remove
archives top
copipe
amazon gekiyasu search
powerd by
nog
twitter
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
一日目
―初四国―
九月七日土曜日から四国に五泊六日の旅行に行ってきました。
この日のために有意義な旅行となるよう友人と計画を練ってきたのです。
目的は各地のうまいもんを食って有名なところを回ろうという
単純かつ明快なものです。
所定の場所に集合し、誰も遅刻することなく友人の車でいざ出発。
実は僕は数日前から喘息にかかってしまい、点滴を打ってもらうなどして
急いで直そうとしたのですが完璧には治りませんでした。
喘息の軽い説明を入れておきますと、主に呼吸が苦しくなる病気です。
昼になると症状は少し和らぎます。
高速道路に入って三重をあっさり出ると、もうさくさくと進んで
午後三時くらいには瀬戸大橋にやってきました。
徐々に見えてくる四国の姿に浮かれる僕と友人。
僕らを待ち構える四国を橋の上から見た景色は新鮮な眺めでした。
四国に行くのは初めてですし、四国をこの目で見るのも初めてというのもあったでしょう。
橋の向こうからでっかい陸地が迫ってくる感じは妙な威圧感を持っていました。
四国でさえとても大きく見えるのだから世界はすごく大きいのだろうなあ
というのが正直な感想です。
橋を渡り終えて向かうはホテル、讃岐会館。
一日目は四国に行くだけで終わってしまうだろうということで
特にどこに行く予定もありませんでした。
香川県内を車で走って目的地のある高松市に着きました。
ホテルでチェックインして、部屋に入ってくつろいで一段落といった心境です。
遠いところまで来たもんだ。
ここまででいくつか興味を持ったことがありました。
四国はコンビニエンスストアが少ないということです。
僕はそれほどコンビニは利用しないので、それほど困る問題ではないのですけど、
友人は少し面食らったようでした。
コンビニがありふれている環境に住んでいる僕らは、
四国にもコンビニは十分にあると思っていたのでした。
地図で調べるといくつか発見したのですが、いざそこに来てみると
見つからなかったり、地図に載ってないコンビニがあったりして困ってました。
もう一つは高松市の街並みです。きれいで整然としている印象を受けました。
ビルも結構建っていて、予想していた以上の発展ぶりでした。
人がそんなにたくさんいるわけでもなく、のんびりさと余裕とおおらかさが
入り混じったような雰囲気を感じさせる街でした。
四国にお住まいの方を怒らせてしまったのなら申し訳ないです。
改めて先入観で物事を決め付けないことの大切さを思い知りました。
夕食に讃岐うどんを食べに行きました。目的地はあらかじめ決めてあって、
あとは地図を見てそこに行くだけなのです。にもかかわらずなっかなか見つかりません。
散々歩き回って、別の店に心変わりしようとしたときにやっとたどり着きました。
地図だけに頼るものではありませんね。
讃岐うどんはおいしくいただきました。
やたら歩いたものですからおいしさはまた格別です。
調子に乗って、別の店でまた讃岐うどんをいただきました。
だしの味がしっかりしているのでうどんを食べたあとのスープも楽しめます。
本体の方はというともっちりしてしっかりとした歯ごたえが特徴的です。
一行はホテルに戻り、時間もほどほどに就寝しました。
喘息の薬を飲むのを忘れてた…
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
二日目
―卒業しました―
喘息はなんともない。多少は症状が見られますけど日常生活に支障はない程度。
チェックアウトの時間の事を考えて起床する。
寝ている友人も起こす。くそう、僕はこういう役回りばっかだ。
讃岐会館を後にして向かったのは讃岐うどんの店。一応朝食です。
ここで処方された薬の最後の一回分を飲んでおく。
讃岐うどんを食べていて思いました。
安い上においしい讃岐うどんはなんて大衆的な食べ物なのだろうと。
具体的なお勘定を覚えてないですけど、一般的な讃岐うどんとサツマイモのてんぷら、
かき揚げで500円くらいで済んだように思います。
他のお店でもとても財布に優しい値段でした。
旅行の本には、地元の人にとても親しまれていて毎日食べても飽きない、
ということが書かれていました。
まさにその通りで、そのお店は朝から結構人の出入りは激しいものがありました。
