作成日:2004.11.12 Fri. 
  
 海豚さんより、CLANNADの汐編の少し前の杏中心SSを頂きました! 
  
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『消エナイ想イ(前編)』 
  
  
  
「はい、これ。今度藤林さんが受け持つクラスの名簿ね」 
 園長先生から、紙の束を受け取る。新しい園児達の名前や住所など、プロフィールが書かれたものだ。 
 軽い礼をして、私は自分の席に戻った。古い椅子は、背もたれに体重をかけると小さくきしむ。一定のリズムで体を揺らし、椅子をきしませながら、名簿に目を通していく。 
「えっ?」 
 椅子のきしむ音が止まる。私が動きを止めたからだ。 
「岡崎……汐?」 
 慌てて、『両親』の欄を確認する。そこに書かれていたのは、なじみの深い、それでいてここ数年目にも耳にもしていなかった名前だった。 
「藤林さん?どうかした?」 
 演じ名簿を凝視する私をいぶかしんでか、園長先生が声をかけてきた。 
「いえ……何も。ちょっと考え事を」 
「そう」と言って、園長先生は自分の仕事に戻っていった。改めて名簿に目を移す。当たり前ながら、何度見直したところで、そこに書かれているのは朋也の名前だった。 
「朋也……」 
 朋也を最後に見たのは、確か渚のお葬式のとき。すっかり生気のなくなった朋也が、一瞬誰だかわからなかったのを覚えている。 
 何とかして朋也を支えてあげたかったけれど、朋也の雰囲気に負けて、声をかけるのさえためらわれた。そうこうしているうちに疎遠になってしまい、今では、朋也がどうなっているのかまったく知らない。 
「……送り迎え、来るのかな、朋也?」 
 つぶやいてみる。私は、来て欲しいのだろうか?それとも、来て欲しくないのだろうか?会いたいけれど、会うのが怖い。 
「矛盾してるわね、私」 
 たまに、こんなに未練がましい自分が嫌になる。未だに昔の気持ちを引きずって、会いたいと思う自分。 
そんな自分が再び朋也に会ったら、どうなってしまうのだろう?そう思うと、会うのが怖い。 
「おはようございますー」 
 私の思考は、新しく入った、私より少し若い先生の声で打ち消された。時計を見ると、もうすぐ仕事の始まる時間だった。 
  
