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万葉集から・3

東歌・防人の歌

よく残してくれました

2003.4.30

 

 万葉集のなかには、後の勅撰和歌集にはない、いわゆる知識階層でない庶民の歌が入っています。上流貴族がサロンでおしゃれに詠み交わした、当時の知や流行の先端で詠まれた歌から、おそらくは文字も読めないだろう一般人が歌っていた歌や民謡まで、さまざまな階層で詠まれたものが一緒にまとめられています。

 庶民の伝承歌は中国の詩経などもありますが(まだまだ不勉強なのでこの辺は突っ込まないで下さい)、古いものでこれだけの数を集めた、それもまとまった伝説・物語としてだけでなく、生活の中から生まれたような歌をこれだけストレートな形で読めるのは日本人の幸せのひとつだと思います。

 

 それでも岩波文庫の万葉集の東歌・防人の歌を読んでいくのはいささか辛い作業ではありました。数が膨大で、うっかりすると読んでいるうちにまぶたが落ちてきてしまう。それに心に響く歌を新しく見つけようと思っても、つい古いおなじみさんな歌ばかり見つけて喜ぶという事になってしまいました。わかりやすい歌が多いだけに、最初の印象が強いものはいつまでも好きです。

 東歌を読み続けていて、昔読んだ井上ひさしさんのエッセーが思い出されました。その本をかなり探し回ったのに見つからなくて、記憶だけで書く事になりますが、こんな内容でした。
 −東北出身で訛りがきつく、ふだんはほとんどしゃべらないおじさんが、ふるさとの民謡を歌う時には、即興で気の利いた歌詞を作りながらすばらしい美声で歌う。都会で自分の方言を気にしながらもぞもぞ話している時の人と、とても同一人物とは思えない。そのおじさんにとっては、節にのせて歌うということが自分自身を語る手段であったのだろうー
 ずらりと並んでいる東歌を読んでいるうちに、この歌もそうやって歌われたのではないかな、なんて思いました。まずメロディーや調子があって、それに言葉を乗せていく・・・ 生まれた時から聞きなれたリズムに自分の思いを乗せていく・・・万葉集には記録されたので残っているけれど、全国で、またどんな時代でもこうやって生まれた歌があって、ほとんどは記録されずに消えていって、その中でも傑作が人々に惜しまれて口伝えに残ったりして・・・なんてことを考えました。
 「ああそうだよなあ」と共感する歌が多いのです。

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西の市にただ独り出でて目並べず買えりし絹の商(あき)じこりかも (巻十六)

 こういう歌は、そうやって生まれたという感じが強くします。
「西の市へ独りで行って、ぱっと買ったこの絹、ひどい傷ものつかまされたんだわ!」
 わかるな〜 これみんなの共感呼んで合唱されたんではないでしょうか?私もこれが歌われたその場にいたら、深〜く頷きそう。衝動買いの後の後悔は、時代を超える!

 

 国所の勘がえられぬ相聞歌
川かみの根白高萱(たかがや)。あやにあやに さ寝さ寝てこそ、言に出にしか 
垣(くへ)越しに麦食む子馬の はつはつに逢い見し子らし、あやに愛(かな)しも
 
武蔵野国相聞歌
多摩川に晒す調布(てづくり) さらさらに、何ぞ、この子の、幾許(ここだ)愛(かな)しき
 
                                                                以上(巻十四)

 何でこんなに直截で響きの良い歌が多いのでしょうか。ここださらさら、はつはつ、言葉の調子だけでも忘れられない歌です。たとえ公に歌われるものとしても、恋する心の表現にこういった歌が日常であった時代があったのです。言葉が、響きが身体にまとわりつくようで陶然とします。こんなものを自分に向かって叫ばれたら・・・恥ずかしい。
 日本のこういう伝統は何処いっちゃったんでしょうね。(バンドやってる高校生もこの系譜なんでしょうか?3歳の時からの付き合いのお地蔵さん顔の男の子が金髪トサカになった時は絶句しましたが。)
 とはいえ、中学校で、近くの席の男の子がノートの余白に詩をいっぱい書いていたのに(今でいうとキンキ・キッズの歌みたいな雰囲気の詩・・・ちょっと古風なポップ風)思わず引いてしまいました。私も考えを改めないといけません。「シラノ・ド・ベルジュラック」だって、ロクサーヌの心を動かしたのはシラノの言葉の力でした。

 

子持山 若楓(かへるで)の もみつまで、寝もと我(わ)は思(も)ふ。
                             汝はあどか思ふ    
(巻十六)

