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ningyo’s BOOK COLUMN

2004.6.30

なぜわれわれは戦争をしているのか
ノーマン・メイラー著/田代泰子訳
岩波書店

 日本の社会で生きていて、現在の漠然とした、実態の今ひとつわからない、でも確かにある不安は意識している。思想的にも政治的にもナニモノでもないとはいえ、わかろうと努め、考えることだけはやめてはいけないと思っている。

 マイケル・ムーア監督の「華氏911」がアメリカでドキュメンタリーとしては空前のヒットのニュースが入ってきた。映画サイトのニュースによれば、今まで大手メディアからは知らされていなかった情報が満載で、アメリカ市民に相当なインパクトをもたらしているらしい。私個人としてはムーア監督の手法は決して好きとは言えないが、日本で公開されたら見に行くだろうし、ムーア監督の意見と主張として見てきます。

 関連する本のひとつとして読んだのが、ノーマン・メイラーの本書「なぜわれわれは戦争をしているのか」 内容が講演と対談から構成されているせいもあるだろうが、文章が非常ににストレートだという印象。911のテロが、アメリカにもたらしたショックと、その後の状況を分析する。あくまで明晰で冷静な文章だが、読んでいるとメイラーの怒りが伝わって来る。ことはデモクラシーという、アメリカが世界に輸出している、と主張するものの本質に関わる問題。しかしそれは、出来上がって包装されたようなものであるわけがない。デモクラシーとは、人間の少量の気高さに依存しているものだ。傷つきやすく、脆く、常に必死で守らなくてはいけない。

 デモクラシーとは、自由を享受するだけでなく、それを維持するという重労働に耐える覚悟のある個人の集団がいる国のみが手にできる恩寵なのだ。(69ページ)

 自信ないですね。本当にそれに耐える覚悟があるのかどうか。

 メイラーは、今アメリカは帝国への道を歩んでいるという。そして批判を許さない無定見な愛国心を嫌う。そりゃあ、誰だって正論だと思うだろう。でも、日本でも最近何度も「無定見な批判封じ」を見せ付けられてる。やってる人は純粋。自分の動機を疑わない。きっとどこでもそうだろう。自分の愛国心がクズみたいなもんだなんて信じたくない。

 メイラーは不合理と区別した上で、テロは邪悪であり、不条理だと断じる。われわれが生きること、世界のありようを受け入れる認識を破壊する。しかし、われわれはそれを生み出した世界に生きているし、これは何かすれば解決できるような問題でなく、どこまでのテロが許容できるか、という世界になってしまった、と言う。イスラム社会の伝統的な価値を根底から否定されるという文明の誇りへの屈辱を伴った怒りにたいして、アメリカの論理はまったく無力だ。

 アメリカのユダヤ人としてのイスラエル、パレスチナ問題についての認識も明快。イスラム側の責任も見逃してはいない。

 「地球時代の文化論」(1970)の中で、マーガレット・ミードは原爆によって世界がまったく違うものになってしまったのに、人はそれに馴化してしまい、平和を築く機会を逸し、制御できない核の危険を招いていくだろうと嘆いた。それに加えてテロも数えなければならないのだろうか。これは日本人としてももっと切実に考えなければいけないことだろう。次の言葉は、アメリカ人にのみ向けられたものではあるまい。

 テロリストにとってたくさんの人を抹殺できればできるほどうれしいのだ、しかし、正義を振りかざしてそれに憤慨する前に訊きたいんだが、かって使用されたことの無い、尋常ならざる手段によって、広島で十万人が殺され、その三日後には長崎でさらに十万人が殺されたことを思って、ハリー・トルーマンはベッドで震えただろうか? それとも、戦争に勝ったことに満足していただろうか?・・・・・(27ぺ―ジ ダットスン・レイダーとの対談)

 ともかく、ため息つきつつも、思考に耐える勇気と根気を持たなければ・・・

  

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