【DQコンサートへ】 8/21、名古屋の芸術劇場コンサートホールにて ドラゴンクエストのコンサートがあった。 曲目はDQ5の全曲。 今春にリメイクが出たこともあっての選曲だろう。 個人的な話だが、 ドラクエコンサートへ行くのは初めてだった。 かねてから行きたいと思いつつ結局なぜか一度も行ったことがなかったのである。 ドラクエのコンサートだけでなく、 ちゃんとしたホールでオーケストラを聞くのも初めてである。 ホールは想像どおり、いかにもオーケストラなホールだった。 席は3階席。 真ん中あたりと聞いていたが、少し向かって右側の席だった。 が、非常によく見える位置だ。 席はだいたい埋まっていたが、 満席ではなく、僕のいた3階席などはけっこう空席があった。 わくわくしつつ開演を待っていると、 隣の席に親子連れが座った。 そのおっさんが、異様なタバコ臭さを放っていた。 タバコとコーヒーを好むおっさんの口臭、あの臭いである。 耐え難い臭いであった…… タバコの害は煙だけではないことを思い知る。 別にタバコなんていくら吸ってもかまわんが、 ガムを噛むなりしてその悪臭をどうにかしてくれ。 幸いにも僕の周りはかなり空席があったので、 誰も来ないことを願いつつ、席を移動してやった。 (結局そこには誰も来なかったので良かった。) 話が脱線した。 【序曲のマーチ】 開演時間になり、ステージ以外の照明が弱くなる。 いよいよだ。 鳴り響く拍手の中、セントラル愛知交響楽団のメンバーが登場。 そしてついに、すぎやまこういち氏があらわれた。 一段と高まる拍手。 すぎやま氏がタクトをかざすと、 一曲目「序曲のマーチ」のファンファーレが。 打ち震える。 これまでに何千回聞いたかわからない曲だが、 この序曲こそドラクエである。 3階席で多少ステージから遠いからか、 音量はやや小さく感じた。 が、なんせ生音である。 それぞれの音が生き生きとして聞こえる。 なんと言おうか、 きっと音は耳だけで聞くものではないのだ。 身体全体を使って聞いている感覚だった。 来てよかった…… すでにそう思っていた。 【王宮のトランペット】 序曲が終わると、すぎやま氏の「おはなし」が少しあり、 続いて「王宮のトランペット」が始まる。 弦楽器が美しい。 なんてきれいな音なんだ。 単純に、そう思った。 生音のよさ感じまくりである。 そして、要所要所でトランペットが柔らかくメロディを奏でている。 冒頭の「ドッドッドッドッミ〜〜レドシッシッシッドッレ〜〜」というメロディ、 これはまさにトランペットのためのメロディだと感じさせるものだ。 いや、トランペットが奏でるとき最も生かされるメロディ、 と言ったほうが正確かもしれない。 この曲はCメジャーだが、 2ループ目の途中からAマイナーになる。 SFCのゲーム音源にはない部分だ。 この部分で、弦とトランペットが“追いかけっこ”をするのがたまらなく好きだ。 先程も書いたが、 音量がどうしても小さめに聞こえた。 やはり金をケチらずにS席をとればよかった。 次回は近い位置で聞きたい。 演奏が終わるとすぎやま氏はトランペット奏者への拍手を促し、 会場が拍手に包まれる。 「ソロパートのある奏者への拍手」に、 「オーケストラ聞きに来てる感」を覚えた。 【街角のメロディ〜地平の彼方へ〜カジノ都市 〜街は生きている〜街角のメロディ】 妖精の国、フィールド、カジノ、街の曲のメドレーである。 まずは、幼少の頃訪れる妖精の国の曲、「街角のメロディ」。 妖精の国でしか流れないこの曲が、 なぜこんなタイトルなのかは謎だ。 それはともかく、優しく可愛らしい感じの曲である。 3/4拍子で、メロディやパーカッションは 1拍をさらに3連のリズムに刻む。 最初はフルートとヴィブラフォン(?)による流れるような軽やかなメロディ。 その後はストリングスによるメロディ。 半音が心地よいアクセントになっている。 2ループ目の途中から、続く「地平の彼方へ」への「つなぎ」に入る。 (音楽的な用語がわからん……) 「街角のメロディ〜地平の彼方へ」の「〜」の部分だ。 クラリネットによる、「街角のメロディ」のメインメロディが、 少しずつ不安な色を帯びてくるトレモロのかかった 弦の和声進行とともに変化していく。 そして「地平の彼方へ」に入る。 この、メドレーにおける曲間のつなぎ、 これは、DQの曲がオーケストラ化される際の大きな楽しみのひとつだ。 すぎやま氏は、この「つなぎ方」がめっぽう上手い。 この「街角のメロディ〜地平の彼方へ」の「〜」の部分も実に自然である。 そして「地平の彼方へ」。 すぎやま氏は、一連のドラクエシリーズにおけるフィールド曲には、 ほとんどドリアンという音階(旋法)を用いている。 自然短音階のVI度の音だけをメジャーにした音階である。 