンに膨らんでいました。それだけ疲れていたのです。
 そしてその翌日、即ち面接の2日後、インフルエンザを発症しました。原因は3つあります。
(1)ここんところ多忙で疲れていた。
(2)気温の急激な低下。
(3)人ごみの中にいる機会が多かった。
 インフルエンザに苦しんでいる最中、私は、寝床でできることに取り組みました。簡単な創作活動です。カードワースシナリオの原稿を5本ほど書き上げました。
 これは、三谷幸喜氏がニューヨークのブロードウェイを前にして熱を出してホテルで臥せっていた時、戯曲を2本書き上げたのと相通じるものがあります。尤も、作品のデキは比べものになりませんが。
 それから、Javaのプログラムも書き上げました。例えばMathクラスの不足を補う目的で作ったMathOtterクラス、誰か使ってくれないかな。でも、私自身も使ってないから無理ですかね。
 カードワースにせよJavaにせよ、さしたるエネルギーを使わない、というより露骨に手抜きができますので、インフルエンザ脳でも充分できるんです。
 事実、カードワースシナリオはヒドイ作品ばっかりです。「透明人間の恐怖」はB級タイトル以上にショボい内容ですし、「ある日…11」なんてヤマなし、オチなし、イミなし。「ギター侍」は…おっと、こいつは秘密のページに置いたんだ。
 他にも「福田カス也と垣馬鹿正」「守れ! 尖各島!」などというものがありますけど、危険な内容なのでここでの紹介は差し控えさせていただきます。

(2)不良債権の若者
 「若者の不良債権化」という言葉があります。ニート(NEET)やフリーターなどの若者が増加することによって、彼らが社会の生産性を押し下げる、言わば社会のお荷物になっているということです。
 その論理からいくと、私は純然たる不良債権です。だって働いてないんだから。(全く働いていないかというと嘘になります。家では報告書の作成をしているのですから。)
 しかも、就職活動をしていますので、多くの会社に採用選考のコストを発生させています。例えば面接官の人件費や会場の光熱費、適性テストの代金などがかかっているのです。
 更には公共職業訓練やハロワ通いで公的資金(税金)を使っています。
 私はこれらの費用を「人材の取引コスト」と呼んでいます。経済学の「取引コスト」を人材市場に応用したものです。
 不良債権が不良債権のままであり続ければ、この人材の取引コストが発生し続けて、社会に損失を与え続けるのです。
 勿論、私はこれが望ましい状態だとは思っていませんし、他の皆さんも同意見でしょう。しかしそう簡単に望ましい状態になるわけではありません。例えば健康であることが望ましい状態であることは衆目一致するところですが、だからと言って、病気がすぐに治るかということは別問題です。

(3)無気力
 日本全体がまるで鬱病にかかったかのように無気力です。暴動やストライキが起こっていないのが何よりの証拠です。
「あがいたって、どうしようもない」
「どんなに努力したって、報われない」
 そんな空気を感じますし、時代の子の一人である私も、まるで鬱病にかかったかのように無気力が全身を支配し、疲れ切っています。
「もういい」
「どうでもいい」
 そんな思いが頭をよぎります。勿論、理性では、それ一本槍で突き進むことは不可能であると了解しています。しかし、私の心、私の魂は、理性と一体ではありません。距離を置いています。
 なぜ、こうなってしまったのでしょうか?
 私は、「夢がないからだ」と考えていました。先の見えない状態で、そこにあるのは鬱屈。真綿で首を絞められるかのように緩慢な死を迎えているようです。
 そういえば誰も、「未来は明るい」とは言いませんな。私も残念ながら明るい未来など想像できません。絵に描いた餅ですらないのです。
「絶望の賛歌が聞こえる」
 疲れた。私は疲れ果ててしまった。
 しかしこの筆が動くのはなぜだろう? 何もしたくないと肉体が悲鳴を上げているのに…。まるで憑かれたかのようです。そうか、「憑かれ」と「疲れ」は同義か。

マーラとの対話
泉獺:胸が苦しい。マーラよ、お前が私を苦しめているのか?
マーラ:お前を苦しめているのはお前自身だ。お前の心のやましさ、うしろめたさ、不安、弱気、憎悪、恥ずかしさがお前の首を絞めているのだ。
泉獺:これは病気によるものなのか?
マーラ:半分はそうだろう。希望的観測だがな。
泉獺:早く治さねば。
マーラ:ノイローゼのお前にできるのか?
泉獺:ノイローゼ? そうか、私はノイローゼなのか! マーラよ、私はどうすればいいのだろうか?
マーラ:俺はお前を苦しめるために存在する。その俺に助言を求めてどうする。

