巡りゆくもの・その2に戻る
次の朝は天気予報でも言っていた通り、澄み切った秋晴れとなった。
まだ地平線の向こうから顔を覗かせたばかりの朝日が町を眩い光で水平に貫いている時間。
遊園地の開園3時間前に家を出るぼくたちを他のママ達が見送ってくれた。
「ま、ゆっくり楽しんでこいよな」
「気を付けて行ってくるのよ」
玄関でさつきママとやよいママが手を振る。きさらぎママは火打ち石の代わりなのかチーンとトライアングルを鳴らした。
うづきママはまだ半分寝ていてさつきママが無理矢理その手を取って左右に振らせている。
「行ってきま〜す!」
ぼくは苦笑しながら、むつきママは微笑みながら家を出た。
歩いてこよみ駅に着いたら始発の2つ次の便に乗る。さすがに人気は少なく車内はガラガラだった。
「遊園地とテーマパークの違いって知ってます?
遊園地はアトラクションや絶叫マシンなんかの迫力のある施設が多いんですけど、
園全体の統一されたテーマやコンセプトがなくて、公園の中にブランコやシーソーを置くみたいに
整備された空間の中に各施設を散在させる形を取っているんです。
それに対してテーマパークはその名前の通りなにか一つの『テーマ』に沿って作られているので迫力のあるアトラクションなどは
少ない代わりにコンセプトに沿った展示物や建物が中心になっていて幅広い年齢層の方たちが訪れるんです。
最近ではその垣根も無くなってきた感じもあるんですけど」
遊園地までの電車の中、むつきママがにこやかに語ってくれた。
「う〜ん、遊園地はすき焼きでテーマパークは湯豆腐ってところかな?」
「ふふっ、それじゃあよくわかりませんよ」
今日のむつきママはレースの縁取りをした若草色のワンピースの上に白のボレロを着込んで胸元に翡翠のペンダントを付けていた。
メガネはかけて髪は三つ編みにしてある。隣の県にある遊園地だから学校の関係者がいることは滅多にないと思うんだけど、
一応見つかってもむつき先生とバレないように変装してきたのだ。
家ではエプロンドレスで過ごすことが多いむつきママだけど、こうして私服に着替えると日溜まりの似合う優しいお姉さんって感じだ。
朝ご飯の代わりにむつきママが作ってくれたおにぎりを食べて、あれこれ話しているうちに電車は目的の駅まで着いた。
そこからバスに乗り込んで10分もすると観覧車と時計台が見えてくる。
バスは遊園地のすぐ目の前の駐車場に止まった。
バスから降りたぼくたちは、入場口で係員のおじさんにチケットを渡してベルトの付いている腕時計のように手首で留められるパスをもらった。
これを係員の人に見せれば好きなように各アトラクションを回ることが出来るのだ。
遊園地という場所はいかに非日常を体験させるかにかかっていると思う。
スリルと興奮をスパイスに一瞬の死を錯覚させ、見知らぬ世界を探訪し、重力に縛られた人の魂を解き放つ。
ぼくたちは順調に園内を巡って二人一緒にコーヒーカップとメリーゴーランドで遠心力を体感しジェットコースターで悲鳴を上げて
お弁当の中身を消化しつつお化け屋敷でむつきママに抱きつかれたりした。
コーヒーカップに二人向き合って座ると、グルグルと『カップ』が回転して、その下にある『皿』に当たる中円盤、
さらにその下にある『お盆』の大円盤も回転し始めた。3つの異なるサイクロイド運動をする円盤が重なり合って奇妙な回転運動を繰り返す。
「よーし、いくぞっ!」
ぼくはコーヒーカップの中央にある円盤形のテーブルを思いっきり回す。すると緩やかに動いていたカップに急激な横Gがかかる。
回転する円盤の上でさらに回転するコーヒーカップはかなりの高スピードで、奇矯な外見とは裏腹に思いの外凄まじい絶叫マシンだ。
「ふふっ、もうっ!ツクモさん、止めてくださいっ」
そう言っててもむつきママは嬉しそうだ。横回転する世界を心から楽しんでいる。
まさにミルクを入れてスプーンでグルグルかき混ぜられているコーヒーの気分だ。
ぼくは調子に乗って思いっきりハンドルを回しまくった。回る世界、回るむつきママ、むつきママの笑顔。
コーヒーカップの中は結構手狭で(もしかしたらカップル用に作られているのかもしれない)
すぐ目の前にはむつきママの笑顔があって、むつきママが側にいるってだけでもう胸がこれ以上ないってくらいドキドキして。
くるくるくるくる回して回して回して回して。
むつきママの顔が一人から二人、二人から三人、三人からいっぱいに増えて――――ぼくは目を回してしまった。ぱたんきゅ〜
「ツクモさん、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
