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tomiyumi webあはれなる言 ― ゆ・らゆ

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ゆ・らゆ(助動ヤ下二)



1.受身の意を表わす。……される。
2.可能の意を表わす。……することができる。
3.自発の意を表わす。自然に……される。


奈良時代の助動詞である。
平安や鎌倉の時代からみても古語みたいなもんである。

平安期に入ってからは、「る」「らる」に取って代わられた様子だ。
つまり、例えば
「……と呼ばる。(=呼ばれる)」
というところを、
「……と呼ばゆ。」
と言っていたのだ。
活用は、下ニ段型だから「え・え・ゆ・ゆる・ゆれ」だ。


もしこの「ゆ」が淘汰されずに助動詞として現代まで残っていたら、
「る」が現代では「れる」なのだから、
「ゆ」は「えゆ」となっていたのかもしれない。

舌足らずの萌え系のアニメキャラみたいだ。

「あたひはみんなに○○と呼ばえのでふ〜」

みたいな。


それはともかく「ゆ」が生き残っていたら、
舌足らずにはありがたい日本語だったのになあという、
舌足らずの妄想です。
(「られ」とか「れる」とか、舌うまく回らないのよ)

まあ、それが標準なら日本人は今よりもっと
西洋語の発音に苦労したでしょうな。巻き舌とか。


そんな舌足らずな奈良時代人像を思い浮かべつつ、
実際の古文の文例を見てみよう。万葉集から2つ。


「か行けば 人に厭は かく行けば 人に憎ま

「わが母の 袖持ち撫でて わが故に 泣きにし心を 忘らぬかも」


「え」が「れ」だと思ってみると、
ほんとに舌足らずみたいでちと笑えます。


さて、「らゆ」ですが、「寝ぬ(いぬ)」の不可能、
つまり「寝ねらえず」という用法しか見当たらないらしい。
何故かは知らないが。


とここまで書いてふと思った。
ここまで、「ゆ」の活用が舌足らずみたい、と書いてきた。

しかし、そういえば五十音表で言う「ゆ」行は、
「や・い・ゆ・え・よ」であるが、
ここでの「い」「え」は、あ行の「い」「え」とは違うのだ。

あ行は「i」「e」、
や行は「yi」「ye」と昔はちゃんと発音していたと、
古典の時間に聞いたことがある。

わ行も同様、「wa・wi・wu・we・wo」だったと。
なんせ、「五十音」だから発音も五十種類あって然るべきだ。

となると、特に舌足らずっぽくもないか……?
いや、それでも舌足らずっぽいか。
……不毛な議論になってしまった。何が言いたいんだ。


ちなみに「ゆ」は現代も少し生き残っている。
いわゆる」「あらゆる」である。

これは言わずもがな、
「いふ+ゆ+体言」「あり+ゆ+体言」
ですな。
という小うんちくで今回はおしまい。


【例文】
「そんな事ではみんなに笑わえてしまうと思わえゆ。」
「もうこんな時間。あんまり寝らえないな。」

語句の意味は旺文社・古語辞典より。
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