休日というのもありましたが十時頃にしてはお客さんは結構多かったです。
年配の方から高校生らしき学校指定のジャージを着た方まで
様々な年代の人がいて、大衆的だというのがありありと体感できます。
また讃岐うどんのお店には、定番なのかてんぷらなどの揚げ物やおでんが
これまで訪れた三店とも置かれていました。当然それらも良心的な値段です。
三重では伊勢うどん、関西風うどん、関東風うどん、名古屋きしめんが楽しめます。
ですが、これらのうどんよりも讃岐うどんはおいしいと思っています。
比較する要素を誤っているような気もしますが、それをひっくるめてもおいしいと思います。
でも僕はうどんは何でも大好きですけどね。他のうどんも十分においしいですから。
とにかく香川県に行ったら讃岐うどんを食してみることをおすすめします
讃岐うどんの余韻を残しつつたどり着いたところは金刀比羅宮。
ここはどういうところか調べてなかったので友人に聞いてみました。
「何百っちゅうすごい数の階段を上ってくんや。」
…喘息で途中で力尽きたりしませんように。まさに心臓破りの階段です。
金刀比羅宮は山の上に建っているため奥に進むには階段を上らなければなりません。
石の階段を上っていくんですけど、最初はそれほどきつくないんです。
階段から次の階段までの間隔が開いていて、左右にある土産物屋を
見ながら登っていけるほど体力には余裕があります。
しかし、登っていくうちに階段の間隔が狭くなり、普通の階段を上っているのと
同じになってきました。おまけに先頭の友人と距離がひらいてきました。
このままどんどん離されるのは悔しいので、ペースを上げて駆け上ったり、
ばててゆっくり上ったりして、一人相撲が繰り広げられました。なかなか追いつけません。
喘息持ちの体力などすずめの涙程度なのです。
一番上らしきところまでたどり着いた時には、
汗だくになってやたらしんどそうにしているあほが一人。
階段何百段もの高さから眺めるふもとの景色は壮観でした。
自分がどれだけ階段を上ったのかを改めて認識させてくれます。
あたりを見回してみて、ああここがこうなっているのか、
などと各々が思いをはせました。
見た限りでは予想以上に参拝客は多く、ゆっくりと着実に上っているようでした。
どっかのあほとは大違いですね。
大半は年配の方のようで、竹の杖を借りて上っていました。
僕らも杖を勧められました。でも、手荷物になりそうだったので止めときました。
金刀比羅宮は割合広く、見たい物はたくさんあったのですが、
時間がそれを許しませんでした。
石に刻まれている字とかいちいち見て回りたかったんですけど。
気がついたら金刀比羅宮のふもとにある中野うどん学校にいました。
うどん学校に何をしに行くのか。端的に言えば、昼食をとるためです。
一階はお土産屋、二階はうどんを食す所。三階がうどんを作り方を教わる所です。
うどんを作らねば昼食は食えぬということで、まず讃岐うどんの作り方の授業を受けることに。
かけこみで授業を受けることは許されません。授業を受けるには予約が必要です。
入学して配られてきたのは、掛け軸のような巻物でした。
巻物は持ち帰って、家でもうどんを作ってもらえるようにするためだとか。
巻物に生地の作り方からうどんの食べ方までうどんの作り方が一から書いてありました。
にもかかわらず僕らが渡されたのはなんと直方体にされたうどんの生地。
もう生地ができているのです。見た感じ、やわらかい餅のようです。
この餅みたいなやつをいきなり置かれただけでは何をしていいかよく分からないので、
横置きにしてみたり縦置きにしてみたりしてさぐりを入れました。
まず、手打ちです。ちゃんとした手打ちの仕方をかいつまんで説明しますと、
生地の厚さを整えるために軽く伸ばしてから麺棒に巻いていく。
巻いた状態で体重をかけて巻き伸ばしていく。
打ち粉をして90度回転させてまた巻き伸ばし。
2と3を繰り返して厚さが3、4mmの厚さになったら5へ。
生地をびょうぶたたみにして、あとは包丁で食べやすい太さに切るだけ。
びょうぶたたみといってもよくわからないかもしれません。
そばなどを切る時に使われるたたみかたです。
巻物の絵がないので分かりにくいのが申し訳ない限りですけど。
これであとは食べるだけなのです。その前に今度は小麦粉などの原料から
僕らが渡された生地を作ることになりました。
とはいえ、予約した1グループで代表して一人しか作らせてもらえないようです。
僕は家で作ればいいかと思い、友人に代表の座を譲りました。
