Reports モケレ・ムベンベ −恐竜の生き残りともいわれるコンゴの怪物−
モケレ・ムベンベ [MOKELE-MBEMBE]

基本情報
コンゴの熱帯雨林の奥地にあるテレ湖周辺に棲息する、竜脚類の恐竜に酷似しているとされる怪物。
地元原住民の聖地とされる秘境テレ湖は周囲6km。水深は浅く、水は白濁。
クレーターだと云うものもある、きれいな円形の湖である。
付近に住むピグミーの間では何百年も前から川や湖に巨大な生物がいると恐れてきた。
彼らは、それらの怪物を畏怖を込めてモケレ・ムベンベと呼ぶ・・・。
コンゴ、テレ湖。確かに未知の生物の1種や2種はいそうだが・・・・。
(写真/ケント・レッドフォード。っていうか無断転載。)
概要解説
湖に棲む恐竜の生き残り。
まあ、ある意味よくある話だと思う。
しかし、モケレ・ムベンベは世界中にあまたいる(?)”恐竜の生き残り”の中でも、
特に実在の可能性が高いものと云われているようだ。その理由は、棲息場所にある。
ネッシーやその他の多くは首長竜の生き残りとされることがあるが、
例の写真の一件を別にしても常に多くの疑念がつきまとう。
海洋にいたはずの首長竜がなんで湖に出現するのか?とか、
恐竜の仲間なら現在の寒い気候に耐えられないのでは?とか
四肢がヒレになっている首長竜なら基本的にその湖だけで生活しているはずで、
そうすると「種を維持できる個体数はいるのか?その場合餌も生活空間も足りないのではないか?」
そんな疑問がいくらでも出て来てしまうのだ。しかし、
モケレ・ムベンベは爪のある4本脚で歩きまわる陸上の動物である。
もちろん、その巨体を水中に沈めて過ごすこともあろうが、
湖から出て森に潜んだり、河に沿って遠く移動したりできるのである。
だから淡水の湖にいる、といってもそこだけにいるわけではなく、
個体の大きさに対し餌や空間が足りないといった問題に捕らわれずに済む。
そして、なにより中央アフリカ・コンゴの奥地はいまだに「秘境」であり、
人がまだ知らない生物が残っており、その景観は恐竜の闊歩していた時代とさほど変わらない、
まさにジュラシック・パークと呼べるような地域だからだ。実際、このあたりでは、
かつてピグミー達が怪物と呼んでいたものが、
調査によって本当に新種の動物として発見された例がある。
それらは今ではモリイノシシ、コビトカバ、オカピなどという名を与えられ、
普通の動物として図鑑にも出ている。
ならば、
ある日、同じようにピグミーが恐れる怪物であるモケレ・ムベンベが
専門家によって発見・記載され、図鑑に載ってもいいのではないか?
そして、それが6500万年前に絶滅したとされていた大型爬虫類の仲間であっても・・・。そんなふうに、モケレ・ムベンベはシビアに未知生物学を追求する者にこそ期待されているモンスターだ。
右/参考写真:あるピグミー族。成人でも身長は150cm以下ほどで、平均的に30数年しか生きない。ピグミーの女性は12才にもなれば出産する。
これまで行われた主な調査の記録
1772年の書物に、Abbe Proyhartという宣教師が、爪のある巨大な動物の足跡を中央アフリカで発見したという記録がある。
1913年(1912年とも)にカール・ハーゲンベック率いるドイツの探検隊は、あるピグミーの部族から彼らが「モケレ・ムベンベ」と呼ぶ動物のことを聞かされる。モケレ・ムベンベとは、現地語で「川の流れを止める者」という意味らしい。その姿は、ゾウかカバ程度の大きさの体躯に、よく曲がる長い首と、ワニのような尾だと云う。
同様の目撃談は多くのピグミーによって語られ、彼らの云う動物の姿は一貫性があった。
ネッシーに代表されるような怪物の目撃談は、しばしば目撃者によってだいぶ異なる姿が語られることがあるが、モケレ・ムベンベはそうでないらしい。
しかし、その姿は、率直に言えば恐竜・・・あるいは竜脚類にそっくりだ。変わった特徴としては、カバが嫌いで、見ると殺すそうだ。それを食べたりはしないらしい。
また、人であってもあまり近付くと殺すが、これも食べたりはしない。
