Reports 謎の生物::哀しき悪魔ヨーウィー
哀しき悪魔ヨーウィー
ジョブ・ジョン[中田科学調査班 未知生物担当]
世界には多くの”謎の猿人”が存在する。
北米にはビッグフット、カナダにサスカッチ、
ヒマラヤにイエティ、中国に野人、そして日本にヒバゴンが存在するように、
オーストラリアにはヨーウィーが存在するという。
ヨーウィー(Yowie)とは
「ヨーウィー」は、その風貌や性質について言えば、つまりはビッグフットのシノニムのようなものだ。
全身が毛で覆われていて、身長は多きいものでは2.1mにも達するという。首がほとんど無く、腕は長く、筋肉質。簡単に言えば直立したゴリラそのものだ。
ただし、生活についてはビッグフットやサスカッチとは少々様子が違う。ヨーウィーは、この手の”謎の猿人”シリーズの中では珍しく、少人数での集団行動をすることが多いらしい。このことは、ヨーウィーの正体を推測する上での重要な何かを示唆しているような気がしてならないようなしないような・・・。
[左:『サラリーマン、ヨーウィーに襲われる』 出典 中学館 こども百科 1. 猿人と開拓の歴史・オセアニア編 より]
ヨーウィーの生息地
この猿人はオーストラリアでも、とりわけ南東部、ゴールドコースト、ニューサウスウェールズといった地域で目撃され始めた。もともとはオーストラリア大陸の先住民であるアボリジニが恐れていたものだから、最初の目撃がいつかというのはもはや定かでないが、ヨーロッパにも1795年には報告されていたと言われる。実に200年以上前の話だ。もっとも、近年では目撃範囲は拡大していて、最近では1997年に北部のタナミ砂漠での目撃例がある。ただ、未確認生物というのは、有名になればなるほど誤認の目撃談が増えるのが常だろうから、基本的にはオーストラリアの南東部というように捉えたほうがいいだろうと思う。
右のオーストラリアの地図の、赤い部分でヨーウィーは多く目撃されている。
ヨーウィーの名の由来
ヨーウィーの歴史は古い。しかし、「ヨーウィー」という呼称が頻繁に使われるようになったのは、実は比較的最近、1970年代に入ってからだと云われる。
そもそもオーストラリアには、先住民であるアボリジニが「ガバ」と呼んで恐れる怪物がいたそうだ。ガバは「悪魔の穴」と呼ばれる洞窟に住んでいることになっていたそうだ。一方、移住した白人達は、全身に毛の生えた怪物がニューサウスウェールズ地方に出ると噂し、これを単に「Hairy man」などと呼んでいたようだが、いつからか、「Yahoo」と呼ぶようになった。これは、アボリジニの言葉での「邪悪な霊」「悪魔」などを示す言葉に由来したという説があるが、これは実はあまり根拠がないらしい。実際には、スウィフトが1726年に書いた有名な「ガリバー旅行記」に登場する野蛮な亜人、「Yahoos」からとられたのではないかとも云われる。いずれにせよ、19世紀には西洋からの移住者たちは、全身が毛で覆われた謎の生物に対して「Yahoo」という呼び名を与えていた。そして、1970年代にはいると「Yowie」が「Yahoo」にとって代わり、いまではオーストラリアではYowieをモチーフにした人形やお菓子が売られるほど非常にポピュラーな存在になっている。
目撃談
ヨーウィーの目撃としてもっとも有名なのは、おそらく1912年のチャールズ・ハーパー(Charles Harper)氏によるものだろう。彼はシドニーから測量の為に南の山脈沿いの密林でキャンプをしていた。1912年、11月10日のことだ。このころ、すでにヨーウィーの噂は流れていて(まだ”Yowie”の名はなく、単に”Hairy Man”などと云われていたらしい)、彼の耳にも入っていたが、さほど信じていなかったようだ。だが、彼はキャンプ2日目の夜に、奇怪な獣の声を聞いて様子を伺うと、焚き火から20m弱の場所に巨大な人のような動物を発見した。その動物はしばらくそのままそこに立っていたので、彼は充分に観察することができたそうだ。身長は5ft.8in.から5ft.10in.というから、だいたい170cmそこそこだろうか?巨大(huge)と表現するのは大袈裟な気がするが・・・。
体と手足は長い褐色の毛で覆われていて、背中と肩の毛は特に長く、体を震わす旅に毛が揺れていたそうだ。すね(中足骨)が異様に短く、腕は異様に長く、手は大きい。頭はやけに小さく、大きな目が落ち窪み、2本の牙が生えていたが、非常に人間的な顔つきだった。しばらく唸って、胸を叩くと、その動物は最初は直立したまま、やがて手も使ってより早く、闇に走り去ったと云う。(付録:Charles Harper の手記)
右は、その後にHarperが記憶をもとに描いたスケッチである。もうひとつ、比較的新しい目撃例としては、前述の1997年のタナミ砂漠に住む女性の目撃がある。彼女は、早朝の3時に恐ろしげな獣の声で目を醒ました。正体を探ろうと外に出ると吐き気を催す強烈な匂いがした。そして、フェンスを破壊して逃げ去る身長7ft.(約2.1m) の毛むくじゃらの生物を目撃したと言う。翌朝、現場には噛み砕かれたフェンスが散乱していたそうだ。
