小泉総理は運が強すぎる 〜小泉超ラッキー伝説〜
運スレと小泉の法則のまとめページ
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アンチの批判には正面からレスを返さず、「運が強いから」という理由に繋がるようにレスしましょう。
批判に批判で応酬せず「いえいえ、たまたま運が強かっただけです」という謙虚な姿勢で行きましょう。
批判にはネタで答えましょう。
ピンチと批判は豪運の予備状態です。目くじらを立てずむしろ次の展開に注目しましょう。
批判の例 |
切り返しの例 |
飯島秘書官が糸を引いているだけ |
そんなに有能なら飯島秘書官と出会ったことがそもそも強運の始まり |
英霊だの運だのカルトなことを言うな |
決して実力とは言いません。 |
たまたま悪運が強いだけだ |
そうそう。運が強いだけです。 |
小泉はヤクザの家系 |
とび職の家系です |
ナポレオンも最後はツキに見放されて没落した |
ナポレオンがツキに見放されたのは己のために権力に執着したから。小泉総理が公のためでなく己のために権力に執着したときに豪運伝説は終わる。そうならないうちは大丈夫です。 |
小泉もうだめぽ/小泉ぬるぽ |
ガッ |
小泉総理は近年でもっとも多くのトラブルを経験している総理と言えるでしょう。
小泉総理が経験しているトラブルは、これまでの政権であれば、一発で政権崩壊して政局になだれ込むようなものばかりです。
しかし、それらのトラブルを次々に乗り切る様は、ずば抜けた政治力によるものなのか、単なる強運なのか区別が付きません。
確かに実力で凌いでいる部分も大きいのでしょうが、タイミングよく起こる自然災害、人災、戦争、疫病流行、対立者の社会的没落(犯罪など)については、一概に小泉総理の実力、政治力で左右できるわけではありません。となると、これは運が強いとしか説明できません。
「小泉総理は運が強すぎる」スレは、小泉信者による単純な小泉ヨイショではなく、「強運の事例」を挙げて感心することに主眼が置かれたネタスレで、絶体絶命の危機に立たされた主人公を「今度こそダメだろう」とハラハラドキドキしながら見守るのにも似ています。
その意味で、小泉総理を取り巻く強運の事例は、まるでインディ・ジョーンズを見ているようで痛快です。
マスコミ、政治評論家や対立政党、政治家諸兄による「小泉総理は運が強い」という指摘の多くは、「小泉は運だけの男だ」という揶揄を多分に含んでいます。小泉総理には実力があるのだ、他の政治家は実力でかなわないのだ、と言いたくない以上、「運が強いだけだ」と嘯きたい気持ちもよくわかります。
しかし、その言葉をそのまま受け取るとすると、「それではその他の政治家は、運がないのか。運だけで渡っている男に勝てない程度の実力しかないのか」ということになってしまいます。それでもいいなら別にいいんですけど……
実際、小泉総理の政策・言動とその結果の全てを「運頼み」と言い切ってしまうことには無理があります。偶然は二度続くものではありません。しかし、それを「小泉総理の実力だ」と評価すると、今度は「信者が褒めそやしている」というまた異なる誹りを受けることにもなってしまいます。小泉総理のあの飄々とした風は、「運に縋る男」と相手に思いこませ、読みを甘くさせ、誤判断を導き出させるためのトラップなのではないか、とも考えられます。
そうであるかもしれないし、そうではないのかもしれません。
あえて、このスレでは小泉総理の思惑に乗って「小泉総理は運が強いだけなのだ」ということにしています。
そんなわけで、政治放談はさておくことにしまして、このスレでは「小泉総理にとって致命的な事件」と「それをひらりと交わす強運」が交互にやってくる様を楽しむことに軸足を置くことに留めるのがよいでしょう。
運の良さとしておけば、カラクリを説明しないで済ませることができます。
説明がないから、我々はこう評するしかないのではありませんか?
「小泉総理は、なんて運がいいんだ!」
と。