三月一日 月曜日 雨のち晴れ 夜の川って怖い。 故あって木曽川の橋の上を自転車で走っていたのですが、 川に吸い込まれそうな気がしてくるのです。 水面の緩やかな揺れようが自分を飲み込もうとしているようで、 一種の催眠にかかったような気さえしてきます。 紺色の水が不気味さを演出しており、ただの水ではないようにも見えます。 重そうで、飛び込んだら助からなさそうな印象を与えます。 負の想像しか出てきません。 塀が低いのでその気になればあっさり飛び降りる事もできます。 自転車で走っている限りは落ちるということはないのですけど、 高所恐怖症ゆえか一歩間違えれば落ちてしまうかもしれないという無駄な重圧で自分を追い込んでます。 でも、そういう怖い思いをするのはせいぜい木曽川か長良川ぐらいで。 この二つの川の幅が広いのがいけないんでしょうね。 でかいっていうだけで力があるのかもしれません。 三月十一日 木曜日 晴れ 人間って新しい物好きだ。 それをなんとなく思い知る今日この頃。 例えば、最新のデジタルカメラを購入する。 すると、何でもいいからとにかく撮ろうとする。 必要かどうかは隅っこに追いやられて、 そのデジタルカメラの持つ威力を試したがる。 友達に見せようものなら、興味津々のはず。 ただ新しいというだけなのに。 なぜだろう、なぜ人は新しい物好きなんだろうと思いをめぐらせてみると、 道具を使う生き物だからだ、という推測が出てきました。 人は昔から色々な物を道具にして使いこなしてきたんだろうなと。 新しい道具を使って現状を打破したに違いないと。 火なんて、発見した時は使いまくったんじゃないだろうかという予想。 まとめると、新しい物が自分達にとって利益を与えてくれたから、 新しい物=好き、という反射に近い反応ができたのかなあと。 逆に、新しい物が自分にとって悪い影響をもたらすと知った時、 新しくなかった時と比べてそれの印象の悪さが増幅されるような気がします。 例えば、鳥インフルエンザ。 まだあまりよく知らないために過剰に反応しているような気もします。 それほど知らなくても、まれに耳にはさんでさえすれば、 もっと冷静に反応していると思います。 僕の場合、初めて食べたいくらがまずかったので、 ひたすらに悪い印象しかありません。 そのいくらよりもまずく感じた食べ物は豊富にありますが、 いくらほど悪くは記憶されていません。 突拍子もなく推測した事なので、一連の文章が的に当たっているかどうかは謎です。 僕も新しい物好きですが、新種のきのこだけは嫌いたい。 半分の確率で 三月十四日 日曜日 晴れ 思考停止しがちな自分にスマッシュ。 というのは、僕はあまり物事を、疑わなくなったり考えなくなったりしたような気がする。 素直に物事を受け入れすぎというか。 なぜ思考停止をしてしまうかというと、楽だから。 習慣になっているものほど、楽をしようとして思考停止してしまいがちなものです。 ありふれた物事ほど考えにくいという事ですね。 固定観念になってしまって考えるまでもない、ということかもしれません。 それは、エネルギーを節約するためです。 あるいは、思考を円滑にするためです。 繰り返し浮かぶような思考を省略してしまえば、 ほかの事を考える時間に回せるということです。 僕らは大なり小なり思考停止を確実にする。 思考停止ってのは全部が全部悪いわけじゃないけど、 どれが良くてどれが悪いのかという判断がつけにくいのが厄介だと思います。 思考を止めないとどこかで脳がパンクしますから。 例えば、ご飯の食べ方なんて思考停止していいですし、 犬の散歩のコースだって思考停止していいでしょう。 でも、教育の仕方とか車の運転は思考停止してはまずいです。 思考停止をしないようにするというのは、 水が流れなくなった川に再び水を流れるようにするようなものです。 流れるようにするのも大変だし、 他の川も含めて維持するのも大変です。 思考停止してはいけない事態に備えて、 今からでも少しづつ思考停止をしないように努力をしよう。 三月十七日 水曜日 晴れ 自転車で家に帰る途中、そば屋が建っているのに気付いた。 三月二十五日にオープンするらしい。 僕の住む町はここ数年で色んな物が建つようになりました。 その代表は、マンションや住宅です。 人が増えれば、店が増える。 単純な論理で、徐々に店が増えています。 はっきりとは言えませんが、 人が以前よりも増えたような雰囲気はありますし、 町が活気付いた印象もあります。 一部ではありますけど町並みはきれいになり、 複数の建物がもたらす景色は鮮やかになりました。 町が発展していくのはいい事です。 でも、時々それが嫌だと思うことがあります。 人が多いのが嫌だというのもあるんですけども、 発展するのが惜しいと感じる時があるのです。 それは、ずいぶん前からここに住み続けているからです。 きれいになる前の町並みも知っています。 あまたの思い出があります。 変わるという事に抵抗があるのかも。 思い出の物を捨てられずにとっておく感覚に近いかもしれない。 今の町並みと、昔の町並みを見比べられたら面白いでしょうね。 変わってないように見えて、日々刻々と変わってるものだから。 三月二十六 金曜日 晴れ ゲームソフトを売りに行ってきました。 ソフトをめっきり買わなくなってきたものの、 それでも少しづつ増えてきたのです。 整理の一環ってやつです。 手放した量は微々たるものですけど。 少しでも安く買うために、新品よりは中古で買うことが多かったです。 昔はCDじゃなくてROMだったので、 中古ソフトを買うとその人がプレイしていたデータが残っていたものです。 そのデータに歴史を感じたりしていたわけですが、 最近ではそれがないのでさみしいです。 そう考えると自分は昔の人間なのだろうかと思ってしまいます。 昔はよかった、なんてね。 再びファミコンをやったらはまる自信があります。 三月三十一日 水曜日 晴れ スポーツでもなんでもそうですけど、 上達のきざしが見えるものっていうのは長続きします。 読書であれば、話の面白さが少しでも分かったとか内容に共感できたとか。 逆に、やっても上達しないものは嫌いになってしまうことが多いと思います。 よく考えると、 僕が嫌いなスポーツはやっても上達しないという理由からきているのでした。 元々下手だというのもあります。 やっても進展がないものというのは、やる気が出ないものです。 それだったら別のことをしたほうがましだ、という。 好きなスポーツは上達しているから続けてやれてます。 たまたま自分の狙い通りにプレイできた時は、 嬉しくなってもっと頑張ろうという気になります。 嫌いになるのは、たいてい物事の始めのほうです。 よって始めを何とかすれば、 誰かが嫌いになるのを防ぐ事ができるのかなと。 嫌いになりたくなければ、 始めのうちは気合を入れて頑張ったほうがいいということでもあります。 ヘルプとかサポートの重要さを再認識しました。 長続きするかどうかは本人の資質だけじゃなく、 教える人の手腕とか色々な要素が絡んできますね。 当たり前のようでありますが、気付いてなかった。 二月へ戻る 四月へ進む 戻る トップページに戻る |