初期のヨーウィーの目撃談には、ヒューマンライクな表現もあるが総じてゴリラを連想させる要素が多い。一方、最近の目撃談では、いわゆる”ビッグフット”系の、より怪物じみたエピソードがある。人が、暗くて不気味な場所で、何かよく確認できないものに出会った時に、噂に聞いた恐ろしい何かのイメージを投影して記憶を脚色してしまうことは多い。ヨーウィーの目撃の初期の時代には、ゴリラは西洋にも紹介されていたし、オーストラリアに移住した白人も当然、知識としては知っていたはずだ。ただ、そのイメージは現在のように社会性に富んだ賢い動物としてではなく、もっと恐ろしげで邪悪なものを持たれていたようだ。現在は誰もが多くの情報を手に入れられるようになり、ゴリラのイメージはかつてとはだいぶ変わったが、一方でビッグフットのような謎の生物に対する噂に、ある種のグローバルスタンダードのようなものが形成されて来た。そういった時代背景の変化を受けて、ヨーウィーの姿を彩るイメージが、かつての暗黒大陸の類人猿から、北半球の謎の猿人に変質して来た感覚は否めない。それはとりもなおさず、多くの目撃談で語られるディティールが、目撃者の固定観念で脚色されている可能性を示唆するが、それだけで謎が解決するわけではない。
オーストラリア大陸は、カンガルーやコアラなどの有袋類で有名な独特の生物地理区に属する。ここには、ゴリラはおろか、サルの仲間・・・霊長類などいっさい生息していない。つまり、かつての人々が何を見てヨーウィーと思ったのか、ゴリラ、あるいは猿人と誤認される生物はいったい何なのかは、依然として謎が残る。
Yowieの正体についてのいくつかの仮説
[メガントロプス説]
これは、ヨーウィーを熱心に研究している人々の間で支持されることの多いモデルで、「メガントロプスと呼ばれる化石人類が、氷河期にジャワ島方面からオーストラリアに移動し、オーストラリアで他の人類とは隔離されて現代まで生き延びて来た」というものだ。
メガントロプスとは、かつて独立したグループとして考えられたこともある原人だが、なぜか中国の野人などの正体ともされることがある。原人は他にもあるのにメガントロプスにこだわる考えが出やすいのは、この原人が比較的大型のものと思われたことがあるからだろうか。しかし、現在はメガントロプスはジャワ原人として同じ扱いで、ジャワ原人はHomo erectus という種に属すると考えられている。この種の原人は、およそ100万年前から20万年前に存在していたとされている。
確かに、ジャワ島などがある大スンダ列島のあたりは、氷河期にはスンダランドと呼ばれる陸地であり、この地はモンゴロイドの祖先が居住していたと言われている。そして、そのモンゴロイドのさらに源となる原人がスンダランドに存在したと言う考え方もある。しかし、スンダランドはオーストラリア大陸とはつながっていなかったと考えられている。白亜紀の一時期は陸続きであったとも言われているが、これは6500万年以上前の話だから人類の歴史とは無縁の話だ。猿人の出現さえせいぜい500万年程度前までしか遡らない。
さて、メガントロプスに話を戻すと、少なくともオーストラリア以外では約20万年前にいなくなった原人が、オーストラリアに渡って生き延びていたとすると、実は20万年ほど前までにはスンダランドからオーストラリアへの陸路が開けていて、動物の移動があったということになる。しかし、もしそうであれば、オーストラリアの有袋類の発達に見られるような特別な生物地理(※)の説明がつかない。原人は歩いてきたのに、他の様々な獣はまったくオーストラリア大陸に進入することがなかった、というのはあまりに不自然な話だからだ。
したがって、この「メガントロプス説」は却下である。※オーストラリア大陸の哺乳類は、単孔目・有袋目・げっ歯目・翼手目のみだ。言い換えると、カモノハシ、カンガルー・コアラ、ネズミ、コウモリしかいない。前者の2グループは他の大陸にはいない。後者の2グループは原始的なものだ。このような特殊な動物相は、オーストラリア大陸が長く他の地域と海で隔てられていた為に、他の大陸で進化した競争力の強い動物の進入が妨げられた結果と言える。
[オオカンガルー説]
オオカンガルー(普通にカンガルーと言えば、このオオカンガルーのことを指す)を猿人と誤認したという説もある。カンガルーと猿人ではぜんぜん体型が違う、と思うかも知れない。
確かに、白昼に動きを止めているものを落ち着いてゆっくり観察できれば、誰だってそんな見間違いはしないだろう。しかし、Yowieの目撃談にはしばしば、夕方は早朝の薄暗い状況や夜中で、薮の中に逃げ去っていくような姿を目撃するといったシチュエーションがあるようだ。また、目撃者は、物音や獣の咆哮などを不審に感じており、決して完全な平常心で目撃しているとは言い難いことも多いだろう。こういった状況では、オオカンガルーは猿人に見間違われるに十分な存在だ。
オオカンガルーは、全長2m近くにも達する。尾の長さを差し引いても相当な大きさで、また立ち上がった姿はしばしば”人間的”と云われる。また、小数のグループで行動する点も、ヨーウィーの目撃例によく一致する。数ある目撃の中の相当数は、このオオカンガルーの誤認が含まれていると思われる。
もちろん、これではヨーウィーの正体を明らかにしたことにはならないが、特に最近の目撃報告はこの説に当てはまるものが多いのではないかという気がする。[アボリジニ説]
