2003.5.25 よろこびの日 ‐ワルシャワの少年時代‐
「戦場のピアニスト」という映画を見ました。今回は、この本とその周辺について書いた方が、映画が私に残したものがより明確になると思いましたのでそうする事にします。 映画の主人公ピアニストのシュピルマンが生き残ったのは、ほぼ偶然の力です。ピアノは彼にとって生きていくために必要であり、いつでも彼のうちに息づいているものではありましたが、ピアノのために、ピアノの才能のおかげだけで生き残ったのではありません。ただ彼を生かしてくれた出会いやめぐり合わせ・・・運命としか言いようのないものです。そしてその背後にはどんな言葉(映画や、ピアノや)も声も上げることがかなわずに死んでいった多くの命があります。 第2次大戦中のナチスドイツのユダヤ人ホロコーストについては資料、文学作品、映像資料も作品も見ることができます。私も「アンネの日記」「あのころはフリードリヒがいた」といった子供向けから始まって、読んだり見たりしてきました。そのなかで、生き残った人々の残したものから感じるのは 「体験したものを言い尽くす言葉を持たない 他の人に伝えきれない」 という焦燥感のようなものです。それはヒロシマについても感じることです。そしてプリモ・レーヴィは「これが人間か」、峠三吉も「人間をかえせ」 人間とはどういうものか、と問う声を上げずにはいられないもののようです。そして読むほうにも、どんなに想像してもそれを追体験など出来ないという思いを抱かずにいられない。人間の頭のなかで考えることの出来る世界などをはるかに越えたことを、人間の手はしてしまうという事実に愕然とするしかないのです。 シンガーのこの本は、破壊される以前のワルシャワのユダヤ人社会で育つ自分の少年時代を描いています。ホロコースト自体を描くのでなく、消えた人々と社会を記録することで、何が叩き潰されたのかを残そうとするものです。ワルシャワの三分の一がユダヤ人であり、それが根こそぎ抹殺されました。街に人々が生きていたころの写真も多く入っています。映画の中で、シュピルマンのさまよう破壊された沈黙の街のもとの姿です。そのころはまだポーランドという国自体が存在していませんでした。ロシアなどに分割された状態でした。 第一次大戦で窮乏した時に「誰もが自分以外のことを考えられなくなった時」親切に手を差し伸べてくれた隣人。その彼も幸福とは言えない人生を生きて、そしてナチスがやってきたときに生きていればおそらく収容所へ送られたであろうこと。 社会と家庭を描いているために、現在についてドキッとするところもかなりあります。 小さな子どもの主人公は考えます。・・・貧富の差のない社会はどうしたら出来るんだろう。みんな同じになって新しいところで一からスタートでも、みんなしゃれた高級住宅街がいいといったら?ここに残りたい人もいるだろうし、みんなが満足することなんて出来るのかな? ・・・ユダヤ人全部が神の心にかなえば国を下さるといっても、意地悪な人も、けちな人もいるし、みんなが全部良くなる日なんて来るのかな? 小さな哲学者だったシンガーは、大戦前にワルシャワを離れ、後にアメリカで、ノーベル文学賞を受賞しました。 再び「戦場のピアニスト」について言えば、 |