第2章 十番目の来訪者
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シグルドがブリギッドに追い返された後、その理由をいろいろ想像しながら廊下を歩いていると、その途中で、
「あら、シグルド、姉さんの部屋に何か用でもあったの?」
と、エーディンに出くわしてしまった。
シグルドの歩いて来た方向には、ブリギッドとエーディンの部屋しかない。言い逃れは出来なかった。
「いや、その、明日からの当番表に、俺も入れてもらおうと思ってブリギッドに直談判しに行ってたんだよ。」
とっさの機転で、今朝、用意しておいた言い訳を使う。
「もう、なんでそんなに働きたがるの?
あくまで、あなたは私が依頼して、連れて来た、お客様なんだから。
・・・結婚したら、専業主婦ならぬ、専業主夫よ。きっと。」
何とかごまかせたらしい。エーディンは、自ら話題を変えてきた。
「それはともかくとして。ねえ、シグルド、これ見てよ。」
そう言って、手紙のようなものを見せるエーディン。
シグルドは書かれている文字をそのまま読み上げる。
−−−三階の広間に来たれ。
十番目の来訪者−−−
文章は、書きなぐったような字で、誰が書いたのか、筆跡を判断出来そうにも無かった。
「不気味な文章でしょ。私の部屋のドアに挟んであったの。」
「夕食の後にそれを見つけたのか?」
「うん。」
『十番目の来訪者』という名前を読んだシグルドの頭に「デュー」のことが浮かぶ。
確かに合宿に参加したメンバーは全員で九人で、デューは丁度、十人目にあたる。
だが・・・。
「ねえ、シグルド、一緒に行ってみましょうよ。」
エーディンの頼み言葉に、シグルドの思考が中断された。
「あ、ああ。いいよ。」
「一応、今、ジャムカにも相談しようと思って行ったんだけど、忘れ物の矢を取りに行ったみたいでいないのよ。」
「よし、行ってみようか。」
シグルドは、了解すると、すぐに行動に移した。
手紙に書かれた通りに、広間の前にやってきた二人。シグルドが、黙ったまま入り口の扉を開け、部屋のライトをつける。
「−−−!!」
部屋の中を見た二人の目に入ってきたものは、真っ白の壁であった。
だが、その壁にはかかっているはずの物が無かった。
エーディンたちのユングヴィ家に伝わる家宝の聖弓イチイバルとその矢が・・・。
「盗まれたの!? 『十番目の来訪者』という奴に?」
驚きを隠せないエーディン。だが、顔を横に振ると、
「姉さんを呼んでくるわ!!」
と言って、部屋を出ていった。
二分ほどして、急いで階段を上ってくる大きな足音二つが聞こえて来た。
その足音の主は一直線に近づいて来る。
そして、おもむろに扉が開かれた。
訪れたのは、もちろん、エーディンと彼女に連れられたブリギッドだった。
「どうしたんだ?
あっ!!
イチイバルが・・・」
そこまで言うと、ブリギッドは声を失った。
その後、誰が呼んだわけでもなく、騒がしい様子を窺(うかが)い、次々とジャムカとデュー以外のメンバーが駆けつけてきた。
「あ、弓が無くなってる!!」
「いったい、誰が!?」
「みんな、聞いてくれ。」
訪れた者が、次々に喋り出したのを、シグルドが一喝して制止した。
そして、エーディンに送られた手紙のことから、今にいたるまでを説明してみせた。
「いつの間に、『十番目の来訪者』なんていう、泥棒(シーフ)がこの別荘に入って、聖弓イチイバルを盗んだんだ?
もしかして、昨日エーディンさんが見た人影の正体が・・・!?」
アレクが、辺りを見回す。その中で、ブリギッド一人が、その言葉に過敏に反応した。
アレクが、それに気付き、何か言おうとしたその時、シグルドが、何もない壁に目を送りながら、質問に対しての解答を口に出した。
「いや、『十番目の来訪者』は、おそらく、外部の人間ではなく、この合宿に来ているメンバーの中にいるんじゃないか?」
そう言った瞬間、その場の空気が凍りついたように張り詰めた。
その雰囲気の中で、ノイッシュの口がかすかに動いて、言葉を発した。
「どうして、そんなことが言い切れるんですか?」
「『十番目の来訪者』を名乗るってことは、ここに九人が合宿に来ていることを知っていることの裏付けだ。
そこまで分かっているんなら、何故、私たちがいるこの一週間を狙って犯行に及んだんだ?
私たちが訪れる前に盗んでしまえば見つかる心配は無いだろ。」
「もしかして、愉快犯が名前を残すためにやったのかもしれないんじゃないですか。」
ノイッシュが反論する。
「それなら、この部屋に置き手紙を残しておけばいい。見つかる危険は全く無いだろ。」
「−−−そうですね。」
あっさりとシグルドの推理を認めるノイッシュ。言い返す隙は無かった。
「だけど、わからない。何の目的でイチイバルを盗んだんだ?