アボリジニとは、オーストラリアの先住民である。彼らは、洞窟を一時的な住居とすることもあるそうで、夜間に行動していた場合などは、アボリジニをヨーウィーと誤認することはあり得る。
アボリジニについては、後ほど重要になるのでもう少し説明を加える。
いわゆるアボリジニは、その起源については、完全に解明されてはいない(およそどこの人種・民族についても、起源はあやしいようだが)が、オーストラリアに13,000-6500年前に存在したというカウスワンプ人を祖先としているともいわれる。カウスワンプ人は、ジャワ原人に近い特徴をもった原人だ。概ね一般的な認識として、アボリジニ(の祖先)は5万年ほど前に、インドネシアやニューギニアを伝ってオーストラリアに渡ってきたと云われる。しかし、この考え方は、あまり自然だとは思えない。氷河期の海面低下によって陸続きになっていたという意見があるが、それならば、その時にほかの哺乳類の進入もあっていいのではないだろうか?また、長い期間をかけて、点在する島々を渡ってきたという解釈もあるが、5万年前の原人が、そう容易く海上を移動できたものか・・・。
実はオーストラリアには、カウスワンプ人よりもかなり早い60,000年前から、レイクマンゴー人という原人が存在していた。レイクマンゴー人は、形態的に、より現代人に近い特徴を持っていたが、化石から抽出されたDNAからは、現代人とは別の起源が推定されている。つまり、より原始的な猿人から、オーストラリア付近で独自に進化したのではないかということだ。人類のアフリカ起源説を覆す、多系統を想定した考え方と言える。ただ、このレイクマンゴー人は、後にやってきた、より原始的な特徴をもったカウスワンプ人によって駆逐されてしまう。つまり、アボリジニは、近代の白人に対しては、オーストリアの先住民だが、古代においては逆に移入者だったということになる。ところが、実はアボリジニには、近年まで2つの種族があった。現在のアボリジニよりも小型で肌の黒い亜アボリジニ(亜- は、ここでの便宜的な呼称)がいたのだ。しかし、亜アボリジニは、アボリジニに追われオーストラリアから姿を消してしまったそうだ。南東に隣接するタスマニアには残っていたが、ゴールドラッシュの時代に入植した白人によって虐殺されて純血は1876年に絶滅した。
もっとも、亜アボリジニをタスマニアに追いやり、オーストリアに残ったアボリジニも無事だったわけではない。オーストラリアの白人(主にイギリス系)社会は、今でこそアボリジニとの共存を標榜している。しかし、特に19世紀にはアボリジニを人としては扱っていなかった。それは単なる排斥の対象でしかなかったのだ。夜間に行動していたアボリジニを、ヨーウィーと見間違うことはあったと思う。そして、それは時には意図的な”見間違い”であったことも、あったのではないだろうか。
ヨーウィーの真実
さて、いくつかのありえそうな仮説を紹介したが、結局、何が本当なのか。私には、メガントロプス説以外はすべて本当にあったことだろうと思える。しかし、これらは、個々の目撃例のどれかに当てはまることがあるというだけで、真実と呼ぶには相応しくないと思う。
結局、先にあげた中でもっとも重要なのは、アボリジニ説だろう。しかし、これは単純にアボリジニがヨーウィーの正体だという意味ではない。私は、ヨーウィーの正体の半分は「オオカンガルーやアボリジニなどの誤認」であり、残りの半分は恐怖だと思っている。そして、そもそも何と誤認したかということは、猿、特にちょうどヨーウィーの出現し始めた時代にヨーロッパに知られるようになったゴリラであろう。かつては、探検家や学者によってさえ、「ゴリラが銃を使って人を撃った」「ゴリラが人間の女性を強姦する」といった途方もない話がまことしやかに語られることがあったと云われる。サルとしてよりも野蛮人としての性格をもって噂されたゴリラが、南の未開の大陸への入植者達の噂する怪物の格好のモデルになったであろうことは想像に難くない。では、仮にモデルがゴリラであったとして、なぜ、そもそも怪物の存在は囁かれるのか。ひとつには、夜・薄暮といった時間、闇への恐怖が原因だろう。むかしは日本にも妖怪が多かった・・・というような言説と同じことだ。特に、18、19世紀のオーストラリアはまだまだ未開の地だったから、夜の密林には何がいるかわからない恐怖があったと思う(夜の密林などいったことないが、もしも少人数で奥地へと行けば今でもかなり恐そうだ。)。
そして、もうひとつ、怪物を存在させる重要な要素がある。ヨーウィーが盛んに噂された、今から200年ほど前という時代は、植民地政策、キリスト教化という大儀とともに、白人が各地の黒人を、当然、アボリジニに対しても、侵略と略奪と虐殺を、あたりまえのようにおこなっていた暗黒時代でもある。彼らは、鉱物の採掘の為、牧草地の為と、次々と先住民に対して侵略をくり返した。前述のタスマニアでは、一般人がアボリジニを殺しても罪にならないという法律がわざわざ作られたほどだ。しかし、どんなに先住民を家畜のように侮蔑しても、実際には人間であることも知っているから罪の意識も生じる。罪を感じない為にはどうすればいいか?相手は人でなくて怪物ならばいい。