小麦粉やら水やらをまぜこねしてなんとか足踏みまでやってきました。
いわばこねて生地をしっかりさせる作業だと思っていただければ結構です。
そこで先生は言いました。
「足踏みはリズムが命です。足踏みを大体五分間行ったら足踏みは完了です。
このぐらいの時間でできるように頑張って足踏みをしてください。
リズムを取るためにモーニング娘の恋のダンスサイトをかけます。
この曲が大体五分くらいですからね。」
…まさか学校に来てまでモーニング娘を聞かされるとは思いもしませんでした。
うどん作りという厳粛な雰囲気が自分の中では脆くも崩壊し始めました。
生地の入ったビニール袋を茣蓙の中に入れて音楽が開始。
五分間はやけに長いなぁと思いつつ、友人が踊っているのを笑って眺めてました。
結局、この生地はお持ち帰りで家で食べてくださいとのこと。あと四日生地は持つのか…
生地を作り終えると、手短に卒業おめでとうの旨を言われ、二階で自分達の作ったうどんを
讃岐うどんで一番おいしい食べ方と教わった釜あげうどんという作法でいただきました。
うどんを茹で、丼にくみとり、つけ汁で熱気といっしょにうどんを味わいます。
釜あげうどんはこれまでの店のメニューにもあったのですが、
どんなものか分からなかったので敬遠していました。
食べてみて思いました。讃岐うどんはどんな食べ方でもいけますね。
茹でていたなべの中からうどんがすぐに見当たらなくなってしまいました。
このあと、愛媛県にある松山に向かい愛媛共済会館というところで宿をとり、二日目終了。
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
三日目
―道に迷った―
宿から徒歩で松山城とやらを見に行きました。
いや、正確には電車に乗りました。
九月だというのに何で四国はこんなに暑いのだろうか。
基本的に先に進むには上り坂を進まなくてはならないので
くたびれると同時に熱さがこみ上げてきます。
この城を作ったやつは相当嫌な奴だ、などと
この目で城を見るのははじめての分際で言ってみたりしました。
のんびり攻めれば矢が降ってきますし、
速攻で攻めようとしても思うように攻められないに違いありません。
上にいるほうがなにかと有利ですし。守る側は地の利を存分に得るでしょう。
兵糧攻めという戦法が存在するのも分かる気がします。
城の内部は結構見るところがたくさんありました。
天井が低かったり階段の一段一段が高かったり
矢を射るための小さな窓があったりと色々工夫してあるところが目新しいです。
所によっては鎧や刀がたくさん展示してあって目は釘付け。
すっごいほしかったんですけど、もし売っていても値段がすごく高くて手が出ないでしょう。
いつ建てられたものかは知りませんが、時代の雰囲気をある程度残していたので
名残を覗き見ることができて結構満足しました。
重くてごめんなさい。ちょっと休憩。
天守閣からは四方がこのような感じで見渡せます。
天守閣を満喫し終えて階段を降りる時、階段が急で滑りやすいのがびっくり。
階段で怪我をする人がいたりしないだろうか。
おそらく極力雰囲気を壊さぬよう手を加えないようにしたのでしょう。
松山城の近くにある道後温泉に行きました。
城の見学で結構汗をかいたのでちょうどいいタイミング。
湯が三種類あったのですが恐縮ながら自分が入った湯の名前を覚えていません。
価格が二番目の湯だったような。
ちょっとぬるかった上にイメージとちょっと違う温泉でしたが、
気分は澄んだようにすっきりしました。
古びているところがまた色々あったんだろうなというのを想像させてくれます。
全く持ってどうでもいい話ですけど、松山城や道後温泉の周辺に売っているタルトは
おいしくてお土産に最適です。特に甘党の人にはもってこいですよ。
周辺の街並みはなんとなく味があるので、ぶらついてみるのも一興でしょう。
さて、松山の観光も終わったので次はずーっと南下して、足摺岬に向かいました。
松山自動車道を末端の大洲で降りたまでは良かったんです。
僕らは441号線を走っていくようにルートを決めてあったわけなんですけど、
なぜか44号線を走っていました。わざとではありません。
地図で見る限りでは、高速道路を降りて441号線に変更するあたりは
道がごちゃごちゃしていてよく分かりません。
むしろ決め付けて分かったつもりになる方が危険です。
引き返すわけにもいかないって事でそのまま突き進むわけです。
見渡す限り山山山。…ここどこですか?
