かよわい女。しとやかな女性。婦人。 この語は、単独で使われるよりも、 ご存じの通り「たをやめぶり」としてよく知られている。 「たをやめぶり」とは、 『「古今集」を代表とする、平安和歌の歌風のこと。 やさしくなよなよとした女性風の意で、優美・繊細な歌風のこと。』 である。 それはそうとして、「たをやめ」であるが、 いかにも、これぞ古語って感じの響きである。 そう感じるのはなぜか、と考えて、 まず思い当たるのは「を」の文字である。 いわゆる歴史的仮名遣い。 古語って感じがするのも当然だった。 古語って感じがするのも当然なのだが、 この「を」というのは歴史的仮名遣いのうちでも特殊なのである。 どういうことかというと、 「を」は現在、格助詞の「を」としてしか生き残ってないからである。 「ひ(い)」、「ふ(う)」、「てふ(ちょう)」 などとは違うのだ。 現在では、歴史的仮名遣いを知るのは言語の基礎を習得した後である。 「を」は格助詞としてしか使わないため、 「を」という文字を見ると条件反射的に格助詞として理解しようとする。 だから、「たをやめ」「をかし」「をのこ」「をり」 などの語を見ると、 「確かにこの語は名詞だ、それはわかっている、なのに、 助詞が紛れ込んでいるような気がする……」 という妙な感覚に、無自覚ながら、ふと襲われる。 そしてそれは、なぜか笑いに近い感覚である。 と書いてて、別にそんなことないか……とちょっと思ったが、ともかく! 「を」から受ける感じは他の歴史的仮名遣いの文字とは微妙に異なるのだ。 ……と言い切ってしまおう。 ちなみに、「眞鍋かをり」という名前を初めて見たときに感じたあの感覚は、 もちろんこれと同じである。 「さいとう・たかを」 も、もちろん同様である。 呼びかけるときに使う間投詞「おい」も、 古語にすれば「をい」である。 なんだか笑えてきはしないか。 ちゃんと「woi」と発音するとさらに笑える。 「小野小町」も、実は「をののこまち」である。笑える名前になってしまう。 「をののこ」という空想上の動物を待つ状態、 「をののこ待ち」にも思えてくる。(もうなんのことやら……) 「折る」は「をる」である。 「おる」よりも「をる」のほうが力入ってそうだ。 とまあ、「を」は少しコミカルな印象だ。 用法は間違っていても、とにかく片っ端から 「お」を「を」に置き換えてみると面白いかもしれない。 「をくだたみを」「マスヲさん」「ヲックスフォード大学」…… |