(4)正月の事
 正月は何やってたっけ?
 風邪で伏せっていたのだ。せいぜいできることといえば、簡単なJavaのプログラムを組んだり(5〜6本)、ゲームシナリオを執筆したり(7本)するぐらいでした。この程度ならインフルエンザ脳でも充分対応できるんです。
 本は…全然読めませんでした。字を追っかけても全く頭に入ってこない。まあ、福田和也の本は読んでましたけど。
 というわけで、今度の年末年始は風邪で寝込んでいたと言えます。しかも、いまだに風が抜け切らない。
 「最悪の正月だ!」と評する向きがあるかもしれない。だが、私は病気によって就職活動を一時的にせよ棚上げすることができた。これは、疲れ切った私の心身にとっては有難いものとなっている。尤も、年末年始はどこもお休みだが。
 で、疲れは取れたかと言うと、半分はイエス、半分はノーだ。まだ疲れている。特に心の方は。ノイローゼなのだ。
 ノイローゼ! 何と懐かしい響きだろう! 大学生時代にかかって以来ではないだろうか!
 いや、いや、卒業後もノイローゼだった。なればこそ、就職活動なんてとてもできるものではなかった。もしその時、就職活動をしていたら、自我が崩壊していただろう。それほどに私の心は神経質だったのだ。
 しかし、かつての私に比べれば、図太くなった。
 図太くはなったものの、どこか繊細さを抱えている。
 このように分析ができたのは、風邪のお陰だろうか。その点では怪我の功名といえようか。いや、いや、病気をすれば人間は賢くなる。例えば病気をすると健康のありがたみを知るようになるから、病人は健康な者より、その点において賢いのだ。
 健康のありがたみは痛感しなかった。こうなることは必然のこととして受容していたフシがある。あるいは、私は心ひそかにこれを歓迎していたのではないか?
「逃げる口実だ! お前は病気を逃げる口実にしている!」
 マーラがそう指摘した。

(5)
H17.1/13(THU)
 今日は何も出来なかった。
 明日、本屋へ行って『プロ論。』を買ってこようと思っている。場所は…自転車を飛ばして蔦谷馬事公園店で。
 きっかけは「R25」(No.27)にこの本の紹介記事が載っていて、「お!」と思ったからだ。正直言うのは辛いが、私は今、自分を見失っている。闇だ。闇だ。
 しかし、闇の中から創造が生まれる。「光あれ」と。
 「悩みの時期」という語に思わず丸を付けてしまった。そうだ、私は正(まさ)しく悩みの時期にいる!
追加情報:残念ながら病態が悪化して外出できなくなってしまった。

(6)
H17.1/19(WED)
 私は雑誌『ビッグイシュー』の読書感想文を書いているのですが、17日に20号を購入し、その分を発表しました。そこに自省の辞とするに相応しい内容を盛り込んだので、以下に引用する。
2005年の願いと夢(P14-19)
 今号の特集。「昨年のビッグイシューの誌面に登場いただいた方に2005年にかける願いと夢を語ってもら」ったもの。
 それじゃあ私も勝手に語っちゃいましょうか。別にビッグイシューに載せろと脅迫しているわけでもないし、そもそも言論自由ってものがあるから、ここで語る分には問題ありますまい。
 さて、「願いと夢」ですが、ここしばらくは「そんなもの無い」という状態です。闇の中で光明を見出せない、尚且つ光明を求めて足掻こうにもその元気が無い。絶望の賛歌が聞こえてきそうです。
 とりあえず年末年始に私を蹂躙した病気(インフルエンザ、過労、ノイローゼの複合体)を治します。又、この病は私にとって一つの「死」を意味するものであるようにと願っております。