 子持山というのは、群馬県の小火山で上州の山を見るための手ごろな展望台になる1300メートルほどの山だそうです。6世紀半ばに榛名山大爆発があり、一帯に2メートルもの厚さに軽石層が積もり、つまり農業生産にとっては最悪な事態になりました。「かえでの若葉が色づくまで」寝たいというのは実に夢ですね。寝てなんていられない状況です。それで満足に税が収められないから、防人に連れて行かれる・・・ああ現代に生まれてよかった。

 

防人の歌
わが妻はいたく恋ひらし。 飲む水に陰さへ見えて、世に忘られず
筑波峰のさ百合の花の 夜床にも愛(かな)しけ妹ぞ。昼もかなしけ
唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてぞ来のや。 母(おも)なしにして
難波道(なにはじ)を往きて来までと、我妹子がつけし紐が緒、絶えにけるかも

防人の妻の歌
防人にいくは誰が夫(せ)と 問ふ人を、見るがともしさ。 物思(ものも)ひもせず 
                           
以上(巻二十)

 地域差別、天災、貧しいうえに租税がのしかかる、防人としてひっぱられるなど、弱いところに負担のしわ寄せ、をあらためて知らされる東歌ではあります。家持とて彼らにしてみれば酷吏でしかなかったんでしょうね。母親のない子どもたちから父親までかい!とは誰でも非情さに憤ってしまいます。
 でも貧窮問答歌もどきだけにならないのがさすが生活から生まれた歌です。
 防人の歌でも残した家族や奥さんを恋しがる歌、防人に出る夫を気づかい、別れを悲しむ妻の歌は胸に響く、という言葉がジャストフィットです。九州で恋人ができちゃったよ〜という歌。なんだよ、と思うものの当時の帰れるかどうかわからないことを考えると、単身赴任で心がよろめいたなんてレベルでは語れない重みがあります。
 やっぱりそばに居なきゃダメなのね!と妙に決意をしたりします。

 

 国所の勘がえられない挽歌
愛(かな)し妹を 何処(いづも)行かめと、 麦門冬(やますげ)の
                     背向(そがひ)に寝しく 今し口惜しも
 (巻十四)

 生意気な高校生時代に読んでとても厳粛な気持ちになりました。ケンカして背を向け合って寝たあの夜が口惜しい・・・ そばにいる人とはいつまでも一緒にいられるようなつもりでいます。身近な人を失って感じる「自分の一部をなくした気持ち」がまっすぐ伝わります。そういえば、同じ頃英語の先生も教えてくれました。
 Out of sight, out of mind. (去るものは日々に疎し)
 「この意味はね、好きな人とは離れちゃダメよってこと」

 

 国所の勘がえられぬ相聞歌
稲搗けば 皸かる我が手を。 今宵もか、殿の若子が 取りて嘆かむ (巻十四)
           かかる・・・あかぎれの切れている

 「身分違い」というのは、ピンと来る話題ではありません。日本の現在の社会的階層というのはちょっと判断できないところがあります。建前 平等ですし、お金の多寡で決定される部分がどこまでなのか、「シロガネーゼ」さんとかの記事を読んでもこれがハイソな世界なのかどうかわかりません。少し昔の小説を読むと、「身分違い」「育ちの違い」が悲劇の種というのは、わんさかあります。配達の人が玄関から入ることが、普通の中流家庭でもヘンなことだったなんてドア一つだけの量産マンション暮らしではアンビリーバブルです。万葉の時代は、当然ずっと厳しい身分社会で、良民賎民の区別や段階が厳しく規定され、おまけに奴隷の身分から抜け出す道がほぼない!資料を読むとインドのカースト制みたい。
 女奴隷が旦那様の若様と恋をしても、絶対結婚なんてできない。子どもが生まれても、その子は母の身分によって身分が決定され、女奴隷の子は父親が誰であれ奴隷身分。この歌はそういう事実を背景にした物語歌であろうと考えられているようです。

 今は大事に思ってもらっているようでも、若様が飽きればそれっきり。それでも傷ついた手を嘆いてくれる恋人がうれしい?・・・でも悲しい?これも刹那の恋ですか?

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 東歌は新たに従えた諸国神霊の服従のしるしに歌も献上させたものとされています。
 防人の歌は大伴家持収集によるものといわれています。万葉集の編者であるかどうかは確定はしていないようですが、この歌を収集・取捨選択したのが家持であることは確定です。
 それで家持が「東歌風」に詠んだ歌も収められていますが・・・
 やっぱり自分にあったものを詠んでるほうがいいようですねえ。
 もしかして家持が「駄作!」と切り捨てた中にもっと切々とした歌があったかもしれませんけど、彼が意識的に集めなければ年月のなかで消えていったのかと思うと、それだけでも彼の貢献はすばらしいものです。

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参考  講談社歳時記   平凡社国民百科事典 
井上ひさしさんのエッセーは講談社文庫のエッセー集の中のものと思う
歌の表記については  講談社 山本健吉編 日本詩歌集  から

 

 

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