「Far away(改訂版)」 
  
  
  
「あーっっ。ごめん。忘れ物してたっ。先に帰ってて!」 
「あっ、ちょっと…」 
  
 そんな言葉を待たずして、最初の声の主は、過ぎ去った校舎へとUターンした。 
 残されたのは…二人。 
  
「もう…しょうがないわね」 
  
 その言葉は、何故かとても優しく聴こえた。 
 言葉の主は、僕の顔を見て呆れた表情をした。 
 それは、以前に見た侮蔑したようなものでは無かった。 
  
  
  
  
 その言葉の主…二木さんは、二木の家を出て、葉留佳さんと一緒に暮らすらしかった。 
 その過程で何があったのかは知らない。 
 けれど、彼女のことだ。凛とした振る舞いで示したんだろう。 
 自分の意思を。 
  
 葉留佳さんの両親、そして三枝晶…さんも協力したそうだ。 
  
 もう、彼女は自由になった。 
 血のしがらみに捕われることは無い。 
  
「二木さん」 
「何? …って、私をまだそう呼ぶつもりなの?」 
  
 ? 
 どうしてそんなことを言うのだろう? 
  
「私も、もう名前で呼んで」 
  
 私も…。 
 その言葉に、はっとなった。 
 そうか。 
 葉留佳さんと同じなんだ、と。 
 自分の苗字には何の愛着も無いんだ。 
 そんな彼女に、苗字で呼ぶことはきっと失礼になるんだろう。 
  
「ごめん。わかった」 
「何? あなたが謝ることなんて何もないわよ」 
  
 そういう彼女は、とても柔らかな笑みを浮かべていた。 
  
「私は…理樹って呼ぶことにするわ」 
「うん、わかった。二木さん」 
  
 って、言ってる側から言ってるし。 
  
「私がそう呼ぶのに、あなたは他人みたいに呼ぶのね…」 
「じゃ、じゃあ…佳奈多さん」 
「…まだ他人みたく聴こえる」 
「…佳奈多」 
「…うん。しっくり来るわよ。これからはそう呼んで頂戴」 
「わかった。二木さ…じゃなかった、佳奈多…さ」 
「我慢なさい」 
「わかった、佳奈多」 
  
 結局押し切られてしまった。 
 僕が女の子の名前を呼び捨てにするなんて、ニックネームのクドを除けば…鈴くらいのものじゃないか。 
  
 そんな特別なポジションに、あの二木さ…じゃなかった、佳奈多が就いた。 
 …大丈夫かなあ? 
 何か、言い知れぬ不安が僕を襲うのだった。 
  
  
  
 2人で並んで歩く。 
 家までの道を。 
  
「お弁当、美味しかったよ」 
「お弁当?」 
「うん」 
「そう」 
「シフォンケーキも美味しかったよ」 
「そう? 早起きして作ったかいがあったのかしら?」 
  
 葉留佳さんの格好をして僕に手渡した、お弁当とシフォンケーキ。 
 あれらは間違いなく、佳奈多が作ったものだ。 
  
「でも、私だって気付かないなんてどうかしてると思わない?」 
「えー」 
  
 お弁当の時は、有無を言わさず一方的に渡されただけだった気がする。 
  
「そりゃあ、あの外見だけ見たら、誰だって疑わないって」 
「そう? あの子がそんな凝ったこと出来るって思うほうがおかしいと思うけど?」 
  
 そう悪戯っぽく笑う目の前の女の子。 
 どこまでが本気なのか全くわからない。 
  
「美味しかったよ。ハンバーグに、カラアゲ。ポテトサラダと野菜のスティック…だったかな?」 
「よく憶えてるわね…」 
「そりゃあ、お弁当を女の子に作ってもらったのなんて、初めてだったから」 
「そう? 私てっきり…。そっか。ううん、何でもない」 
  
 何だろう? 違和感のある言葉。 
 でも、大したことは無いのかもしれない。 
  
「男子が好きなお弁当の中身なんて…全然わからなかったから」 
「そうなの?」 
「だから、とりあえずは定番メニューと、あとは野菜スティックは欠かせないかなって」 
「何で野菜スティック?」 
「だって、濃すぎるでしょう? あれは私の定番メニューでもあるんだけれど」 
「うん。確かにね…」 
  
 いい箸休めになった感じだった。 
 ちょっとだけ、ぼりぼり食べながら、難しい書類に目を通している彼女の姿が想像できて、 
何だか面白い感じがした。 
  
「食べる人が、野菜不足になるでしょ? だから…欠かせないの、って、何言わせてるの?!」 
「ああ…ごめん」 
  
 何に対して謝ったのかはわからなかった。 
 少しでもあった、彼女に対する疑念なのかもしれなかったし、 
逆に、自分の体調を気遣ってくれたことに対する感謝の気持ちかもしれなかった。 
  