夢から遠く離れた、まんざらでもない生き方の方がかっこいい◎玄田有史さん(P14)
 「正直言って、実現させたい夢とか、目標とかが、ないんです。」
 はい、私もそうです。私も「実現させたい夢」や「目標」がありません! でも、私と玄田さんが違うのは、そういう生き方を肯定しているかということ。玄田さんは肯定して生きていますが、私にはまだまだそこまで割り切れません。というのは、「世間の常識」に反するからです。(尤も、私自身、大学卒業後はプー太郎として過ごしていますので、その時点で「世間の常識」に反していますが…)
 ああ、でも、こういうのって、「かっこいい」なあと思いますよ。シンドイけど。

重荷を喜びに、笑って歩める術を身につけたい◎多田容子さん(P15)
 玄田有史さんとは対照的に、夢や目標を明確に掲げています。羨ましいと思うと同時に、今の俺にはこんな生き方は無理だろうな、やったら潰れちゃうんじゃないかな、という軟弱な思いがあります。

誰もいない浜辺でくりかえす言葉◎滝本竜彦さん(P16)
 2005年は神聖な地に行きたい。去年のようなクサクサした生活はもうイヤだ。2004年は気ぜわしい就職活動で時間を費やしているうちに終わってしまった。思い出せるのは「速く就職をせねば」という切迫感だけだった。切迫感があるにもかかわらず、本腰を入れて就職活動をすることもなかった。自分の意志で何かをした記憶がなかった。去年の私はゾンビのようであった。24歳の私はぬるい麦茶、あるいはのびた蕎麦、もしくはただの産業廃棄物、それか道ばたに落ちている犬のウンコのようだった。まったくもって生きてる気がしなかった。「これはいかん」と思った私は、…と、他人の文章をパクるだけなのもむなしいので(滝本さんゴメンナサイ!)、ここから先は自分の言葉で書きますが、それにしても私の今の心境と滝本さんが書いていることって非常によく似ているんですよね。
 冒頭の「神聖な地」とはほんの思いつきで、霊峰富士山や神風の伊勢神宮をイメージしています。これは私が多分に神道の影響が強いからでしょう。
 その他の点では、多少の脚色があるにせよ、同感です。特に「ゾンビのようだった」というのは全くの同感で、私自身の的を射ています。というよりも、今も私はゾンビです…。
 ところで滝本さんはこの後、妄想の世界を展開させます。南の島での美女との語らいです。そしてこの美女はなかなか辛らつなことを言います。
「ええ、去年もあなたは『自分を変える』って言ったわ。(略)でもやっぱり無駄だったわね。いくら歳を重ねても、なにひとつ進歩してないって自分でも分かってるでしょう? 同じ所をグルグル回ってるって気付いてるでしょう? そんな目をしたって無駄なのよ。『僕はどうすればいい?』だなんて、いくら私に訊いても無駄なのよ。もうあなたはいい歳した大人なんだから、自分ひとりで頑張るしかないのよ。……ねえ、頑張りましょうよ。なんだかよくわからないけど頑張りましょうよ」
 う〜ん、これと同じようなことをどうも聞いたことがあるな…と思ったら、私の妄想ワールドでも似たようなシチュエーションがありました。ただし、私の場合、話す相手が美女ではなくマーラ(仏教に出てくる、修行僧を誘惑して堕落させようとする悪魔)であり、場所は南国の島ではなくてまったき暗闇の中ですが。
 …滝本さんよりはるかにネガティブです。

近未来に実現させたい願いと夢◎藤臣柊子さん(P17)
 藤臣さんがやってみたいのは、「SF それも映像」。う〜ん、実にクリエイティブ!
 というわけで、藤臣さんの文章をパクって自分のことを書いてみます。
「小説やレポートを書いているわしざます。いろんな分野で活躍したいと思っとりますが、やっぱ今後一回やってみたいのは
ゲーム それも問題作
 注目されるのすきだしっ、わしトリックスターだしっ、もちろんやるならヤヴァイのがいいけど、なんかこうものすごくスゴイカンジの!!
 まだとりあえず『コレだ!!』っつーアイデアがないけど、近々どーにかしたいです。」
 藤臣柊子さんゴメンナサイ! でもパクるのって書いててものすごく楽なんです。構成とかあんまり深く考えなくてすむから。
 ところでこの文章を書いていてふと気付いたのですが、P16の滝本さんの文章との落差があまりに大きい。作風の違いなんでしょうか。