なぜなら、モケレ・ムベンベは、マロンボ草を特に好む草食性の動物だからだ。
これはLikouala 湿原のピグミーの証言である。
1980年と1981年には、シカゴ大学で未知生物の研究をしているロイ・マッコール(Roy Mackal)の探検隊がLikoualaエリアとテレ湖を調査した。
彼らは多くの目撃談を現地人から得たが、その中でも特異なのは、モケレ・ムベンベを退治した話だ。
テレ湖の近くに住んでいたパスカル・モテカという者が、自分等の漁場に例の巨大動物が進入しないよう、尖らせた木で防護冊を設置した。漁場は川だったが、テレ湖と湿原を結んでいるために怪物の通り道になっていたのだ。やがて、怪物モケレ・ムベンベが現れて冊を突破しようとしたので、皆で槍で突いて殺した。人々は喜び、祝宴を開いてその肉を食べた。しかし、肉を食べた者は皆、しばらくすると死んでしまったという・・・。
マッコールは結局この調査でモケレ・ムベンベを直接に見ることはできなかった。
しかし、Likouala川をボートで調査していた時に、「ザボン!」という音がし、ピグミーのガイドが「モケレ・ムベンベ!モケレ・ムベンベ!」と、おののきながら叫んだという。何かが水面下に潜ったらしい場所からは対岸にまで届く波が起こっていた。その辺りにはカバはいないので、きっとモケレ・ムベンベを見逃しただと思ったと云う。写真はマッコールの探検隊。後述のアニャーニャ博士もいる。
同じ1981年の9月にマッコールの調査隊にも加わったハーマン・レガスター(Herman Regusters)は、自分の調査隊でテレ湖を32日にわたって観測。遂にモケレ・ムベンベを目撃した(しかも、5回も!)。ただ、残念なことに写真は不鮮明な1枚しか撮影できなかった。
全長12m、長い首に小さな頭、カバのような体。脚は水中にあり見えなかったと云う。
Mercellin Agnagnaは、マッコールの調査にも加わっていたコンゴ人の動物学者だ。
彼は1983年に自身の調査団で再びモケレ・ムベンベを探索している。
彼はテレ湖で、遂にモケレ・ムベンベを目撃した。しかし、その時彼の持っていたビデオカメラは残りのフィルムがほとんどなく、しかも焦っていたためレンズキャップを外し忘れてしまった。尾と脚は水面下にあり見えなかったが、20秒ほどの目撃で首が長いことを確認したが、遂に証拠の映像は得られず、彼は失意のうちに調査を終えた。
1988年、高野秀行は所属する早稲田大学探検部を中心にした調査隊でテレ湖の調査を行った。調査には前出のコンゴ随一の動物学者にしてモケレ・ムベンベ調査にも経験の深いAgnagna・・・アニャーニャ博士も同行した。
彼らはボア村で聖域に侵入する為の通行料をしこたま分捕られながらも、
テレ湖で1ヶ月に及ぶ調査を敢行。しかし、そこで判明したのはテレ湖の水深が2mしかないという新事実だけで、遂に怪物の姿を捉えることはできなかった。また、彼らの体験談からは、コンゴ政府が観光資源としてのモケレ・ムベンベの価値に注目していたことがわかる。
資料1 資料2
Bill Gibbonsは、1985年と1992年にテレ湖に調査に赴いている。
1985年時点で、彼が雇ったピグミーのガイドは少なくとも2匹のモケレ・ムベンベがまだテレ湖にいると言っていたそうだ。だが怪物は恐ろしいので、確実に遭遇できるような場所への案内は恐くてできないということだったらしい。
Gibbonsは、幼少の頃にはコナン・ドイルの小説"The Lost World"に夢中になり、それがきっかけで未知生物研究家になった。そんな彼の次の言葉は、なかなか論理的なものを感じさせる。