「本当に…美味しかった?」 
「うん。それは間違いないよ」 
「葉留佳の…あの子が作ったから、ってわけじゃなくて?」 
「…どうかな? でもたぶん、本当に美味しかったはずだよ」 
  
 確かに、好きな子の手作り弁当なんて初めてだったから、 
それだけで美味しい味付けだったのかもしれなかったけれど、 
客観的に見ても美味しかったことに違いは無かった。 
  
「また、作ってきてあげよっか?」 
「えっ?!」 
  
 魅力的な提案だった。 
 正直、学食のメニューは食べつくしていたし、パンも新商品がそう出ているわけでもなし。 
  
「まあ、あの子がやきもち妬くだろうから、2人で作ることになるだろうけどね。 
 それでもいい?」 
「うん。是非」 
「ふふっ。味の保証はしないわよ」 
  
 何だか…佳奈多は楽しそうに目を細めた。 
  
 もう、僕の中にあった過去の彼女のイメージは霧散していたように思う。 
 冷酷で、かつ合理主義な。 
 上から見下ろす感じとか。 
 今の彼女の、何処にそんなイメージを探せばいいのだろう? 
  
 …それは、たぶん無駄なことなんだろうと思った。 
 今の彼女が自然であって、過去の彼女は、演じていたんだろう、と。 
  
 横顔に浮かぶ笑顔が、とても自然なものに感じていた。 
  
  
  
「貴方のこと、嫌いではなかったのよ」 
「そうなの?」 
「ええ」 
  
 激しく敵視していた…ように思ったから、絶対に嫌われていると思っていた。 
 だから、その言葉は意外に思えたんだ。 
  
「うん。ただ…こんなに上手く導いてくれるなんて思わなかったから」 
  
 最初は、僕を葉留佳さんから遠ざけようとばかりしていた彼女。 
 それが何時からか、僕を試すようになっていた。 
  
 何を示していたのかはわからない。 
 けれど、結果として良い方向に向けられたのなら良かったと思う。 
  
「私といても退屈でしょう?」 
「そんなこと無いよ」 
  
 むしろ、彼女の新しい一面…素顔なのかもしれなかったけれど、 
そういう面が見れるのは新鮮で、「退屈」なんて状態とは程遠かった。 
  
「まあでも、私は一度振られちゃってるからね」 
「あ…あれは、その…」 
  
 あの時は、敵としか思わなかった。 
 葉留佳さんにとって。僕にとっても。 
  
 でも…それは全然違ったんだ。 
 彼女のとった行動は、言動はすべて妹である葉留佳さんのことを想っての事。 
 それに気付いた今、あの時と同じ気持ちなわけが無い。 
  
 むしろ、二木佳奈多という女の子を、もっと知りたい、とさえ思っていた。 
  
「でも…いいのよ。あの時に私の本心を知られてしまったら、色々とやりにくかったしね」 
「うん、ありがとう」 
「何? お礼を言うのは…私のほうよ」 
  
 彼女はそう言って薄く笑うと、こう続けた。 
  
「あの…忌わしい鎖を断ち切ってくれた。 
 私には出来なかったことをやってくれた。 
 あの子も…私も救ってくれた。…こんな歪んだ世界で、だけど」 
  
 歩みを進めていた脚はいつしか止まり、その顔は、目は僕を見つめていた。 
 その表情は…触れると壊れそうな、儚さを含んでいた。 
 目尻には光るものも見えた。 
  
  
  
 ぎゅっ。 
  
 僕は、抱きしめていた。 
 ほとんど無意識のうちに。 
 彼女は少し驚いた様子だったけれど、すぐに身を委ねてくれた。 
  
「これで…終わりよね? 悪夢は」 
  
 誰に向かって呟いたのか。 
 少なくとも、僕に対しての言葉ではなかった気がする。 
 そんな彼女を、僕はただ抱きしめることしか出来なかった。 
  
「もう…見たくない。見たくないの。 
 あんな結末。あんな葉留佳。あんな…私」 
「佳奈多…」 
「もう、偽りたくないの…」 
  
 胸のあたりが熱いもので濡れていた。 
 溢れる感情を僕の胸が受け止めているのならば、もっとぶつけて欲しいとさえ思った。 
  
 しばらく、その態勢のままでいた。 
  
  
  
