日露戦争後、日本は南満州鉄道とその周囲の鉄道付属地の利権をロシアから譲り受け
満州一帯での鉄道開発と沿線の資源開発を進めた。奉天(瀋陽)と安東(丹東)、そして朝鮮
を結ぶ安奉鉄道(現在の瀋丹鉄道)の沿線にあった本渓周辺はその付属地として、
満鉄による治外法権的な統治がなされ、本渓湖炭鉱など日系資本による石炭・山林開発
が行われ本渓湖煤鉄有限公司など石炭採掘・製鉄などのコンビナートを作り上げた。
満州事変、そして満州国建国後、1937年の街制施行により、
本渓県の所在地だった本渓湖は本渓湖街に、1939年には本渓湖市(ほんげいこし)となる。
|