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ningyo’s BOOK COLUMN

2002.10.20

石橋忍月全集
八木書店

 明治の人にタンカを学ぶ

 お薦めでは手に入りにくい本は書かないようにとは思っているのですが、あまりにおもしろいので、今回はなかなか読めないことを承知でご紹介します。どう手に入りにくいかというと、値段がたっか〜いからです。1冊19,000円です。図書館だってそうそう置いてないだろうなあというお値段。研究者向けの本なんでしょうね。

 石橋忍月は慶応元年生まれ。東大法学部在学中に文筆活動を始め、小説・文芸評論で活躍。森鴎外との「舞姫」論争は有名。(この舞姫論争については、斎藤美奈子氏の「妊娠小説」の記述が一番明快・・・というか、わかりやすい・・・と思います) 大学卒業後、内務省任官・北国新聞編集顧問(この時に桐生悠々と知り合ったらしい)などを経た後、長崎で弁護士を開業。三男は文芸評論家 山本健吉氏。 

 明治時代の文章には、逍遥以後のいわゆる現代文になってからもリズム感があって、声を出して読んでいるとある種の快感があります。この全集では、小説より批評や時局批判みたいな文章を読んでいると、文体の持つリズムが内容にぴたっとはまって実に痛快。タンカとは、短歌でも炭化でもなく、啖呵です。書いてある内容については「なるほど」「ごもっとも」「ちょっとちがうかも」いろいろありますが、斉藤孝さんに便乗してしまえば、子どもたちにこんな文章を音読の宿題に出してあげてもおもしろいのにね〜と思います。日本語の財産の一つですよね。

 忍月先生は国定教科書で文部省が日本語の音を減らした!と怒っています。「かん」と「クワン」、「じ」と「ぢ」は別の音なのに一緒くたにしている、とか「ん」を「ぬ」の代用にするな!とか、「−」(音を伸ばす記号)を使うな!とか。北条高時は ホウデウタカトキ であって ホージョーと読むは「ひがごと」だそうです。初めて知りました。文部省が日本人の学力を下げる、と怒られるのはこの時代からだったのね。

  入手困難と思われるのでちょっと抜粋してみます。縦書きで読むべき文章ですが。

瑕疵満面の教科書(尋常小学三学年用修身書の素人評) 忍月全集四巻

 銘打ちて文部省著作の国定教科書といふ、何人と雖も完全無欠なるを想ふ、復た何ぞ其内容の拙劣不備を疑ふものあらんや。然れども試みに之を一読するときは文章上用語上の瑕疵、紙面に満ち一々枚挙するに遑あらず、予はかかる乱暴なる教科書を著作したる文部省の大胆と厚顔とに驚くと同時に、悚然(しょーぜん・・・ルビそのまま)としてかかる教科書を強いらるる児童及び父兄の不幸を恐れ悲しまざるを得ざるなり。
〜略〜
第一 詞つかひと発音の瑕疵
一〜三 略
四、「正直」の正訓は「しやうぢき」なり然るに同書第十七ページに 〜中略〜 「ぢき」とすべきを「じき」としたる欠点は不問に附すべからず、「じき」と「ぢき」との区別を知らずして教科書を編む、当局者の蛮勇は日本語の発音を根底より破壊せずんば巳まざるの勢ひあり、寒心又寒心、吾人はやがては富士(ふじ)と藤(ふぢ)との区別をも知る能はざるに至るべし
〜略〜
(ワシントンと桜の木のエピソードについて)
此の文章に依て見るときは、ワシントンは自己の非を後悔の状毫しも見ずして、寧ろ一大善事でも成したるかの如く思はれる挿画のワシントンも傲然たる態度にて父にわびてゐる様とは受取られず、事実を白状したるワシントンを正直なりとして、大に喜びたる父も、実に親馬鹿なりと謂はざるべからず、
〜略〜
・・・予は茲(ここ)に文部省が作れる新体詩(読本第六、四七頁)を左に掲げて筆を擱かん。
あー、今月は十二月、あー、もう、けふは二十日すぎ、十日たたぬに、としもとり、はなが、また、さく四月には、四年生にも、ぼくは、なる。なまけることが、できはせん。ことしはすこし休んだが、もう、来年は、休まんぞ。・・・
古今珍無類大々的の名文章、読んで「四年生にもぼくはなる、なまけることが、できはせん」に至っては、抱腹絶倒、後を読みつづくる能はず、文部省著作者の怪腕霊筆、其奥底殆んど測り知るべからず、(をはり)

 (ちょっと付け加えますと、忍月氏はワシントンのエピソードについて、文章の書き方と挿し絵の描き方、それにこれは積極的な良いことでなく、消極的な良いことなので修身の本に載せるのはどうか、という意見です。)

 このように怒りに任せて書きとばしたと思しき文章までこの調子のよさ!
 漢文素読で育った人の底力には負けます。
 ところで、私も「ふじ」と「ふぢ」、音の違いなんて全然区別できません。

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