remove
powerd by nog twitter

   

ningyo’s BOOK COLUMN

200211.24.

戦下のレシピ
斎藤美奈子著
岩波アクティブ新書

 作ってみよう、食べてみよう

 帯文
 「ぜいたくは敵だ」の時代の台所と食卓に迫る  読めて使えるガイドブック初登場!

 本当に使えるレシピつきの、昭和14年から昭和20年秋頃までの主として婦人雑誌料理記事で当時の食生活を時系列で追った本。 60年程前、日本でも餓死者の出る時代でした。
 「物がなかった」「食べられなかった」「買えなかった」「いつもおなかがすいていた」
・・・申し訳ないけれど、当時のことは今では想像力を働かせても、きっとそれだけではわかりきれないものがあると思うのです。今でもそういう状況は世界のあちこちで起きていても、画面越し、紙面越しの視聴でおそらく身に沁みては感じていないとも思います。

 小林秀雄章受賞の「文章読本さん江」「妊娠小説」などの鋭い、それでいて楽しく読ませてくれる評論でおなじみの斎藤美奈子氏が
「個人的な体験談のようなものはあっても、戦争中の食について体系的に書かれたものは、ほとんどありません」
という状況のなかでまとめたのがこの本です。レシピが全部ついているのでどんなものか想像できます。
 日本の生活水準は昭和10年ごろまで徐々に上昇し、このころから都市の給与生活者、家事によって家族の健康を守る専業主婦といった概念が出現(!)したそうです。それまでは上流家庭では炊事は召使の仕事、主婦も大事な労働力だった階級では手間のかかる料理なんてしてられないわ、な状態でした。農村ではまだまだ前近代的な貧しい米は食べられない生活が続いていました。以後は戦争の影響で悪化の一途。戦争後は食料持ってる農家が強かったのですが。やっと昭和30年過ぎに昭和10年水準程度を回復したと読んだことがあります。

 この本でも始めのころのものは、家族の栄養管理に心を砕くお母様に、お子様のお誕生日には「鉄兜マッシュ・軍艦サラダ・飛行機メンチボール」といった「大東亜建設の次代をになう坊ちゃん方のため」のお遊び的雰囲気にあふれたもの。それが戦争の泥沼化にしたがって 米を節約 → 隅から隅まで食べる → 量をふやして食べる → 食べられるものは何でも食べる → もしかしたら食べられそうなものも食べてみる ということになって、レシピもどんどん恐ろしいものになっていきます。

 ともかく食べられる量を確保するために、何でもかんでも粉にして水をたしてのレシピばかりになる。味なし、食感なし、十分な量なしの食生活の上に、度重なる空襲、重労働まさに「寝不足で重労働なのに飯がない」という戦争の実態。特に台所を担当するとなったら、燃料から材料から調達するのもたいへんなのに、「食べられるかもしれないものを料理してみる」というのはばかばかしく手間のかかるもので、ほとんどかまどの奴隷となってしまうしかない。冗談ではない。

こんな生活は絶対いやだ!

 これからまた食糧難が来ても、食料と取り替えられる家庭のストックなんてないぞ、きっと。

 というわけで、すこしだけ実際に作ってみました。

ぬか入りビスケット (昭和17年5月/婦人之友)
 米ぬかをていねいに炒ってからすり鉢でよくすり滑らかにしたもの カップ1
  (すぐ焦げ付くので、絶対に目を離さず1時間以上炒る。茶色くなったらすり鉢で30分くらいする。プロセッサーはつまりそうで使いたくなかった)
 メリケン粉  カップ1  砂糖 カップ2/3 バタ 大匙1 卵1個 ベーキングパウダー 小匙1
 材料を良く混ぜ、薄く延ばしてフライパンで焼く。
   感想・・・食べられないことはない。

マヨネーズ(昭和20年8月/主婦之友)
 小麦粉(生大豆粉、食用粉でも良い)でとろっとした糊をつくって冷まし、塩を入れ、酢1に油10の割合に加えてよくかき混ぜる。溶きがらしを加えるとなお良い。 
   感想・・・身震いがした。

主食を補う非常食 (昭和19年5月 川島四郎大佐/主婦之友)
高野豆腐   = 日本古来の乾パン、ビスケット。最初は口がもぞもぞするようですが、少しずつ含んでよく噛み締めていると底知れぬおいしい味がでて来ます。
   感想・・・お料理しましょうよ!
煎茶  =野菜の替わりに。葉をそのまま噛んで食べてもよく、これさえあれば野菜類が手に入らなくても健康上さわりはありません。
   感想・・・お茶は飲みたい

 (戦争末期の野草食やら代用食について、川島四郎大佐大活躍です。)

この本を読むなら…

新刊を買う 図書館で探す 古本屋さんで探す

  

 

column top