それこそ、勇ましいフィールド曲にも、寂しげなフィールド曲にも、 頻繁に登場するのである。 思えば、有名な中央競馬のファンファーレ、 これはすぎやま氏による作曲だが、 この曲もまさにドリアンなのである。 「レーッレレレーッレレファーーーミドソファーーーミドソレーーー」 この「ミ」が耳をとらえるのである。 これは何であろう。 すぎやま氏の中で、決意や覚悟といったもののイメージが ドリアンなのだろうか。 事実、このドリアンはそのような場面・心情にフィットする。 DQ4の「馬車のマーチ」「コロシアム」など、その典型と言えよう。 そして、まったくその逆で、 不安や寂しさといったものも、すぎやま氏はドリアンで表現する。 1のフィールド曲「広野を行く」や4の「勇者の故郷」、 7の「失われた世界」…… これも、不思議にぴったりなのである。 そして「地平の彼方へ」。 1ループ目はドリアンを印象的に奏でる弦楽器をバックに オーボエやフルートが静かにメロディを歌う。 トレモロの弦も加わり、不安が醸し出される曲調だ。 2ループ目はメロディが弦にバトンタッチ。 木管や金管、パーカッション等も加わり、壮大な曲調へ変わる。 すぎやま氏の2種類のドリアンの使い方を一曲で見せている。 曲自体は、1ループたった16小節のシンプルな曲だが、 アレンジによりそんなことは微塵も感じさせない 大いなる一曲となっているのだ。 2ループ目の盛り上がりは、 生で聞くとそれは迫力のあるものだった。 その壮大な曲調から、 一気に弦主体の荘厳な展開を見せた後、 宿屋のテーマを経て「カジノ都市」へ移る。 「カジノ都市」は、うってかわってポップな楽しい曲である。 「地平の彼方へ」からたった6小節で、この変化。 しかもなんの違和感もない。 「カジノ都市」では、ピチカートストリングスの上で クラリネットによるメロディがはね回る。 バイオリン等が指で弦をせわしなくはじく様は見ていて楽しかった。 あまりピチカートの演奏をしている映像を見たことがなかったので。 コード進行もおもしろい。 |F FM7|F7 Bb|Gm C7|Gm C7| |Am D7 G7|Abm7-5 Db7(9) Gb7|D7 G7 C7|Gm7|Bb/C|(合ってるかな?) 前半は平凡なFメジャーだが、 (ちなみにSFC音源ではGメジャーである) 続いて |Am D7 G7|Abm7-5 Db7(9) Gb7| と来る。 |Am D7 G7|と来れば、C7→Fとでも行くのが普通だろうが、 なんと |Am D7 G7| とほぼ同様の進行(メロディも)が、 半音下げられて続くのだ。 ジャズっぽい(?)というか、しゃれた進行である。 かと思えばすぐに |D7 G7 C7|Gm7|Bb/C| と、Fメジャーに戻る。 この最後の Bb/C がものすごく好きだ。カジノって感じがする。 2度目のループの最後は Bb/C から Db7-5 へ唐突に進行する。 非常に宙ぶらりんな、不安で素敵なコードだ。 このDb7-5は、Cメジャーへのドミナントコードの働きをする。 すなわち、構成音にファ・ソ・シがあるため、G7の代理コードとなる。 また、ルートのbレもドへ解決する。 このDb7-5をはさんで、「街は生きている」へ。 この曲は本当に美しく優しい曲だ。 だが僕は、BGMではなく鑑賞としてこの曲を聞くと、 たまらなく切なくなり、泣きたくなる。 そしてそれが心地よいのだ。 これが何なのかはわからないが、 ちょうど、もう戻らない幼少の頃を思い出すような、 愛おしくも切ない感じになってしまうのだ(書いてて恥ずかしいが)。 同様の感覚は、6の街の曲「木漏れ日の下で」からも受け取れる。 冒頭はピチカートストリングスの上でフルートがメロディを奏でる。 続いて、チェロ(ビオラも?)による主旋律と バイオリンによる対旋律が互いを引き立て合う。 どちらのメロディもいいんだ、これが。 弦楽器はピチカートからすぐに弓へ移り自分のパートを弾いていた。 おおっ!と思った。 後半部は、またバイオリンとチェロ(ビオラも?)が 違うメロディを奏で合う。 何かを会話しているかのように。(ちょっと比喩がクサいか?) とにかく、この「美しい感じ」に浸っていた。 CDとは何が一番違うかというと、 何度も書くが、僕はストリングスの音色だと思った。 モヤッとした感がなく、透き通っている。 この曲は4/4拍子だが、 2ループ目の最後、急に3拍子になり、 「街角のメロディ」に戻るのである。 すぎやま氏は変拍子の達人だと勝手に思っているのだが (4の「のどかな熱気球の旅」なんか、すごすぎる。凄まじい。)、 その面目躍如といったところか。さすがである。 そして「街角のメロディ」が1ループ繰り返されて このメドレーは終わる。 ……このあたりの曲ではティンパニーの出番がないので、ヒマそうだった(笑)。 |