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「ばいばい。また明日ね」 
 大きく手を振って、また一人園児が帰っていく。クラスの半分くらいは帰っただろうか? 
 新年度初日にしては、スムーズに回った一日だったと思う。朝はばたばたしていてお迎えに出れず、結局誰が汐ちゃんをつれてきたのかわからなかったが、クラスに入った瞬間、あの子が汐ちゃんだというのがすぐにわかった。あまりにも渚に似ていたから。 
あんなに渚に似ている子と、朋也は暮らしているのだろうか?あれじゃあ、渚を思い出さずにはいられないだろうに、朋也は平気なのだろうか? 
「あの、すいません」 
 私の思考は、再び乱入者の声にかき消された。声のした方を見ると、教室の入り口に若い女の人が立っていた。どこかで見た気のする顔。 
「はい?なんでしょうか?」 
「あの、汐ちゃんの……岡崎汐の保護者なんですけど」 
 一瞬、誰のことかわからなかった。私のクラスには、汐という名の子は一人しかいないのにだ。汐ちゃんの両親は朋也と渚のはずだ。なら、目の前のこの女の人は誰なのだろう? 
「あの……どうかしましたか?」 
 気付くと、女の人は私の顔を覗き込んでいた。 
「あ、す、すいません……汐ちゃん、おか……お迎えが来たわよ」 
 他の子と同じように、お母さんといいかけて、踏みとどまる。この人は、汐のお母さんではないんだから。お継母さん、という可能性もあるけど、何か違う気がした。 
「あっ、早苗さんっ」 
 隅のほうで絵本を読んでた汐ちゃんは、女の人、汐ちゃんの言葉によると早苗さんの姿を見つけると、顔を輝かせて走ってきた。 
「ほら、汐ちゃん、かばんを持ってこないとダメでしょう」 
「あと、帽子ももってこようね」 
 早苗さんと、そして私に言われて、汐ちゃんはロッカーへと駆けていき、荷物を抱えて戻ってきた。 
「えらいね〜。ちゃんともって来れたね〜」 
頭をぐりぐりとなでてあげると、汐ちゃんはくすぐったそうに身をよじった。 
「汐ちゃんの面倒を見てくださって、ありがとうございました。」 
 汐ちゃんを引き渡すと、早苗さんはそういって頭を下げた。 
「いえ、そんな。汐ちゃんは、言うこともよく聞いてくれて、いい子でしたよ。ね、汐ちゃん」 
 汐ちゃんは、一瞬きょとんとしていたが、すぐに「うんっ」と、大きくうなずいた。 
「そうですか……明日からもよろしくお願いしますね。じゃあ、汐ちゃん、帰りましょうか」 
 早苗さんは、軽く会釈をして、汐ちゃんの手を握った。 
「あのっ……」 
 振り向きかけた早苗さんを、思わず呼び止めた。まだ、何も聞けていない。早苗さんは、振り向きかけたその脚を、もう一度こちらに向けてくれた。 
「なんでしょうか?」 
「あの……その……朋也……朋也は?」 
 思い切ってその名前を口にする。名前を口にしただけで心が揺れるのが、自分でわかった。 
 早苗さんは、その名を聞いて驚いたようだったが、すぐににこやかな笑顔を向けてくれた。 
「朋也さんの……お知り合いですか?」 
「はい……高校時代の……まあ、友人です。その……朋也は今、どうしてるんですか?」 
 早苗さんは、少しだけ寂しそうな顔で、口を開いた。 
「朋也さんは……今はそっとしておいてあげてください」 
 その一言で、全てがわかった。朋也は、まだダメなのだ。あの時の、お葬式のときの朋也のまま、止まっているのだ。 
「そう……ですか。ありがとうございます」 
 泣きそうになる。けれど、ここで泣くわけにはいかなかった。ここには、汐ちゃんが、園児が、そして、早苗さんがいるのだから。なぜだかわからないけれど、早苗さんの前では朋也の事で泣いてはいけない気がした。 
「あの……あなたは、朋也とどういった関係なんですか?」 
 ぶしつけな質問だとは思う。けれど、とても大事なことのような気がした。 
「私は……私は古河。古河早苗といいます。朋也さんの……義理の母になりますね」 
 朋也の、義理の母……そして、苗字が古河…… 
「……あっ、渚のお母さん!?」 
 見たことがあるはずだ。渚のお葬式で一回、顔を合わせているし、創立者際のときも見た記憶がある。 
「渚とも、お知り合いだったんですね」 
「はい。朋也を通じて……その、なんて言えばいいのか……」 
 私は、こういうときにかける言葉を持ち合わせていなかった。 
「何も……言わないでください」 
 言葉選びに迷っている私に、早苗さんが優しく声をかけてくれた。顔を上げると、早苗さんは笑っていた。 
「私は……大丈夫ですから」 
その裏に、たくさんの悲しみを隠した、満面の笑みだった。今日一日で見た、この人の笑顔。汐ちゃんを見つめる笑顔、朋也の、渚の話をする笑顔。とてもきれいで、そして、とても悲しい笑顔だった。 
「もう、いいでしょうか?」 
 早苗さんが、笑顔を貼り付けたまま、問いかけてきた。 
「はい……引き止めてしまって、すいませんでした」 
 もう何も、聞けなかった。 
「いえ。では、明日からも、汐ちゃんのことよろしくお願いしますね」 
「はい。また明日……ばいばい、汐ちゃん」 
 汐ちゃんは大きく手を振って、早苗さんは小さく会釈をして、教室を出て行った。 
 早苗さんの前で泣いてはいけない理由がわかった。早苗さんの前で泣くこと、それは、早苗さんの我慢しているもの全てを、無駄にしてしまうこと。だから、あの人の前では、決して泣いてはいけない。 
  
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「せんせ〜。こっちきて遊ぼうよ~」 
「はいはい、ちょっとまってね」 
 しがみついてくる子どもの頭を優しくなでてから、私は教室を後にした。ドアを閉める瞬間、チラッとだけ汐ちゃんの姿が見えた。他の子たちと、楽しくお絵かきをしているようだ。汐ちゃんは、本当にまっすぐに育っていると思う。たぶん、早苗さんのおかげなのだろう。 
 早苗さんは、たまに朋也のことを話してくれる。渚が死んだ後のことだったり、最近の朋也の様子だったり、色々なことを、少しずつ、あの悲しそうな笑顔で。 
 早苗さんの話を聞くたび、私は泣きそうになった。それは、もちろん悲しみのためでもあったが、むしろ、情けなさと、そして悔しさのためだった。早苗さんが話してくれる朋也は、自分で自分を追い込んで、自分の中にとじこもってしまって、とても情けない奴だった。渚が選んだのがこんな奴だと思うと、悔しかった。私が……私がずっと思い続けてきたのが、そんな奴だと思うと悔しかった。 
 それでも、早苗さんの前では泣けなかった。 
  
