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第七十四日・オマーン・スルタン国 旗ヲタ 04/06/24(木)21:48:13 No.144426
我国の外務省による日本語での正式名称は「オマーン国」である。 1741年以来、現王家のブーサイード朝のスルタンによって支配されている。 1891年に英国保護国となったが1951年に独立を回復。 1970年、当時皇太子だった現国王カーブース・ビン=サイードによって、父王サイード・ビン=タイムールが追放され、国名をマスカット・オマーン土候国から現国名に変更した。 1970年までは、赤一色の旗を使用していた。 赤は湾岸地域のスルタンの伝統色で国の守りを、白はイスラムの指導者イマームと平和を、緑は農産物と山岳を意味する。 左上の国章は、オマーン固有の短剣カンジャルに、二本の太刀を組み合わせたもので、スルタンの支配と威厳をあらわす。
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第七十五日・インカ帝国 旗ヲタ
04/06/25(金)23:25:24 No.145897
インカ帝国は伝説によれば、十三世紀に初代皇帝マンコ・カパックによって建国された。 インカ帝国は正式名称をタワンティンスーユ帝国という。これは帝国が、コリャスーユ・クンティスーユ・アンティスーユ・チンカスーユの四つのスーユ(州)から成っていることを表す。 十五世紀の頃最盛期を迎えたが、1526年皇帝ワイナ・カパックが急死すると、アタワルパとワスカルの後継者争いによって帝国は二分される。1532年にアタワルパが勝利するも、帝国は弱体化してしまった。 そこに目をつけたスペインの侵略者ピサロによって、1533年にアタワルパが処刑され、帝国は滅亡した。 ピサロは傀儡として皇帝マンコ・カパック二世をたてた。 後にマンコは自分が操り人形でしかないことに気付き、1536年、スペインに対して叛乱をおこしたが結局失敗した。 この旗は、かつての帝都クスコで、現在でも毎年開かれる太陽の祭「インティ・ライミ」の際に掲揚されている。
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第七十六日・ドイツ連邦共和国 旗ヲタ 04/06/28(月)21:55:16 No.150654
1813年、ナポレオン率いるフランス帝国と戦ったプロイセン王国のフォン・リュツォー義勇兵団が、黒マントに赤い肩章と金ボタンの制服を着用したことにちなみ、ドイツ統一を目標とした学生組織、全ドイツ学生組合が、この三色をシンボルカラーとした。 1919年、ヴァイマル共和国が、この三色旗を国旗として採用した。 第三帝国時代は、鉤十字を描いた旗を用いた。 1949年、西ドイツの国旗として復活。 黒は勤勉と力、赤は熱血、金は栄誉を意味する。
無題 旗ヲタ 04/06/28(月)22:20:43 No.150690
嗚呼悲惨!とんだ大失態!妙な黒線が! 嘗て東トルキスタンを描いた時と同じ現象が! 是を泣かずに居られようか!(いや居られない) つД`)・゚・。
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第七十七日・自衛隊旗 旗ヲタ
04/07/03(土)01:16:44 No.156746
自衛隊とは、我国への直接侵略ならびに間接侵略に対する防衛を任務とし、公共の安寧秩序を維持するために設置された、陸・海・空の各隊からなる武装集団である。 最高指揮権は内閣総理大臣が持ち、防衛出動ならびに治安出動の命令を下す権限を有する。 1950年、連合国軍総司令部の覚書によって警察予備隊が作られ、1952年に保安隊と改称した。 そして1954年七月に、現在の形の自衛隊が発足した。 今年で発足から五十年となる。
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第七十八日・パダーニャ共和国 旗ヲタ 04/07/04(日)01:10:37 No.158120
イタリアに、北部同盟という政党がある。 この党は「パダーニャ」と称する北イタリア十一州の自治拡大・分離独立を目的として設立された。 過激な右派政党として知られる北部同盟は、工業化の進んだ北イタリアに対して、比較的貧しい南イタリアが国家財政上の負担となっていることへの不満を背景に発展した。 1996年、パダーニャ共和国の独立を宣言したが、その後連邦制の施行による自治拡大を目指す穏健路線に転じた。 ちなみにこの紋章は、アルプスの太陽と呼ばれている。
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