ヨーウィーを大量に捕獲して処分したという記録はない。それはそうだ。実際に収容施設に集めた先住民を前に、「この者たちは、サルに近い怪物である」と断じることはあまりにも無理があっただろうから。しかし、人々の心が、「駆逐されるべき野蛮人」の存在を求めていたのではないだろうか。そういうものが身近にいるならば、眼前の先住民もそれに準ずるものとしての位置付けがしやすくなるからだ。そして、自分が納得できれば処刑ができるというわけだ。
ただ、このような考え方をすると、アボリジニもまたガバ(=ヨーウィー?)を恐れていたということが不自然に思えるかも知れない。しかし、おそらく、程度の差こそあれ、アボリジニにとっては亜アボリジニが、白人から見たアボリジニに近い存在だったのではないだろうか。
人類の歴史には民族、種族の駆逐がしばしばついてまわる。
例えばスリランカ(セイロン島)では、250年前に、ニッタエウォ(Nittevo or Nittaewo)という種族が、ヴェッダ(Vedda)族に滅ぼされた。ニッタエウォは、樹上のプラットフォームや洞窟に棲み、鳥のさえずりのような声を出し、赤い縮れ髪で爪が長かったという。そして、この島に後からやって来て、テリトリーに侵入して来るヴェッダ人を襲撃することが多かった。一方、ヴェッダ人は、狩や蜂蜜採集のために森に入り、恐れること無くニッタエウォと戦った。幾年もの戦いの後、ヴェッダ人は、生き残っていたニッタエウォの男女、子供をひとつの洞窟へと追い込んだ。ヴェッダ人は用意していた薪を洞窟で3日間燃やし続けた。こうして、この種族、ニッタエウォは絶滅した。(ちなみに、ヴェッダ人はその後、シンハリ族に駆逐されて今はスリランカで絶滅寸前?である。)
しかし、ニッタエウォに関する記述は侵略者からのものであり、その姿は人間離れした描写に誇張されているという指摘もある。ヨーウィーの存在も、本質的にはこういった状況と共通する根を持っている気がする。
結論
長くなってしまったので、最後にやや強引にまとめておこう。
ヨーウィーの本来の正体は、やはり先住民のアボリジニであろう。現在ように照明が発達しておらず、また、先住民と入植者が戦っていた時代に、隠密行動をとっていたアボリジニなどが夜間に目撃されたとき、その姿をよく確認できなかった入植者が、伝え聞くゴリラのイメージを重ねたのだろう。こうしてできあがった怪物のイメージは、オーストラリア大陸の侵略・アボリジニの駆逐という行為のなかで、人々が抱く罪悪感を軽減するスケープゴートのような性格を持ちはじめた。侵略者たちはクリスチャンだ。しかし、すべての人々を愛すべき対象としてしまうと、侵略には都合が悪い。それよりは、世界の(西洋にとっての)未開地域の暗黒には、毛むくじゃらで野蛮な悪魔の手先がいることにした方がいい。そうすれば、先住民も「野蛮な怪物(=ヨーウィー)に類するもの」として位置付けやすくなり、殺人を少しは合理化することができる。当時の入植者が、この三段論法を意識的に組み立てていたかはわからないが、おそらく、内面的にはそういう合理化を受け入れていたのではないかと思う。
もっとも、現在は発達した照明があり、人は増えて夜闇の恐怖は減り、先住民は弱体化して闘争の相手ではなくなった。そういう意味ではもはやヨーウィーの役目は終わっている。ただ、ひとたび生まれた怪物は、そう簡単に死に絶えないものだ。この何もかもが明らかになってしまっったかのような世界に、いまだ文明の光に照らし出されることなく息を潜めている怪物がいると期待するロマン派の人々。彼らが、夕闇の中で直立したオオカンガルーを目撃した場合、それはヨーウィーと呼ばれたりするのだろう。
付録
Charles Harper の手記(抜粋)
A huge man-like animal stood erect not twenty yards from the fire, growling, grimacing, and thumping its breast with its huge hand-like paws. I looked round and saw one of my companions had fainted. He remained unconscious for some hours. The creature stood in one position for some time, sufficiently long enough to enable me to photograpgh him on my brain. I should say its height when standing erect would be 5ft.8in. to 5ft.10in. Its body, legs and arms were covered with long, brownish-red hair, which shook with every quivering movement of its body. the hair on its shoulder and back parts appeared in the subdued light of the fire to be jet black, and long; but what struck me the most extraordinary was the apparently human shape, but still so very different.