写すつもりはありませんでしたが車が入っちゃいました。
こんな山々見せられたらたとえ迷ってなくても迷ったって思いますって。
いったん安全なところに駐車して、地元の人に聞いて見ました。
一応進んでいるみたいなんですけど、予想していないところに行っていたようです。
このままだと今日中に足摺岬を訪れる計画が怪しくなってくるので急ぎたいところ。
位置関係を把握し、順調さを取り戻したかに見えました。
でも、それを許さないのが偉大な自然の力。
道というのは地形に沿ってしか作れないものです。
無理に切り開けば自然の力による応酬が人間に跳ね返ってくるのです。
地理上の関係で道がぐにゃぐにゃしている挙句に道は細くて車が二台通れるかどうか。
対向車が来ないかびくびくしつつ、道を確認しようにも分かりやすい目標がない。
前も色々邪魔でよく見えない。あるのは木と山と農家。
トラックが来たときにゃ車の中も大慌て。
田舎はよそ者には閉鎖的という文章を思い出しました。
よそ者には何かと危険が多い地域のようです。
予想以上に時間がかかって、あたりは暗くなってきました。
今日は足摺岬に行くのは止めということになりました。
旅行っていうのは予定が狂うのはつきものですからね。
それで、当初足摺岬に行った後に宿泊する予定だった足摺テルメというホテルに
向かうことにしました。もし足摺岬に行く予定の方がおられましたら
この足摺テルメというホテルに泊まるといいと思いますよ。理由はのちほど。
足摺テルメは足摺岬に行く途中にあると言っていい場所に立っています。
七時を過ぎているのに岬はおろか足摺テルメまでも結構距離が残っています。
夕食は八時までという決まりがあるんですけど、到着が遅れそうなので
夕食を遅らせることができないか携帯電話で聞いたところ、
なんと到着まで待っていただけるとのこと。
ありがとう、足摺テルメさん。
これで夕食も安心だと思いきや、道が表情豊かになってきました。
S字、U字のカーブは当たり前です。おかげさまで酔った友人が発生。
暗くて目印になるようなものもないので、ホテルに近付いているのかも分からなくなりました。
不安にさせる力を持っています。次に行く時があれば夜は避けたいものです。
地図がないと間違いなく迷うのではないかと。
僕らの来たルートが悪かっただけかもしれませんが。
結局、足摺テルメに着いたのは八時過ぎでした。
ごめんなさい、足摺テルメさん。
足摺テルメは周りの山々という雰囲気を壊すくらい文明度のある建物ですが、
いかんせん、そこに行くまでの道が分かりにくいというのが難点です。
見つけたときの喜びは助け舟が来たようなものですごく大きいです。
辺り何もないですから。
ここで足摺テルメの良さを紹介させていただきます。
1.建物がきれいで清潔感あふれる。
2.温泉や部屋が広い。
3.夕食が豪勢。
4.岬から近い。
5.待っていただけた。
6.お土産などの売店がきちんとしている。
7.見つけたときの喜び。
8.