  
「みっともないところを見せちゃったわね」 
  
 そう言うと、僕の腕を解き、離れた。 
 少しだけ、名残惜しさが心の中を通り過ぎた。 
  
「また、嫌いになったでしょう?」 
「そんなことっ…!?」 
  
 完璧で、完全主義者で冷たいイメージのあった彼女。 
 そんなイメージは、現実を前に霧散していた。 
 だから激しく反論した。 
  
「そんなこと…ないっ。むしろ…」 
「…むしろ、何?」 
  
 …。 
  
 すべて見透かされている気がした。 
 ああ。この人には何を言っても無駄なのかもしれない。 
 それなら、本心を言うべきなのだろう。 
  
「好きになった」 
「す…き…?」 
「うん」 
  
 もう、嫌いだと思っていた自分は何処にもいない。 
  
「あ、もちろんそういう意味じゃなくて…」 
「…わかってるわよ。あなたには、葉留佳がいるものね」 
「うん。でもさ…」 
  
 強い人だと思っていた。 
 もしかすると、同じ人間とは思えないような非情なところもあった。 
 けれど…彼女にも弱さはあったんだ。 
 それを、頑丈な障壁で隠していただけだったんだ。 
 そんな障壁が無くなってしまえば、そこにいるのは、 
葉留佳さんと同じ、ただ弱いだけの女の子だった。 
  
「…ありがとう」 
「何が?」 
「私ね。人から『好き』なんて言われたこと、ほとんど無くて」 
「そうなの?」 
  
 今の彼女を見てるから、そう思うだけなのかもしれない。 
 以前の彼女なら…自分が一番そうだったように、好意を示す人などいなかっただろう。 
 それが、仮面を被った姿だとしても、仮面の下の素顔など、気付くはずも無かったのだ。 
  
「貴方にはペースを乱されるわ。 
 葉留佳を変えて欲しいって思ったこともあったけれど…。 
 まさか私まで変えられてしまうなんてね」 
  
 そういうと、ふふっと笑ってこっちに振り返った。 
 笑顔が眩しかった。 
  
「今の佳奈多なら、誰だって好きになると思うよ」 
「そんなに要らないわ」 
「何で?」 
「葉留佳と…貴方にだけ好きになってもらえれば十分だから」 
  
 もったいない気持ちだ。 
 素の彼女を、もっとみんなに知ってもらいたかった。 
 けれど、彼女の職責…風紀委員長だと言うことを考えると、本心からそう思っているかもしれないのだ。 
  
 やっぱり…彼女は強いんだ。 
 強くなったんだろう。知らない間に。 
  
  
 そう思うと、僕は再び彼女を抱きしめていた。 
 ただなんとなく、そうしたかっただけだ。 
 さっきは感じなかった、ミントの香りが鼻をくすぐった。 
  
  
  
  
 どちらからでも無く、抱擁を解いた。 
  
 しばらくすると、駆け足で地面を蹴る靴音がして、 
 そして、声が聴こえた。 
  
「理樹くーんっ。やっと追いついたーっ」 
  
 だきっ。 
  
「ちょ…ちょっと、葉留佳さんっ」 
  
 後ろからダッシュで抱きつかれて、意表を突かれた。 
  
「ありゃりゃ? なんで佳奈多がうつむいてんの? 
 ケンカでもした? もしかして…理樹くんがヒドイこと言ったの?!」 
「違うよっ」「違うわよっ」 
「およっ。違うんだ」 
  
 深く詮索してこなかったあたり、さっきのは見られてなかったみたいだ。 
  
「佳奈多ー。今度ふたり交代してみない?」 
「交代?」 
「ほらー。佳奈多が理樹くんに私のカッコで出たでしょ? 
 あれを…私もやるの」 
  
 脈絡の無さは相変わらずだった。 
  
「あなたに出来る? 私の真似なんて」 
「あーっ、いったなーっ?! じゃあ、今度理樹くんの前で勝負だっ!!」 
「ぼ、僕の前でっ?!」 
  
 気付くと、強引にだけれど日常モードへと戻っていた。 
  
 だけど歯車はまた回り始めた。 
 僕の一言によって。 
  
 それは…正しい方向にだろうか? 
  
-------------- 
  
 すごく心地よい夢を見てる。 
 あんなことを言われるなんて思わなかった。 
 想われることが心地よいことに初めて気付かされた。 
  
 でも、この夢はいつ醒めるんだろう? 
  
 いつ終わるんだろう? 
  
 …何時まで続くんだろう? 
  
 この夢の結末は、どうなってしまうのだろう? 
  
  
  
 最後は、悪夢で終わりませんように。 
  
  
<つづく?> 
  
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 展開が速いと言う声もあったので、別バージョンを作りました。 
 中盤の問題のシーンを差し替えただけなんですけどね(汗。 
 ただ、以前のままでも良い、と言う声もそれなりにありましたし、 
アンケートの結果もそれほど悪くなかったので、正直どっちが良いのかわかりません。 
 まあこの終わり方なら、ドロドロ路線もラブコメ路線も行けると思うのですが…。 
  
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