I will commence its detailed description with the feet, which only occasionally I could get a glimpse of. I saw that the metatarsal bones were very short, much shorter than the genus homo, but the phalanges were extremely long, indicating great grasping power by the feet. The fibula bone of the leg bone was much shorter than in man. The femur bone of the thigh was very long, out of all proportion to the rest of the leg. The body frame was enormous, indicating immense strenght and power of endurance. The arms and forepaws were extremely long and large, and very muscular, being covered with shorter hair. The head and face were very small, but very human.
The eyes were large, dark and piercing, deeply set. A most horrible mouth was ornamented with two large and long canine teeth. When the jaws were closed they protruded over the lower lip. The stomach seemed like a sack hanging halfway down the thighs, whether natural or a prolapsus, I could not tell. All this observation occupied a few minutes while the creature stood erect, as if the firelight had paralysed him. After a few more growls, and thumping his breast, he made off, the first few yards erect, then at a faster gait on all fours through the low scrub. Nothing could induce my companions to continue the trip, at which I was rather pleased than otherwise, and returned as quickly as possible out of reach Australian gorillas, rare as they are.
ニッタエウォについての論考から、引用部分のみ抜粋。この論考の筆者は、ニッタエウォが原人(ピテカントロプス、つまりホモ・エレクトゥス)の生き残りであるという説の否定も行っている。
"They built platforms in trees, covered with a thatch of leaves, and in these they lived. They could neither speak Vaedda, Sinhalese or Tamil, but their language sounded like the Telegu of pilgrims to Kattragam. They attacked any
intruding Vaeddas, and no Vaedda dare enter their district to hunt or collect honey. Many years ago the ancestors of the informants fought with these Nittaewo and finally drove the remnant of them, men, women and children into a cavern. Before this they piled firewood, and kept up the fire for three days, after which the race became extinct, and their district a hunting ground of these Vaeddas."