  
 用事を済ませて職員室を出ると、そこに汐ちゃんが立っていた。 
「どうしたの、汐ちゃん?」 
 未だに、汐ちゃんが急に現れると動揺してしまう。 
「先生に、何か用かな?」 
 汐ちゃんは、何も言わずに私を見つめてきた。その目がとても真剣だったので、膝をついて目線を汐ちゃんの高さに合わせた。 
「……せんせいは、ママのおともだちだったの?」 
 何を言われたのか、理解するのに時間がかかった。何と言葉を返すかを決めるのにさらに時間がかかった。 
「……そうよ。先生は、汐ちゃんのママと、お友達だったよ」 
 汐ちゃんの意図が見えないまま、素直に答える。すると汐ちゃんは、何かをためらうように、下を向いた。そのまま数秒、汐ちゃんは、再びまっすぐな瞳で私を見つめてきた。 
「……じゃあ、ママのこと、おしえて」 
 ママのこと。つまり、渚のこと。どうして、私なのだろう。 
「早苗さんは、教えてくれないの?」 
「さなえさんは、パパにききなさいって」 
 早苗さんのことだ、何か考えがあるんだろう。それならば、私がむやみに教えない方がいいのかもしれない。 
「じゃあ、とも……パパに聞いてみたら?先生よりも、ずっとずっとママのこと知ってると思うよ」 
「でも……パパはあんまり、汐とお話してくれないから……」 
 汐ちゃんは、悲しそうに目を伏せた。そうだ。確かに、今の朋也が汐ちゃんと話をするとは思えない。まして、渚の話など…… 
「じゃあ、少しだけね」 
 早苗さんの考えを無駄にはできないが、このままでは汐ちゃんがかわいそう過ぎる。少しだけなら、話してあげてもいいだろう。 
「渚……汐ちゃんのママはね、汐ちゃんにそっくりな人だったのよ」 
「うしおに?」 
「そう。お顔とかも似てるんだけど……うん、元気いっぱいな所とか、頑張り屋さんな所とか、汐ちゃんにそっくりだったのよ」 
「うしおに、そっくり……」 
 汐ちゃんは、私の言葉を、繰り返した。あまりたいしたことは教えてあげなかったけれど、それでも汐ちゃんは、うれしそうだった。 
「先生も、一つ聞いていいかな?」 
「うん」 
「汐ちゃんのパパは、どんな人かな?」 
 少し、酷な質問だろうか?私は、ひどい大人だろうか?でも、汐ちゃんが朋也のことをどう思ってるのか、どうしても知りたかった。 
「……よく、わからない。パパは、あんまり、うしおとおはなししたり、あそんだりしてくれないから」 
 渚の話を聞いてうれしそうだった汐ちゃんの顔は、今はとても淋しそうな顔になっていた。やっぱり、ひどいことをしてしまっただろうか? 
「……でも、パパは、うしおのパパだから、うしおは、パパがすき」 
「うしおちゃん……」 
 うしおちゃんの目は、やはりまっすぐだった。やっぱり、汐ちゃんは渚にそっくりだと思う。渚も、こんな風なまっすぐな目で、朋也を見ていた。 
「……パパは、いつも、寂しそうなお顔してる。うしおは、パパに元気になってほしい……」 
 こんなにも思ってくれる人がいるのに、朋也は何をしているのだろう。今すぐに朋也の元に行って、ぶん殴ってやりたい。 
「せんせい、どうしたの?」 
 うつむいている私の顔を、汐ちゃんが覗き込んできた。私は、慌てて涙をぬぐった。 
「なんでもないわ。さあ、教室に戻ろうか?お友達が待ってるわよ」 
 私は、汐ちゃんの手をひいて、歩き出した。強くなりたい。渚や汐ちゃんのように強くなりたい。そう思った。 
  
  
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 どうも、海豚です。たるぽさんの「杏再婚」という発言に触発されて書き始めてみました。はじめはもっと短く、さらっと終わる予定だったのに、書いてみるとどんどん書きたいことが増えて……もっと長くなりそうなんで、結局キリがいいところで切って「前編」と書くはめに…… 
 ところで、今回は、海豚の書く話にしては珍しく、笑いが入っていません。自分でも驚きですが、かなりシリアスな話になっていると、自分では思っています。もちろん、他の方の作品に比べれば、まだまだ切なさは足りないわけですが…… 
 さてさて、「杏再婚」に触発されて書いたわりには、目立ってるのは早苗さんや汐の強さばかりな気がします。後編では、もう少し杏が目立ってくれることと思いますが、いかんせん海豚の書く作品なので、自信は持てません。どうぞ、期待しないで待っていてください。 
  
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 りきおです! 
 海豚さんのSSは、心情の描写が素晴らしいですね! 
 セリフまわしや構成も丁寧だし…。何より、色々と悩む杏は何と言うか…萌えます(アホ)。 
 色々と見習わなければならない部分が多いです(^-^; 
  
 ともあれ、海豚さん、どうもありがとうございました!! 
 後編期待しています! 
  
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