ホームページ
まであるんです。
よくよく考えるとここのホテルが一番休めるところでした。
おいしい食事をいただいて、安心して就寝しました。
おかげさまで疲れもこれまで蓄積していた疲れとともに退散したようです。
このホテルに宿泊した時に喘息は完全におさまりました。
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
四日目
―足摺、そしてよさこい―
足摺テルメの方にうどんの生地を調理してもらおうと言い合っていたにもかかわらず、
そんなことは忘れて昨日いく予定だった足摺岬に出発。
昨日、かなり長い距離を走った上にガソリンスタンドがほとんど見つかりませんでした。
ガソリンの残量が少ないので、岬に行く途中にある怪しいスタンドで給油しました。
何が怪しいかって1リットル辺りのガソリンの値段の看板が出ていないんです。
伝票を見て計算をしてみると、どうやら相当高いみたいです。
具体的な値段は覚えていませんが、本当に高いです。
周辺に別のガソリンスタンドは無いようで、足元を見られていますね、これは。
損したくなかったら足摺岬に行くときはあらかじめ給油しておいたほうがいいでしょう。
足摺岬に到着してまず思ったのは、四国はただでさえ暑いのに
南下したためか余計暑いのではなかろうかということです。
灯台があるらしいのでとりあえずそれを目指しました。
灯台のある辺りは海が一望できて、暑さも忘れ、心なしか涼しさを感じました。
この辺で集合写真を撮ったりなどして休憩しました。
見晴らしが良くて、僕なら何時間でもいられそうです。
微妙な色の変化などを見ているのが好きでたまりません。
灯台のところまでやってきた僕らは、岬を歩き回ることにしました。
石に苔の生えた道は細く、手入れされずに風雨にさらされているようです。
わびしいのですが、そこがまた情緒を感じられていいです。
道は無理矢理作られたという風体で、辺りには草が生い茂っています。
熱帯雨林を連想しそうな景色で、湿気があり気温も高いところから、
少なくとも気候だけは熱帯雨林と言えるでしょう。
道を下っていくと、波打ち際が見えるところにたどり着きました。
灯台から結構歩いたので汗でびっしょりです。
写真がずれてます。撮影に失敗しました。
おまけに水面も見にくいようでいい絵じゃないです。
でも僕はこの場所が気に入ったので掲載してみました。
岬周辺を散策し終えた僕ら一行は北上して四万十川に向かいました。
遊覧船があるので、それに乗ってみるのです。
下流と上流を運行する二種類のコースがあります。
集合場所と言ったらいいのでしょうか。船のところに向かうバスが
やってくるところに来ましたが、時刻表なるものを見たところ、
間一髪で乗り遅れた事が発覚しました。
次の船まで時間に余裕があるし、昼になったという自然の成り行きで食事をとりました。
鮎そばが大変おいしかったのでびっくりしました。鮎が一匹丸ごと入っています。
特に鮎が良かったです。甘くて魚っぽくないような味でした。
身が柔らかく、口当たりがよかったです。
集合場所のすぐ近くにあるお店なんですけど、
四万十川の横に立っているだけのことはあって
川でとれた魚を出しているようで、それがおいしい理由なのかなと思いました。
友人は思い切って天然物のうなぎを頼んでいましたけど。
ええんかい。旅行でお金がないのに。二千円以上するで、君。
遊覧船には僕らと横浜からきたという方しか乗っていませんでした。
人数が少ないためか、船頭の方と打ち解けて話をさせていただきました。
最近では四万十川で漁をする人が減ってきて、色々大変なんだとか。
伝統的な漁の技術が廃れてきつつあるようなことを聞きました。
その漁をしているところを見せていただいたのですが、
その時は残念ながら魚は取れていませんでした。
川はとても穏やかで、多種多様な生き物が住んでいそうです。
わざわざ四万十川まで釣りをしに来る方もいるそうですよ。
よく見てみると水面に丸い弾がぷかぷか浮いています。
これはよさこい高知国体のための準備なんだそうです。
岸には旗がたくさん立っちゃってます。
のんびりした様子でしたが準備は着々と進んでいるようでした。
船の乗り心地はとても快適です。あまり揺れないので船酔いの心配はいりません。
乗っている途中で眠くなったくらいですから。
船頭さんの朴訥で人柄の良さの表れたふるまいでどこか癒されました。
今考えれば地元の人とコミニュケーションをとれた数少ない機会でした。
よさこいといえば高知、高知といえばよさこい、