むつきママが心配そうな顔で覗き込んでくる。
ぼくは別に乗り物酔いしやすいってわけじゃないんだけど、むつきママの風圧にうねる三つ編みに気を取られてたら気持ち悪くなってしまった。
でもそのあと、ソーサーから降りて柵に付けられている看板にしっかり『まわしすぎに注意しましょう』と書いてあったのに気付いたときには二人一緒に笑ってしまった。
次に気を取り直して遊園地の定番メリーゴーランドに乗り込んだ。
馬車や馬の縦列がきらびやかな電球のついた円形屋根の建物の周りを飛び跳ねる。
ぼくはむつきママの背中を追って白馬を駆っていた。むつきママはときおり振り向いて笑顔を向けてくる。
ちょっとだけ王子様みたいにむつきママを抱き上げて同じ馬の背中に乗ってみたいって馬鹿なことも考えてみたけど、まあさすがにそれは。
それからお昼時の空いている時間を狙ってジェットコースターに乗ったんだけど、
人の流れの区切りでぼくたち2人はちょうど新幹線の鼻先のような形をしたマシンの先頭に座ることになった。
「一番前―――なのか」
横を見るとむつきママも不安そうな顔をしている。
ぼくはいいところを見せなきゃと思ってむつきママを先導するように先に進んで奥の座席に座った。
並んで座席に座ると肩と腰骨を押さえるようにストッパーが降ろされた。
係員が全部のストッパーが降りていることを確認して合図を送るとゆっくりとマシンは動き出す。
地面を離れ、魚の骨を思わせるコースの上を焦らすかのような速度でマシンは登り詰め、最初のヤマ場までやってきた。
一番前の席だから下界に広がる固そうなアスファルトの色、空の青さが否応が無しにでも目に飛び込んでくる。
「あの…ツクモさん」
「はい?」
「………………守ってくださいね」
いや、目に涙を溜めて言われても。安全基準をクリアしたストッパーにがっちり体を固定されたぼくに一体どうしろと?
そう思っていたら、手に柔らかな感触が触れた。横目で見ると、むつきママがぼくの手を握りしめていた。
次の瞬間、ふっと重力が消えた。
待ったなしの直滑降。天国の扉から奈落の底へのフォールダウン。
「きゃあああああああっ!」
甲高い悲鳴が耳の後ろへ流れていく。
コースに沿ってマシンは弾丸のような速度で螺旋状の軌道を描き、ぼくたちを投げ飛ばさんとGを使って翻弄する。風圧で顔が押される!
一筆書きされたコースに沿ってマシンはひねりとカーブと急回転を加えて上下左右縦横無尽に駆けめぐる。
耳たぶで風がごうごう唸るとともに、ぼくとむつきママを含めた乗客達は悲鳴と叫び声を上げた。
「こ、怖かったです…」
むつきママはまだちょっと半泣きになっている。ジェットコースターで風に弄ばれた髪が少しばかりもつれていた。
「アイスクリームでも買ってくるから、ちょっと待ってて」
まだ足元がふらふらしているむつきママを休ませるためベンチに座らせる。
遊園地の中央にある時計台の針は1時半過ぎを指し示していた。
ぼくは小銭を片手に売店に駆け寄り、遊園地料金で割高なチョコ&バニラのソフトクリームを買う。
紙を巻かれたコーンを両手にベンチまで戻ると、まだ足元もおぼつかないのにむつきママが立ち上がろうとしていた。
まるで波打ち際に打ち寄せられたくらげのようにふらふらしている。見た瞬間に、これは転ぶなと思った。
あっと小さな声をあげ、案の定バランスを崩すむつきママ。
ぼくは両手のアイスクリームを思い切りよく捨てて大きく前に踏み込む。昨日みたいなヘマはやらかさなかった。
「あ……、」
上手くむつきママの肩を掴んで抱き止めることに成功する。
ぼくの胸にもたれかかるような体勢で、むつきママは止まった。ぼくはほっと一息つく。
「むつきママ、大丈夫?」
「は、はい。ありがとうございます」
―――ときどき考えることがある。
もしかしたら、本当は『ママ先生』なんていなくて全部ぼくの妄想なんじゃないかって。
むつき先生みたいな心の優しい人がぼくの家に来てくれて、ママ……ううん『家族』になってくれるなんて、
いかにもぼくが夢見そうなことだし、あり得ないことだと思う。
しかし、この手に伝わる暖かな鼓動。体温。それは間違いようのない確かな現実なのだ。
「……あ、あのもう離してもいいですよ」
赤らんだ顔でむつきママは言った。
「うん……」
ぼくが掴んでいた手を離すとむつきママはゆっくりと体を離す。
アスファルトの上にベチャリと汚らしく潰れたソフトクリームはもう溶け出していた。
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