HTML の論理を用いてウェブサイトを作るとき、 大きな何かに支配されて人は作るのです。 その大きな何かとはクライアントであり、会社であり、 MicroSoft であり、InternetExplorer であり、Google であり、YST であり、 数の論理、もしくは商業主義的観点と言うことになりましょう。 その大きな何かが、 HTML の仕様を研究し定義する W3C であるという御仁は少数派であると思います。
マイクロソフトはブラウザにおいて圧倒的優位に立ち、 むしろブラウザの持つ力によって勢力を拡大してきた傾向があります。 そして、他のブラウザと差別化を図るための独自仕様を HTML の組み立てに盛り込んできました。 HTML 本来の特徴である互換性は、商業主義とそれに乗っかる大衆によって 大いに揺らいできたのです。
こう考えると IE にせよ Netscape にせよ、 W3C の理念を退けるような悪の要素を内包しています。 しかし、分かりやすくて便利なものを求める大衆こそが、この悪の要素を迎合してきたのも事実であります。 利益追求の私企業なんですから W3C の理念に反する行為も平気で行ないますし、 世の常として力あるものだけが世界を作る創造主と成り得ます。 いつだって理想や理念は地に堕ちて大衆の眼前から姿を消し、ただの路傍の石と化すのであります。 そうは言ってもインターネットの普及に一役買ったマイクロソフトの その功績を称えることも、そういう視点も決して間違ってはいないでしょう。
”簡単・便利” は普及のキーワードです。 例えばですよ、自分自身で車の整備をする技術を持ち得ないと自動車免許を取得できなかったとしたら、 あなたは免許を取りましたか? 自動車が社会に普及したと思いますか? ウェブサイトにしても何も知らんでも(ギリギリ最低限の知識だけで) 公開するところまでもっていけます。 だからこそ、普及した世界ですし、 だからこそ、雑多な個人サイトなどを閲覧するコトが可能なわけで、 素晴らしき世の中ですよ。
世に流通している HTML 関連の解説書籍の大半が W3C の仕様を読者に考えさせない内容となっています。 考えさせないという言い回しは、 W3C について全く触れない、あるいは W3C についての説明はあるものの ”論理的構造がhgdfg、mhjl。、k” という具合の文章で済ましてしまい、読者に本質を伝えようとする熱意が足りないという意味であります。 世間に流通し、多くの支持を得ているテキスト本といえども、この程度なのですから HTML についての正しい理解を得られなかったとして、何ら不思議はないわけです。
感じるのは W3C は力を持っていません。 HTML に精通した技術者みたいな御仁から尊敬の念を集めることはあっても、 一般大衆に理念を浸透させるだけの力が無いのです。 商業主義に乗っからないものは、国や法律の保護でも受けていない限り、大きな力を持ち得ないのです。 何の強制力も無い ”正しいこと” をいくら並び立てたところで、 HTML に精通したがる技術者肌から尊敬の念を受けるだけですよ、結局。
生意気言ってしまいまいたが、 HTML講座的なものをウェブサイトで作るなら、 W3C 肯定の姿勢は持つべきでしょう。 肯定は肯定ですよ、問題はどこまで妥協するかという話ではないでしょうか。 W3C の定義や仕様を厳密に守ってしまうと、できないコトも多いでしょうし、 必要以上に難しく考える必要がでてきます。 必要以上のコトは、誰もが欲しがる情報ではありません。 欲しいのは、どうやって車を運転するのかというノウハウであって、 なぜ自動車は動力を得て前進するのか、という技術論では無いからです。
世の中、儲けたもの勝ちです。 間違った HTML講座でもそれなりに儲けたのなら、製作者は勝ちでしょう。 HTML の仕様を理解して守るよりも、簡単で分かりやすい教え方を考案した方が金になります。 理屈を知らずに HTML を生成できるエディターソフトの類も相当、普及しています。 ウェブデザイナーと言えば、これらのソフトを使いこなせる人達です。 ここまで読んで ”だからアホで怠け癖のある大衆が悪いのよ” という結論に達したあなたは、 ソレはソレで良くない。 難しいことを誤魔化したり簡略化せずに、分かりやすく伝達するという文書力・構成力こそが必要なんです。 とにかく、否定ばかりしていても始まらない。 ”勝ち” よりも ”価値” を目指して、頑張っていきたい所存であります。
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