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ningyo’s BOOK COLUMN

 2003.3.17

柳澤桂子著
二重らせんの私 
生命科学者の生まれるまで/
ハヤカワ文庫 

認められぬ病/中公文庫

戦後日本の生科学の草分け的な研究者 
柳澤桂子さんの研究者としての修行時代と
病を得て後、いかに苦難のなかを生き抜いたか

 柳澤桂子さんの本との出会いは上にあげた「二重らせんの私」です。DNAとか生命科学と名のつく本を読み漁っていた時にこの本と出会い、カッコよさに憧れました。1938年生まれ。お茶の水大学卒業後コロンビア大学大学院を同期生のなかで最初に学位取得(すごい!)。慶応大学助手、三菱化成生命科学研究所研究員の後 サイエンスライター。写真を見ると美人。それに文章がきれいで読みやすい。こんなに何もかもそろった人がいるのでしょうか?と思いました。

 柳澤桂子さんは生命科学の入門書にあたる本をいくつか出していらっしゃいます。「卵が私になるまで」(新潮選書)は人間として是非一読を!と力を入れてお薦めしたい本です。「二重らせんの私」は著者の自伝でありながら、生命科学入門書、また生命科学史の手引きとしてもお役立ち。
 あまりおもしろくなかったという高校の生物の先生の、ただひとつ心に残ったという言葉
「人間というものは、物事が発見された順序にそって説明された時に、いちばんよく理解できるものだよ」
 それを生命科学史で証明するような本でもあります。
 お父さんは植物学者で戦後すぐのクリスマスプレゼントが育種家バーバンクの自伝「とげのないサボテン」。女が学問するのにに反対だと口で言いつつ、これは顕かに科学者養成ギプスではありませんか。著者も命についての「なぜ」への答えを知りたいという思いは抑えようもなくなっていく。
 そして大学3年で結婚しアメリカへわたり、分子生物学のまさに躍動期に研究者としての研鑚をコロンビア大学で積む。本文中に現われる学者たちの名前もモノー、ニーレンバーグ、クリック、ルリアら教科書に出てくる名前が続々。新しい知の地平を切り開いていく先頭にたつ一員としてのワクワクした気分が伝わってきます。学位取得のための教授たちとのディフェンス(面接・口頭試験のようなもの)をパスした時はほっとしてうれしい。
 柳沢さんが学ぶことを大切にしていること、生命科学の研究対象としての命への驚きと敬意を持ち続け、人間としての謙虚さを忘れない聡明な人であることがうかがえて、実に読んでいて気持ちが良い本です。

 それに海外で暮らして理性では説明できない「日本人の自覚」が湧き上がってくるという実感を記しています。これは実際海外で学位取得という厳しい関門をクリアして、そこの生活に馴染んでなおかつ感じること。私は日本人の自覚って何かと聞かれたらやはり答えられません。

 「二重らせんの私」の最後でも病に倒れ、研究生活を断念したことは触れられていました。
 その経緯をノンフィクション・ノベルにしたのが「認められぬ病」です。著者の闘病体験は言い表す言葉がないほどひどいものです。

 実際に痛みに苦しんでも医者にはその原因がわからない。わからないものはすべて著者の心のなせるもの「心因性」として片付けられ、治療や対処の必要のないものとされる。身体はどんどん弱っていっても、検査結果や数値を見て、実際の身体に起こっていることを認めようとしない医者たち。

 ところどころ、また最後のほうでやっと光を見出すようなお医者さんの登場や優しい手の記述がありますが、ほとんどは読んでいて息苦しくなるようなものです。その理不尽でしかない医療の対応にやりきれない怒りがたぎる。「二重らせんの私」で、著者の子供時代・青春時代を読んだあとではなおさらに!もし私がこんな体験を書くとしたら恨みつらみを離れられないでしょう。しかし柳沢さんは仮名のノンフィクション・ノベルというかたちで「病気より医療から受けた苦しみのほうがいっそう大きかった」という医療のあり方を、告発としてでなく冷静に問い掛けている。困難な状況のなかでワープロに向かい
「私も若いときには自分の死を支配したいと思った。 〜略〜 これだけの苦しみを経た後に私の考えは全く変わった。自然を支配してはいけない。自然の懐に抱かれて生きなければならない。」
「過度の医療による延命は必要ない。しかし、自然の状態で与えられた命を生き尽す勇気こそ尊いのではないか。」
と私たちに問いかけています。

 本当に柳沢さんの人間性に頭が下がります。

 

 

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