『Agnagnaその他数名が本当にモケレ・ムベンベを見たというのは疑わしい。私は自分の調査隊で2度、現地に赴いているが、 誰も、彼らとともにモケレ・ムベンベを目撃したという者には会わなかった。Marcellin Agnagnaの体験談は内容が二転、三転しているし、今ではRoy Mackal(上記参照)もAgnagnaが見たものは大きな淡水カメ(Trionyx triunguis、45kgにも達するスッポン)ではないかと考えている。Herman Regustersとその妻は、テレ湖で首の長い怪物を目撃した・・・ただし、一緒にいたボア村の28人には誰にも見えなかったが。Rory Nugentが撮影したモケレ・ムベンベの写真は、何にでも見える(彼が何を見たとしても、写真は証拠として不十分だ)。』また、彼は「モケレ・ムベンベの退治」伝説(とは言っても3、40年前の話だ)にも疑問を投げかけている。つまり、モケレ・ムベンベを食べた者はみんな死んでしまった・・・という件だ。いつの間にか、村人が全滅したような話も流布しているが、もともとはそうではなくて、怪物の肉を食べたものは死んだという話だ。それに、肉を食べたとたんに死んだとは云われていなかったはずだ。
そもそも、ピグミーは寿命が短い(せいぜい30代が平均的な寿命)。30年前に狩りをして肉を食べた者は、いまは誰も生きてなくて当然ということだ。
しかし、どうもこの辺り逸話から、モケレ・ムベンベの神秘化が始まったのではないか・・・ということだ。
資料3
1992年には、日本のテレビクルーが小型飛行機からコンゴの風景を撮影中、三角波を立ててテレ湖を横切る物体を発見、撮影した。先端には首のようなものが水面上に突き出ていたりしたので、まさか?と思われもしたが、人が丸木船を漕いでいただけではないかとも思われている。
これについては詳細は不明だが、いずれにせよ、その程度(生物にもボートにも見える程度の画質)の画像では決定的なものにはならないだろう。
現地調査ではないが、哺乳類の分類学者である今泉忠明は、モケレ・ムベンベについて独自の解釈をしている。モケレ・ムベンベが、ピグミーのみがその存在を把握している新種の動物であるならば、という前提において、その正体として可能性の高いものはモロプス、またはインドコテリウムといった2、3000万年前に絶滅したとされる動物だとしている。これらは奇蹄目といってサイに近縁だそうだが、キリンほどではないが首が長く、木の梢の葉や果実を食べたそうだ。

現状での結論
率直に言って、恐竜の生き残りとは考え難い。確かに、コンゴのあたりは常に温暖で、恐竜が生きられるような環境であったかも知れない。しかし、恐竜が絶滅した原因は、何も地球が寒くなったから、ということではないだろうと考えられるからだ。
恐竜がなぜ絶滅したか、正確なところは未だに不明というのが実際のところだろう。白亜紀の終わりに、地球の環境を変えるような巨大な隕石が落下してきたという話も、信憑性はありそうだ。
ただ、恐竜の絶滅は(アンモナイトもそうだが、つまり大量絶滅というものは)、長い地球の歴史の中では「こつ然と姿を消した」というような表現も可能であるが、実際にはそれ自体が大変な長い時間をかけて起こったものであり、何かひとつの事件で説明できるようなものではない。
なぜ、様々な種類の生物がいる中で、6500万年ほど前に大型爬虫類(と外殻をもった頭足類)だけが選択的に、そして急激に衰退し、遂に絶滅をしたか?という理由は、やはりそれらのグループの生理的な部分に何かしらの、破綻といえるような問題が生じてしまったからではないか?と思える。
その詳細を解き明かすことはまだできないが、気候の変動がなくても、種の寿命というものは存在するということは間違いないだろう。強いて言えば、進化の速度が遅い者ほど、種(あるいは属、科のこともあるかも知れない)の寿命は長いのではないだろうか?例えば、サメ、またはシーラカンス、あるいはゴキブリ。生きた化石と呼ばれるようなものは、長い時間の中でもその姿を大きく変えていないという特徴がある(当然と言えば当然だが)。一方、古生代の紡錘虫、中生代の恐竜やアンモナイト、そういった大量絶滅したような生物は、概して進化が速かった。次々に新しい特徴を持った種が生じ、様々な環境に適応していった。理屈としては強引だが、そういった速い進化を生み出す何かが、最終的には大量絶滅という結果を招くのではないかと思える。
したがって、コンゴの気候がどうあろうと、やはり恐竜は生き残ってはいないだろうと思うのだ。
では、いったいモケレ・ムベンベとは何者なのか?
