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八月三日 日曜日 晴れ

生まれて初めてトルコアイスという物を食してみました。
味は普通のアイスと変わりません。
ただ、斬新な分おいしかったです。
味は変わらないのにおいしいとはどういうことか?
それは気分の問題です。

一番の注目は粘り気があるところでしょう。
べたべたしているという意味ではなくて、ねとーっとしているという意味で。
この雰囲気が伝わればよいのですけど。
食感が違うんです。
丈夫なんですよ。
僕の表現は間違ってません。
丈夫なんです、アイスが。
多少大げさに表現するなら、おにぎりが餅になったってところでしょう。
あまり慣れていないためこの丈夫さは僕には許せないです。
けど悪くない。

普通のアイスクリームって、口の中で溶かして食べると思います。
トルコアイスにはそれはあまり通用しません。
溶かそうとすると時間がかかります。
よって、噛まねばなりません。
まさかアイスクリームくらいで口の中で何度も噛まされるとは思いませんでした。

色んな衝撃を味わいつつ、短いひとときを楽しみました。
暑くなってきた分、アイスがうまいです。



八月九日 土曜日 曇り

外に出てみると月明かりがきれいだ。
照らし出された街並みも美しいし、 わずかに雲がかかろうとしている月もどこか風流があっていい。
台風の置き土産だろうか。

昨日の夜から今日の朝にかけて、台風が通り過ぎていきました。
わずかな情報を知る限りでは死者が出ているだとか風速がすごいだとか、 危険な香りを漂わせていたにもかかわらず、 近所はおとなしく通り過ぎていったらしい。
寝ていたのでよく分かりませんけども。
ちょっとは台風らしいものを期待していたのに 何もないのでは台風が通り過ぎたという実感がありません。
まあ、めでたしめでたしなんですよね。

台風が来るとわくわくしてしまいます。
不謹慎ながらも台風はなかなかこないので、めずらしいからです。
滑稽を帯びているから、ということもあります。
台風が引き起こす被害というのが僕には滑稽に見えてしまうのです。
土砂で流される家を見ても滑稽に思うし、 風で吹き飛ばされる人を見ても滑稽に思います。
学校が休学になるのも、交通がストップするのもそうなのです。
最高に滑稽なのは、家の中で嵐が終わるのを待つ、僕だ。



八月十三日 水曜日 晴れのち曇り

どうやら寝違えたらしい。
起きると首が痛かった。
正確に言えば起きる前から痛かった。
その後遺症かは不明ですが、自転車に乗っている間に肩甲骨が痛くなったり。
それが収まったと思ったら、なぜか腕が痛くなってきたり。
もう訳がわかりません。
一過性の呪いだったらすごく助かる。
でも慢性的な呪いだと果てしなく困る。

電車に乗っていると、両手で頭をねじっているおじさんがいました。
50歳台に見える、やや肥満体系の元気そうな人でした。
すごく真剣そうな顔つきで頭をねじっているのが気にかかりました。
昔の自分なら間違いなく笑ってしまうでしょう。
しかし、それはあまりにも失礼です。
どこかがいがんでんのかなあ、と思いつつ冷静に眺める事に努めました。
あまりに何度もするのでついつい見てしまいがちです。
普通は公共の人前ではやらないことですし。

彼よりも先に電車を降りてからじっくり考えると、 実は彼も寝違えたのではないかという発想が導き出されました。
そうじゃないと空想が止まないからそういうことにしておこう。



八月二十五日 月曜日 晴れ

なんだか暑い。
もう九月にさしかかろうとしているのに間違ってるんじゃなかろうか。
腕時計の温度表示機能で見てみると30度を超えてました。
おまけに今日は通り雨もあった分、湿気も満点です。

暑いという事実の中で救いとなるのは飲み物がうまく感じられること。
ジュースもいいんですが、お茶が最高。
実際はそれほど味があるわけでもないんですけども、 喉にしっくりくる味がするんですね。
お茶さえあれば生きていける。
暑さもお茶の前では許せる。
みたいな感じ。
見方を変えれば僕はお茶に生かされているとも言えます。

今年は涼しい夏だったので、体が暑いのに慣れていません。
ちょっと喉が渇いたなと思えば冷蔵庫のお茶をがばがば飲んでしまいます。
例年だったらこの程度では暴飲はしないはず。
冷えたお茶をたくさん飲んでもおなかを壊さないのがありがたい。



八月二十六日 火曜日 曇りときどき晴れ

右足の親指の感覚がやや失われつつある。
原因の確信にはまだ至っていません。
二十五日にも起こっていたのです。
寝れば治ると思ってほうっておいたのですけど。
そもそもマッサージしたり長時間ほうっておいても進展が見られないことから もっとあやしむべきだったのかも。
一部がちょっとしびれたという認識しかなかったのです。
普通でないことが分かっても特に何かをしようというわけでもないですね。

現在はほんのわずかにしびれが引いていって、 好転はしているのかもしれません。
厳密に言えば感覚がない状態と正常な状態との間ぐらいでしょうか。
爪を食い込ませると痛いんだけど痛くない。
この、間の感覚って絶妙だなあと思います。
指先がしびれているだけで歩いたりとかに支障はないです。
絶妙だとか考えているくらいだから、 自分の心理状態は大丈夫なのか?
変に焦ったり動揺してなければいいんですけどね。
人間ってのは未知への恐怖心が強すぎる。
しびれがひどくなったりしたら嫌だなあ。



八月二十九日 金曜日 晴れ

せみが部屋に侵入してきた。

普段どおりに夜のインターネットに興じていると、 バサバサと乾いた音が横からしてきました。
どうせ網戸にせみでも引っかかったのだろうと思ってほうっておきました。
数十分後まだバサバサいうので横を見てみたらそこにはせみが。
おかしい。
せみが入って来れるスペースなんてないはずなのに。
可能性としては、
1.網戸と窓の隙間から頑張って入ってきた
2.別の部屋から移動してきた
3.前々からいた
が考えられますが、どれもありえない。
せみとしては小型だったので1が最も妥当ではある。

ほうっておいても暴れられるとうるさいので、 逃がすもしくは駆逐することに決定しました。
蛾の場合だと、何かで閉じ込めて餓死させていますが、 せみの生涯を考えるとそれも思いとどまりました。
部屋の中でやっつけるのは後始末に困るため逃がしてやる事に。
問題は逃がし方。

僕はせみを素手で取る事が出来ない。
いつも虫取りあみで取っていた故にあみがないと困る。
あいにくあみはもう家にはありません。
網戸を開けておいても逃げる可能性は少ない。
対処に困ってせみと対峙する事数分間。
あまり動き回ったりしないでおくれ。

素手が駄目なら物を使うしかない。
あみの代わりになるようなものは、と見回すとこれ幸いにタオルがありました。
これでかぶせれば逃げ回ったりもせずせみを傷つける事もないはず、そう考えました。
慎重に狙いを定めあっさりとタオルをかぶせる事に成功。
つかみ所を間違えると殺めそうになるのでさぐるような手つきでせみを捕獲。
網戸の外から本来の地へとお帰り願いました。
昆虫採集を楽しんだ小学生時代をちょっと懐かしみました。

小さな来訪者のあった一夜でした。



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