なのかどうかは存じませんが、高知に近付くにつれ
よさこい高知国体のマスコットの密度がいやがおうにも
増えてくるのでそんな気がするのです。
マスコットはこんなやつです。
くじらをイメージして描かれたのでしょうか。
親しみやすそうですっきりしたキャラクターです。
また、高知に近付くにつれてはっきりと都会化していくので印象的です。
同じ四国とは思えない変わりぶりです。
高知市内にやってきたときにはほっとしたものがありました。
田舎の厳しさを知らず知らずのうちに体得したのかもしれません。
街の便利さが体に染み付いてしまっているのでしょう。
便利とは麻薬ではないかという考えが頭をよぎりました。
高知にやってきたのは予約した高知市町村職員共済会館に向かうためです。
チェックインした後で、ホテルの近くの居酒屋で夕食にしました。
食事をしている途中に、テレビが野球のドラゴンズ戦を放送しているのに気付きました。
そういや、四国の人はどこの球団のファンが多いんでしょう。
近さから考えて広島やオリックスのような気もしますが、意外と阪神なのかも。
ちょっと気になりました。
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
五日目
―坂本竜馬―
大分、旅行のペースにも慣れてきました。
でも明日になったら三重に帰らねばなりません。
それなのに行きたい所はたくさんあります。
その一つの桂浜を僕らは訪れました。
桂浜には坂本竜馬銅像や坂本竜馬記念館などがあります。
文字通り浜で、波打ち際の描く曲線がとても美しいです。
桂浜でまず、アイスクリンを食べました。
市販のアイスクリームとは違った味がして、深い味わいがあります。
桂浜を上から見下ろして、の図。
実際は階段で下に下りることが可能です。
きれいな砂浜で、思わず下に降りてみたくなります。
銅像もこの付近に建っていて、多くの観光客が写真撮影していました。
坂本竜馬記念館は少し離れたところに位置するので、車で移動しました。
建物はなかなか新しく、近代的な雰囲気を持っています。
そこで頂いたパンフレットによると、平成三年に完成したのだそう。
中に入ると、太陽の光が入り込むように壁がガラスになっており明るいです。
昔の博物館なんかとちょっと違ったたたずまいです。
坂本竜馬が書いた手紙とか年表とか脱藩の軌跡とか
坂本竜馬が好きならたまらんのものがたくさん置いてあります。
もちろん、坂本竜馬にゆかりのある人の展示物もあります。
なぜかジョン万次郎の展示物もあったり。
博物館に行くと、展示物だけではなく
展示物と関連性のあるものが見たくなるのは気のせいでしょうか。
なんとなく新撰組のものがあったりすると、
時代が二つの面から捉えられていいような気がします。
実際は様々な要素があってなかなか難しいのでしょうけど。
ちょっぴり歴史に詳しくなって、次の行き先は室戸岬。
着いたときにはもう日がやや傾いていました。
どちらの岬もそうなのですが、岬に近付くにつれ、
ガソリンスタンドや食事処は減っていきますのでお気を付けください。
タイミングを間違えるとそこそこピンチになれます。
室戸岬は足摺岬と違ってやや行きやすいです。
岩がごつごつしていて、荒っぽいです。
すっごくたそがれたくさせる岬です。
岩の上に座ってみるととても暑く、人を拒んでいるようでした。
僕は室戸岬よりは足摺岬のほうが好みです。
もう一度訪れるなら足摺岬でしょうね。
でもなぜ好みかをうまく説明できません。
そんなに多くの時間いたわけではありませんけど、
この岬は岩の集まりとしか言いようがありません。
岩を飛び越えて移動するのは意外と骨の折れる活動です。
中岡慎太郎の像です。
岬の近くにある駐車場から歩いて一分くらいのところに立っています。
こんなところにぽつんといるので寂しげ。
国民宿舎むろとという室戸岬の近くにあるホテルに着くと、
一同は畳の上で昼寝ならぬ夕寝をしました。
長距離の移動で体が予想以上に疲れていたのでしょう。
乗り物に長い時間乗っているというのは疲れるものです。
ホテルの周辺は道がうねっているので車で揺られたというのもあるでしょう。
国民宿舎むろとの部屋の中には日記のようなものが置いてあります。
僕はそれをすごく珍しいと思いました。
日記(仮)を開いてみると、そこには宿泊者が様々なことを書き込んでいました。
一ページ丸ごと使っている人もいれば三行ほどの簡素な書き込みもあります。
中には、愛人と一緒に来た、とかいうあやしげな内容もあります。