昔からピグミーは見て来たというのだから、何かはいるのだろう。ただ、彼らが怪物だと恐れたからと言って、我々にとっても怪物かどうかはわからない。彼らは、もともと西洋の学問に則った動物分類を知っているわけではない。だから彼らの怪物が、我々が言うところのただのイノシシの仲間であることもあったわけだ。
しかし、今までにピグミーにモケレ・ムベンベはゾウではないか?というような確認をした人もいるらしいが、彼らはそれは違うと否定するそうだ。
とすると、やはり未知の動物か?
それならば、あり得そうなのは今泉の指摘するような哺乳類だろうか?しかし、ピグミーだって見間違いはあるだろうから、やはり大型のヘビ、カバ、ワニ、そういったものの目撃が混合してモケレ・ムベンベというひとつのイメージになっている可能性も否定できない。脚があるというが、多くの場合水中で目撃されるのなら脚は確認されていない筈ではないだろうか?足跡にしても、普通、それを見る時はその主は不在なわけで、果して問題の「爪のある丸い足跡」が本当にモケレ・ムベンベのものかどうかがだって怪しい。
体長12mとも言われる怪物が、水深2mの湖にいる筈なのに未だに撮影できないというのも問題だ。テレ湖に常に棲んでいるわけでなかったとしても、少なくとも頻繁には現れるという話のはずが、これだけ多くの(上に挙げた以外にもあるに違いない)調査に対して、一度もまともに撮影されないというのは、ちょっと不自然だ。
何人かの探検家はモケレ・ムベンベを目撃したようだが、Gibbonsが指摘するまでもなく、それもかなり疑わしい。アニャーニャ博士は、調査の最後にテレ湖で怪物を目撃した。しかし、フィルムが残り少なかった上に、レンズキャップを外し忘れてしまい、撮影に失敗した。
彼らは、もちろん撮影を目的に据えて調査を進めていた筈で、そのための機材、クルーには万全を期したろう。それが、このあまりにも素人臭い失敗はどうだろう?不鮮明な写真を1枚だけとることに成功したハーマン・レガスターにしてもそうだ。
彼らは、手ぶらでは帰れなかった、それだけのことのような気がする。そもそも、コンゴ随一の動物学者・アニャーニャ博士自体が怪しい。早稲田大学探検部の調査においては、アニャーニャ博士はテレ湖に行く為に通らなければならないボア村の首長との交渉にほぼ失敗し、探検隊は高額のキャッシュを払うはめになったようだ。だが、博士は何度もテレ湖に行ったことがあるはずではないか。そういったことが予想できなかったのだろうか?
