彼方にて
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肩に降り注ぐ日差しは確かに真夏日の強さを示していた。 時期は梅雨真っ只中だというのに、その日は朝から雲ひとつない青空だった。 久しぶりの好天気に、旅館から荷物を持って出てきた生徒が次々と歓声を上げる。 前日のテレビの天気予報で「明日も引き続き雨になるでしょう」と予報士が淡々と言っていた分、いい意味での裏切りに日ごろはクールな反応が多い生徒たちも喜びを隠し切れないようだった。 もっとも、旅館のティッシュが迷信深い女子らの手によって照る照る坊主に作り直されたことはあまり知られていなかったが、彼女たちの努力は5日目にしてようやく実を結んだわけで、照る照る坊主たちも責任を果たして一安心である。 もちろん蔵馬も嬉しかった。 旅行中ずっと怨念のように付きまとっていた暗雲が晴れて、日差しが降り注ぐのはとても気分が良い。 受験を控えている立場上、どうしても受験に差し支えのない高2の6月…つまり例年梅雨の時期に修学旅行が設定されてしまうのは致し方ないことだと分かっている。 ただ、分かるのと納得するのは全く別物である。 ストレスがたまるのだ。 重い荷物を持って移動しながら出るのは皆ため息と不満ばかり。 少し早いものの、高校最後の大切な思い出となる旅行である。 誰だって楽しく過ごしたいと思ってしまうだろう。無理はない。 そして帰宅を明日に控えた旅行最終日。晴れ。 本日は班ごとの自由行動だ。 旅館の前で解散した後、各自ちいさな手荷物を持って出発した蔵馬の班は、先に立てた予定どおり、旅館の最寄り駅から小さな電車に乗り込んで4つ先の駅で下車した。 副班長である蔵馬は地図を片手に先に立って歩き、皆を先導する。 タクシーの相乗りでまずは祇王寺へ、そして鮮やかな新緑を一通り楽しんだ後は徒歩で落柿舎へと向かった。 昨日とはうってかわった青空に、班員たちも写真を撮り合ったりとはしゃいでいる。 「そこの鹿おどしの脇で全員で記念写真、撮ろうか」と言い出したのは蔵馬だ。 しかし皆さわいでいるので、まとまる話もまとまらない。 ケンカを始める者、ふらっとどこかへ行ってしまう者、隙あらば何か食べだす者、なぜこんなにバラエティに富んだ班員が集まったのか、副班長として苦労している身としてはとても疑問である。 一枚の写真を撮るだけなのにモメにモメる班員に、提案した本人ですら少し疲れ気味なのが顔色から伺える。 「このへんで2列に並べば入るよね」 「これで全員だっけ?なんか少ない気がするけど」 「気のせいでしょ?全員いるよ」 「なんだよ、お前だけ何で離れてんだよ、もっと右寄れって」 「誰だ、今俺のケツを触ったのは!」 「わざとじゃねーよ今のは。不可抗力だ」 「お前は今日からセクハラ田中と命名してやるよ」 「おぃセクハラ、お前は前列に移動だ。迷惑だから」 「いやな略し方するなよ、班長〜」 「いやー、ここ、足元濡れてるー」 「おい、誰か前田知らない?」 「そういや、居ないよな」 「誰だよ!さっき全員いるって言ったやつ。前田が不憫すぎるよ」 「…さっきからここにいるよ」 「あれ、お前、前田だっけ?」 「……早く撮ろうぜ」 「てめぇ、今俺の鞄わざと踏んだだろ」 「踏まれたくなきゃ向こうにやっとけ」 『男子、うるさい!』 「ちょっとアンタまた食べてんの!少しは見学しなさいよ」 「(もぐもぐ)」 「すいませーん、写真撮ってもらえませんか〜。寺も一緒に入るアングルで」 「あ、コレもお願いします」 「さりげなくデジカメを見せつけんなよ!嫌味なやつだな」 「俺も、すいません」 「後で焼き増しすればいいだろ。ホントすいませんこいつらアホで」 「てめぇに言われるとは世も末だぜ」 「うるせーよ、いいから並べ」 「はいはい、静かに〜!じゃ、スミマセンがお願いします」 「行きますよ〜。せーの、」 (パシャッ) 『ありがとうございましたー!』 「また目つぶっちまった」 「お前の目なんか誰も気にしないからいいだろ」 「いつも目つぶってるよな及川の写真。そんなに目つぶるのが好きなのか」 「ん?及川って目あったの?」 「あ〜ヤダヤダ、心底嫌気がさしたよこの班に!っていうか一部の班員にな!」 「セロハンテープで止めてろよ、目を。こんな風に」 「無茶言うなよ。副班長〜、コイツ陰険なんですけど〜!裁いてやって」 「放っといていいよ南野くん」 「仲いいんだか、悪いんだか、悩むところだよねあの三人は」 「ケンカするほど…って言うやつじゃねーのか」 「何“我関せず”っぽいポーズ取ってるの?班長」 「あいつらはケンカが趣味みたいなもんだから、しばらく放っておけば疲れてやめるだろ。 やめなかったら置いていくまでだ。 それより後10分で次に移動だから、皆そのつもりで」 『はーい』 何とか写真を撮り終えて妙な達成感にひたっている蔵馬に、班長から声がかかった。 「副班長、次の移動ってどういうルートだっけ。地図見せてくれないか」 班長はマメに前の線をすべて修正液で消してから、上に赤ペンで新たなルートを書き足した。 「そうだ、俺、カメラのフィルム切れてたんだ。今の内にちょっと行って買ってきていい?」 班長がニヤッと笑って付け加えた言葉に、蔵馬は、まさか、と笑顔で返した。 (いつか、来たことがある) 理屈抜きで、はっきりとそう感じた。 変に土臭いこのあたりの匂いか、それとも湿気のただよう天候か、それとも…? 何か分からないものがきっかけとなったのか。 答えはどれだかわからない。 そんな考えが蔵馬をとても心許ない気分にさせた。 だって“秀一”はこの場所に来たことがないのだ。 妙な気味の悪さに、蔵馬は静かに耐えた。 蔵馬はゴクリと喉を鳴らし、口の中にたまったつばを飲み込んだ。 暑さとはまた別の変な汗が吹き出る。 この道を辿れば、もしかしたら 霞がかったような俺の前世の、さらに欠落している部分。 それにぶち当たるのかもしれない。 舗装されたアスファルトの下の、さらに下についている俺の足跡が、俺を呼び寄せているのかもしれない。 脈拍と体温が少し上昇した。 何が見つかるのだろう。 何か、見つかるのだろうか? そしてその何かを見つけたときに、俺は俺として戻って来られるのだろうか。 しかしそんな代償を払ってさえも、俺は妖狐としての記憶の手がかりを掴みたい。 蔵馬は何かに引かれるかのように最初の足を踏み出した。
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