何冊か使い終わると、ホテルの人がレスをつけて、それをコピーして
一冊の本にしているようです。まるで掲示板のようですね。
本はもう三冊ほどあり、日記(仮)が二冊あり、
そのうちの一冊はまだ二、三ページしか使われていませんでした。
僕は日記(仮)を設置しているのはすごくいいことだと思いました。
ホテルの人と宿泊者の距離が縮まるような気がするからです。
これによってホテルの人と宿泊者、または宿泊者同士の対話が成立したりしますし、
面と向かっていえないような意見も日記(仮)を通してなら伝えることもできます。
ホテルに対してフレンドリーなイメージさえもあります。
一冊の本を作るのに膨大な時間がかかるわけですから、歴史を感じさせてくれます。
泊まって書き込んだ人たちがいるからこのホテルは存在するわけで、
ここに泊まれるのは書き込んだ人たちのおかげのような気がして、
僕らも取り留めのないことを何行か書いておきました。
僕らが書いた日記(仮)を見て、のちにこの部屋に泊まった人が
何か書いていってくれるといいな。
三冊の本を読破してやろうという腹づもりでしたが、
かなりの文章量でそれもかないませんでした。
また泊まりたいですね。
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
六日目
―また来る日まで―
今日で旅行も終わりです。
安心して交通事故を起こさないように気をつけねばなりません。
車に乗り込み、向かうのは本州へ向かう高速道路のある徳島県鳴門市。
徳島県まではかなり距離があります。海岸沿いの道を延々走る中、
海を眺めたり街並みを目に焼き付けたりして、自分をのんびりさせるよう努めました。
四国から去ってしまうので、より多くの思いを残すためでもあったでしょう。
有名なのかどうかは知りませんけど、夫婦岩です。
これ見よがしなので撮ってみました。
昼食は徳島ラーメンです。
徳島県にあるいのたにというお店で食べました。
店内に入ると、まず食券の自動販売機があることに驚かされました。
そして壁を見てみると有名人のサインが掛けてあったりします。
お客さんが店内のいすをほとんど占めていました。
結構有名どころなのでしょう。味にも期待が持てそうです。
ふぅー、席に座れた、と思うと店員のおばさんが話し掛けてきました。
どこからきたの、との問いに、
三重からです、と友人が答えたら、
さっき岡山から食べに来た人がいた、と言っていました。
やはり有名なお店みたいです。
ラーメンが運ばれるまで、無難な話題で喋っていました。
退屈な時間をつぶせたので、ありがたかったです。
おばさんはおしゃべりそうでしたけど、さすがに食べ出すと
話し掛けることはしませんでした。
出された徳島ラーメンは見た目は何でもありませんが、
口に含んだスープが濃くて甘いのが特徴です。
ラーメンの具の肉も味付けが濃く、全体こてこてです。
食べているとご飯が欲しくなってきました。
味が今まで食べたことのないタイプだったので、非常に印象に残りました。
うまいです。家の近くにあったら定期的に食べにいきます。
徳島ラーメンのことを友人とあれこれ言いながら向かったのは、
鳴門海峡の手前にある渦の道という施設です。
渦潮を見るための施設で、入場料を払えばかなりの高さから
うずしおのできる海域を見下ろすことができます。
壁や一部の床がガラスになっており、訪れている人は
渦潮を見ようととても真剣です。
ただ、問題が一つあります。
渦潮はいつも見られるわけではないのです。
渦潮のできる時期は決まっているらしく、見られないこともあります。
僕らが来た時は渦潮が見られない時間帯でした。
発展途上の子供のような渦潮が無数にあるのみで、
まともなのはありませんでした。数時間待っていれば見られましたが、
そんな時間もないので渦潮を見るのはまたの機会となりました。
とても残念です。少し未練が残りました。
淡路島を経由して、13日夜無事に皆家に帰りました。
楽しい旅行でした。ありきたりな計画の旅行でしたけど
旅行をほとんどしたことのない自分にとってはこれぐらいでちょうど良かったのかも。
今度は一人旅でもしてみたいものです。
なんか忘れてるなと思ったら、うどんの生地。
持ち帰った友人の話によると、今も友人の部屋に眠っているとの事。
カマンベールチーズの様相を呈しているらしいです。
早く食え、友人よ。
(平成十四年十二月三十日記す)
一日目
二日目
三日目
四日目
五日目
六日目
戻る
トップページに戻る