また、ボア村の村人にしても、未開人ではないことが明らかだ。彼らはモケレ・ムベンベがキャッシュを生むことを知っている。コンゴ・テレ湖は確かに秘境だった。そこには森に暮らす原住民がいて、彼らがモケレ・ムベンベと呼ぶ存在があった。
しかし、いまや多くの探検隊(物見遊山の金持ちもいたろう)が、聖地と呼ばれたテレ湖に到達してきた。彼らは、コンゴとピグミーに、怪物の噂が観光資源になることを教えてしまった。
何かを見つけなければならないというプライドや面子あるいは名誉欲と決して無縁ではいられない探検家、そして先進国からの旅行者が落として行く現金の旨味を知ってしまった原住民、観光資源としての怪物の利用価値に気付いたコンゴ。
こういった面々から伝えられる話が、確かに起こった出来事を正確に語っているとはもはや信じ難い。結論を言えば、やはり怪物の正体は時には巨大なヘビ、そして巨大なカメ、ゾウ、カバ、魚・・・そういったものが混じっているのではないだろうか。今となっては現地人さえ、それを意図的にモケレ・ムベンベというステレオタイプに当てはめているだけではないだろうか。コンゴ人とピグミーは純真で誠実だなどという保証はどこにもない。彼らが、ツチノコで町興しを画策するどこぞの日本人と同じことを考えないと言えるだろうか。
ただ、1913年にハーゲンベックが聞いた話は、誇張されているかも知れないがピグミーたちが本当に信じているものだったはずだ。すべてを否定してしまうのは、まだ早いかも知れない・・・。

異説
ここにモケレ・ムベンベの3つの想像図がある。
どうも、何が何でも恐竜にしたいんだな、という気持ちは伝わってくるのだが、実はこのように1本の角があるという話もあるのだ。どうも、Mokele-Mbembeという呼び名は、原住民の間ではEmela-ntouka、Mbielu-mbielu-mbielu、Nguma-monenceなどの、いくつかの怪物の総称としての意味もあるらしい。
これに関連して、Brian Leithという人物は、次のように述べている。
「BaAkaピグミーは、長い間モケレ・ムベンベを語り継いできたが、実は誰も見たことはないのだ。・・・(中略)・・・BaAkaピグミーと撮影をする間に、アフリカの哺乳類の図鑑を彼らに見せた。彼らは、森に棲む動物を彼らの言葉で知っている。ゴリラはEbobo、ゾウはDoliといった具合だ。そして図鑑に描かれたサイを見た時、彼らは驚いて叫んだのだ。「モケレ・ムベンベ!」と・・・。BaAkaには文字はなく、知識は口伝だ。かつて、コンゴにもっと草原が多くサイがいた頃から、その姿が伝えられてきたということではないのか?実際、70年前には、数百マイル先でサイが目撃されているのだ。・・・恐竜よりはあり得そうな話だと思うが・・・」
冷静な文章で信頼できそうな気はする。
確かにないとは言えない。いや、恐竜よりおおいにあり得る。絶滅したか未発見の哺乳類よりも。モケレ・ムベンベとは、もはやピグミー達にとっては大きくて危険な動物のいくつかに与えられた呼称であった。その中には、いまは彼らの生活域から姿を消してしまい、口伝にだけ残るものもいる。首の長いモケレ・ムベンベは、おそらくは巨大なニシキヘビではないか。3つの爪のある足跡をつけた、角のあるモケレ・ムベンベはサイ。・・・そのように考えるのがもっとも妥当だろうか・・・?
補遺1
http://www.wwf.or.jp/lib/press/p1999/p99071501.htm
こんな話も。
1999年7月15日、ベトナムでジャワサイが初めて撮影された。
ジャワサイは1989年以来存在が確認されておらず、
今回の写真は少なくとも今世紀に入って初めて撮影に成功したもの。
研究者はもう絶滅したと思っていたが、地元民はまだいると主張していた。こういったことがあるのだから、モケレ・ムベンベもまだ見つかるかも知れない、とも思える。
その正体がサイだったとしても、現在のテレ湖周辺にはいないことになっているし、新種のサイかも知れない。それならそれで大発見だろう。
水辺にも行く。爪は3本。カバのような体。首も・・・ちょっと長い・・・。(クロサイ)
補遺2
ちなみに、モケレ・ムベンベの足跡は直径30-90cmで、ストライドは210-240cmという。
歩行する動物の脚の長さ、普通は足の長さの約4倍となるので、肩高で120-360cmというところか。足跡の大きさは、判然としない場合には大きめに見積もられている気がするので、実際には360cmということはないと思うが・・・。
サイズの分布や、計測の精度が不明だが、見積もられるサイズの下の方は丁度、サイと同じくらいになるか・・・。
