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1.夏の出来事 〜陽炎 /おにやん



 思えば、彼女と親しくなったキッカケは祐巳ちゃんだったっけ。涙を浮かべた瞳で私の胸に飛び込んできた子犬・・・いや、子タヌキかな? 祐巳ちゃんには悪いけど、あの出来事がなかったら、私はまた昔の私に戻っていたのかもしれない。そう言えば、あの時もこんな雨の日だったな・・・。

「・・・さん! ちょっと佐藤さん! 聞いてるの?」
「・・・え?」

 名前を呼ばれた気がして、声のした方を振り向く。

「まったく・・・。もう授業は終わったわよ」
「・・・へ?」

 辺りを見渡せば、教室には彼女と私しかいなかった。

「あっれー?」
「『あっれー?』じゃないわよ」
「ごめーん。後でノート見せてー」
「あなたねぇ・・・」
「あはははは」
「しっかりしてよ。ロサ・ギガンティア」
「“元”だって」

 最近じゃ当たり前の光景。それでも、祐巳ちゃんがいなかったら、きっとこの光景は私には一生巡ってこなかっただろう。



     * * *



「加東景」
「・・・何よ」

 名前を呼ばれて、隣を歩く彼女が嫌そうな顔を向ける。

「ホント。よく似てるなァ〜・・・と思ってさ」
「・・・何がよ」
「ん? なまえよ、な・ま・え」
「ああ・・・。私にとっては、あまり嬉しくない事実ね」
「そうなの? それは残念。私は結構嬉しいんだけど」

 そう私がはにかむと彼女が視線を逸らす。照れ隠しなのか、呆れているのか。まぁ、私はどっちでもいいんだけど、こんな些細なやり取りが凄く幸せに思える気がする。

「もーすぐ梅雨も明けるかな・・・」

 雨も次第に弱まり、重い雲の隙間から陽の光が差し込んでくる。
 もうすぐ夏がやってくる。今年の夏は・・・。

「今年の夏は暑くなりそうね」
「・・・えっ?」
「・・・佐藤さん。あなたねぇ・・・」
「ああ、ちゃんと聞こえてるよ」

 一瞬自分の頭の中を読まれた気がして声が出てしまっただけ・・・って、なんか祐巳ちゃんみたいだな。・・・もしかして、伝染った?

「ねぇ。今年の夏はどこか行かない?」
「何よ。突然・・・」
「いいじゃん。海でも山でもいいから、どっか行こうよ。どーせ暇なんでしょ?」
「・・・あなたって自由で羨ましいわね」
「あはははは。そうかも」

 自分でもそう思う。だからって、今更自分を変えるなんてできそうもないし、したくもない。折角、今の自分になれたんだから。

「でも、残念ね。今年の夏は無理なのよ」
「えー。なんでー?」
「・・・佐藤さん、あなた『暇』なのよね?」
「ん・・・まぁ、今のところ予定はないわね」

 別に容子たちからのお誘いもないし、祥子のとこは・・・祐巳ちゃんがいるからお邪魔しちゃ悪いし。今年の夏は、思いっきり暇人なんだな、私って。

「それじゃあ、来月末空けておいてくれない?」
「来月末? なになに? 何かあるわけ?」
「ちょっと知り合いに頼まれて・・・佐藤さんにも手伝って欲しいのよ」
「ふーん。・・・で、私は何を手伝えばいいの?」
「それは・・・当日のお楽しみってことで」
「えー。今教えてよ」
「ダメよ」
「けちー」

 とか何とか言っても、何かに誘ってくれてるというのは悪い気がしない。こうして想い出は増えていくわけだしね。何はともあれ、楽しみ楽しみ。



     * * *



 夏真っ盛りを少し通りすぎて、涼しくなる少し前の微妙な時期。私は友人に連れられてとある場所に来ていた。

「・・・ねぇ」
「・・・どうしたの?」
「何なの、コイツら」

 目に映るのはおびただしい数の人、人、人。一瞬、これは夢なのではないか、と自分に言い聞かせ、ぽっぺたをつねってみる。

「いたっ! 痛たたたた! 痛い、痛いって!」

 友人の悲鳴と反撃が、これが夢ではないことを確認させる。

「・・・何するのよ!」
「いや、だって・・・」



 ─── ここは同人誌即売会と呼ばれるイベント会場



「おかしいとは思ったのよ」
「・・・何が?」
「だって、『荷物は要らないから持って来ないで』って言ったじゃない」
「ああ、言ったわね」
「普通、日帰りの旅行だって少しの荷物は要るわよね?」
「そうね。小物を入れるショルダーバッグ一つくらいは持って行くわね」
「でも、要らないって言ったじゃない。だから私は」
「『私だけ手ぶらは悪いから、日焼けとか虫除けは持って行くよ』って言ったわね。それで私は『手ぶらの方が都合がいい』って返したわ」
「・・・・・・」

 話には聞いた事がある。自分で漫画を描いて、それを買ってもらうという何とも奇妙な行為をする人たちがいることを。でも、まさか、景さんが同じことをしていたなんて・・・。

「佐藤さん、その目からして、あなたは誤解してるわ」
「誤解?」
「私をコイツらと一緒にしないで」

 そう言って景さんは長い行列をアゴで指した。その様から、景さんも好んでこの空間にいるわけではないらしいことがわかる。

「・・・違うの?」
「・・・殴るわよ?」
「なーんだ。・・・安心した」
「誰が好んで、たかが本を買いにこんな炎天下を数時間も並ぶのよ」
「ごもっとも」
「コレをやってるのは私の友人」
「へぇ・・・そんな友達いたんだ」
「悪い娘じゃないのよ。ただ、変わってるだけ」

 まぁ、こんなことやってるんだから相当な変わりものなんだろうな・・・。

「まぁ、我慢して手伝ってよ。バイト代出るから」
「んー・・・それはいいけどさ。一つ聞いていい?」
「何?」
「これ、並ぶんじゃないの?」
「並ばないわよ」
「でも、これ並ばないと入れないんじゃないの?」
「一般はね」
「はぁ・・・もう何が何やら・・・」
「佐藤さんは、はぐれないように私についてくればいいのよ」
「あ、そうなの? それでは失礼して」
「なっ! ちょ、ちょっと。そんなにくっつかないでよ。暑いでしょ!」
「人混みではぐれたら、私帰れないから我慢して」



     * * *



「・・・というワケなのよ」
「へぇ・・・」

 半年前に経験した体験談は思いの他、二人の親友には好評だった。特に江利子は私が話を切り上げた後もしつこく話を求めてきた。流石は“スッポンの江利子”、我ながらナイスなネーミングだと思う。

「聖」
「ん?」
「楽しかった?」
「疲れたけどね、楽しかったよ。滅多に出来る経験じゃないしね」
「・・・そう。よかったわね」

 私はこの時の江利子の顔を一生涯忘れないと思う。突然何か面白いことをひらめいた時の江利子の笑顔を・・・。




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