(7)怒り
H17.1/22(SAT)
 小此木啓吾『フロイト』(講談社)P51に、「腹が立つ時に衝動的に手淫する」との一文があり、私はこれに衝撃を受けた。これと同じようなことを体験したからだ。面接を終えてヘコんだ後、手淫をしたくなったのだ。同頁の説明によれば、「怒りを怒りとして意識しないで、むしろ性的興奮として体験してしまう」とのこと。
 そういえば私には面接の怒りが欠落しているように思う。いや、怒り自体が欠落しているようだ。
 もっと怒ってもいいじゃないか。

 手淫という言葉をここに載せたが、別に卑猥な目的があるわけではない。そもそも、男子たる者、手淫をするのは当然のことである。男子諸君なら分かってくれるだろう。

(8)手がかり
H17.1/25(TUE)
 (7)怒りの項目を執筆していてつくづく思ったのは、本を読んでいて気になるところがあったら、それは心の襞(ひだ)を突いているのであるから、それを手がかりに精神分析できるということだ。
 例えば、受験勉強で頭がいっぱいの人が、新聞を読んでいて、「受験」「試験」の語に食らいつく、あるいは目をそむける、といったようなことである。
 ちなみに私の場合、「就職」という語に過敏に反応する。就職コンプレックスだからだ。
 今後とも、本を読んでいて引っかかるところがあれば紹介したい。

(9)モチベーション低下
H17.1/27(THU)
 風邪は治った。だが、モチベーションは低下したままだ。正直言って、やる気が出ない。体は回復しているのに、心は未だ癒えず、といったところだろうか。
 鬱々とした状態ではないが、奮起もできぬし元気も出ない。数日前に「モチベーションが低下している…」と思ったのだが、まあ妥当な表現だろう。去年に較べて、就業意欲が弱まっているのだ。又、自分が働いている姿をイメージできない…
 いやホント、ヒドイよ…

H17.1/31(MON)
(10)心理テスト
 ラジオ「アッコのいいかげんに1000回」を聴いていたら、心理テストが紹介されていました。
「ここに100本のバラがあります。あなたはこの内、何本をドライフラワーにしますか?」
 う〜ん、私なら10本ぐらいかな。あんまりドライフラワーを作っても置場所ないから。
 答え:それがあなたの自信です。100本なら100%自信があるということです。
 …と、いうことは、私の自信は10%…。いやいや、こんなことでは落ち込みませんよ。もう既に落ち込んでいるのですから。

(11)NHKにようこそ!
 あ、そうそう、書き忘れていましたが、27日(木)に滝本竜彦『NHKにようこそ!』を買いました。キッカケは前述のビッグイシューの記事にあるといって差し支えないでしょう。
 ちょっと読んだだけですので(2章の途中まで)大上段に構えて論述するわけにはいきませんが、とにかくイタイです。そしてニヤニヤしながら読めます。妄想ワールド大爆発かあ…、これは私のカードワースシナリオでも使えそうな手法です。
 佐藤達広君(※『NHKにようこそ!』の主人公)ほどではありませんが、私とて空想癖は強く(※妄想ではない)、その辺のノウハウは豊富に(?)あるからです。
 おっと、話がそれてしまいましたが、この本を読んでいてつくづく感じるのは、自分と、この主人公(と作者)には共通する点が多いということです。私はヒキコモリではありませんが、似ている点があってそれが本書を読んでいて出てくると何とも言えない痛し痒しの感情に襲われて長時間読むことが出来ないのです。
 では、どこに私は敏感に反応するのか? 少々恥ずかしいのですが、匿名なのをいいことに、引用して精神分析に役立ててみたいと思います。→(8)

H17.2/6(SUN)
(12)『プロ論。』1
 『プロ論。』で引っかかった一節。
 失敗経験は、人生の免疫となるのです。失敗したときは、ごまかしたり、なぐさめたりせず、徹底的に失敗を味わい尽くしてください。どう悪かったのか、何が問題だったのか徹底して自問する。そんなふうに悶々と苦しみ続ければ、自分の弱点がわかります。いかにどうしようもない人間かがわかります。(P170 中島義道氏)
 中嶋氏が内向的な性格だということがわかります。私も内向的な人間で、こうして自省の辞を書きながら自問しています。徹底して自問していると言うと嘘になるかもしれませんが、悶々としているのは事実です。
 それから、自分の弱点ですが、見えています。それは将来の目標が全く持てないということです。又、元気も職歴も自立心もない。
 そして、自分が「どうしようもない人間」だというのも、最近ようやく公言できるようになりました。自嘲気味に自分のことをロクデナシと言ったことがあります。この文章だって、ロクデナシが書いた、ロクデモナイシロモノです。
その弱点に気づいたら、今度はそれを伸ばすことです。弱点は裏を返せばあなたの最大の長所なんです。過酷かもしれませんが、自らを見つめることが才能を伸ばす一番のヒントなのです。(P170 中島義道氏)
 「過酷」だなあ…「元気がない」ってのが、どこをどうやったら長所になるのかサッパリわからない。ともかくも、自分の弱点を整理してみます。
(1)将来の目標が持てない
(2)元気がない
(3)職歴もない
(4)自立心もない
(5)一度ドロップアウトしている

