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ningyo’s BOOK COLUMN

2003.1.13

トリスタンとイズー(TRISTAN AND ISEULT)
ローズマリー・サトクリフ著
井辻朱美訳
沖積舎

昔々の宿命の恋の物語

 2003年は古い古い恋の物語からです。「トリスタンとイゾルデ」はさまざまなモチーフで語られますので、ここでのあらすじを。無謀ですが・・・
 イングランドのマルク王の甥、トリスタンは当代無比の勇者。コーンウオールの英雄モロルトを一騎打ちで倒し、国を救った。しかしその実力と王の寵愛はねたみを買い、彼は王座に野心のないことを示すために、マルク王の妃を求め、旅に出る。
 旅の途中でよんどころなく流れ着いたコーンウォールで、彼は龍を倒し、その国をも救うが自らも深く傷つく。それを救ったのは、彼が殺したモロルトの婚約者、コーンウオールのイズー王女であった。彼女はトリスタンのことを仇と知るがひそかに愛し、助ける。しかし体の癒えた彼が伝えたのは「イズーをマルク王の妃に」ということだった。しかし、マルク王のもとに向かう途上、イズーもトリスタンもお互いに離れられぬ二人であることを知る。王を裏切り逢瀬を重ねる二人だが、ついには露見し、トリスタンは国を離れ、ブルターニュで「白き手のイズー」と結婚する。
 あるとき深く傷ついた彼は、彼を癒せるのは「コーンウオールのイズー」しかいないことを悟り、イズーを呼ぶ。「もし来られたら白い帆の船で、来られないなら黒い帆の船を」 イズーを待つトリスタンに、妻の「白き手のイズー」は告げる。「黒い帆の船が」トリスタンは力尽き、息絶える。しかしそれは彼女の嫉妬による嘘だった。やってきたイズーもトリスタンの死体の上で胸破れ死ぬ。隣り合って葬られた二人の墓からは木とすいかずらが生え、絡みあって一つのものとなる。

 このサトクリフのものでは、マルク王のもとに向かう船の中で誤って、あるいは毒のつもりで二人で飲んでしまう媚薬や、トリスタンの親友にして片腕の裏切りはありません。二人の恋は、宿命にして媚薬など必要ないのです。それと「白き手のイズー」の存在。そこが私がこのサトクリフの「トリスタン」が一番好きな理由です。ワグナーのオペラでも、「私を死なせて」の旋律で、二人の愛が安らうところは死の中にしかないことが何度も繰り返され、終劇の死へとたどり着きます。この本でも二人は愛の深さゆえに、激しく憎みあいもし、死によってその愛をまっとうします。
 コーンウオールのイズーは美しさも、激しさも、高貴さもすべて群を抜いた女性です。その気位の高さ、怒りの激しさ、自らを生きようとする意志の強さは圧倒的です。宿命の恋にすべてを与え、すべてを要求します。そんな女性と出会ってしまったら、運命の針は死を指すしかないのだろうか・・・

    マリー・ド・フランスのレー(12の恋の物語/岩波文庫)「すいかずらの歌」の
          ―恋人よ 私なくしてあなたはなく あなたなくして私もない―
  この高らかに歌い上げる恋は、イズーの強さあってのものです。

 叔父である王も愛しているトリスタンは、罪悪感にまみれながらも王をだまし、自分をもイズーをも激しく憎みます。トリスタンもイズーも愛している王。そしてトリスタンを愛し、しかし愛されることのない妻「白き手のイズー」 絡みあった愛憎のなかで、トリスタンとイズーは自らも他人をも傷つけ血を流しながら、お互いを求めます。いくら時代が変わっても、愛が安くなっても、この宿命の恋は人を魅了し続けるでしょう。 読む度にどこかでこれだけ深く激しいものに憧れる自分に気づかされます。最近は「白き手のイズー」の悲しさに惹かれます。彼女もまた強い女性です。

 トリスタンをめぐる二人のイズーは、彼の死体を中に初めて顔をあわせます。

 そうしてコーンウオールのイズーは、弔鐘の響く下で、冷ややかな澄んだ声を発した。「奥様、どうぞ、そこをのいてくださいまし。わたくしこそ、この方のもっともお側に立つべきものです。わたくしの悲しみのほうが深い。あなたよりも、わたくしのほうが、この方を愛していました」
 低いささやきが会堂を走り、〈白き手のイズー〉は背をむけざま、最後の一瞥を投げた。「それは果してどうでございましょう」彼女は言った。「けれど、たしかに、このかたはわたくしよりも、あなたのほうをはるかに愛しておりました」そして彼女はその場所をあけてひきさがり、いまひとりの女の次に並んだ。  (1989年12月12日発行 247〜248ページ)

 この誇り高く、危うさと激しさを秘めた二人のイズーを、天野善孝さんのイラストで見たいと思いました。(歌劇版ストーリーのものならありますが、ワグナー歌劇には「白き手のイズー」が出てきません) 

 

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