持って帰るとしても、そのときに見つかるのに。」
シグルドが推理の後、一人言のように疑問を口に出す。
「まったく、ばかばかしい。どっかの馬鹿な泥棒が、わざわざ俺達のいる時を狙ってやったのかもしれないだろ。
それに、昨日エーディンが見た人影が一番怪しいだろ。
あいつが『十番目の来訪者』に決まってる!!」
アンドレイは、シグルドの意見に反発しながら部屋を出ていった。
「私は、この中に犯人がいるなんて考えたくないわ。」
それが、エーディンの意見だった。
「それに、盗まれたイチイバルは私たちユングヴィ家の家宝だけど、それが盗まれたからって、互いが互いを疑いあってほしくない。
私、この人間関係をこれ以上壊してほしくないの。」
エーディンの悲痛な心の叫びともいえる発言は、全員の心に低く響き渡った。
誰一人、口を開けることなく、無言で部屋を立ち去っていき、シグルドとエーディンの二人だけが残った。
「でしゃばったことをしたかな?」
シグルドが、さっきの推理を詫びるように尋ねた。
「いいの。責任感や正義感が強いシグルドなんだから、言って当然よ。」
エーディンらしい気の利いた返事だった。
それだけ言うと、エーディンはシグルドに背を向け、部屋を出ていった。シグルドは、その後ろ姿に向かって、
「でも、私には、一つの信念がある。真実を求める者以上に、人を欺く者の方が、重い過ちを起こしているんだ。」
と、呼びかけた。
それが聞こえたのかどうかは分からなかったが、エーディンは振り向くことなく去っていった。
それと入れ違いにブリギッドが部屋に入ってくる。
「どうしたんだ? ブリギッド。」
「シグルド、どうしても気になることがあるんだ。」
ブリギッドの顔は曇っていた。
「−−−私、デューにイチイバルのことも、人数のことも言ったんだけど・・・。
デューは『十番目の来訪者』じゃないよな。」
訴えかけるような目でシグルドを見つめる。
シグルドは目を合わせると、頷(うなず)いてみせた。
「ああ、違うよ。きっと。それは、ブリギッドが一番良く分かってるんじゃないか?」
「そうだな・・・」
シグルドの言葉に、ブリギッドは安心したようだ。
だが、そのシグルドの言葉は曖昧だった。デューが犯人ではないと断言出来る根拠が無かったからである。
ただ、ブリギッドに安心感を与えるという一番の目的は達成できたようだった。
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それから、5分ほど経っただろうか。自分の部屋にいたシグルドの耳に、何者かの、かすれるような声が窓の外から響いてきた。
慌てて網戸を開け、窓から顔を出して、耳を立てたが、すでに何も聞こえなかった。
「空耳か?」
と、思ったシグルドの耳に、廊下を何人かの人間が走る音が聞こえて来た。
さらに、ドアが何の前触れもなくノックされる。
ドアはカギをかけていなかったため、簡単に開かれ、その向こうからノイッシュが顔を出した。
「今、何か外から悲鳴みたいな声が聞こえて来ませんでした?」
「・・・ああ、何か良く分からなかったが、聞こえた。空耳じゃないみたいだな。」
「昨晩エーディンさんが見かけた奴が、再び姿を現したのかもしれない。
そいつが、『十番目の来訪者』かも。
とりあえず、行ってみましょう!! シグルドさん!!」
それはありえないことを確信していたシグルドだったが、何か悪い予感がして、ノイッシュと一緒に外に出た。
奇しくも、シグルドのその予感は適中した。
現場は、昨日エーディンが悲鳴をあげた場所のようだった。そこにはすでに、ミデェールやアンドレイ、アレク、アーダンが集まっていた。
そして、シグルドとノイッシュの後にブリギッドが駆け寄って来た。
集まった者によって出来あがった輪の中に、エーディンに抱えられて、目をつむったままのジャムカがいた。
−−−ジャムカの顔に浮かんだ苦しげな表情。その上、色黒の肌から血の気が引いている。
そして、左手の肩から肘にかけての、いわゆる二の腕には深く、穴となった傷痕が浮かんでいる。そこから、赤い血がしとどに流れ、彼の服を真っ赤に染めていた。
その横には、地面に突き刺さった一本の矢。見覚えのあるその矢は、今日の練習に使われ、ジャムカが取りに行っていた、その矢だった。
しかも、その矢には、べっとりと血が付いていた。まだ、新しそうな血。
「いやああああ・・・。ジャムカぁあ!!」
エーディンの凍てつくような悲鳴が練習場に木霊(こだま)した。
駆け寄ったシグルドは、地面に刺さった一本の矢に結び付けられた一枚の紙に気付いた。
指紋が付かないように気をつけながら、それを手にとり、目を通す。
−−−呪われし館に訪れた九人へ、
この館に込められた恨みが我が正体。
聖弓イチイバルは我が元に。
十番目の来訪者
−−−−
「−−−『十番目の来訪者』! ・・・」
シグルドは、一通り読み上げた後、その名の所だけを重く、憎しみを込めて、再度読み上げた。
第2章 終わり