 次回、(5)について解説を施します。

H17.2/14(MON)
(13)ドロップアウト1
 前回の最後に触れたドロップアウトについて書こうと思ったが、なかなか実現しない。理由は2つ。
(1)元気がない。
(2)コンプレックスを刺激する。
 自分の心に痛いことであるから、これに触れるのは心苦しいのだ。だから尻込みして書かずじまいになってしまう。
「それでも書かなければならない。」
 それでは話すことにしよう。ドロップアウトとは、私の場合、大学卒業後即就職、というレールから外れたことを意味する。小学校→中学校→高校→大学と、ここまではお決まりのコースを辿っていた。しかしその後私はプー太郎となった。それはこのWebサイトで公言している通りである。
 次回、詳しい経緯を述べることにする。ただし、精神的に苦痛を伴うため、筆が鈍って大変読みにくくなるかもしれない。
(とりあえず今日のところは「見えざる手」に導かれてこの一文を一気呵成に書き上げることが出来た。ありがたい。)

(14)ドロップアウト2
履歴書をちょっと引用してみましょう。
平成11年4月 私立国学院大学文学部日本文学科入学
平成15年3月 私立国学院大学文学部日本文学科卒業
平成16年5月 公共職業訓練「Javaプログラミング技術科」受講開始
平成16年9月 公共職業訓練「Javaプログラミング技術科」修了
職歴なし

 ここで必ずといっていいほど突っ込まれるのが、平成15年3月〜平成16年5月の空白の期間をどうしていたのかということだ。
 大学在籍中に就職活動をしていなかったのか、ともよく訊かれる。

 身動きが取れなかった。私はノイローゼであった。もしアクションを起こせば自我を喪失してしまうのではないかとの恐怖にとらわれ、立ち竦んでしまい、いたずらに日を過ごした。
 そのくせ「このままではいけない」という焦りはあった。
 いたずらに? いたずらに日を過ごしただって? それならお前は、あの期間が全くの無駄だったというのか? 太田光のように「これは必要なことなんだ」と心の中で正当化していたのではなかったのか?
 そうだ。充電期間だ。
 かつて、大学の美術の講師がこう言っていた。
「皆さんも大学を卒業しても就職が決まらなかったら、充電期間だと言えばいいんです。」
 事実、この充電によって私は職業訓練を受けることができ、更にはまともな就職活動が出来るようになったのだ。そう思いたい。

 ちょっと調べてみたら、職業訓練修了後、私はたったの5社しか受けていないことがわかった。(※いずれも面接まで行っている。)
 「100社に履歴書を送り、10社と面接し、1社から内定を貰う」という言葉に従えば、私がまだまだ内定を貰えないのは当然と言えば当然だろう。(H17.2/26)


就職力アップセミナー
 平成十七年3月29日(火)、ブラッシュアップジャパンが主催する「就職力アップセミナー」に行ってきました。
 ブラッシュアップジャパンは、既卒・第二新卒者向けの就職支援サイト「ネクストコンパス」を運営しており、私は現在そこに登録しているんです。
 また、このセミナーで得られた情報は私にとって多くの示唆に富んでおり、深い考察を必要とすると私は判断します。ちょっと時間を下さい。

 4月3日(日)の朝、テレビを観ているとNEETの話題が出てきた。出演者は、「夢がない」「ロマンがない」からニートになるのだという。
 ああそうだ、俺には夢もロマンもない。ただ毎日を怯えたり焦ったりしながら生き延びているだけだ。
 夢もロマンもない、何と絶望的で素晴らしい世界!
(続く)

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